第三十八幕『清洲の静寂』
第三十八幕『清洲の静寂』
会議室の扉が、静かに音を立てて開いた。
午後の光が廊下の窓から差し込み、床に淡い影を落とす。
吉良義安と水野信元が、並んで入室する。
義安の足取りはわずかに揺れ、水野は一歩ごとに空気を測るようだった。
佐久間が席を示す。「どうぞ、おかけください。」
椅子に腰を下ろすと、義安は指先を組み、視線を落とした。
その手はわずかに震えていた。
水野は背筋を伸ばし、信長の机に目を向ける。
その瞳には、読み慣れた議会の空気を探る冷静さと、わずかな焦りが混じっていた。
信長はコーヒーを口に運びながら、書類に目を通していた。
その動きは静かで、しかし一つひとつが意味を持っていた。
彼の沈黙が、場の温度をじわじわと下げていく。
「三河の現状について聞かせてもらおう。
駿河文教党の影響は、どこまで及んでいる?」
義安は低く息を吐き、言葉を選ぶように口を開いた。
その声は、喉の奥で何度も形を変えた末にようやく出てきたものだった。
「……三河は、すでに文教党の支配下にあります。
私は造反し、追われました。
今は……戻る場所がありません。」
その言葉に、部屋の空気がわずかに沈んだ。
義安の目は机の縁を見つめたまま、動かない。
その視線の先に、かつての故郷があるようだった。
水野が、静かに言葉を継いだ。
その声は、議会で何度も鍛えられた響きを持っていたが、今は少しだけ揺れていた。
「今川義元の力は確かに増しています。
ですが、私は尾張議会の議員です。
文教党に籍を置いていたこともありますが、それは尾張の利益を守るための選択でした。」
私は、尾張の議員として、尾張の未来を見据えて動いています。」
勝家が眉をひそめる。
その視線には、過去の鞍替えへの警戒が滲んでいた。
「要するに、親勝幡派と文教党を行き来して、保身を図っている……そういうことか。」
水野は肩をすくめ、苦笑した。
だがその笑みは、どこか痛みを含んでいた。
「生き残るためには、柔軟であるべきでしょう?」
林秀貞が資料をめくりながら、冷静に言葉を挟む。
その手の動きは機械的だが、目は水野の表情を見逃していなかった。
「とはいえ、三河に文教党の影響が根付いた今、
水野殿がどこまで動けるかは、議会内でも疑問視されています。」
恒興はコーヒーを片手に持ち、静かに視線を落とした。
彼の沈黙は、言葉より重かった。
「問題は、二人が何を望んでいるかだ。
我々に、何を求めている?」
義安が深く息を吸い、視線を上げる。
その瞳には、揺るぎない決意が宿っていた。
だがその奥には、切り捨てられることへの恐れも、確かにあった。
「……救援を。」
信長はコーヒーを置き、指を組んだ。
その動きに、場の空気がわずかに揺れた。
彼の目は、義安ではなく水野を見ていた。
水野が慎重に言葉を継ぐ。
その声は、議会の場では決して見せない、個人としての願いを含んでいた。
「尾張が三河に介入できるなら、私は協力します。
尾張と三河を繋ぐ役割を、私に担わせていただきたい。」
信長は短く息を吐き、微かに笑った。
その笑みは、試すようなものだった。
「協力とは、具体的に何を指す?」
水野は一瞬ためらい、小さく息を吐いた。
その沈黙の中に、彼の過去と未来が交差していた。
「私の立場を保証し、尾張の意志を三河に届ける橋渡しを――」
信長は静かに水野を見つめ、低く言葉を落とす。
「……三河の未来は、簡単には決まらない。」
その言葉が、執務室の空気をさらに重くした。
窓の外で風が枝を揺らし、午後の光がわずかに傾いた。
誰もが、次の言葉を待っていた。
だが、それはまだ訪れなかった。
第三十八幕では、吉良義安と水野信元が清洲に姿を現し、三河の現状と駿河文教党の影響を語りました。 義安は故郷を失い救援を求め、水野は尾張と三河を繋ぐ役割を担いたいと訴えます。 しかし、過去の鞍替えへの警戒や議会の沈黙が重くのしかかり、信長の言葉は「三河の未来は簡単には決まらない」と静かに場を締めました。
救援の声と橋渡しの願い――その狭間で、尾張は次の一手を選ばねばならない。 静寂の中に漂う緊張は、やがて大きな決断へと繋がっていきます。




