3.11 春の祭典(Layer:3 Fairy Story)
「あれは、サブマシンガンの発砲音……。どうやら我慢できずに、軍が行動を起こしたようですね」
コンスタンティンの言葉が終わらないうちに、アーサーの眉間に深い皺が寄った。
「まずいな、これは。最悪の展開だ」
アーサーが、忌々しげに舌打ちをする。そして、片耳だけのヘッドフォンからマイクのアームが生えたBOWMAN H4855携帯個人無線機用ヘッドセットを手荒く装着した。
「ハーフバックへ、こちらはセンターバックだ。なぜ、私の指示を待たず、勝手に戦闘を始めたのだ。先刻も、君たちの独断専行のせいで、四名の死傷者を出したうえに、六体の擬人体の逃亡を許したばかりだろう。これ以上、我々の足をひっぱらないでもらい……」
無線の相手を詰問していたアーサーの顔色が、さっと変わった。
ストーンヘンジを凝視したその視線の先で、林立する巨石にまとわりつくように青白い霧のようなものが立ちのぼっていた。
「Wormwoodだっ。セシル……」
アーサーは、ヘッドセットのマイクを掌で隠しながら、努めて冷静な声で告げた。
「すぐにストーンヘンジに行って、Wormwoodを焼却、無効化してくれ」
「それは、命令か?」
すました顔で問い返すセシルに、アーサーは即答する。
「そうだ」
セシルは、はあっとため息をつくと、上目遣いでありながら、まるでアーサーを見下すような薄笑いを返した。
「辺境の属国ブリテンの王であるおまえごときが、フランク王国の王女であるわたしに命令するつもりか。アーサー、すこしは立場をわきまえたらどうだ」
それまで黙って様子を見ていたコンスタンティンが、口を開いた。
「立場をわきまえるのは、あなたのほうですよ、黒騎士殿。騎士団長の命令には、従うべきだ」
「口を慎め、坊や。誰に向かって、ものを言っているのだ」
切り捨てるようなセシルの言葉に、それでもコンスタンティンは正面から反駁した。
「これは、人類の存亡に関わる事態です。あなたもローゼンクロイツ騎士団の一員なら、自覚を持ってほしいものですね」
言い方は丁寧だが、コンスタンティンの言葉はどこか高圧的だった。セシルは、肩にかかった髪を手の甲で背中に流しながら、面倒くさそうにコンスタンティンを見やった。
「人類が滅びようが、世界が破滅しようが、わたしの知ったことではない。わたしがローゼンクロイツにいるのは、したいことをするためだ。こんなくだらないことに、手を貸す気はない」
「貴女は、神から強大な力を与えられているというのに、なぜそれを正しく使おうとしないのか」
コンスタンティンの諭すような言葉に、セシルはあからさまに眉をひそめた。
「わたしの前で、神の話はするな。わたしは、わたしのやりたいようにやる。おまえたちも、勝手にすればいいのだ」
「いいかげんになさい」
それまで冷静だったコンスタンティンが、ついに怒りを露わにした。腰に吊るした剣に手をかけ、鋭い視線でセシルをにらみつける。
「ほう、おもしろい。聖職者のくせに、このわたしに刃向かうというのだな。よかろう。おまえの不敗記録を、ここで終わらせてやる」
セシルが、薄い笑いを浮かべる。
そんな、気まずい雰囲気に終止符を打ったのは、アーサーの一言だった。
「やめないか、二人とも。今は、一刻を争う」
コンスタンティンは、はっと答えて畏まったが、セシルはふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。それには構わず、アーサーは早口で無線インカムの相手に告げた。
「Wormwoodの放出を視認した。蒸気が爆発的気化濃度領域に入る前に、ラグナロックを発動して焼却処分する。焼却効果範囲は、半径約五〇〇メートルの半球内だ。核爆弾なみのプラズマ火球が発生する。巻き添えを食いたくなければ、即刻、全プレーヤーをフィールドから出したまえ。……ああ、そうだ。これで作戦終了だよ」
アーサーは、忌々しげに通信を切った。そして、騎士団全員に撤退を命じたあとで、セシルの肩に手を置いてその瞳を見つめた。
「私の頼みだ、聞いてくれるな?」
真紅と蒼玉の瞳を縁取る長い睫毛が揺れて、セシルの瞳が閉じられる。そして、桜の花びらを思わせる唇の端が、微かに上がった。
「埋め合わせは、してもらうぞ。……さっさと行け」
アーサーは一瞬だけ柔和な微笑を浮かべて、セシルの肩をぽんと叩くと、踵を返して騎士団員の後を追った。
Apr.30.20XX GMT23:59
視界の隅のデジタルクロックが瞬いて、表示が05/01 00:00に変わった。
右目に装着したTADS(目標捕捉指示照準装置)のモノクロームのモニターから目を離すと、コックピットの分厚いガラスのキャノピーごしに、西に傾いた上弦の月と、鈍色に輝きながら地の果てまで続くように広がる緩やかな起伏が見えた。
つい二時間前までは、春の夜の静寂に包まれていたソールズベリー平原は、今やイギリス陸軍と未知の敵性体との血で血を洗う戦場と化していた。
航空隊ウイングバック小隊の「鬼のビリー」ことウィルヘルム・ゲイツ伍長は、再びTADSのモニターを睨む。
数百メートル先にある、定規で引いた直線のように平原を横切る道路と、四角く区切られた駐車場が白く浮かび上がって見えた。
昼間なら車や観光バスでぎっしりと埋まる駐車場も、今は数台の車両が停まっているだけだった。駐車場の左側には、道路を挟んで、ストーンヘンジの環状列石が眠るようにうずくまっていた。
モニターの中で、巨石の合間を縫うように、小さな白い光点がいくつも高速で動き回っている。FLIR(赤外線前方監視装置)を併用しているので、熱を発するものはそれが人の体温程度であっても、白い光点として表示される。ここからでは、その正確な姿は判らないが、動き方から察するにそれらは直立二足歩行動物、おそらくは人間だろう。
その手前、百メートルほどの場所には、サブマシンガンを撃ちながら前進するSAS隊員の姿があった。
発射された弾丸が、光点の群れの足元に着弾の土煙を上げる。しかし、弾丸の雨を浴びながらも、そのモノたちは一体も倒れる様子がない。
――冗談ではない。生き物なら、無事なはずがないのに。
「あそこで……」
いったい何が起きているんだ、と後席に座っている小隊長に問いかけようとしたビリーの言葉は、ザザッというノイズに続いて無線インカムから聞こえた声に遮られた。
「作戦区域に、Wormwoodガス発生。作戦中止、全軍ただちに作戦区域から撤退せよ。航空隊隊長機に、指示を伝達する。これより、オペレーション・ラグナロックを実施する。ウイングバックは、攻撃を開始、目標を作戦区域内に足止めせよ。全兵装の使用を許可する。フルバックの攻撃まで、なんとしても持たせろ」
ビリーは、思わず舌打ちをする。
「敗戦処理かよっ」
インカムを押さえていなかったことに気づいて、ビリーは後悔する。全軍に聞かれてしまったかもしれない。だが、その直後、なにごともなかったかのように冷静な小隊長の声がした。
「ウイングバック・ゼロワンより、司令部。命令を繰り返してくれ」
小隊長の声にかぶさるように、無線インカムが事務的に答えた。
「繰り返す。オールアウト・アタックだ」
「了解」
続いてビリーの無線インカムから、ノイズのないクリアな小隊長の声が聞こえた。
「ウイングバック・ゼロワンからゼロツー、ゼロスリー各機へ達する。……聞いたな、野郎ども。俺たちの出番だ。各機、自由戦闘。目標、ストーンヘンジ周辺の敵性体群。出し惜しみはなしだ、ヤツらをやっちまえ!」
その命令と同時に、航空隊ウイングバック小隊の乗機、『空飛ぶ戦車』の異名を持つアグスタ・ウエストランド社製AH1-Mk1アパッチ・ロングボウ攻撃ヘリコプター三機が、獰猛なその牙を剥いた。
機体下部に突き出したM230機関砲の砲身から、白い排煙が噴出する。秒速八百メートルの速度で撃ち出された三十ミリ機関砲弾は、数発で装甲車を破壊する威力を持つ。それが、一分間に六百発。文字通り、砲弾の雨となってストーンヘンジに襲い掛かった。
May.01.20XX GMT00:01
アーサーたちを乗せた車が、タイヤを軋ませながら走り去るのを見届けたセシルは、空を見上げて深呼吸をした。パールホワイトの長い髪が、そよ風を受けてゆらりゆらりと揺れる。
吸い込んだ息をゆっくりと吐き出しながら、「ああ」とセシルはつぶやく。
「ほんとうに、いい夜だ。生ける者よ、死せる者よ。人間よ、異種よ。皆、この夜この場所に集うがいい。我は篝火を焚き、冬の気とともに不浄なるモノを追い払おうぞ。皆、歌いそして踊れ。春の祭典を、共に祝おうではないか……」
突如、ヒュンと風を切る音がしたかと思うと、ドンという鈍い音と共に、ストーンヘンジの足元の地面から爆炎と土煙が上がった。まるで、それが合図だったかのように、次々に降り注ぐ砲弾がストーンヘンジ周辺で炸裂して、あっという間に巨石群を爆煙で覆い隠した。
異形のモノたちから、怒号とも悲鳴ともつかない叫び声が上がる。
「ウイングバックの攻撃か……」
セシルは目を瞑って、ククッと低い笑い声を上げる。やがてそれは、高らかな哄笑に変わった。
「そうだ、もっと歌え、踊れ、かわいい子供たち。だがなぁ、人間ごときの手で、おまえたちを殺させはせん。そうとも、おまえたちは、一匹残らず我が生贄となるのだからな。待っていろ、今すぐこの手でブチ殺してやる」
歪んだ笑いを満面に浮かべたセシルが、まぶたを開く。夜の闇に浮かび上がるような真紅と蒼玉のオッドアイが、土煙を吹き上げるストーンヘンジをにらみ、桜色の唇から氷のような声がした。
「ノーティファイ。ハードウェア・モーション・アクセラレータ、オーバードライブ、クアッド・スピード。最大速度だ、身体の制御は任せたぞ、エリザベート・アマーリエ=ミリア。……マルチロール・ウエポンシステム、アクティベーション。デュアル・プロセッシング。コア・ゼロ、スタート、ローエングリン。コア・ワン、スタート、ラグナロック」
その右手に緑、そして左手に白い光が点ったと見るや、彼女の姿は一陣の風を残して掻き消えた。
直後、羆を思わせる異形のモノの眼前に、天使が舞い降りた。
白いロングヘアが、翼のように広がる。しかし、それが風になびくより速く、その姿は再び風の中に消えた。
二筋の青緑色の残光がクロスする。
そして異形のモノは、自分が殺されたと認識するより先に、四つの肉塊になり果てた。
May.01.20XX GMT00:03
全力射撃を行ったM230機関砲は、二分足らずで砲弾を撃ち尽くした。
一瞬の間を置いて、機体側面から張り出した小さな補助翼下にある円筒形のパイロンから、CRV7ロケット弾が発射された。次々に射出されたロケット弾は、炎と煙を引きながら目標付近の地面に着弾しては爆炎を上げる。
世界遺産であり、イギリスの重要な観光資源でもあるストーンヘンジが、みるみるうちに崩壊していく。
ヘリコプターの回転翼の音に紛れて分らないが、地上では雨のように降り注ぐ機関砲弾とロケット弾の爆音が轟き渡っていることだろう。
僚機がロケット弾を撃ち尽くしたのと時を同じくして、ビリーの乗機の機関砲弾とロケット弾も底をついた。
ビリーは、最後に残った武装であるAGM-114Lロングボウ・ヘルファイア空対地ミサイルのセーフティロックを外す。一機につき八発搭載しているこのミサイルは、対人用ではなく、主に戦車を撃破するための兵装である。発射されれば、設定された目標に向ってミサイル自身が飛行経路を調整しながら飛翔し、正確に目標に突入する性能を持つ。
――まさか、本土でこいつをぶっ放すことになるとは。
ビリーは、一瞬の感慨を振り払って、土煙の中にあるはずの目標に向けて、ミサイルの発射スイッチを押した。
「ウイングバック・ゼロワン、誘導弾発射」
オレンジ色の光跡を残して、ミサイルが飛翔する。着弾点に、今までとは比較にならないほどの爆炎が上がる。
情け容赦のない地獄の業火が、地上にあるものすべてを蹂躙し破壊しつくす。飛び散っているのは、ストーンヘンジの残骸だろうか。そこに、もはや人間だろうが動物だろうが、生存できるはずがなかった。
だが、そのミサイルを使い切ったら、もう攻撃手段はなかった。
――まだか。
ビリーが最後の一発を発射しかけたとき、無線インカムがザッと鳴った。
「状況、ラグナロック開始。ウイングバックは、攻撃を中止し、ただちに最大速力で離脱せよ。繰り返す、全機最大速度で離脱せよ」
機体が反転上昇する。
ビリーは、数分前までストーンヘンジがあった場所を一瞥する。
完全に瓦礫と化した環状列石を捉えたTADSの視界の中、もうもうと立ち昇る爆煙の合間に、一瞬、それが見えた。
――ばかな。
ビリーは、TADSのズームを最大望遠にする。そこに映し出された映像を、いや、自身の目を疑った。機体の振動で、画像がぶれる。目を凝らした、その視界の片隅で……。
白いロングヘアと黒いドレスが、風に揺れていた。
ビリーは、インカムに向かって怒鳴る。
「指令部、エマージェンシー。ストーンヘンジに非戦闘員がいる。すぐに、作戦を中断してくれっ。小隊長、反転接近して下さいっ」
だが、短いノイズの後に、インカムからは耳を疑うような命令が告げられた。
「そこに、非戦闘員などいない。直ちに、退避せよ」
モニターの中で、彼女の左手がゆっくりと上がり、空を指したように見えた。そして、爆煙が再びその姿をかき消した直後……。
閃光と灼熱が、すべてを飲み込んだ。




