第四幕 『風の声、届く場所』
第四幕『風の声、届く場所』
「……これさ、絶対変だよな?」
信長の声が控室に落ちる。
資料に指を差しながら、目だけで恒興に問いかける。
恒興はパンをかじったまま、首を伸ばして覗き込む。
「ん? あー、市民相談窓口の予算っすか。三年連続で同じ額。執行率も毎年98.6%……人員は年々減らされているのに、全部揃ってるって、逆に怖ぇわ。マジで」
信長がページをめくる手を止める。
「……こっちもだ。“西部地区予備費”、三年連続で同額って、おかしくねぇか?」
恒興がパンの包みを丸めながら、
「そこ、清洲派の地盤っすよ。地震の年も水害の年も金額そのまま。
“災害対策”って名目つけてるけど、使ってる気配ねぇんだよな」
信長が一枚の資料を指先で押さえながら、小さく息を吐く。
「整いすぎている……というか仕組まれてる感じがすんな」
控室の窓が僅かに揺れて、午後の光が紙の端に落ちている。
後ろから平手の声が穏やかに届く。
「制度は本来“整えて使う”ものです。けれど、整え方に“偏り”があれば、仕組みそのものが歪みます。
名目と中身が一致していないとき、制度は“支配の道具”にもなります」
「ふぅ〜ん」怪訝そうな顔を浮かべながら信長が呟く。
一呼吸のあと、ふと信長は資料から目を離した。
なぁ平じぃ。“勝幡派”って言うけどさ……なんで本部は那古野なんだ?
勝幡って、親父が旗を立てた場所だろ?」
平手は信長の突然の質問に面食らった顔をしたが、少しだけ目を細め、懐かしむように語り始めた。
「信秀様も、かつては清洲派に身を置かれていました。
しかし、議会の論理だけでは民の暮らしに届かぬと悟られ、勝幡の地にて新たな派閥を立ち上げられたのです。
“勝幡派”――それは、制度を民に近づけるための志の旗でした」
「勝幡は、信秀様が政治の原点を築かれた場所。
けれど那古野は、信長様が生まれ育った土地。
信秀様は、志は勝幡に、未来は那古野に託されたのではないかと……私はそう思っております」
信長は静かに頷く。
「志の名前は父のもの。拠点の景色は、俺のものか」
—
平手はさらに、もう一つの話題を切り出す。
「若。知事に立候補するには、六位以上の“位階”が必要です。
そして位階は、中央政府の推薦と元老院の承認が揃わなければ授与されません」
信長が再び怪訝そうな顔をする。
「ってことは、地元で支持されても、中央が“いいよ”って言わなきゃ立候補もできねぇ?」
「その通りです。形式と信任は別物。
つまり、その制度の中で“信頼される者”でなければなりません」
この仕組みは、中央が地方を“静かに管理”するために作られた名残です」
「“制度の入口”は、地元にはありません」
恒興が苦笑する。
「でもさ、今は実力でのし上がる奴もいるだろ? 位階を持つような“正統派の知事”なんて、もうほとんど見かけねぇよな」
平手は静かに頷いた。
「正式な知事が 居ない地域では、“知事代”と呼ばれる役職が制度の隙間を埋めています。知事が不在の場合、自治の実権は議会内の最大会派に委ねられることになっていて――尾張の場合は、清洲派の信友氏と岩倉派の信安氏がその資格を有しています。実際に尾張ではこの2人の影響力が強く、知事をも凌ぐつチカラを持っています。
もっとも、正式な知事が不在な地域では中央からの助成金を受け取ることができず、自治の運営に苦慮する例も少なくありません」
信長は椅子にもたれ、天井を見ながらつぶやいた。
「じゃあ今の尾張は、名目の知事が座り助成金をもらっているが、実際に動かしてるのは信友と信安ってことか。
……面白ぇじゃん。制度の“顔”と“手”が別々ってことだな」
恒興が苦笑する。
「信友らはその“手”で、いろんな甘い汁吸ってるっぽいな」
信長は紙束の角を折った。
「制度を使うってのは、そういうことか。じゃあ俺は、その整いすぎた“形”を一回崩してみるよ。
で、ちゃんと誰にどれだけ届くか、“整え直してみる”」
—
翌朝、控室の窓から光が差し込んだ。
信長は一晩中見ていた資料の束に、ようやく付箋を貼った。
【制度は止まってるふりして、誰かの都合で走ってる】
その言葉を見届けるように、ひらりと小さな折り紙が風に揺れた。




