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3.10 ワルプルギスの夜(Layer:3 Fairy Story)


Apr.30.20XX GMT23:00


 夜の静寂を破って、キャタピラの音が響く。

 ストーンヘンジに続く緩やかな登り坂を、一台のFV103スパートン装甲車が登ってきた。

 迷彩塗装を施された角ばった車体から突き出したL7GPMG機関銃の銃身が、月の光を反射して鈍く光る。

 装甲車は、坂道を登りきったところで、道路わきに寄って停車した。後部のハッチが開き、L119A1サブマシンガンを構えた三人の兵士が降り立った。

 彼らは周囲を警戒したあと、正面のストーンヘンジに視線を移した。

「威力偵察を開始。敵は……」

 無線インカムで本部に報告をしようとした兵士は、目の前で起こった突然の事態に言葉を飲み込んだ。

 ドンという轟音がして、八トン近い重量を持つ装甲車が突然横倒しになったのだ。その側面は大きく窪み、操縦席の辺りが激しく変形している。そして、その横には、人影のようなものが佇立していた。

 状況が把握できず、呆然とする兵士たちに向かって、それは突進してきた。

 応戦する間もなく、一人目の犠牲者が出た。鍛え上げられた肉体を持つ兵士を、それは一瞬の間に引き裂いてみせた。

 その状況は、特別な訓練を積んだ兵士たちをも、パニックに陥れた。

 彼らの持つサブマシンガンが、いっせいに火を噴く。

 軽快な音とともに発射された五・五六ミリNATO弾の弾幕は、それの攻撃を阻止することはできなかった。最初の数発はそれに命中したものの、その胸板でことごとく弾かれた。

 それは、兵士たちの反射神経の追随を許さない速度で、右へ左へと移動する。兵士たちはマシンガンの銃口を向けるが、その弾丸は空間を虚しく撃ち抜くだけだった。流れ弾の一部が、装甲車の表面でカンカンという甲高い音とともに火花を散らした。

 やがて、マシンガンの弾丸が底をつき、戦場に沈黙が訪れた。

 次の瞬間、それは兵士たちのすぐ横に立った。

「ば、化け物だ。撤……」

 兵士たちが生き残る可能性のある唯一の命令は、最後まで発令されることも、誰かに受命されることもなく、草原を渡る風の中に消えた。

「どうした。状況を報告しろ」

 装甲車の無線インカムから、ザザッという雑音とともに、苛立った声が聞こえてきた。

 だが、それに応答できる者は、その場には誰もいなかった。


Apr.30.20XX GMT23:40


 イギリス陸軍の特殊部隊第二二SAS連隊のエドワード・レーガン伍長は、中空にかかった月から視線を下げた。

 遠くから、バタバタというヘリコプターのローター音や、装甲車両の唸るようなディーゼルエンジンの音が響いてくる。

 緩やかな起伏のソールズベリー平原を吹き渡ってきた冷たい風が、容赦なく体温を奪い、じっとしていると歯の根が合わなくなる。

「エディ伍長、腹が減りましたね」

 最近配属されたばかりの新兵が、貧乏ゆすりをしながら、ひそひそ声で話しかけてきた。

「作戦中だそ、私語はやめろ。てめえらも、ピクニックに来てんじゃねえんだからな。真面目に仕事しやがれよ」

 いつも陽気で、しかもコメディ俳優に似た容貌から、「エディ」の愛称で呼ばれ、部隊でも人気者のレーガン伍長だが、さすがに実戦配備となると険しい表情を崩さなかった。話しかけた新兵も、はっとして表情を引き締める。

 だが、そうは言っても、ここはパレスチナでもなければ、ペルシャ湾でもない。いわば、自分たちの家の裏庭のような場所だ。兵たちに緊張がないのも、いたしかたのないことだった。

 エディは、前方の野原をにらんだ。

 その視線の先には、同僚のSAS隊員たちが臨戦体制で待機しているのが見える。夜戦用の装備で完全武装した彼らは、半径約三〇〇メートルの距離を置いて、ストーンヘンジを包囲していた。

「よもぎ狩り」という名のこの作戦の目的は、暗号名(コードネーム)Wormwoodという特殊な薬物を所持したテロリストの殲滅と、Wormwoodの回収が目的だった。

 Wormwoodの正式名称は、A810-HGP2型異常プリオン誘導体という。イギリス陸軍の最高機密で、窒素を充填した容器内では無色透明で無害な液体だが、ひとたび空気に触れると酸素と結合して爆発的に気化し、凶悪な性質を有するガスになる。そのガスは、わずか五十ミリグラムを吸い込むだけで、人間や家畜の脳細胞に海綿状の空腔を生じさせて、急激な脳障害――クロイツフェルトヤコブ病や牛海綿状脳症(BSE)といわれる症状を引き起こす。Wormwoodは、液体の状態では無効化できず、気化したガスを五千度以上の熱で焼却するしかないという。

 そんな厄介な代物を、一リットルも所持したテロリストがストーンヘンジに篭城した。

 目的は明白だった。さえぎるものの少ないストーンヘンジ周辺でWormwoodを撒き散らせば、風にのってロンドンに流れ込む。そうなれば、数万人単位で犠牲者が出るだろう。いうならば、ロンドンそのものを人質にとったようなものだ。いずれ、なんらかの要求が出てくることは、容易に想像できた。

 テロリストの拘束に失敗した時点で、「ヨモギ狩り」作戦は完全に失敗だった。しかも、ストーンヘンジには謎の敵性体の存在まで確認されている。威力偵察のために先行した小隊は、その敵性体の攻撃で全滅したのだ。攻め手に欠ける状況で、戦線は膠着していた。

「この状況で、何をどうしようっていうんだ?」

 エディがそうつぶやいたとき、一台のロールスロイスが検問にかかるのが見えた。やがて、エディの耳に、部下の兵士と車の運転手との押し問答が聞こえてきた。

「ちっ、なにをやってやがる」

 エディは、ロールスロイスに近寄り、ふがいない部下を叱りつけてから、車の運転手をにらみつける。引き返せと命令しようとしたとき、後部座席の窓がわずかに開いた。

 黒いフィルムが貼られた窓にできたわずかな隙間から、それはエディの目に飛び込んできた。

 白くて長い髪、ほっそりとした端整な顔立ち、桜色の小さな唇。そして、ルビーとサファイアの宝石細工のような瞳。アンティークドールのようなそれは、黒いドレス姿だった。

 だが、そのオッドアイが動いてエディの姿を映した瞬間、エディの背筋は凍りついた。

 ――天使、いや、悪魔か。

 呆然とするエディに、車内の別の人間から一枚の書類が突きつけられた。それは、連隊司令部発行の通行許可証だった。

 エディが敬礼をして道を空けると、ロールスロイスは静かな排気音を残して、包囲網の中に入って行った。

 今見たものは忘れたほうがよさそうだ、とエディの勘が告げる。戦場のどまんなかにドレス姿でやってくる女など、係わり合いにならない方がいい類の連中に違いない。

 ロールスロイスの後姿が見えなくなったのを見計らったように、エディの耳元の無線インカムがザザッと嫌な音を立てた。

司令部(ハーフバック)より、全プレーヤーへ。切り札(フルバック)がフィールドに入った。これより、作戦を再開(キックオフ)する。最優先目的は、Wormwoodを奪い返すこと(ターンオーバー)だ。第一陣(フロントロー)第二陣(セカンドロー)は、攻撃(スクラム・)開始(エンゲージ)第三陣(バックロー)は、フロントロー及びセカンドローをサポートせよ。航空隊(ウイングバック)は、自陣上空で別命あるまで待機せよ」

 無線インカムを通して、命令を復唱する通信が次々に耳に入る。

「ハーフバックより、バックロー、右フランカーへ。配置は良いか」

 司令部からのコールに、エディは、無線インカムの送話スイッチを押して答える。

「こちら、右フランカー。準備オーケーだ」

 報告を終えたエディは、サブマシンガンのセーフティを解除しつつ、小隊の兵士たちに命令を出す。

「てめえら、仕事の時間だ。フロントとセカンドが抜かれたら、俺たちが出るぞ」


Apr.30.20XX GMT23:50


 イギリス陸軍の包囲網の中心、ストーンヘンジに程近い駐車場には、なにかを待つようにたたずむ数人の人影があった。

 そのうちのひとり、ローゼンクロイツ赤騎士団、通称ブラッド・テンプルズの筆頭騎士、アーサー・ウイリアム・ハノーヴァー公爵は、巨岩の群れを厳しい表情でにらんでいた。

 壮年期の威厳を感じさせる彫りの深い顔は長い金髪に縁取られ、意思の強そうな碧眼が鋭い眼光を放っている。

 重厚なその風貌に、彼の着ている白色の長衣がよく似合っていた。長衣の左胸から右の腰にかけて、大きな赤い十字架が斜めに描かれ、腰のベルトには長剣を下げている。

 彼の左右には、同じ格好をした男が二人、周囲を警戒しながら控えていた。

 アーサーの視線の先、ストーンヘンジの周辺には、異形の者たちが群れを成してうごめいていた。

 それらは、目鼻口耳を備えた頭部と、ほぼ直立した脊椎によって支えられた胴体に、二本の手足という、霊長類と同じ構造の身体を持っていた。

 しかし、その身体は異様に変形しており、どの陸上動物にも分類できない外観をしていた。背丈は、おおよそ人間と同じ程度だったが、アスリートのような細身から、プロレスラーのような巨体まで、その体型は一様ではなかった。獣のように全身を体毛で覆われたものが多かったが、なかには人間そっくりの姿をしたものも数体見受けられた。

「陸軍の戦力は、あてにできない。異形体どものど真ん中に、テロリストが一名と、液体のWormwoodが一リットルだ。あれを全部使われたら、ロンドンは数日でゴーストタウンになるだろう。さて、この状況、卿ならどうするかね?」

 アーサーに呼びかけられた男、コンスタンティン・バシレウス枢機卿は、すらりとした長身で、長い茶色のストレートヘアを紐で括って背中に垂らしていた。二十台前半を思わせる若々しい顔立ちだが、細長い目の中ではライトブラウンの瞳が怜悧な光を放っている。

 彼が着ている真紅のプルオーバーの上着は、背中に大きな白い十字架が、胸には交差する鍵の紋章が描かれている。その背後では、同じ服装の男が二人、直立不動で周囲に鋭い視線を投げていた。

「彼我の戦力差と状況から判断して、現状では有効な戦術はありません。黒騎士殿の到着を待つのが、最善の策でしょう。ですが、それとて……」

 コンスタンティンは、表情も変えずにそう答えて腕を組んだ。その首から下げたシルバーの十字架のペンダントが、きらりと光った。

 ざっと見たところ、敵は四〇体ばかりいる。こちらは、アーサーの率いるブラッド・テンプルズが三人、コンスタンティンの率いるカーディナル・ナイツこと白騎士団が三人、合わせて六人だ。そこに黒い(シュワルツ)戦乙女(・ワルキューレ)の異名を持つ黒騎士団の筆頭騎士とはいえ、黒騎士ひとりが増えたところで、この劣勢を挽回できるものではない。

「総攻撃でも、一対六というところですか。これは、かなり分が悪い……」

 コンスタンティンの冷静な頭脳が、作戦のイメージを練っていく。散開して各個撃破に持ち込めば、こちらにも相当の犠牲は出るだろうが、最終的に敵を殲滅することは可能だ。だが、問題はWormwoodだ。我々が敵を駆逐し終えるまで、テロリストがあれに手を出さず辛抱強く待っていてくれるか。

 ――ありえないな。そんな幸運は、もはや主のご加護にすがるしかあるまい。

 コンスタンティンは、苦笑いを浮かべる。しかし、刻一刻と状況が悪化しているにも係わらず、騎士団長は黒騎士の到着をひたすら待っている。なにか深慮遠謀があるというのだろうか。

 コンスタンティンが、それを尋ねるべく口を開こうとしたとき、一台のロールスロイスが駐車場に滑り込んでくるのが見えた。助手席のドアが開き、黒いスーツの男が降り立つ。男は、後席のドアを開き、その場に恭しく跪いた。

 やがて、ドアの中からストラップシューズの細い足が現れ、黒いドレスを身にまとった、白い髪の小柄な少女が降り立った。ふわりとふくらんだスカートの裾には、白いレースの縁取りが見え、左右に一対の銀色の逆十字の紋章があしらわれている。ドレスの胸元からのぞく白いフリルのブラウスには、黒い薔薇のコサージュが誇らしげに咲いていた。それは、これから戦闘に臨むという現実からは、およそかけはなれた衣装だった。

 彼女の姿に見とれたあと、コンスタンティンは、ほうっと嘆息する。

「黒騎士……。お目にかかるのは、何年ぶりでしょうか。しかし、相変わらずお美しい」

 コンスタンティンは、そうつぶやいて、アーサーを見た。

 黒騎士を見やるアーサーの横顔は、ほんのすこし優しげな表情を見せていた。それが、コンスタンティンには意外だった。

 革靴が砂利を踏むじゃりっという音が聞こえ、彼女がアーサーの横に立った。二人が並ぶと、体格の差は大人と子供ほどもあった。

 彼女は、真紅と蒼玉のオッドアイをアーサーの顔に向けて、冷たい微笑を浮かべた。

「三騎士団を動員するとは、おおごとだな。どうなっている」

 高く透明なその声とはうらはらに、男のような言葉遣いで彼女は尋ねた。

「……セシルか? よく来てくれたな。見てのとおりだよ」

 アーサーが、優しい声で答える。そして、ストーンヘンジでうごめく異形の者たちに向けてあごをしゃくった。

 セシルが、不機嫌そうに眦を上げる。

「最高機密Wormwoodの漏洩に続いて、これか。アマーリエ=ミリアが悲しむようなことに、ならなければいいが」

 そう言いながら、セシルは横倒しになった装甲車と、無残に引きちぎられたSAS隊員の死体に目を向けた。

「あれは?」

「独断専行の結果さ。気の毒にな」

 アーサーはわずかに表情を曇らせたが、セシルは無表情にその死体を見下ろした。そして、死体の傍らに落ちていたサブマシンガンを見つけると、しゃがんでそれを拾い上げた。その拍子に、スカートの裾から白いパニエがのぞき、それと同じくらいに白く細い腿があらわになった。

 一部始終を観察していたコンスタンティンだったが、さすがに目のやり場に困り、思わずセシルから視線をはずした。

「マガジンは空か。こんなもので、あいつらが倒せるとでも思ったか……。まあいい、わたしが先頭に立つ。おまえたちは、足手まといにならない程度に離れて、後ろからついてこい。一〇分もあれば終わるだろう」

 無造作にサブマシンガンを投げ捨て、いまにも敵に向けて歩き出そうとするセシルを、コンスタンティンがとどめた。

「それは、無謀というものですよ、黒騎士殿。敵の殲滅とWormwoodの回収が最優先ゆえ、もっと慎重にいくべきです」

「はっ、生意気な口を利くのは誰かと思ったら、バチカンの坊やじゃないか。すこし見ない間に、大きくなったものだ。あんな雑魚どもは、わたしがひとりで片付けてやる。坊やには、まだここがお似合いのようだな」

 セシルはそう言って、スカートの裾をつまみあげる。

 まだ面影に幼さすら残す少女から、「坊や」呼ばわりされたコンスタンティンは渋面を作る。それを見ていたアーサーは、苦笑を浮かべた。

「そう言うな、セシル。今回は、人口密集地のロンドンが近いのだ。ここでくいとめないと、後がやっかいになる」

 セシルが不満そうになにか言おうとしたとき、タタタッ、タタタッという乾いた音が遠くから響いてきた。

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