長夜の終わり
「んじゃ、そろそろ初めっか!」
柔軟体操をし終え、ノアラが強気にそう言う。
それにコクンと頷く。だが、ノアラから聞いた作戦だと、アシェにできることはひとつも無く、端で応援しているだけなのだ。
空気が、緊張に張り詰める。アシェも思わず息を飲み、瞬きを禁じられるように魅入る。
視線がそこに集中される。
「アルデーレ」
ノアラの詠唱に応えるように、大気中に炎が浮かび上がる。
赤の髪色と同じく、赤色に燃え盛る炎は瞬く間に量を増やしていき、部屋を支配する。
「これが…魔法……」
神秘の超常現象。それを目の当たりにして、アシェは炎に照らされながら目を見張る。
部屋を埋め尽くさんばかりの炎が、端にいるアシェにまで届かないのは、ノアラの気遣いがあってだろう。
それでも、炎を大気すらも熱して、膨張させる。
熱さを感じたのか、風が揺れ、抵抗の色合いを見せる。
──間髪入れず、続ける。
「グラキエス」
短い詠唱だが、効果を見れば申し分ない。
キリリと、氷が結晶化されていき、少しずつ確かに質量を増やしていく。
瞬間、風に焦りの色を乗せて、激しく吹き荒れる暴風が力を見せるが、それもつかの間にしだいに力が失われる。
呼吸が掠れる。
「やっぱり、ノアラは時々頼りになる」
「へへ、だろ?」
強かに笑うノアラは、やっぱり信頼に値するもので、アシェもつられてほほえみを零す。
*
作戦を聞かされた時は驚いた。原理は理解できなくないが、実際にそれをやって見せろと言われれば、できないと答えるしかないだろう。
「ノアラには、できるの…?」
アシェの質問にノアラは短く、だが強く答える。
「ああ。私は嘘つかないだろ?」
まず、炎属性の魔法を使用する。
自然系の魔法は、誰にでも使用できるらしいが、誰も使わない。理由は簡単。道具を使えば、完結できてしまうからだ。
蛇口をひと捻りすれば水が出て、マッチを擦れば火が芽吹く。どれも道具でできてしまうのに、命を危うくしてまで使うものは少ない。
話が大きくそれたので、そろそろ戻す。
初めに、炎魔法で部屋中の空気を熱して膨張させる。次に、使うのは氷魔法だ。
熱した空気を、一気に冷却する。
「それで、真空が作れる」
断言するノアラに一切の迷いは伺えず、そこには命を賭ける恐怖も、失敗への不安も見えない。
ただ、信じさせてくれるだけの力があった。
「うん。 ノアラ、信じさせて」
「ああ、もちろん。 なんなら、この美少女に全幅の信頼を預けてくれちゃってもいいんだぜ?」
信じる──。
そう口にすれば、心に空いた風穴が再生するように、塞がれていく。満たされていく。
口にすれば、体はそのように作用するなど聞いたことがあるが、実際の効果を実感してアシェはとても驚く。
ノアラを信じることで、自分を肯定できるなどということはない。むしろ、ノアラにばかり不安が募ることへの懸念がある。
しかし、自分の中になかったものが生まれるというのは、いつでも楽しいものなのだ。
*
ノアラが氷魔法を詠唱すれば、準備されていたように大気が張り詰めていく。
その場所に、真空が作り方出される。
一度、同じく勢いに吹こうとした、真空のために風が止み、暴れる風がピタリと止まる。吹き荒れる暴風は真空に飲まれて消えていく。体が100%風で構成されているなら、消えたのだろうか。
見えないため真相は分からずだが、静寂が答えると、月明かりに言われるように感じる。
「───ふぅ〜。 疲れるなぁ、コレ」
張り詰めた空気を、解くかのようにノアラが息を吐く。脱力し、ノアラが床に座る。
「ノアラ、体は大丈夫か? 魔法は危険が多いと言うけど…」
続けて言葉を紡ごうとしたアシェが、途端にふらりとぐらつく。幸い、床に座り体勢が安定していたノアラは、アシェほど揺れずにいる。
突然の暴風が二人を襲う。
「──まだ生きてるのか?」
二人の間に緊張が走る。部分的だが、真空を作った部屋の空気は薄く、その空気でさえ張り詰めて呼吸がしづらい。
「上だ! 上から逃げるぞ」
ノアラの声の先を見る。天井から下げられている照明が、風に激しく揺れて、敵は存在を主張している。
木材でできた部屋が軋み、風で激しくゆらされた照明が床へ落ちる。照明の硝子が散り、灯りの媒介となる火石が衝撃に赤くなり、火花が木材を燃やす。
「やばい、火事になるぞ! でも、アイツが逃げると……」
追いかけに立とうとしても、疲労と爆風で二人は行動を制限される。敵も、火も二人の手には負えずに、眺めることしか出ない。
ノアラの顔が悔しさに歪む。
「────ッ!!」
そうして、モタモタとしている間に、敵は強烈な風と共に空へ逃げていく。
天井が突き破られ、アシェの部屋は壁も天井も吹き抜けという、プライバシーの欠けらも無い開放的な部屋だ。
上階に人がいなくて助かった。もし、誰かあの部屋を借りていたならば、怪我じゃすまなかっただろう。
その強風に吹かれて、力の入らないノアラと元より非力なアシェは、風に飛ばされて後退する。アシェは少しでもと、疲労困憊のノアラの体を抱き、壁に打ち付けられる痛みをできるだけ肩代わりしようとする。
鈍い音と同時、アシェの背中に重い痛みを感じる。じくじくとした痛みが広がり、これは腫れているだろうな。と、アシェは冷静に分析。いや、普通に痛い。
アシェが打撃を受けたとしても、抱えるノアラにも衝撃は加わる。そもそも、アシェより体の大きなノアラを抱え込むのは難しく、自分の無力を痛快。
「お客さん? さっきからドタバタと大きな音でうるさいですよ。 何があるんですか?」
声は荒らげられていないが、確実に怒りを含んだ声がアシェのいる階へと上がってくる。お昼の店員さんだ。
声の主が扉を開けて、開放的な部屋に差し込む月明かりに、褐色の肌が照らされる。
「───ぇ、何です?これ」
彼女の口調は一貫して丁寧だ。それでも、ノアラとアシェはその一言にひどく恐怖心を覚える。
「ぅ、えっ〜と……これは、私の懐より深い事情がありまして…」
ノアラが口を開く。彼女は珍しく敬語だし、話す表情からは不安が伺える。
そのことに、驚く余裕はアシェには無い。だって、定員さんは笑っているのに、誰かのどんな表情より怖く感じて、アシェは萎縮している。
「へぇ〜、お客さんの懐くらい深いわけですか……」
定員が穏やかに、それに笑顔で言う。
どうしてだろう。定員さんはたしかにノアラの話に納得したように頷いているのに、まるで話が通らないようだ。
「ぁはは、いやぁ…う、ん」
定員さんの復唱に、ノアラは萎むように笑う。力なく笑うのは、疲労困憊よりもこの定員さんの威圧感が原因だろう。
アシェは恐怖からノアラを抱き寄せる手に力が入る。抱くというより縋るに近く、そのノアラもアシェに助けを求めるように体を預ける。
「わかりました。 深ーいわけがあるのですよね?」
定員さんは、二人の事情に理解を示すが、二人はその言葉に背筋凍らせる。
「それじゃあ、私の話を聞いてもらっていいですか?」
定員が、にこやかに笑った。
あ、終わった……。
瞬間、頭には終わりが予測され、あまりにも呆気ない終わりに感慨すら感じることができずに、夜を終えた。
*
「はぁ……、全く酷いめにあったぜ」
ノアラは、固まった体に溜まる空気を出し切るように、深く息を吐いた。
あれからというもの、二人にとっては長い夜を過ごした。いいや、そんな表現じゃ生ぬるい。地獄というのが相応しく、ノアラにはそれほど苦しい一夜であった。
「アシェ、大丈夫か? 耳にタコができてたりしない?」
あまりにも長い話を聞くと、耳にタコができるとか何とか聞いたことある気がする。その理論が正しいならば、二人の耳には確実にタコができているだろう。
「……ぃや、大丈夫」
アシェの声には覇気がない。普段から覇気は感じないが、今日は覇気はおろか、生気すら感じないような気がする。
2人は、褐色の定員による地獄の説教タイムを過ごした。その時間は明け方まで続いて、挙句のあてには定員に宿から追い出される始末だ。
そりゃ、宿を壊してしまったことは申し訳なく思うが、ノアラ達がやった事ではない。責め立てるのであれば、かの風野郎にして欲しい。
ともあれ、二人無事にいられることは感謝すべきだろう。納得はいかないが。
「んじゃ、どこか泊めてくれる宿でも探すかぁ〜」
「宿…、怒られないところがいいな」
朝日に照らさて、ノアラが体を伸ばしながら言う。アシェも、それを真似て体を伸ばす。
ボロボロの体を太陽が照らして、ノアラの幸運のおかげか以前より軽くなった体(罰金として金袋を取られたため)を進ませながら、休息を求めて道を歩いた。
「向こうの村にでも行ってみるか?」
ノアラの提案にアシェが頷く。
「ノアラが俺の帰るところなんでしょ?どこでも、ついて行く」
疲労に塗られたノアラの表情が明るくなる。
「おう! 上出来だぜ、相棒」
2章終幕




