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聖女五郎シリーズ

聖女と私

作者: 福嶋莉佳
掲載日:2026/02/21

馬車に揺られながら、私は窓の外をぼんやりと眺めていた。


「もう少しで到着いたしますよ」


御者の声が前方から届く。


行き先は、隣国リュミエール。

私が向かう理由はただ一つ――王太子妃の教育係として派遣されたからだ。


私は転生者だ。

ここは、かつて遊んでいたゲームの世界。

そして今、物語にない国へ向かっている。


半年前――私は王太子の婚約者だった。


だが、その関係は自ら終わらせた。

王太子が聖女見習いと親しくしている証拠を揃え、婚約破棄を申し出たのだ。


国としては不名誉だったはずだ。

だからだろうか。体裁か、示威か――私を教育係に任命するとは。


まだ傷も癒えきらぬ私に、追い打ちのように告げられた言葉。


『リュミエールの王太子妃は聖女です』


「……また聖女……しかも」


『商家出身とのことです』


……商家。

嫌な予感しかしない。


私、原作に余計な手を入れたせいで呪われているのでは?


小さくため息をつき、再び外を見やる。


遠くに王都の城壁が見え始めていた。


もうすぐ到着する。


次の聖女とご対面だ。



王宮の正門をくぐる。


石畳を踏みしめるたび、視線が突き刺さるのが分かった。

背筋を伸ばし、歩幅を乱さず進む。


緊張のせいか、空気がわずかに薄い。

予備知識はない。完全な未知の領域だ。


女官が静かに歩み寄り、優雅に一礼する。


「長旅お疲れのところ恐れ入りますが、殿下がお待ちでございます」


……休ませてもくれないのね。


内心だけで呟き、微笑は崩さず頷いた。


案内されたのは小広間だった。


そこに立っていたのは――王太子妃。聖女だ。


くりっとした大きな目。

まだあどけなさの残る、十七歳ほどの少女。


聖女は立ち上がり、まっすぐに私を見る。


「フィーネ様ですか?」


私は一礼する。


「お招きいただき光栄に存じます。

フィーネ・アルクールでございます、王太子妃殿下」


聖女も丁寧に頭を下げた。


「遠路お越しいただき、感謝いたします。

以後、王宮の慣習に沿ってご指導賜れれば幸いです」


……あれ?


思ったより、きちんとしている。


「遠路ご苦労だった。噂は聞いている」


椅子に腰掛けていた王太子が口を開いた。


王太子は二十代前半だろうか。

すらりとした体躯に、整った顔立ちだった。 


それは、できれば触れないでほしいのに……。


「過分なお噂でございます。どうかお気になさらず」


王太子はわずかに目を細める。


「フィーネ殿。彼女はこの国の象徴だ。

指導を頼むぞ。だが、軽んじることはないように」


言葉が硬くない……?

けど――大切にされているのね。


その事実が、胸の奥をかすかに刺す。


「承知いたしました」


それでも表情は変えず、静かに頭を下げた。



想定していたものと、違った。


小広間で行った王太子同席の模擬応答。


私は扇を閉じる。


「では、想定。貴族からこう言われた場合――

『今年の慈善費は増額すべきでは?』」


聖女はすぐには答えない。

一拍置く。


「増額をご提案される理由を、お聞かせいただけますか?」


「相手が『民衆の支持を得るため』と答えたら?」


「その増額で、どれほどの民心を得られるとお考えですか。

また、増額分の金額はどの程度を想定されておりますか?」


……えっ。


思わず瞬きをする。


数字を出させる、なんて。


理想論は金額を持った瞬間、逃げ場を失う。

もう綺麗事では済まない。


何、この聖女。怖い……。


さらに聖女は、ゆっくりと王太子へ視線を向けた。


「殿下は、どの方面を重く見られますか?」 


しかも、殿下に振るの?


王太子は少し考え込む。


聖女は静かに続ける。


「私の立場で即断はいたしません。

ですが、殿下のご意向に沿う形で最善案を整えます」


聖女が首をかしげる。


「いかがでしたか」


私は息を吐いた。


「……合格です」


正直に言えば、合格どころではない。


派閥を読み、金を追い、利害を見抜く。

神殿にすら踏み込む。


実務は、私以上だ。


公では王太子を立て、意見は私室で述べる距離感も完成している。


慈善すら、象徴性と実効性を両立させる道具として扱える。


――教えることが、ほとんどない。


むしろ、私より詳しい。


ただし。


礼儀作法だけは別だった。


「では、歩きますね」


聖女が廊下を進む。


姿勢は良い。視線もぶれない。

だが、足運びがわずかに大股だ。


「どうですか……?」


堂々としすぎている。


「歩幅は半足ほど狭めて。音を立てないよう、足裏全体で」


「分かりました」


次は茶会の所作。


「親指と人差し指で取っ手を軽く支え、薬指を添えて――」


聖女はすっと持ち上げる。


……が。


取っ手に指を通し、がっちり握った。


なぜか、おじさんを思わせる持ち方。


「……」


どう指摘するか考えた、その瞬間。


「あ……しもうた」


「え?」


聖女は口元を押さえた。


「すまんな〜今のなしで」


私はゆっくりと瞬きをする。


聖女は観念したように息を吐いた。


「実はな、前世の記憶があんねん」


ええっ……!


思考が白く弾けた。


聖女も、転生者だった。


「王太子の尻叩くために名乗り出たんや」


「……尻を叩く……?」


「あの子な。今でこそようなったけど、ついこの前まで頼りなかったんや」


何その崇高な理由。

私は原作を無視し、王太子の立場を悪化させた。

それなのに――。


「私も、実は……」


静かに、自分の事情を語り始める。


学園でのこと。

証拠を集めたこと。

自ら婚約破棄を申し出たこと。


すべてを話し終えると、聖女はふっと笑った。


「なるほどな、そうやったんか。

……あんたは何も間違ってないで」


「……え?」


「不安なんやろ? 心配せんでええって」


「そうですか……ですが、現に国の信頼は――」


「そんな簡単に国は揺らがん。

その程度であかんくなるなら、それまでや」


さらりと言い切る。


「……まぁ、殿下も立場上、制限あってかわいそうやけどな」


聖女は、湯気の立つ茶をくるりと揺らした。


「にしても、そんな状況でよう頑張ったな」


私は、言葉を失った。


……頑張った。


その一言が、胸の奥にじわりと染みていく。


あれが本当に正しかったのか。

ずっと、分からなかった。


視界が滲み、ぽたり、と膝に落ちた。

……止まらない。


聖女は何も言わない。


ただ、黙って紅茶を一口飲む。


茶器の触れ合う小さな音だけが、静かな部屋に響いた。


……ああ。


私はきっと、

その言葉を、誰かに言ってほしかったのだ。



教育期間の終わりは、あっという間に訪れた。


王宮の正門前には、すでに馬車が用意されている。


聖女と王太子が並んで立っていた。


「ありがとうございました」


私は深く一礼する。


聖女は、静かに微笑んだ。


「こちらこそ。ありがとうございました。どうか、お元気で」


王太子も一歩前へ出る。


「この度は尽力に感謝する。道中、気をつけて」


私はもう一度丁寧に一礼し、馬車へと乗り込んだ。


扉が閉まり、車輪が石畳を踏む音が響く。


ふと、窓から外をのぞく。


聖女が、手を振っていた。だが――


「……ぎこちない」


思わず、くすりと笑みがこぼれる。


私は前を向く。


馬車は軽やかな音を立て、王宮を離れていった。

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― 新着の感想 ―
ほほえましい
王太子も幼い頃から良い大人が側にいたら元作品の様な事にはならんかったんかなぁ? 形式は夫婦だけど実態は若と爺になりそうやし。
しかしこの世界どんだけ転生者いるんだ。 しかも下手したら男女問わず女性に転生してるんじゃあ。
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