第二十五幕 『逆境の帳と決意の火』
第二十五幕『逆境の帳と決意の火』
障子越しに流れ込む蝉の声だけが、事務所を重く満たしている。
義銀は肩を落とし、机に手をついた。
「……負けたか。」
貞勝がそっと近づき、低い声で言った。
「惜しかったですね。でも、ここまで善戦したのは本当に立派なことです」
義銀は俯いたまま、机の上に置かれた巻物に視線を落とす。そこには、以前信長が示した一節が記されている。
村井が巻物を手に取り、文字を追いながら呟いた。
「信長さんの言葉、いつも答えが一つじゃないんですよね。“手を組め”…その手、誰の手なんでしょうか」
義銀はゆっくりと顔を上げ、巻物を広げ直して墨痕を撫でるように指を動かした。
「誰かの手でも、自分の手でも。動かなきゃ何も変わらないなら、立ち止まってる場合じゃないのかもしれませんね」
その言葉に、貞勝は苦笑を浮かべ、ぼそっと漏らした。
「信長さんって、余白に書き込むクセ、絶対直りませんよね。公文書なのに」
重苦しい空気を破るように、恒興が声を張った。
「信長さんはどうしてるんだ?」
利家も視線を向ける。
「窓際、あそこに――」
障子の向こう、月明かりに浮かぶ二つの影。
信長は振り返り、薄く笑むと肩越しに答えた。
「負けたって?いや、まだ終わっちゃいねぇよ」
長秀が巻物の本文を指で辿りながら冷静に分析を始める。
「清洲派の組織票はほぼ固まっていた。だが、銀さんの支持は大きく伸びている。次がある」
義銀の瞳が、微かに光を取り戻す。
「次…?」
信長は腕を組み、窓外の闇を見据える。
「選挙戦は終わったが、戦そのものは終わっちゃいねぇ」
──数日後、街に飛び交う噂が現実となった。──
「清洲派・信友陣営、違法な資金提供と票買収の疑いで捜査進行中。坂井大膳氏も関与か」
掲示板や新聞一面が赤く染まる中、事務所には再び人々の声が集まった。
長秀が巻物をめくりながら淡々と呟く。
「予想通りだな。俺たちは負けたと思ってたけど、結果的に勝負は続いてたってわけだ」
恒興が苦笑し、肩を竦める。
「信友さん、これはもう終わりだろ」
利家は腕を組み、確信を込めて言った。
「泥を塗られた清洲派に未来はない」
信長は机に軽く手を置き、義銀を見つめる。
「ほらな。俺の言った通りだ。負けたと思った瞬間が、実は始まりだった」
義銀はゆっくりと顔を上げ、小さく頷いた。
蒼白い夜明けの光が、障子の隙間から差し込む。
──敗北と逆転を経て、新たな戦いの幕が上がる。
第二十五幕、ご覧いただきありがとうございました。 今回は、敗北の静けさの中で、義銀が言葉を拾い直し、戦の続きが静かに告げられる場面を描きました。
「負けたと思った瞬間が、実は始まりだった」 信長の言葉が、構造の奥に潜んでいた“決意の火”を照らします。
選挙戦は終わっても、尾張の政は止まらない。 信友陣営の崩れが、逆境の帳を静かにめくり、次の幕を開きました。
次幕では、義銀の言葉が再び場に届くかどうか。 引き続き、静かな時間にお付き合いいただければ嬉しいです。




