『婚約者か弟、どちらかしか助けられないとしたら』というたとえ話。
「あなたの婚約者とあなたの弟が、同時に魔女の呪いにかかったとするじゃない?」
友人のアグーニが唐突にそう言い始めたので、首を傾げる。
今、カフェにお茶しに来ていて、アグーニの婚約者の愚痴を聞いていたはずなのに、どういう方向転換かしら。
「なんの話?」
「例えばの話」
「突飛なたとえ話ね、続けて?」
「呪い消しの薬品はここに一つだけ。さて、あなたはどちらを助ける?」
やっぱり意味はわからないが、手元にある飲み物に口をつけた。
それから、うーんと考えてみる。
まず、弟の顔が浮かぶ。
まだ8歳の我が家の跡取りは、私と同じくらいのびのび健やかに育っている。
可愛くて、仕方がない。
弟に甘えられれば、できることは叶えてあげたいと思うのは、年が離れているのもあると思う。
それでいて我が家の誰にも似ずに聡明で賢いから、たいして名家でもない我が家の後継ぎはまず彼しかいないだろう。
それから、婚約者のギルヴィスのことを思い出す。
最初に浮かんだのは、太い腕だった。
我ながらそこなの?と思ったが、浮かんでしまったものは仕方がない。
あの屈強な男が、呪いにねぇ…。
呪いにかかる前に魔女の関節でも外して、独房にでも放り込んでそうだけど。
呪いにかかるギルヴィスか、ちょっと見てみたい気もする。
あの人、そういう類のものにかかるのかしら。
振り切って帰ってきそうと思ってしまうのは、心配しなさすぎ?
ギルヴィスか、弟か、ねぇ。
「弟かしらね」
思ったことをそのまま口にすると、アグーニはため息を吐いた。
「そういうところよ、ミージャ」
「何が?」
「そこで婚約者を選ばないあなたに、私の婚約者の愚痴を言っても、結局は他人事じゃないの」
「最初から他人事だけど」
「そういうところもよ」
「口の堅い友人なのだから、もう少し大事にしたほうがいいわよ?」
「そうよ。あなた以外に喋ったら、末端貴族の私ですら、今夜にはもう社交界の話題の一つになってしまうわよ」
「よかったわね、女性陣にベラベラ話す私じゃなくて」
「本当にね。でも、あなたの最優先は婚約者じゃないのなら、私の気持ちの少しもわかってもらえないのは、寂しいじゃないの」
「我が家にとって唯一の跡取りは大事なのよ?婚約者の家は、男三人兄弟。最悪、なんとかなるわ」
「そういう現実主義なところが、女友達が少ないところよね」
「女性陣は怖いからなぁ」
「あなた、私がそこそこ口が堅くてよかったわね」
「本当ね」
くすくす笑い合って、またアグーニの愚痴は再開したのだった。
ギルヴィスが、呪いねぇ。
あの日、アグーニとお茶をして以来、ギルヴィスとは今日はじめて会っているのだが、目の前の彼が呪いごときにどうにかなるとはやっぱり思えない。
万が一呪いにおかされたとして、自分の腕に剣でも刺して正気に戻りそう、と思ってしまう。う〜ん。
「さっきから何を考えているの、ミージャ」
「え?」
「この作業、つまらなかった?」
今は、彼の家が運営している商売の一つである、レース編みをしていた。
主にウェデイングドレスや髪飾りの装飾などに使われるものだ。
ギルヴィスはこの筋肉からは考えられないほど、繊細な作業が得意であり、たまに職人に混ざって家業を手伝っている。
その彼の手伝いを自分から買って出て、デートも兼ねて一緒に作業することがある。
今日は、まさしくそういう日だった。
いずれは結婚して、私も一員になる。
だったら、今から手伝えておいたほうがいいだろうと思ってのことなんだけど。
こういうところが現実主義というのだろうか。
会って一緒に過ごすなら、ついでに仕事もできたほうがいいと思ってしまうが。
アグーニなら、デートは別でデートでしょ、となるんだろうな。
「ううん、複雑なところだから、私がやるよりギルヴィスに代わってもらったほうがいいかなって思ってただけ」
「ミージャだって、メキメキ腕を上げているじゃないか。うちの母も「ちゃんとお礼してね、すごく助かっているんだから」って毎回言うよ」
「それは将来の嫁としては最上のお言葉ね、ありがたいことだわ」
「どこが大変そう?」
ギルヴィスは、私の手元と職人が書き起こしてくれた図案を覗き込んだ。
ムキムキの筋肉、屋外での訓練で日に焼けた肌、剣を常に握っているゴツゴツした手。
下っ端騎士とは思えないほどの実力と勇敢さ。
魔獣にすら恐れない精神力と我慢強さ。
呪いをかけるほうが逃げ出しそうよね。
「あー、確かにこれは難しいよね。僕も前にやって失敗したことある」
ギルヴィスがわかりやすいくらい眉間に皺を寄せたので、この人は嘘もつけないなぁと思った。
「あら、じゃあやっぱり進めないほうがいいわね。このまま職人さんに返したほうがいいかしら」
「心配ならそれでもいいよ。ミージャならできそうだけど」
「買い被りすぎだわ」
「ミージャはなんでもできるから」
そう言ってニコニコ笑っているギルヴィスが、私の目を見てきた。
「やっぱり、何か悩んでいる?」
「そんなことはないけど」
「そう?気のせいならいいけど、浮かない顔をしている気がする」
ギルヴィスの優しい声に、「ああ、この優しさで誰かの代わりに呪いにかかるとかはありそうだな」と急に思った。
「ギルヴィスって、呪いに負けることがあるのかしらと思って」
「どういうこと?」
「ただのたとえ話なんだけどね」
そう笑ってみせると、ギルヴィスは真面目な顔になって考え始めた。
「うーん…。呪いかぁ、その想定訓練はしたことがなかったなぁ」
訓練に変換されたところが、ギルヴィスらしくて笑いそうになる。
こういうところが私になくて、ギルヴィスのいいところだと思う。
私はこんなに寄り添えないから、アグーニに文句をもらうんだろう。
「呪いにかからないためにできることはしたいよね」
「まあ、そうよね」
「呪いの種類にもよるけど、部隊に多大な被害が出るものだったら、迷わず殺して欲しいけれど」
何の気なしにそういうギルヴィスに、ドキッとした。
手元のレース編みを机に置く。
「極端すぎない?呪い消しとか、解呪方法を探すくらいはしてもいいんじゃないの?」
ドクドク言い始めた心臓を無視して、ギルヴィスの方を向いた。
「その猶予があるならいいけど、呪いってそういうものでもないだろ?僕以外がかかったなら、全力で探したいけどね」
「自分の時も探してちょうだい」
「その時は、僕正気じゃないでしょ」
くつくつ笑うギルヴィスに、例えばの話なのに冷や汗をかいてくる。
ギルヴィスは、呪いなんかにかからないと思う。
本人もその自負があるんじゃないかな。
だからこそ、呪いにかかったが最後、手段を選ばないギルヴィスがここにいる。
ダメだ、この人たぶん死んじゃうわ。
「…私を置いていく気なんて、解せないわね」
「えっ!?そ、そういうことじゃないんだけどっ、あれ?でも、そういうことになる!?」
焦ったように声が上擦ったギルヴィスを見て、どうすればいいのか最善を選んだだけというのが余計に伝わってきて、悔しいような悲しいような。
「ミージャを残していく気はないよっ!本当だよ!?僕、呪いなんかにかかったりしないよっ!?」
わたわたと慌てて両腕を振っているギルヴィスが可笑しいのに、涙が出そうになる。
「そうよね、ギルヴィスは呪いになんてかからないわよね」
「そうだよっ!」
「私のためにもそうしてね」
「わかった!約束するっ!」
根拠のない約束だったけど、ギルヴィスらしくて笑ってしまう。
「私が呪いにかかっても、斬り殺さないでね」
「あっ、あたりまえだよ!えっ、やだよ、そんなの…。ミージャ、僕の前からいなくならないでね?」
ギルヴィスが泣きそうな顔に変わったので、口元が自然と緩んでいく。
「私が呪いなんかに屈すると思う?」
「思わない」
「じゃあ、お互い大丈夫そうね」
くすっと笑うと、ギルヴィスがヒシッと私の手を握った。
「絶対だよ?約束だからね?」
ギルヴィスの真剣さに笑ってはダメだなと思って、頑張って口を引き結んで頷いた。
「わかった、約束ね」
私がそう言うと、ギルヴィスはほっとしたようにはにかむのだった。
「ねえ、アグーニ。この前の話なんだけどさ」
「どの話?」
私はまたアグーニに誘われて、カフェにお茶しに来ていた。
今日もテラス席なので、風が気持ちいい。
「呪いにかかったら、ギルヴィスを助けることにするわ」
唐突にそう言ったので、アグーニは怪訝な顔をしたけれど、すぐに「ああっ」と思い出したようで、ニヤついた顔になった。
ご令嬢がそんな顔しちゃダメだと思う。
「何よ、どういう心境の変化?」
「いや、婚約者のほうが呪いに屈しなさそうだなって思ってたんだけど」
「それもどういう選び方?」
「弟のほうが生きて帰ってきそうだなって思い直したの。だって私の弟、頭がいいから解決策を最後まで探しそうなんだもの」
「なんの話?」
「そういう話」
私は一人で満足して、ふふふっと笑って、飲み物に口をつけるのだった。
了
お読みくださりありがとうございました!!
212日目。
(追記)誤字報告ありがとうございました!修正いたしました!(2026.8.1)




