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冷血王子の仮面を外せるのはワーホリ悪役令嬢だけのようです

作者: 蜂条ユウリ
掲載日:2026/05/07

 元・辺境伯令嬢であるクレア・ホリングワースは、王太子であるニコラス殿下と仲が悪い。


 現在の社交界は、国の併合により辺境伯から国の中枢人物となったホリングワース家の一人娘と、ホリングワース領の裁定に睨みを利かせるニコラス王子の話題で持ちきりだった。


「ご機嫌麗しゅう、殿下。本日もご招待いただきまして、大変光栄に思います」

「堅苦しい挨拶は構わないよ、クレア嬢。貴女とは積もる話がたくさんある。本日の社交パーティーも楽しんでくれたら嬉しい」


 クレアはプラチナブロンドの髪を輝かせながらおじぎをし、ニコラスは碧い瞳を微笑みにして優雅に返す。

 表面上は穏やかな二人の様子を、周囲の貴族たちは、「また始まった」と思いながら、しかし社交界の掟に添って好奇の視線は最低限に見ていた。


 冷血王子のニコラス・ケイフォード・フィルドナー。

 学生時代から国の併合による新体制の政府に目を光らせ、王都学園の卒業後すぐに税制改革という成果を残した麒麟児。


 病の父に代わり領地を仕切るクレア・ホリングワース嬢。

 国境沿いで辺境伯をしていた『カルデア騎士団』を抱えながら、条約による併合という激動の歴史の中、仮の領主として生き抜く女傑。


 比較的平和な条約による併合とは言え、元・辺境伯の抱える戦力はどうするか。

 無論、そんな戦力をホリングワース領で遊ばせておくわけにはいかない。

 だからと言って、元はニコラスの王国に剣を向けることも想定されていた騎士団が、一般的な騎士と同じ扱いで王国に忠誠を誓えるはずもない。

 税制革命という手柄を得たものの、いまだ若輩者であるニコラスに与えられた新たな課題は、『カルデア騎士団を、どう納得させ完全な王国傘下にさせるか』。

 それだけの問題であった。


「最近のホリングワース領は、農業に力を入れることにしたという噂を耳にした。そちらはクレア嬢の発案で?」

「父の腹心であるバートランドの言い添えですわ。力を入れると言っても、これまでおろそかだったものを見直しただけですの。改めて言うのはお恥ずかしいようなものなのです」


 そんな簡単な問題を簡単に頷かないのが、病に倒れた父、幼い弟に代わり公務を行うクレア嬢である。

 元は辺境伯として名を轟かせていたおかげで、新たな政治体制の中、伯爵という地位は保った。

 もしくは、滑り込めた、と言うが正しいか。

 その地位を保たせてくれたカルデア騎士団の箔を落とさぬよう、問題を任されたニコラスと腹の探り合いを続けていた。


 クレアが口にした腹心のバートランドというのも、元は騎士団長をやっていた準貴族である。遠縁ではあるがクレアと親戚でもあり、クレアがバートランドの名を出したのは、騎士団の影響が簡単にホリングワースとは離れられないという誇示でもあった。


 社交パーティーに呼ばれては。

 それ以外の話し合いの場を持っては。

 お互いに火花をバチバチと散らし合っている。




 ―――――ということが『建前』であるということを知っているのは、お互いのみの話である。



 始まりは、三か月前の社交パーティーでの一幕であった。

 併合による激動の時代が落ち着きつつある中で行われる社交パーティーは、大切な情報交換の場。併合国の者を新たに貴族として迎え入れる…という体裁のため、かなりの頻度で行われていた。

 クレアは多忙な公務に加え、病に倒れた父のこともあり、全ての招待に足を運ぶことは不可能だったが…父の代理として、出来る限りの出席はしていた。


 父の容態のことがあり、一度欠席を挟んだあとの社交パーティーの日。

 パーティー中にまたも父の容態について一報が入り、失礼ながらパーティーを一時離席させてもらった時の事。


「ニコラス王子のお姿がないだと?」

「は、はい……どなたかとの歓談が終わった後、どこかへ行ってしまわれたようです」


 会場に戻ろうとした時に、ニコラスの側仕えである歳若い騎士とメイドの会話をふと耳にしてしまった。


「……ダスティン様、やはり私…」

「お、おい。やめろ、ヘメラ。」

「でもやっぱり、あの王子は怖いです。仕事熱心な方とは思っていましたが、あのような……それに前回のパーティーからは、気難しい表情も増えましたし」

「………気持ちは分からんでもないが、場所を考えろ。どこで誰に聞かれてるかも分からん」


 とりあえず今回の主催は第二王子であるから、ニコラス王子に用がある人間がいれば騎士に連絡を……それだけ言って騎士は去り、居心地の悪い顔をしたメイドもパーティー会場の世話係へと戻った。


「…失礼、お水をいただけるかしら」

「かしこまりました」

「いえ、二つ。こちらからお渡ししたい方がいるの」


 後に続いたクレアは、メイドにグラス入りの水をもらいニコラスの姿を探した。

 ニコラスの行方に宛てがあるわけではなかったから、見つからなければ別の方に差し入れすれば良いかと思っていた。


 その程度の感覚だった。だから…

 ――パーティー会場の光が漏れるだけのバルコニーに、一人ニコラスの姿を見つけたのは、本当に、ただの偶然出会った。


「ご機嫌が優れませんか? 殿下」

「貴女は…クレア嬢。今回は来ていたのか」

「前回のご招待は大変申し訳ございません。父の容態が悪く、覚悟しておくようにと医師に言われ…もしもの時のため、父の傍にいさせていただきました」


 …口ではそう言いつつも、王子たちが持ち回りで定期開催する社交パーティーは、建前上若者たちの交流となっている。決して公式的な親善の場ではない。

 であれば、父にもしものことがあった際の手続きを考えることのほうが、その時は優先順位が高かった。そのために一度欠席したのである。

 水を差しだしながら告げたクレアの言葉に、ニコラスはどこか少しだけ、表情を緩めた。


「…ありがとう。俺のパーティーを断られたものだから、カルデア問題がとうとう手詰まりになるのではと冷や冷やしたよ。」

「まさか。そのようなことはあり得ません。ホリングワースがいつ頷くかだけの問題に、詰まるも詰まらないもありませんわ。」


 ニコラスの言う手詰まりとは、すなわちカルデア騎士団が王国によって武力制圧されることである。

 ホリングワースは王国に騎士たちの良い待遇を求めるという、子供じみた駄々をこねているに過ぎない。

 併合前の扱い、辺境伯で活躍した意地、騎士としての忠誠…

 騎士たち本人にとっては大きなものであれど、平和な条約で併合した国で内戦の起因とするには馬鹿げている。

 しかし騎士の心象を無視して「好きに使え」と差し出すわけにはいかない。騎士団は宗教の象徴も担っており、民にとっても重要な存在だったからだ。

 人民の心象を調整しながら、どのタイミングで頷くべきなのか。クレアに残されているのは『頷く』だけで、残るはタイミングの話なのである。


 そんな圧倒的有利な立場にいるニコラスとの交渉に加え、辺境伯でなくなったことで、武力以外にも土地に特色を持たせなければならない時代の変化。

 更には病に倒れる父。

 騎士団には父に仕えていたからこそという者だっている。

 …どうしても、どの事柄にも、常に厳しい顔で臨まざるを得なかった。


 農業の発展、そのための輸入問題に水利問題…突き当たる困難は一筋縄ではいかないものが山積みであった。

 厳しい顔で現実を見据えながら公務を行う、クレアの領主代理としての周囲からの評価は…

「彼女が領主であれば圧政が起こっていたかもしれない」

「爵位を継ぐものとして弟君がいてくれたことはホリングワースの救い」


 一言でいえば、「悪代官の女版」。

 そんな風に言われていた。




「殿下には、心を許せる方がおいでで?」

「……は? あ、いや、すまない。突然、何の話かと」


 バルコニーで少し冷える風に当たるニコラスに、思わず、声をかけてしまう。


「ご心労も数多くありましょう。パーティーで一休みなんてしているのが良い証拠です。……お疲れを癒せる場はお持ちですか」


 ニコラス付きのメイドと騎士の話を聞いてそう思ったなど、口が裂けても言えるわけがない。

 だが。




「お嬢様が悪代官だなんて。このような状況で強く気高くあらねばならないのは誰でも分かるでしょうに、言い出した者の首をはねてやりたいです」


 …クレアが面倒を見ている侍女の言葉を思い返す。

 そんなことを言っていた彼女とは、大きく言い分が異なったものだったから。


「うふふ。そんなことを口にしたら、圧政を通り越して独裁じゃない」

「だって! 歯がゆいですよ……」

「気持ちは嬉しいわ。でもだぁめ。腹の内では何を考えてもいいけれど、言ってはいけないの。それが政治よ」


 侍女の言葉はたしなめるべきものだったのは事実。

 …その言葉が嬉しかったのも事実。

 クレアには……味方がいた。




 ……だから、パーティーに呼ぶくらいの使用人にも心を許せていなさそうなニコラスを見て、気になってしまった。



 クレアがニコラスを気にする言葉に、受け取ったグラスの中の水を揺らしながら少しだけ笑いを漏らす。

 ……そのニコラスの表情には、自嘲が含まれていた。


「冷血王子に、そんな相手はいないさ。婚約者にも愛想を尽かされている」

「ご自分でそんなことを言われてはいけませんわ」

「客観的な事実は受け止めなければ。俺は税制革命で貧民をあえがせた、血も涙もない王子であることに違いはない」


 誰もいないバルコニー。パーティーの光が微かに漏れるだけのほの暗さ。

 追い詰められていたニコラスをほんの少し後押ししたのは、そんなシチュエーションもあったかもしれない。


 ニコラスはぽつぽつと語った。

 第一王子である以上、学生時代から国の併合とその後については勉強していた。

 税制革命は政府が新体制になることもあり、前々から予定されていた。

 実行にあたり、貴族の反発をどう抑えるかが大きな課題だった。

 ……税制革命の決定打は、ニコラスが、貴族が税を懐に入れることができるシステムの穴を指摘したことだった。


「この世にいるのが悪徳貴族ばかりであればよかった。

 ……税から工面した金で貧民の炊き出しを行っている貴族のことも、それで割を食うことになるのが貧民であったのも、全て俺の甘さ、見通しの悪さのせいだった…」


 税制革命で貧民を追い詰める。そんな非情な決断を下した若き為政者。

 新参者の残した大きな功績と共に与えられたのは、『冷血王子』の二つ名だった。


「カルデア問題が『王から与えられた次の課題』になったのはそれが理由だよ」


 人の心を見る仕事が出来るように。

 陛下からはそういった意図で、領民の心象が駆け引きの題材となる問題を任された。

 長期交渉になることは目に見えていたため、すでに大きな手柄を立てたのだから休息代わりに…という意味も含まれていたようだ。


「残念だったね。この俺に弱みとなるような他の誰かはいない。」


 水をありがとう。少し気分が晴れた。

 社交辞令の典型文とともに空になったグラスを見せ、その場を離れようとしたニコラスに、クレアは


「私にはいますわ」

「……どういう意味だろうか」

「弱みになる他の誰かがいます。」


 クスリと笑って、自分の持っていたグラスの水も飲み干す。


「……併合の記念に、一部の貴族令息たちが王都学園に入学したことはご存じですか?」

「あぁ…一応、俺の後輩にあたるからね。そのような動きがあったことは知っている」

「弟がそちらに行きましたの。今は王都で勉学に励んでおります。」


 10歳という幼さで親元を離れ、病に倒れた父に心配を寄せながらも、懸命に勉学に励む次期伯爵。


「お父様の病状のことを考えれば、シリル……弟は父の死に目を見ることもなく、次にホリングワース領に足を踏み入れた時には彼が伯爵になっている未来もあり得ます。」


 楽しい学園生活を送れていると、弟は言う。


 だが実質的には、その身こそを、併合記念の証として『飾り立てられている』。


 幼い字で父に心配を寄せる手紙を送り続けながら、それでも「楽しくやっている」と言うしかない。

 心を押し殺してまつりごとに使われている彼の事を考えれば、ホリングワースの名を軽んじられるようなことは最大限避けたい。

 たとえそれが、子供の駄々のようだと言われることがあったとしても。


「そのために頑張っているのに、わたくし、領地の民には悪代官だなんて言われているのですよ。

 せめて悪役令嬢くらいでありたいわ」


 クレアの言葉に、ニコラスはぽかんと口を開けた。いくら自ら茶化したような物言いをしたと言っても、王子様のこんな顔を見られるのは、十分弱みになりえるかもしれない。

 そんなことを考えていれば、ニコラスはとうとう口を開けて笑い出してしまった。


「は、はは! 悪役令嬢などと、自分でそんなことを言ってはいけないよ」


 ニコラスの様子に、クレアもつられてくすりと笑う。


「悪代官よりはマシ、という話です。悪役令嬢と呼ばれたいわけではありません」

「……そんな話を聞かされても、俺は王国の人間として、カルデア問題に妥協はできない」

「それこそお互い様ですわ。王子が個人の感傷に感情移入だなんて、為政者として信頼できません。」


 ですが。

 水の無くなった空のグラスを胸の位置まで持ち上げながら、クレアは笑って続ける。


「私の侍女は、私の気持ちは分かると言ってくれましたの。

 私の『弱み』は、為政者として立つのに必要な存在だったわ。」


 ホリングワース領の人間として最善の結果は目指す。

 それは、それとして。


「…あなたのことを分かってくれる誰かが、いてくれるといいわね」


 クレアの、その言葉に。

 ニコラスは何かをかみしめるような表情をした後……、空のグラスを、クレアのグラスへ小さくぶつけた。


 本当にかすかな音が、二人のいるバルコニーにだけ響く。


「グラスをぶつける乾杯…それも空のグラスなど、誰かに見られでもしたら礼儀を疑われるな」

「きゅ、急に何をしますの…?」

「だからこの、無礼講の瞬間は、俺と貴女だけの秘密だ」


 ニコラスは、優しげな表情でクレアに告げた。


「理解を示してくれてありがとう。……お互い、最善を目指そう」

「…………えぇ。」



 理解を示してくれる誰かがいればいい。

 クレアのその言葉が、『クレア自身が理解者』であるから出たものであること。

 それに気付いたのは、その後クレアに『冷血王子』の仮面を外した顔を見せるようになってからのことだった。




   §§




 表向きは、ケイフォード領の裁定に睨みを利かせる王子と、反発する令嬢。

 いまだまとまらない『カルデア問題』の中で、ひそかに理解者同士という関係があることを知るのは、お互いだけであった。


 ……お互いだけであった、ために。


「お嬢様……その、これをお伝えすることは差し出がましいことかと思いましたが」

「エリー? 何かしら」

「次回の社交パーティーについてなのですが…」


 侍女エリーが告げた言葉に目を見開いて絶句する。


 カルデア問題は、圧倒的有利なニコラスの立場が「上位騎士たちの準貴族の身分を保証」という、これ以上の条件を出す理由が無いところまできている。

 あとはカルデア騎士団がどう納得してくれるか…ホリングワースの当主が解決すべき問題だった。そのために幾度も騎士との会談に臨んでいた。

 ニコラスが無意味な引き延ばしに付き合う理由もない。次回に開かれる社交パーティーは、正念場であることを覚悟していた。


「……ニコラス殿下が、婚約を破棄されたとのこと」







 ホリングワースの歴史の転換期となるはずだった社交パーティーの場は、殿下のハーレム劇場へと姿を変えていた。


 学園時代から勉強熱心な彼は、婚約者ともあまり親密には過ごせていなかったらしい。…併合による新体制が告知されていたのは国の中枢部だけだったので、傍目から見れば勉強熱心は『政治以外に興味が無い』という風に映っていたようだ。

 そんな彼は卒業後すぐに税制革命という手柄を立てた。


 ……学生時代から貧民を切り捨てる機会を虎視眈々と狙っていた冷血王子。

 近しい間柄の者には、そう受け取られてしまっていた。


 前々から彼を怖がっていた婚約者は、「冷血王子と添い遂げるくらいなら」と、貴族の身分を捨ててまで別の男性と駆け落ちをしてしまったというのである。


 センセーショナルな大事件は、侍女を通して多忙なクレアのもとまで渡って来ていた。



「…私のせいかもしれないわね」

「まさか、お嬢様がどうして殿下の婚約者様に影響するというのですか」

「お父様の容態が悪化して、ニコラス王子のパーティーを欠席したことがあったじゃない。」


 あれからクレアの父は容態は奇跡的に回復、予断は許さないものの峠は越えたと医師に言われた。復帰はできずとも、現在は安定している。

 だがあの時「お断り」を入れたことを、ニコラス側は重く受け止めていた。


 辺境を任され、また併合前には宗教的な力も持っていたカルデア騎士団のこと。

 忠誠を誓った相手を変えるつもりはないという、遠まわしの『拒否』なのではないか…

 そうなる結末を覚悟しておくべきなのではないか。

 そこまで考えてしまったらしい。

 ニコラスによる解決方法に、少しでも武力行使が視野に入ってしまった。

 王からの『課題』を果たせない成果を残すか、そうでなければカルデア問題を平穏に解決できる他の誰かに譲るかという状況になってしまったのだ。


 そして、冷血王子の周囲にいる者は、武力行使の選択も有り得るだろうと踏んでいたらしい。ニコラスが追い詰められていたのはそのためだったと聞いてしまった時には、流石のクレアも頭を下げてしまった。


「あの時は王室の騎士すら怖がっていたのよ…冷血王子という悪印象を上乗せしてしまったのかもしれないわ。」

 男爵令嬢として共に社交パーティーに参加していたエリーは、クレアの言葉に納得の様子を見せた。


「…………次のお相手には困ら無さそうですけど」

「エリー。口にしない美徳は教えたはずよ」

「も、申し訳ございません」


 とは、言いつつ。

 それで空いてしまった未来の王妃の座を狙う者は当然いるわけで。


 私は元婚約者のような腰抜けとは違う、という言葉を、柔らかく薄めて伸ばして大変遠まわしに口にしながらニコラスの周囲にはべる令嬢たちを、エリーと共に少し距離を置いて見ていた。



「……ちょっといってくるわ」

「え? お、お嬢様…!」


 ニコラスの一団に近づいたクレアは、令嬢たちにも聞こえるように「失礼いたします」と一言放つ。

 王子と『犬猿の仲』であるクレアはこれまで見世物に等しい存在だったが、今この時だけはクレアを見つめる令嬢たちの目が語っていた。

 今この時にしかないアピールの場を乱すな、と。


「ご機嫌麗しゅう、殿下。本日は変わった趣向のお楽しみをされていますのね」

「……恥ずかしながらちょっとしたことがあってね。」

「お噂だけは耳にしましたが…少々、露骨過ぎませんこと?」


 クレアはわざとらしく、令嬢たちを一瞥する。


「私が目的のご歓談ができる日ではないようでございます。本日は他の方とお話させていただいたほうがよろしいでしょうか」

「クレア嬢の言っていることの意味が分りかねる」

「お見合いパーティーにはるばるやってきたつもりでは無い、と申し上げておりますの」


 直截な物言いに、その場にいる人間達が眉をひそめた。


「今しばらく行われている社交パーティーは、家の名を背負った者が交流する目的であると思っていましたわ。陛下はそのようなご意向でお時間をくださっていたと考えていたのは、わたくしの勝手だったかもしれませんわね」

「言葉は控えていただこうか。父上のお考えとやらも、直接言われたものでないなら言葉にしない、というのが品位なのではないかな。」


 いつも『見世物』にされていた言葉の言い合いに比べ、本日はむき出しの棘を隠さない。その口火を切ったのはクレアなのだから、当然ニコラスはたしなめるような物言いをした。


「何より、彼女たちがこの場にいることを貶められる謂れはない。社交界であった騒ぎの話をしていただけだ。その物言いは受け入れがたいものである…と、言わせていただこう」

「……申し訳ございません。確かに口が過ぎました」


 あまり言っても過剰な悪評がつくだけか。そう思い、クレアは王子に詫びの一礼をする。

 ニコラスはクレアの様子に、少し眉を寄せた。


「…ホリングワース領との話については、こちらも考えていることがある。後で会談の時間をいただいても?」

「えぇ、願っても無いことですわ。それでは。」


 社交界の場でも、カルデア騎士団の扱いについての進捗は広がっていたこともあるらしい。

 その場にいる貴族の令息・令嬢たちは、ニコラスの宣言に「とうとうか」という顔をしつつ、その場を去るクレアを見守った。





「お話するのは私一人で構わないわ、バートランド」

「お嬢様!?」


 社交パーティーが終わって、応接間で行われる小さな『会談』の時間。クレアの発案に、同席するはずだったバートランドは、思わず裏返った声を上げた。

 傍にいたニコラス付きの騎士・ダスティンも、声は上げずとも瞠目している。


「有事の際にどなたかに守ってもらわなければいけないという名目で、あなたには付いてきてもらったのでしょう。話し合いの場にはお守りいただく王室の騎士様がいらっしゃいます」

「しかし……」


 なおも言い募ろうとするバートランドを目で制す。クレアの行動に思惑があると信じたバートランドは引き下がった。




「それでは、乾杯」

「しませんわよ、ティーカップはお大事になさってください」

「……それもそうか」


 広い応接間で向かい合う二人。リラックスできる環境になったためか、お茶目な口調でニコラスはティーカップを掲げる。

 断りつつも、『乾杯をしたがった』ことの理由は分かった。心の中で気持ちだけ受け取り、その上等な茶器からキャメル色を一口含んだ。


「………私があの場を去ってから、庇うような事は口にされていませんわよね」

「やはりあの態度はわざとだったか。

 大変だったよ、外面が繕えないほどの冷血ではないと思われたからか、ひっきりなしに声を掛けられた」

「安心しましたわ。」


 クレアとの言い合いにより、ニコラスは『淑女に気を遣える王子』という体面を獲得できたらしい。

 腹の内はどうであれ、体面的なことがこなせるのなら十分と考える者は多い。中には単純に「噂と違う」と思って食いついた者もいるかもしれないが…


「……君に悪役をさせてしまったね」

「そもそも敵対関係にあるのですから、あの程度はいつもの些事な口喧嘩でございましょう。カルデア問題の締結がすぐそこなのは周知のようですからね」


 申し訳なさそうなニコラスに否定を入れる。

 ニコラスは税制革命のために冷血という泥をかぶることになったが、元々『いがみあっている』ということになっているクレアなら、あの程度は泥にもならない。

 そもそも、子供のような駄々でカルデア騎士団の扱いを先延ばしにしている令嬢なのだ。

 締結目前の今、何かをしても、周囲には負け犬の遠吠えにしか映らないだろう。


「事前に一報寄こしてくださいましたら、もう少し上手い言い方を考えて来ましたのに」

「そんな風に手を回したら、いよいよ俺は冷血の為政者だろう」

「代わりに『礼』をいただけましたら、というお話です。使えるものは強かに使ってくださいませ。」


 今回は自らが勝手にやったことなので、取引にもできないが。


 しかし、王太子の婚約者が空席のままでいるとは思いづらい。近く新たな婚約者が取り決められるだろう。なんならスペアのような者がもう立てられているかもしれない。その相手に、ニコラスと接する切っ掛けにプラスのイメージが渡せるならそのほうがいい。

 クレアは別に、ニコラスのことを嫌っているわけではないのだから。



 お互いにティーカップを置けば、空気を引き締め直しカルデア問題についての話に移る。

 腹心のバートランドのおかげもあって、ホリングワースの声は騎士団に届きやすく、また騎士団の声はホリングワース家に届きやすい。締結によりいざこざがあっても、少なくとも準貴族の立場を保証された上位騎士たちは抑える側に回ってもらえるだろう。

 だがその背後には、騎士団が象徴を担っていた『信仰』が存在する。信仰を拠り所にする『民』がいる。それはホリングワース領に留まらない。

 ニコラスが引き延ばしに付き合う義理が無いことは理解した上で、引き延ばしによって併合国の民への印象が変わることは知って欲しい。

 クレアの嘆願に、ニコラスは「それでは今後のスケジュールを」と、長期的な構えを見せつつも冷静に『頷く日』の相談を始めた。


 その場を見ていたニコラス付きの騎士、ダスティンだけが、佇まいを崩さないまま、大きな心変わりをしていた。




   §§




 会談から三日と経たず、事が起こった。

 クレアのもとに、ダスティンから視察を打診する手紙が届いたのである。

 ニコラスは関係しない個人のもの、とは言うものの、王家付きの人間がカルデア騎士団の視察に来ることに政治的イメージが動かないはずがない。

 断る訳もなく、更に三日後には彼を迎え入れる準備を整えた。


「ようこそおいでくださいました、ダスティン・アンダーソン公。ご来訪を嬉しく思いますわ」

「およしください、こちらはただの騎士の身です。ホリングワース嬢に客扱いされてしまうなど、立場がなくなってしまいます」


 王子付きとは言うが、ニコラスより少し年上程度の騎士であり、立場も貴族には程遠い。

 しかし委縮した様子を見せながらも流石は王室の人間、仕事として行うカルデア騎士団の視察や、それをどのように王室に伝えるかなど、流れるようにクレアへの説明を行った。公務へどのように影響を与えるかをまず考えている行動だった。



「それから……大切な礼を、ホリングワース嬢にはさせていただきたい」


 視察の流れを再確認し終わり、後はバートランドの仕事かと思われたところで…

 ダスティンは、その場で深々と頭を下げた。


「私どもはニコラス殿下のことを、強引な革命を打ち出した政治家だと思い込んでおりました」

「……冷血王子と言われるようになった税制のことね」

「左様にございます」


 ダスティンは先日の会談で、唯一クレアとニコラスの傍にいた。

 そこで見たニコラスの様子とクレアの言葉で、やっと考えを改めたのだという。


「少し考えれば分かることだったのです、税制革命が殿下のお手柄となったのは、政治の闇となる部分を押し付けられたに過ぎないと。学園を卒業したばかりの殿下にそのような決定権があるはずないのです。」

「『決定打の提供』と『決定』の違いを、理解している方は多いと思うけれど…」

「であれば、なおのことです……。ニコラス殿下に付く者として、私たちこそが深く理解せねばなりませんでした。」


 税制革命を推し進めたがった者は相当数いたが、実際に決定打を提供し冷血漢など囁かれてしまえば、今後の活動に差し障る。

 だから若輩者が泥被ったのだ。

 若い頃のおいた、と処理できる年齢の内に。


 …ニコラスの不幸は、それが新体制による人員異動が多くあったタイミングと被ったことだ。本来の性格を知る王室の騎士やメイドとはほとんど引き離された。

 彼の人となりを知る貴族の幼馴染も、もちろん存在する。

 しかし新体制と税制革命を知らなかった者は「在学時代から準備をしていた」と勘違いし、知っていた者は彼に泥を被せてしまった居心地の悪さで距離を取って、孤立に拍車がかかってしまっていた。


 その上で、カルデア問題である。

 武力行使を視野に入れてしまった、とニコラスが困ったように口にし、クレアが大慌てで謝罪を入れたあの時も。周りは、『とんでもない脅迫』と受け止めていたとのことだった。


(……どれだけ勘違いされてたのよ、彼は………)


 カルデア問題に関して敵対関係にあるクレアがそのことを理解しながら、ニコラスに付く者たちは思い違いをしていた。そのことを恥ずかしく思う……ダスティンはそう言いながら、改めて頭を下げた。






「お嬢様………ニコラス殿下とは、そのようなお話をされていたのですか」


 ダスティンの視察が終わり、本日の公務はそろそろ、と思ったところで、バートランドから声がかかった。ダスティンが訪れた際には共にもてなし側に回ってもらい、その後は領内や騎士団の紹介をしてくれていた。


「カルデア騎士団についての話し合いをおろそかにしていたことはないわよ」

「そのようなことは滅相も考えておりません。しかしニコラス殿下と、ご親睦があったとは思いもせず…」

「親睦というほどでは……アンダーソン公も言っていたけれど、味方の少ない方のようだったから。こんな立場だからね。似た悩みを抱えていたのよ。」


 クレアのそんな言葉に、バートランドはキッと顔を引き締める。


「……この激動の時代を生き抜く術を持つお嬢様のことを、わたくしどもは尊敬しております」

「ありがとう。

 ………けれどそう言ってくれる人が、ニコラス殿下の周りにはいなかったの。」


 いてくれる人が一人でもいればきっと違う。

 そう思っていたあの時の気持ちに嘘はない。

 敵対しているクレアより、ニコラス仕えの騎士のほうが、ずっと彼の支えになるだろう。だからダスティンがわざわざ伝えに来てくれたことは、クレアとしても嬉しかった。

 クレアは、この出来事にそれ以上思う事などなかった。


 だが、このダスティンの視察を契機に。

 ホリングワース領は、圧倒的な転機を迎えることとなる。




   §§







「私、ニコラス・ケイフォード・フィルドナーはこのたび、こちらのクレア・ホリングワース嬢と婚約を交わした。

 急な発表となったが、本日のパーティーを挨拶の場とさせていただきたい。」


 パーティー会場の舞台上。

 ニコラスはクレアの手を取り、引き寄せる。

 演劇さながらの優雅な仕草は、その場の誰もを惹きつける美しさがあった。

 雰囲気に呑まれた貴族たちは、ニコラスの言葉を飲み込むのに一拍遅れた。


「俺は必ず、彼女を幸せにすると誓う。

 それでは、今宵のパーティーも楽しんでくれ。」


 伝達事項は終わりとばかりなニコラスの言葉に、貴族たちはざわつきつつ、重大発表を行った二人が舞台上から降りる前にかろうじて拍手を送ることができた。



「まさかあのお二人が婚約だなんて……」

「どうも騎士ダスティンが視察に行ってから殿下が打診したとのことだ」

「宗派が変わるとは言え、お抱えの騎士団はこの国とも同一宗教の宗教騎士団だからな…。安全にパイプを作る方法としては、確かに無くはない選択なのか?」

「だが伯爵令嬢なのだろう?」

「併合国王家との血縁関係にあるとは聞きましたわ。」

「それでは、王女の代わりにお立ちになったということか」

「ホリングワース領はどうなるんだ? 後継の弟君は王都学園にいるのだろう」

「ご存じないの? クレア様が実権を握って表に出ていただけで、名目上の当主代行は元騎士団長様よ」



 これまでニコラスとクレアの『犬猿の仲』を見ていた貴族たちは、社交界の掟に添って礼節を重んじ、その場で表立った噂話などはしなかった。

 しかしあまりに唐突な発表に、今日だけは礼儀正しさを忘れ驚きを隠せず口々に物を言う。そのパーティー用の大広間には本人たちがいるというのに。


「お………驚き、ました。お嬢様が……ニコラス殿下と……」

「あなたには先に伝えたじゃない、エリー」

「改めて皆様に向けて告知される驚きといいますか、いえ、冗談かと思ったわけではないのですが……いや嘘です、冗談だと……」


 …事前に伝えてあった侍女ですらこの様子なので、致し方あるまいとは、クレア自身も確かに思うが。

 それに、クレア自身も同じ気持ちなのである。






「クレア嬢。君に婚姻を申し込みたい。」


 パーティー前に行われた会談で言われた言葉に、その時のクレアは、はしたなくも面食らってしまった。口をぱくぱくとさせた表情は、他の貴族に見られでもしたら笑いものになっていただろう。


「さて、理由を説明しても?」

「是非お願いしますわ」

「だよね」


 お茶目に笑うニコラスの後ろで、ダスティンが咳払いをする。騎士から見ればおふざけが許されるような場ではないということなのだろう。

 だが、ニコラスは少し…寂し気に笑う。


「正直に告白させてもらう。おそらく俺は、あの時君に…大きく心を許してしまった」

「あの時、とは……」

「俺の立場に理解を示してくれたときだよ。誰かがいるといい、ってね。」


 笑顔のままニコラスは続ける。


「冷血王子という立場に立たされたとき、どこにも心の拠り所が無かった。無くなってしまった。

 政治的にあんな結果を残して、学友たちが近づき難いという気持ちは理解できる。

 だがその孤独な局面になったとき、…素直な笑顔を出せるようになったのは、貴女相手だけになったんだ、クレア嬢。」


 王子が歓談の場でリラックスするようなことはないが、それでも、そこで改めてクレアに真面目な視線を向け直した。


「淀んだ貴族社会の中で、あなたは、俺の心が必要とする光だったんだ。

 俺は光となる女性を見つけた。あなたと添い遂げられるのであれば、この場で、婚姻を申し立てたい。」


 ニコラスは、真剣なまなざしでクレアを見つめた。

 ……しかしクレアは首を振る。


「そのような理由でお受けすることは、できません」

「ダメかな」


 自分たちの立場は恋愛結婚ができるようなものではない。


 それに、ダスティンが受け止め方を改めたように、ニコラスの考えが共有されれば、これから『支え』となる人は現れて来るだろう。

 カルデア問題をただの休息と捉えず真面目に向き合っているように、彼は、あえぐ貧民に対し何もせず終わらせるような為政者でないのだから。

 彼がクレア個人に執着する理由は、ない。


「だよね」


 拒否を示したはずのクレアに、ニコラスはいまだ、茶目っ気のある笑顔を返した。流石にダスティンからも「殿下、本題のほうをば…」と直接苦言を呈される。



「………では、ここからは王子の立場として相談させてもらう」

「あくまで相談、なのですね。決定事項ではなく。」

「強制させるほどの冷血であるつもりはないよ。」


 その言葉は、王子として政治的な話をする、という意味。

 それは『絶対的有利な立場』を行使するということでもあった。


「ダスティンの視察のあと、少し調べさせてもらった。ホリングワース家による騎士団の支援に関しては、こちらの国では類を見ないほどだからね。

 聞けば元騎士団長が血縁にあり、騎士団の意見がホリングワース家を通して政治に響きやすいと。」

「その通りですわ」

「宗教騎士団を丁重に扱っていたとして、ホリングワース家は併合国の国民にも一目置かれている存在と言えた。それに辺境伯は併合国王家の血筋でもある」

「それは…大昔のことです。歴史として語られることはありますが、今では王家の名に連なるどころか、端くれにすら数えられておりません」

「だからと言って、急に空いた未来の王妃という枠に『そちらの姫を寄こせ』などとは、とても言えないだろう?」


 …そのニコラスの言葉で理解した。

 空いた婚約者の枠で、併合を盤石にするパイプが作れないかと、王室から打診があったのだろう。


「こんな状況であまり位の高い者を王妃として要求すれば、婚約破棄騒動に裏があったと勘ぐられかねない。社交界では既に婚約破棄は確定事項として話は出回っているからね。

 まあその視点から見られてしまえば、ここから併合国の人間を迎えようとする時点で裏があると思われても仕方がないんだが……

 だが今、この立ち位置には、ちょうどよく君がいる。」


 併合国の人間ながら、犬猿の仲でありつつ、これからは仲良くしなければならない家の令嬢。立場は高すぎず低すぎずという程度だが、その歴史には『王家の血筋』という説得力を持たせられる。

 そして。


「……この激動の時代、仮の当主として生き抜こうとした貴女は、ホリングワース家の歴史に名を残す者になると俺は思っている」

「働きをご評価いただくのは、大変光栄に思います。」

「おだてじゃないよ。極めて政治的な判断だ。王室に迎え入れるに相応しい『ステータス』を君は担いでいる。更には体面的には犬猿の仲と来た。」


 婚約破棄騒動を収める『ついで』の政略結婚として、あまりに丁度いい。

 …そう言い切ったニコラスに、クレアは、思わず笑いを零してしまう。だがニコラスは、クレアにもらえる反応を分かり切っているようだった。


「最低のプロポーズですわね」

「さっきの渾身のプロポーズと比べたら、返事はどうかな」


 ニコラスはそうクレアに問いかけるが、クレアの一存で決められるものではない。返事ができるのは、ホリングワース家の各位とも、更には併合国とも話し合った後のことだろう。

 だが、ホリングワース家の仮の当主として、クレアは判断した。

 実際の当主である父も、きっと同じことを考えると確信を持って。


「ありがたく、お受けしたく思います。」


 クレアは座ったまま、一礼を行った。


「併合を平穏にするため、カルデア問題締結のため、どちらにとってもホリングワースの身分では…併合国出身の身分では、この上ないお話ですわ。」

「併合のための人身御供として王室に来る。それで構わない、という話でいいね?」

「貴族として生まれた以上、民に豊かさをもたらすため、全ての人生を捧げることは覚悟しております。不束者でございますが、どうかよろしくお願いいたします。」

「はぁ……さっきのプロポーズはバッサリ断られたのに、こっちだとこれだもんなぁ……」


 まるで子供のように口を尖らせるニコラスだったが、クレアはこの返事が、ニコラスにとって誠実な対応にあたると思った。

 ニコラスはいたって真面目に話していた。

 心を許されていたのは薄々感じていたし、クレアもニコラスのことを憎からず思っている。だから「心を許した者と婚姻関係になりたい」という言葉も、きっと嘘ではないのだろう。


「為政者としての殿下を、わたくしは信頼していますもの」


 ただそれよりも、国益の説得力を信頼できるだけ。

 …冷血だけではない、最善を目指す王子を、クレアは信じているから。



 二人の会談から、ほどなくして。

 王国と併合国の取り決めにより、ニコラスとクレアの婚約は成立となった。







 ニコラスとクレアの結婚発表にいまだ驚きを隠せない貴族たちを横目に、パーティー会場では優雅なワルツの演奏が始まる。

 ここのところ定期開催されていたパーティーでは、立食で好きに話せるような気安いものだったが、王子の婚約発表とあってはそうもいかない。改まった形の舞踏会であった。


「クレア。一曲いいかい?」

「もちろんですわ」


 戸惑いを隠せない貴族たちから一抜けするように、クレアはニコラスの手を取る。

 曲に合わせ滑らかな踊りを魅せながら…二人だけの距離に聞こえるように、ニコラスは口を開く。


「王子の俺の手を取ってくれてありがとう、クレア」

「……えぇ。誠心誠意、お仕えいたします」

「だが、覚悟しておいてくれ。…王子としてではなく、ただのニコラスとして……俺は君を幸せにしてみせる。」


 優雅なステップの合間に告げられたのは、ニコラスの固い決意表明だった。


「この婚姻はカルデア問題締結の一環、体面的な政略結婚でしかないと、周りには受け止められるだろう。」


 政略結婚とは言え、人の心を動かす形で平和を目指す。

 冷たい血を拭った王子の、第一歩。


「だが、……必ず君を幸せにする。

 全ての人間に君との幸せを見せて、人の心を動かす者となることを証明して見せる。

 このニコラスの未来を、信じてくれ」

「…………えぇ。

 いつか心から、『あなた』を愛してると言わせて、ニコラス」


 クレアのプラチナブロンドが、ターンと共にふわりとなびく。リードするニコラスの表情は、転機を迎えた王国を背負う覚悟を滲ませるようだった。自然と会場の中心にゆく二人の踊りは、まるで一枚の絵画のようであった。





 幾年ものちに、この一幕が本当に絵画に起こされた時、『見えない仮面』と名付けられたのは…


「王子の仮面の下に愛があったのを、あの時から、私は知っていたのよ」


 弟が爵位を継ぐまで激動の時代を生き抜き、その後は比翼連理の王と王妃として語り継がれる…

 クレア・ケイフォード・フィルドナーの言葉が切っ掛けだったと、残されることとなる。

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