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4.1 ポイント・オブ・ノーリターン(Layer:1 Main Story)

「エミリー、おまえ、ストーンヘンジでなにをやらかしたんだ」

 マイケルは、セント・セシリア校の制服姿で朝食をとっているエミリーに問いかけた。

「なにをって、なんのこと?」

 エミリーは、右手でクロワッサンを持ったまま、左手の人差し指を唇に当てて、首をかしげている。ルビーとサファイアを思わせるオッドアイが、上目遣いにマイケルを見た。

「昨夜、ある人から聞いたんだが、二ヶ月前の大爆発事件のときに、ストーンヘンジでおまえとそっくりな人間が目撃されているんだ」

 その言葉を受けて、エミリーは思い出したように、ああとつぶやいた。

「あいつらの集団と一戦交える、はずだったのよ……」

「それで、どうなったんだ?」

 右手のクロワッサンをちらりと見やったエミリーが、恨めしそうな視線をマイケルに投げてくる。そして、しかたないわね、とでも言わんばかりにため息をひとつ落とした。

「こちらの戦力は、アーサーたちとわたしで七名。敵は、獣みたいなやつが四〇体に、人間みたいなやつが五体ほどいたかしら。そいつらと、Wormwoodっていう有害物質を持ったテロリストが一名、ストーンヘンジに立て篭もった。テロリストがWormwoodをばら撒いたら、三日を待たずにロンドン市民数万人が重篤な脳障害を負うことになる。放っておいても、あいつらがあふれだして、あなたたち人類に大きな禍根を残すことになるわ。さて、この状況、あなたならどうする?」

 クイズにするような話題ではないと思うが、出題者はそしらぬ顔でクロワッサンをちぎって口に入れた。マイケルの口を封じておいて、その間に食事をすませるつもりらしい。

 数や状況ではずいぶん不利なように思えるが、その戦闘に参加していたらしいエミリーは、なにごともなかったかのように、目の前でスクランブルエッグをつついたりしている。ということは、少なくとも負けたわけではなさそうだ。

「……ソールズベリー・ディストラクションか。やはりあれは、おまえの仕業か」

 ミルクをたっぷりと入れた紅茶を口にしたエミリーは、こくんとうなずく。

「軍の暴走がきっかけだったんだけど、あの時は、あれが最も合理的な選択だったわ。あれでも、被害を最小限に食い止めてあげたのよ。実際、あの爆発で死んだ人間(・・)は、ストーンヘンジにいたテロリスト一名だけだわ」

 半径五百メートルを焼け野原に変えてしまうような爆発を、どうやったら起こせるというのか。こいつのことだから、爆弾やミサイルを使いましたなんて可愛げのある話ではなく、例の力とやらを使ったのだろう。それにしても、こんな与太話を事実に違いないと考えざるを得ないなんて、現実とファンタジー小説の境界線は、いつのまにこんなに曖昧になったのだろうか。

 マイケルは、ほうっとひとつため息を落とした。

「じゃあ、ロンドンにいたあいつらは、なんなんだ?」

「わたしたちが現場に着く前に、陸軍の特殊部隊が独断専行してね。そのときに、人間型を何体か取り逃がしちゃったの。それで、そいつらの始末をしていたというわけよ」

 エミリーの話を聞いていて、マイケルには素朴な疑問が浮かんだ。いまさら、と思うような疑問だ。

「あいつらって、どこかから湧いて出てくるのか」

 クロワッサンの最後のひとかけらを飲み込んだエミリーは、さらりと答えた。

「そんなわけないじゃない。あれでも、いちおう生命体なんだから。あいつらはね、人から生まれてくるのよ」

 マイケルは絶句する。

 ――人から生まれるだと? それじゃ、やっぱり人間じゃないか。

「なあ、エミリー。もういちど聞くけど、それって、やっぱりおまえが人を殺してるってことじゃないのか」

 エミリーは、口に運びかけたウィンナーを皿に戻し、大きなため息をついた。

「あなたには、記憶力というものがないの? 何回言ったら、わかるのかしら。あいつらは、人間じゃないの」

「でも、人から生まれるって……」

「ヒトから生まれるのがヒトだけだったら、いずれ人類という種は滅びるわよ。変化すること、この場合は進化というべきかしら、それと、生き残るということは、生命にとっては同義だもの」

 そう言って、エミリーはウィンナーを口にした。

「ごまかさないでくれ。あいつらは、ほんとうに人間じゃないのか?」

 エミリーは、ナプキンで口元を拭い、紅茶をひとくち飲んだ。

「ふふっ。心配しないでいいわ。あいつらは、間違いなく人類ではないし、今のところ、人類にとっては有害なものだから……えっ、いいけど、あまり時間が……あ、んっ」

 言葉尻を吐息で濁したエミリーは、カップをソーサーに置いた。がちゃっという音が、やけに大きく聞こえた。そして、うつむいたエミリーの華奢な肩がびくんと震える。

「どうしてそんなものが、人から生まれてくる……んだ……エミリー?」

 マイケルは問いかけを途中で止めて、様子がおかしいエミリーに呼びかけた。

 ふうっというため息とともに、顔を上げた少女の右目が、真紅の輝きを放つ。それと同時に、ぞっとするほど冷たい波動のようなものがマイケルを包み込んだ。背筋に、ぞわぞわとした悪寒が這い登ってくる。そこに座っているのは、エミリーの姿をしてはいるがエミリーではない何者かだった。

 その少女の口元が、ふっと緩んだように見えた。そして、氷のような声がした。

「そんなに、怖がるな。先日の件なら、もういい。アマーリエ=ミリアが、そう言っただろう。なら、それはわたしの意思でもある……」

 マイケルを映した、少女の真紅の瞳が揺らめく。だが、その瞳に険しい色はなかった。マイケルの中から、少しずつ恐怖感が薄れていく。

「それより、相変わらず蒙昧な男だな、おまえは。あいつらが、どうして人間から産まれてくるのか、だと? おまえは、学校や家庭で性教育を受けなかったのか。おまえが、男と女のどういう行為によってこの世に生を受けたかぐらいは、知っているだろう。それが、答えだ」

 少女の話は、Howについての回答にはなっていたが、マイケルが問いただしたのは言うまでもなくWhyの方だ。ではあるが、この少女とまともに会話が成立したのは、おそらくこれがはじめてだろう。マイケルは、もう少し踏み込んでみることにした。

「俺は、なぜあいつらが人から生まれたのかということが知りたいんだが」

 少女が、口元に手の甲を当てて、くっくっと笑う。オッドアイが細くなって、パールホワイトのロングヘアがさらさらと揺れる。

「なんだ、そっちか。そうだな……あらゆる存在には、大なり小なり目的がある。あんなクズどもだが、当然、その存在にも目的や意味はあるさ。いや、むしろある目的の結果だというべきかもしれんな。結果が、また目的のための原因になり、新たな結果が得られる。連鎖、というやつだよ……」

 少女の話は、まったく要領を得なかった。マイケルの問いに対する、それが答えだというつもりなのだろうか。

「ものわかりの悪いおまえのために、もう少し説明を補足してやろう。あいつらはな、ろくでなしが始めた実験の副産物なんだよ。おまえが、まともな学校で怠けずに生物学の勉強をしたことを前提に話すが、ヒトとサルのDNAは、全体として見れば、その違いはごくわずかしかない。だが、そこに書かれているゲノムのレベルで見れば、細かな違いがけっこうあるんだ。その差異がヒトとサルを決定的に分けているわけだが、それは環境適合性による取捨選択であるにせよ、因子そのものに内包された浮動要素の発現であるにせよ、つまるところは限定的な範囲内での偶然性によって獲得されたものにすぎない。本来なら無限の可能性があるはずの偶然性が、どうして限定されているのか。それは、ろくでなしによって、この実験プラントが大きな破綻を起こさないように構築されていたからなのさ。そして、それゆえに実験は袋小路に行き当たってしまった。強引な方法で、一度はリセットしたんだが……」

 そこで言葉を切った少女は、ティーカップを手に取って口をつけた。淡い桜色の唇が、アヴィランドのイリュージョン・ティーカップを縁取る金のラインにそっと触れる。白い喉をこくんと鳴らして中身を一気に飲み干すと、少女は空になったカップをソーサーごとマイケルの前に突き出した。

 ――やっぱり、そうなるのかよ。

 マイケルは、白磁のティーポットから褐色の紅茶をカップに注ぎ足す。

 少女は満足げな笑みを浮かべると、話を再開した。

「結果は、同じだった。生命の進化ってのは、おおむね急激かつ不可逆的な出来事だからな。いったん起きたら、あとには戻れない。実験台たちは、自分たちが獲得した能力によって、すでに実験台たることを放棄していたんだ。実験は大失敗、実験台はろくでなしの手を離れて、プラントに溢れ、プラントの維持に支障をきたすほどに増殖してしまった。ことここにいたって、ろくでなしは、実験の方針を変えたのさ。固定されつつある実験台のDNAに揺さぶりをかけて、実験台として再利用しようというわけだ。その結果が、わたしたちが異種と呼んでいるやつらの存在さ」

 そこまで話して、少女はこれで終わりだと言わんばかりに、紅茶に口につけた。

 マイケルは、少女の話に違和感を覚えた。その内容は現実的ではなかったが、そんなことはここ最近は慣れっこになっている。問題は、そこではない。もやもやとしたものを引きずりながら、マイケルは少女に問いかけた。

「すまないが、話が見えない。どういう意味なんだ?」

 そう問いかけたマイケルの言葉を、少女は、まだわからんのか、と一笑に付した。

「生命が環境の変化に対応して生き残るためのシステム、それが進化という能力だ。ところが、そのシステムは結果として、人類という種を生み出してしまった。個体では有限の存在なのに、記憶と知識を言語として外部化し全体で共有することで、ほぼ無限に連鎖して発達しつつ増殖し続ける存在、それがおまえたち人類だ。そして人類は、環境の方を自分たちに合わせて作り変えることで、自分自身は変わらなくても生き残れる力まで手に入れた。それはある意味、生命の進化の最終到達点なのかもしれない。だが、同時に、それは進化の袋小路なのさ。環境に適応して、変化しながらも存在し続けることが生命の本質だとすれば、環境の方を自分たちに適応させてしまう人類は、もはや生命の本質から外れてしまった存在だ。進化の果てに辿り着いたのが、進化を必要としないものだなんて、皮肉なことだがな……」

 再び紅茶のカップを手に取ると、少女は窓の外に視線を投げた。

「わたしは、最近こう思んだ。人類が、決定的な進化(ポイント・オブ・)の分岐点(ノーリターン)を通ってから、おおよそ五万年経つ。ここでもう一度、進化という能力を与えられる機会があるとしたら、人類はどちらを選ぶのだろうな。まがりなりにも生物の頂点に君臨している、今の存在にしがみついて進化を拒否するのか、今の姿を捨ててでも、存在し続けるために進化を受け入れるのか……」

 そして、もう片方の手をカップに添えて紅茶を飲み干すと、マイケルに向き直って冷笑を浮かべた。真紅の瞳が、底知れない深さでマイケルに迫ってくるように見えた。だが、そんな底なし沼を覗き込んでいながら、マイケルの心にあるのは恐怖感ではなく疑問だった。

 ――なんだろう、この違和感の正体は……。

「ふふっ。なあ、とても興味深いことだと、思わないか?」

 そして少女は、まるで他人事のように微笑んだ。

 その笑顔を見て、マイケルはやっと違和感の正体を理解した。話の内容がどうのこうのではない、その話しぶりが、自分とは関係の無いことを話しているような浮遊感を持っていたからだ。

「おまえは、エミリーじゃないな。いったい、何者なんだ」

 少女の真紅の瞳が、少しだけ細くなって、悪戯っぽい笑みがその顔に浮かんだ。

「それを聞いたら、おまえ自身が後戻りの(ポイント・オブ・)できない場所(ノーリターン)に踏み込むことになるぞ。いや、もうすでに遅いか。そろそろ、あれの効果が現われるころだな。なあ、おまえ、最近体調はどうだ。自分でも驚くぐらい、身体の反射が良くなったりしていないか?」

 急に現実的な話になったせいで、マイケルは答えに窮する。

 そんなマイケルを見て、少女が、ふふっと笑う。

「わたしとしたことが、調子にのってお喋りが過ぎたようだ。……わかったよ、アマーリエ=ミリア。そう急かすな。すぐに引っ込む。では、な」

 そう告げて、少女は目を伏せた。

 マホガニーの大きな置時計が、控えめな八点鐘を打つ。空になった皿とティーカップが、朝食の終わりの時を告げていた。

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