第二十四幕 『蝉と提灯と戦略地図』
第二十四幕『蝉と提灯と戦略地図』
尾張の夏。陽射しが街路に溶け込み、蝉の声が風に散る。提灯が揺れ、商店街は祭りの準備にざわめいていた。
義銀は丹羽長秀の選挙事務所に籠もり、回る扇風機の音と広げられた地図に向き合っている。熱気が入るたびに、額の汗をぬぐった。
「この地区、祭りと重なりますね。人の流れが多い」
丹羽は地図の一角を指し示し、戦略家の眼差しで続ける。
「ここは清洲派の地盤だ。ただ、祭りは“話せる場”にもなる。集まる人が多いぶん、言葉が届く可能性も高まる」
恒興が資料を差し出しつつ告げる。
「信長さんのほうでも、ひまわり街道での演説が許可されました。派手な場所ですけど、“祭りの中に政治がある”という印象は強いはずです」
丹羽は微笑みながら扇子を開く。
「演説は言葉の祭りみたいなものだ。ただし、裏に想いがなければ、すぐに流される」
義銀は視線を落とした。祭りの喧騒に紛れ込む政治の火種を、背中で確かに感じている。
外では子どもたちが太鼓に合わせて踊りの練習をしていた。リズムが室内まで届く。
「尾張って……こんなに人の熱があるんですね」
「だからこそ政治が必要になる。あなたの言葉で、この熱を動かすんだ。焦らず、でも確実に」
選挙戦開始を告げる掲示が、各町の回覧に貼られた。
街には「知事選告示」の旗が揺れ、商店街では噂が踊る。「斯波家の義統さんの息子だってさ」
「若いけど、弔いの意味もあるらしい。信長さんのお墨付き、って話だよ」提灯の灯りの下、魚屋と八百屋が選挙について語り合う。普段の井戸端会議が、今日は選挙の身近な話題に変わっていた。
勝幡派事務所では、丹羽が書類を束ね、村井貞勝が地図を前に作戦を練っている。
「銀さんの演説文、先ほどの素案に祭り会場前での導入を加えました。人の熱気をすくい取るような一言から始める形です」
村井はその改訂稿を義銀に差し出し、「路地裏の声を拾って語りかければ、“政治”が怖くないと感じてもらえるはずです」と続けた。
別室。義銀は部屋の奥に用意された机に向かい、村井が届けてくれた改訂原稿を何度も読み返している。ページには丹羽のアドバイスが書き込まれ、そこに自分の想いが重なる余地がまだ残っていることを感じていた。
「尾張のために、僕は何を語るべきか――」
蝉の声が背中を押すように響き、義銀はペンを取り直して、自らの言葉で導入を練り直し始めた。
—
同時刻、清州派事務局。信友は昌高との会談を終え、幹部たちと資料を広げた。
「昌高殿は格式はあるが、言葉が弱い。義銀の挑戦で“継承者と挑戦者”の図式が鮮明になった」
幹部が「候補変更は?」と問えば、信友は即座に首を振る。
「今さら動かせぬ。昌高で押す。言葉はこちらで補えばいい。組織はあるのだから」
政の音は屋台の太鼓と交じり合い、商店街をゆっくりと浸透していった。
そしてひまわり街道から少し外れた神社前の広場。裃姿の斯波昌高が丁重に一礼し、壇上に立つ。
「皆さまの安寧を守るべく、斯波家として責務を果たす所存です。何卒、宜しくお願い申し上げます」
言葉は正確に整っていたが、風に乗らず空に消えていく。聴衆の一部は頷いたものの、端からぽつりぽつりとひまわり街道へ戻っていった。
信友は遠目に昌高を見つめ、扇子を静かにたたむ。
隣の坂井大膳が小声でつぶやく。
「丁寧ではあるが、響かぬな」
信友は眉をわずかに動かし、「格式だけの時代ではない、か……」と返した。
事務所に戻ると、机の上に選挙運動計画書や推薦状、ちらし案が積まれている。その中に、宛名のない小封筒が一枚紛れていた。坂井は指でそっと整え、触れるのをためらった。
—
夜。ひまわり街道の掲示板に義銀の名前が貼り出され、人々が足を止める。
子どもが提灯の間を走り抜け、その先に立てられた名前に、一人の男性の影が止まった。
「……銀か。本当に出るのか」
蝉の声が、いつもより少し深く響いていた。
男性は立ち尽くしたまま、夏の夜風に揺れる提灯を見上げている。
その瞳に映るのは、祭りの熱と選挙の火種を抱えた若き青年の背中だった。
――夏空の下、尾張の未来を懸けた第一声へ。
第二十四幕、ご覧いただきありがとうございました。 今回は、尾張の夏の熱気の中で、言葉と格式が交差し、選挙戦の火種が街へと浸透していく様子を描きました。
蝉の声、提灯の灯り、太鼓の音――そのすべてが、政治の言葉を包み込む背景となり、義銀の第一声を静かに押し出していきます。
一方で、昌高の言葉は整っていても、風に乗らず空に消えていく。 「格式だけの時代ではない」――その言葉が、尾張の構造に微かな揺らぎをもたらします。
次幕では、義銀の言葉が祭りの熱にどう響くのか。 そして、掲示板の前に立ち尽くす“あの影”が何を見ていたのか。 引き続き、静かな時間にお付き合いいただければ嬉しいです。




