第九幕 『響きが生まれる場』
第九幕『響きが生まれる場』
尾張議場
尾張議会の重厚な会場に、空気がぴんと張っていた。
斯波義統は知事席に座り、いつものように無駄なく、整然と姿勢を保っている。
彼が放つ存在感は、誰かにとっては“動かない象徴”。
だが、今日の議場はそれだけでは終わらなかった。
織田信友が壇上に立つ。
「斯波知事、この予算案は尾張の安定に寄与するものとして、既に議員たちの支持を得ています。これ以上の議論は不要かと」
議場内が静かにうなずく。
言葉にして賛同する者はいない。
しかし、沈黙の形式こそが、この議会の“秩序”であった。
義統はその空気を受け止めながら、ゆっくり言葉を選ぶ。
「確かに、安定は重要な要素です。ですが、尾張には……発展も必要ではないでしょうか」
信友がすかさず微笑み、切り返す。
「発展とは言いますが、それを目指すあまり民の混乱を招いては本末転倒でしょう」
信長が席から身を乗り出す。
「混乱を防ぐために“何もしない”のが正しいやり方だと?」
ざわ、
議場の端で誰かが書類を置く音がした。
空気がわずかに動く。
義統は少しだけ眉を寄せる。
「信長君、私はただ慎重さを求めているだけだ。議会の合意なしに動けば、それは政治的な危機を生む」
信長の声は荒げずに、ただ届かせようとする。
「知事、危機を避けることだけを考えていたら、この尾張はいつまで経っても変わらない。
あなたは知事なのに、議会の空気に従うだけなのか?」
義統は目を閉じ、拳を軽く握る。
誰の言葉にも強く反応せず、ずっと“整える者”として生きてきた彼にとって、
この挑発は、“役割”を越えた問いだった。
—
空気が沈む。
義統は深く息を吸い込み、議場を見渡す。
議員たちの視線は、信友へ。
けれど、ただ一つの視線だけが、正面から自分に向いていた。
信長の目だ。
義統は口を開いた。
「……私が知事である以上、尾張のために必要な選択をする責務がある」
信友が眉をひそめる。
それは予定された言葉ではなかった。
「この予算案には修正を加えるべきだ。
単に安定を求めるのではなく、民の生活を実質的に向上させるための施策を――入れるべきだ」
議場に静かな空気が走る。
誰も動かない。信友の表情も変わらない。
ただ、その指先が、資料の端をほんの少し握った。
「知事、それは既に議論済みの事項です。我々はこれ以上の修正を望んでいません」
義統は、それでも言葉を続ける。
「私が望むことではない。これは、民が求めていることだ」
信長はゆっくり背にもたれながら、にやりと笑う。
「知事……ようやく、自分の言葉を話しましたね」
—
義統が、その場に“在るだけの存在”ではなく、
“尾張の制度を動かす意思を持った人間”として息をした瞬間だった。
議会はまだ沈黙している。
でも――沈黙は、いずれ言葉の場所へ変わる。
読了ありがとうございます。
斯波義統という"整える者"が初めて自らの言葉で議場に響きを生んだ瞬間
その静かな変化が、尾張の空気を少しだけ動かしました。
次回は、制度の中で生まれた"響き"が誰に届き、誰を揺らすのか。
また覗いていただけたら、とても励みになります。




