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3.5 フラワー・メイデンズ(Layer:1 Main Story)

 神が人と同じく罪深い存在だから、信仰もしないし、自身の罪の許しも請わない。

 エミリーがマイケルに告げたその言葉に、マイケルは唖然とした。

 いつも高飛車で高慢な物言いをするエミリーだが、その内容は彼女の聡明さを感じさせるものも多かった。しかし、今の言葉はなんだろう。まるで、はじめて「生身」の親を目の当たりにして、失望して反抗する子供のような言い草ではないか。

 俺の答えを、つまらないの一言で切り捨てておきながら、自分はといえば幼稚な発言をする。マイケルは、そんなエミリーにがっかりし、そしてそう感じた自分に気づいて怒りを覚えた。

「いったい、どうしたんだっ。俺は、おまえのためにと思って言っているのに、どうしてそんなに片意地を張るんだよっ」

 エミリーが、きっとした瞳をマイケルに向けた。その顔に赤みが差し、その口が開きかけたときだった。

「君は、あいかわらず騒々しい男だな。余が心静かに過ごそうとするのを、何度邪魔したら気が済むのだ」

 二人の斜め上から、落ち着いた口調の、しかし妙に良く通る男の声が降ってきた。

 マイケルは、反射的に声の方に視線を投げた。

 赤い薔薇の一群を背にして、そこに立っていたのは、ウェーブのかかった短い金髪と彫りの深い顔、そして銀色と琥珀色のオッドアイが印象的な長身の男だった。

 マイケルは、強烈な既視感に襲われた。

 ――この男、以前に、どこかで会ったことがあったか?

 当惑するマイケルを横目に、その男はエミリーに視線を投げた。男のまなじりが下がり、満面に笑みが浮かんだ。

「このような場所でそなたと再会できるとは、僥倖というべきだな。エリザベート・アマーリエ=ミリア」

 その言葉は、明らかにマイケルの隣に座っているエミリーに向けられていたが、男が口にした名前は初めて聞くものだった。

 しかし、話しかけられた当の本人はその名前とその男に、心当たりがあったようだ。エミリーの顔色が変わり、真紅と青のオッドアイが大きく見開かれた。

「そん、な……。デイビッド、どうして、あなたがここに」

 気のせいか、エミリーの声はすこし震えているようだった。

「あのとき死んだはずでは、と言いたいのだろう。だが、余の悪運は、そなたが思っているよりはるかに強いのだ」

「その物言い、間違いなくあなたね、デイビッド・サスーン・アル=イスカンダル・ドゥル・カルナイン。でも、……そうだとしても、もうあなたに、ファーストネームで呼び捨てにされるいわれはないはずよ」

 デイビッドと呼ばれたその男は、ふっと口の端を引きつらせた。

「ずいぶんと、つれないことを言うものだ。では、姫君とお呼びしよう。その美しさ、年月を重ねても少しも変わらぬ。いや、さらにいい女になったか。やはりそなたは、この世界で唯一、余の花嫁にふさわしいな」

 デイビッドの笑みを受けて、エミリーも微笑を浮かべる。けれどそれは、憎しみの感情だけを抽出したような、とても純粋な笑顔だった。

「行きましょう、ここにはもう居たくないわ」

 ベンチを立とうとしたエミリーを、デイビッドが制した。

「それには及ばぬ。連れを待たせているのでな。今日のところは、余の方が退散するとしよう……」

 デイビッドは、そこで言葉を切ると、マイケルを一瞥する。

「ずいぶん仲睦まじいようだが、また男を変えたのか。それとも、こやつも薔薇十字騎士団(ローゼンクロイツ)か」

 エミリーは、その言葉を完全に黙殺した。デイビッドは、ふん、と鼻息を荒げた。

「どちらでも同じことよ。まだ、そのような下郎どもとつるんでおるとは、つくづく懲りぬ女だな。そなたを満足させられる男は余しかおらぬと、何度言ったらわかるのか」

 くっ、といううめき声が、固く閉ざされていたエミリーの口から漏れた。うつむいた彼女の膝の上で、ぎゅっと握った手が小さく震え出す。しかし、それでもエミリーは、すぐに顔を上げると、搾り出すような声で答えた。

「あなたこそ、わたしに何度同じ事を言わせるつもりなの。わたしが(・・・・)我慢している間に、姿を消すことね。でなければ、どうなっても知らないわよ」

「ほう、そなたのごとき乳臭い小娘が、余をどうしようと言うのだ」

 デイビッドが、その目を大きく見開いた。

 エミリーは、反射的にデイビッドの顔から視線をそらせた。しかし、その様子を観察していたマイケルは、デイビッドの双眸からの眼差しをまともに受けることになった。

 どくん、と心臓が高鳴った。身体が、勝手に熱を帯びる。なのに、痺れたように全身の感覚が鈍くなっていく。

 ――なんだ、これは。

マイケルはもう、デイビッドの瞳から目が離せなくなっていた。

意識が飛びそうになっていたマイケルの耳に、エミリーの小さな苦悶の声が聞こえた。

「あっ。……くっ、だ、だめ……あうっ」

 なにかを堪えようとするかのような、苦しげなエミリーの声が途切れ、マイケルの右肩にエミリーの身体がのしかかってきた。そして、甘酸っぱい香りがマイケルの鼻腔をくすぐったそのときだった。

「ノーティファイ……」

 クリスタルガラスのような少女(・・)の声がした。同時に、熱を帯びていたマイケルの背筋が、一気に凍りつく。

「マルチロール・ウエポンシステム、アクティベーション」

 マイケルの隣に座っていたエミリーは、いや、エミリーだった者は、得体の知れない何者かとして優雅な挙動でベンチから立ち上がった。その頭上では、咲き誇る白薔薇のアーチが、ティアラのようにパールホワイトの髪を飾っていた。

「ほう、高貴なる白の君(ディ・エーデルワイス)のご登場とは、実に祝着至極」

 デイビッドの芝居がかった声には答えず、少女の冷徹な声は続く。

即ち(モード)完璧なる(アシュームド・)破壊をもたらす(ディストラクション)我が剣に(デュランダル・)秘めし力を、(エミュレータ、)解き放つ(ロック・リリース)終末を(フレイム・)もたらす炎よ(オブ・ジ・エンド)ユグドラジルを(エクスプロージョン、)焼き尽くせ(アンリミテッド)……」

 少女の右手が、薔薇の弓につがえられた矢のように、蒼空を指差す。その指先に、小さな白い光が灯った。

 ――まさか、ここで人々を巻き込んで戦うつもりか。

 マイケルは、その少女を制止しなければならないと直感した。しかし、身体はまったく言うことを聞かず、声を発することすら出来なかった。

 固唾を飲んで見つめるマイケルの目前で、突然、少女の動きがぎこちなくなり、やがて静止した。

「……ぐっ、なにをする」

 少女は、うめき声を上げると、空を指差していた手を下ろして、自分の身体を抱きしめた。首がカクンと前に落ちて、その膝が震えだす。顔を隠した白い髪の向こうから、吐き捨てるような声がした。

「正気か……、アマーリエ=ミリアっ」

 それは、まるで一人芝居を見ているようだった。マイケルは、目前で起きている事態をなんとか理解しようと試みる。あの少女が、再び現れている。そこまではわかった。しかし……。

「くっ、逃がす……ものか。スタート、ラグナ……」

 途切れる声で、なおも詠唱を続けようとする少女を、デイビッドが一喝する。

「たわけめ、させるかっ」

 少女に向けて突き出されたデイビッドの拳が、ゆらりとした陽炎のようなものをまとう。

 次の瞬間、マイケルは見えない壁にぶつかったような衝撃を感じ、続いて全身を激痛が襲った。

 同時に、小さな悲鳴がして、少女がベンチの背に打ち付けられる。みしっという嫌な音がして、彼女の身体は大きく仰け反ったあとで、マイケルの膝の上に落ちてきた。ごほっと咳き込みながら息を吐き出した少女の口元から、一筋の血が流れ出した。

 ――なんてことをしやがる。

 マイケルは、デイビッドを睨みつける。言うことをまったく聞かない身体が、もどかしかった。ちくしょう、この呪縛さえ解ければ……。

 そんなマイケルをあざ笑うように、デイビッドは余裕綽々とした視線をエミリーに向けた。

「ふん、どういう風の吹き回しか。だが、姫君がそのつもりなら、拒む理由もないな。……その身に流れる血に命じる。余は、汝の上帝(オーバーロード)なり。余は、祝福を汝に与える。汝は、余に忠誠を捧げよ」

 デイビッドの言葉に反応するように、エミリーが目を開いた。だが、そのオッドアイに、いつものようなきらめきはなかった。そして、まるで糸で吊るされた操り人形のように、ふらりとベンチから立ち上がると、おぼつかない足取りで歩き出した。

 ――どうしたんだ、エミリーっ。

 マイケルは、声にならない叫びを心の中で上げる。

 だが、エミリーは、どこにも焦点の合っていないような瞳のまま、デイビッドに引き寄せられるように、一歩また一歩と足を踏み出す。

「そうだ、それでよい」

 デイビッドが差し伸べた手が、エミリーの華奢な身体に触れる。その寸前に、マイケルの耳にその声が届いた。

「……嫌」

 それは、そよ風ですらかき消してしまうほど、小さくてか弱い声だった。

 しかし、エミリーのささやきは、マイケルにかかっていた呪縛を瞬時にして解消させた。あとはもう、考えるより身体の方が先に反応していた。

 ベンチから跳ね起き、左手でエミリーを引き戻して背後にかばいつつ、右手はブローニングを抜き、ワンアクションでセーフティの解除と撃鉄のコッキングを済ませる。銃口がデイビッドの鼻先に突きつけられたときには、すでに発射準備が整っていた。その反応速度に、誰よりもマイケル自身が驚いた。

「警告する。被警護者の安全確保のため、本官には武器の無条件使用権限がある。すみやかに、退去せよ」

 デイビッドを見据えて宣言してから、マイケルはわずかに首を捻って、まだ小さく震えているエミリーに声をかけた。

「おまえは、俺が守る。安心しろ」

 背後のエミリーが、息を飲むのがわかった。

 デイビッドは、やれやれとでも言わんばかりに、仰々しく両手を挙げて見せた。

「はっ、まさかスコットランドヤードとはな。なるほど、キングスクロスの件は、おまえか……」

 ねめつけるデイビッドの視線が、マイケルを値踏みするかのように絡みつく。

「まあ、良い。今は、厄介ごとは起こすまい。……だが、余の忍耐にも、限度はあるぞ。いつまでも待たせるなよ、姫君」

 そう言い残すと、デイビッドはくるりと背を向けて歩き出した。

 その行方を目で追ったマイケルは、薔薇の花壇の向こうに立つ女性の姿を見止めて、あっと声を上げそうになった。

 ――ステファニーじゃないか。なぜ、こんなところにいるんだ。

 デイビッドは、ステファニーの横に並ぶと、わずかに歩みを緩めた。ステファニーは、マイケルたちに気づきもしないかのように背を向けると、デイビッドの隣に寄り添うようにして歩き出した。

 二人の後姿が見えなくなると、エミリーは力尽きたようにベンチに腰を下ろした。

 ブローニングをホルスターに戻して、マイケルもエミリーの横に座る。そして、エミリーの横顔をそれとなく観察する。いつもそこにあった凛々しさが、今はまったく感じられなかった。

 エミリーは、けほっとひとつ咳をしたあとで、ハンドバックからハンカチを取り出して口元の血を拭った。そして、そのハンカチを丸めてハンドバックにしまうと、深いため息を落とした。

 声を掛けるのも憚られるような雰囲気だったが、マイケルはあえてエミリーに語りかけた。

「エミリー、大丈夫か」

 ええ、とだけ短く答えたエミリーは、それきり口をつぐんだ。

 穏やかな休日の午後、公園に響く子供の声を聞きながら、気まずい沈黙が続く。

「なあ、エミリー……」

 あいつは何者なんだ、それに、アマーリエ=ミリアって、どういうことなんだ。そう問いかけようとしたマイケルの機先を制するように、エミリーの声がした。

「さっきは、ありがとう。……少し、見直したわ」

 エミリーの顔には、不自然なほど明るい笑顔が浮かんでいた。しかし、そのオッドアイに浮かぶ深い憂いの色を、マイケルは見逃さなかった。

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