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3.9 バイイング・ア・ラウンド(Layer:1 Main Story)

 なじみのパブに入り、カウンター席に座ったマイケルは、大きなため息を落とした。

 新たな展開を見せ始めたと思った連続通り魔殺人事件だったが、あれからなんの進展もない。

 今夜も通勤を兼ねたパトロールをやったが、平穏無事なものだった。エミリーやハノーヴァー公が言うように、もう事件は起きないのかも知れない。だが、十人以上の犠牲者を出しながら、犯人も動機も不明のままでは事件が解決したなどとはとてもいえない。それに、十五年前の事件との関連性や、エミリーが言っていた黒幕の存在も、なにもわかっていない。やはり、一人だけの専従捜査では、ここまでが限界なのか……。

 店主が、心配そうな顔をマイケルに向けてきた。マイケルは、気分を変えるために、無理やりに笑顔を作る。

「エールを頼む」

 店主は、サーバーから褐色のビールを大型のジョッキにめいっぱい注ぐと、カウンターにゴトリと置いた。マイケルは、一ポンド硬貨二枚を店主に渡して、ジョッキを引き取った。

 口をつけると、常温のビールの苦味が口に広がる。

 カウンターの端の壁に金属のアングルで取り付けられた薄型テレビには、休日の夜らしくワイドショーの放送が映し出されていた。

 サウジアラビアの大物投資家をゲストに招いて、キャスターと問答をするという内容だった。

「……石油は確かに、わが国に富をもたらした。しかし、一部の利権を独占した資産家と、それを持たない大部分の人間との貧富の差はあまりにも大きい。それらの貧しい人々が、神の教えにすがる気持ちは理解に難くない。そのうえ、我々は大国からの政治的干渉にさらされ続けている。人類は、みな平和的に共存すべきだが、我々の存在を脅かすものたちには立ち向かわなければならない。まず、大国がアラブから手を引くべきだ。そうでなければ、武器をもってそれに対抗しようとするものたちも現れてくるだろう……」

 ゲストの男は、流暢な英語でしゃべり続ける。落ち着いた声質で、相当に知的水準は高そうだが、言葉のはしはしに相手を見下すようなニュアンスを感じる。

 どこか、エミリーと似たところがあるな。漠然とそんなことを思ってテレビ画面を見たマイケルは、そこに映っていた男の顔を見て仰天した。先日、リージェントパークで出会ったあの男だった。たしか、ステファニーも一緒にいたようだったが、どうなったのだろう。

 思いを馳せるマイケルの耳に、少しハスキーな男の声が聞こえてきた。

「よく言うぜ。てめえはベンツやロールスロイスに乗って、いいもん食って、女をはべらしていやがるんだろ」

 マイケルの席とは反対側のカウンターの端で、スタンドチェアにごつい体を乗せた男が、黒ビールの入ったジョッキを片手にしてテレビ画面を見上げていた。短く刈りそろえた茶色い髪の下で、岩を思わせるいかつい顔がアルコールで赤く上気している。どこか野暮ったさが漂う風貌で、濁った茶色の目が社会の荒波に揉まれきっているかのような印象を与えていた。

「違いない。おまけにこの金持ち、テロ組織のスポンサーだって噂だぜ」

 岩のような男の隣で、その連れらしい男が、あごをテレビ画面に向けてしゃくってから合いの手を入れる。口ひげをたくわえた黒人で、ポリスムービーの主演だった俳優に似ていた。

 二人のシャツの胸元には、鈍い光を放つドッグタグがかかっていた。言葉遣いは荒っぽいが、背筋を伸ばして胸を張った姿勢は、きちんとした訓練を受けた者だけが持つ特徴だ。軍人だな、とマイケルはあたりをつける。

 岩のような男が、ふんと鼻息を漏らした。

「サミットが近いからな。このロンドンにも、テロリストどもがずいぶん入り込んでいるって言うじゃねえか」

「テロリストといえば、ビリー、おまえあの夜も飛んでたんだろ。教えろよ、ストーンヘンジの件。いったい、何があったんだ」

 岩のような男は、ビリーという名前らしい。ビリーは、分厚い掌を俳優に似た男に向けて開いた。

「声がでかいぞ、エディ。だいいち、こんなところで話せるかよ。あの件じゃ、うちの小隊長が、レッドカードで一発退場させられてるんだぜ」

 マイケルは、その会話を聞きながら、春先にちょっとしたニュースになった事件を思い出していた。たしか、ソールズベリー・ディストラクションと呼ばれた爆発事件だ。


 ロンドンの西にあるソールズベリーで真夜中に起きた大爆発は、ストーンヘンジを完全に消滅させたうえに、周辺の町にも被害を与えた。最初は隕石の落下説が、そのあとには戦術核兵器の使用説が出たが、結局は陸軍航空隊の新型ミサイルの誤射だったことがわかって、今はもう人の口にも上らなくなりつつある。

「オーケー。じゃあ、こうしよう。俺のとっておきの話を教えてやる。だから、交換にお前も教えろ」

 なおも食い下がるエディに、ビリーが軽く返す。

「お前の話によりけりだ」

「けっ、言ってくれるぜ。こっちだって最前線に詰めてたSAS(特殊部隊)だぜ、しょぼいわけないだろ。あの晩、おれは爆心地の手前五〇〇メートルのところで、道路を封鎖していたんだ。そこに、通りかかったんだよ、噂の『ドール』がな……」

 口ひげを上下させながら自慢げに話したエディの言葉に、ビリーがぼそりとつぶやいた。

「やはり、あれは『ドール』だったのか」

「おい、やはりって、どういうことだ」

 顔色を変えて詰め寄るエディに、ビリーは顔をしかめて舌打ちをした。

「ちっ、しようがないな。俺も見たんだよ、『ドール』を。それも、爆発の直前にストーンヘンジでな」

 エディは、ジョッキの黒ビールをぐいっとあおると、正面のカップボードを見つめた。

「あの爆発が、おまえらのミサイルじゃなくて『ドール』の仕業だって噂は、本当だったんだな。あいつ、実戦配備の軍隊のど真ん中に、ロールスロイスのリムジンで乗り付けてきやがったんだ。それで、通行証を確認するときに、ちらっと見ちまったんだよ。今でも、目を閉じればはっきりと思い出すぜ。『ドール』とは、よく言ったもんだ。ふわふわした黒いドレスを着た、ハイティーンくらいの綺麗な女の子だった。けど、ありゃあ、人間じゃねえな。髪の毛が真っ白で、おまけに、目の色が左右で違うんだぜ……」

 最後の一言に、マイケルは思わず声を上げていた。

「なんだって!」

 二人の男の視線が、同時にマイケルに突き刺さる。

「おい、あんた。盗み聞きとは、感心しないな」

 太い眉を吊り上げたビリーが、非難するような声を上げる。

「すまん、そんなつもりじゃなかったんだが、あんたらの声が大きくて、耳に入ってしまったんだ」

 マイケルは、あわてて言い訳をする。今は、事を荒立てている場合ではなかった。彼らが『ドール』と呼んでいる少女は、どう考えてもエミリーだ。

 マイケルの脳裏に、ピカデリー・サーカスでの戦闘が終わった後にハノーヴァー公が言っていた言葉がよみがえる。

『……こいつが、ソールズベリーから逃げ出した、最後の一体か』

 あの時は、つい聞き流してしまったが、ソールズベリー・ディストラクションにエミリーたちが関係していたとなれば、あの言葉の意味はかなり重要だ。思えば、エミリーがロンドンに来たと言う時期も、連続通り魔殺人事件が起き始めたのも、ソールズベリー・ディストラクションの後ではないか。

 なんてことだ、とマイケルは愕然とする。ここは、どうあっても詳しい話を聞きたい。

「なあ、おもしろそうな話じゃないか。俺にも、聞かせてくれよ……」

 ビリーとエディは、あからさまに不審そうな目をマイケルに向ける。

「もう一杯、どうだい。俺がおごるから」

 マイケルは、わざとおどけた調子で、相手を誘う。

「あんた、何者だ。見たところ、ジャーナリストじゃねえな。それに、軍人ていうツラでもない」

 ビリーは、見かけの野暮ったい印象とは裏腹に、なかなか鋭い観察眼を持っていた。マイケルは、正体を明かしたほうがいいと即座に判断する。

「スコットランドヤードだ」

 マイケルが差し出した身分証をちらっと見て、ビリーは、刑事さんかとつぶやいた。

「テロリストの相手は、本当なら俺たちの仕事なんだ」

 そう訴えるマイケルに、ビリーがうなずく。

「そりゃそうだな。俺は、陸軍第一機械化師団第二連隊のウィルヘルム・ゲイツだ。隊じゃあビリーで通してるから、そう呼んでくれていい。航空隊の伍長で、ヘリの砲手兼副操縦士をやってる。だから、俺から話を聞きたいなら、部隊(うえ)を通してくれ」

 さっきまで好き放題にしゃべっていたことを棚に上げて、ビリーは正論を吐いた。

「オーケー、ビリー。確かに、あんたの言うとおりだ。けど、俺はどうしても今、あんたの話を聞きたいんだ。あんたから聞いたということは絶対に漏らさないし、守秘義務違反の現行犯も見逃がそう。だから、教えてくれ。その『ドール』は、それからどうなったんだ」

 マイケルは、必死でまくし立てた。

「なんだって、そこまで拘るんだ」

 ビリーの問いかけに、マイケルは、連続通り魔殺人事件を追っていること、その関係者で最重要参考人の少女の外見が『ドール』と一致することを隠さずに告げた。

「……これで、お相子だろう。俺も、漏らしちゃいけないことを教えたんだ。もう、後には引けない」

 マイケルの必死さに打たれたのか、ビリーはふっ、と口元を緩めた。

「いいだろう、話してやるよ。そのかわり、ひとつ頼まれてくれないか」

 交換条件を出してくるとはしたたかだが、マイケルは頷いた。ビリーが、真剣な眼差しをマイケルに向ける。

「あんた、その若さで警部補ってことは、エリートなんだろ。なら、あの事件の真相を暴いてくれないか。責任を負わされて、世話になった上官が更迭されたんだ。このままじゃ、一生現場に復帰できないかもしれない……」

 私腹を肥やすような条件ではなかったことで、マイケルはビリーという男を見直した。悪い人間ではないし、むしろ信頼が置ける類の男だ。

「わかった。できるだけのことはするよ」

 腹を括ったマイケルの返事に納得したのか、ビリーはジョッキのギネスビールを飲み干すと、重々しく口を開いた。

「じゃあ話すぞ、気合を入れて聞けよ。あれは二ヶ月ほど前、ケルトの言い伝えじゃ、魔女どもが賑やかになるっていう夜のことだ……」


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