第十七幕 『岩倉の手』
第十七幕『岩倉の手』
料亭「霞清庵」。季節の花がそっと生けられた廊下を、坂井大膳が静かに歩いていた。
その背後を、織田信安が無言でついていく。
離れの座敷に入る直前、大膳が軽く頭を下げる。
「こちらになります……どうぞ」
信安はわずかに頷き、障子の先へと足を進める。
そこには、すでに席に着いている信友の姿があった。
信安が対座すると、信友が静かに口を開いた。
「尾張の仕組みに、別の手が差し込まれました。義統が信長と組むなら、誤解を呼ぶ可能性もあります」
信安は膳に目を落としながら答える。
「誤解というより、“意図を読ませるような動き”でしょうな。
器に動きがあったというより、その周辺が騒がしくなった」
信安が表情を変えず、淡々と返す。
「政務の範疇ではなく、“流れを変えようとする意志”ですな。あの席から風を通したいのかもしれません」
信友は静かに箸を置き、視線を落とす。
「うん。知事の席に“座ること”じゃない。誰が“席の空気”を動かしてるかがすべてだ。
……その意味を、もう一度思い出してもらう必要があります」
信安は軽く盃を傾け、くぐもった声で言う。
「そのためには、議会の空気から整える必要がありますな。予算審議で方向性を提示すれば、“誤った流れ”は自然と留まるかと」
信友が短く頷く。
「こちらは手を動かします。そちらは重みを見せていただければ十分です」
—
膳が二巡した頃。信安がふと、視線を湯気の向こうに投げる。
「我が家も近頃、“次に据える”者を決めかねておりましてな。
後継をどちらにすべきか、迷っているのですよ。器も違えば、風も違う。
ただ、“座らせたい”のではなく、“座ってから何を動かすか”で選ぶべきかと」
信友は表情を変えず、短く答える。
位置ではなく、周りに生まれる動きです。
誰を立てるかより、誰が他者を動かすか――それが選びどころです」
信安は盃をそっと置く。その瞳は何かを見つめていたが、それを言葉にはしなかった。
—
膳の終わり際、信友が一言だけ口を開く。
「義統をもとの場所に戻す。それがすべてです。
その席が誰のために置かれているのか――静かに知らしめるだけでいい」
信安が目を細めて言った。
「ええ。こちらも仕上げます。……岩倉の手らしく」
第十七幕『岩倉の手』、ご覧いただきありがとうございました。 今回は、“座ること”ではなく、“座った後に何が動くか”をめぐる静かな対話を描きました。 岩倉の手――それは、直接触れずとも空気を整える“仕上げの手”。
朝読んでくださる方へ。 一日の始まりに、静かな揺れと余韻がそっと届いていれば嬉しく思います。
次幕では、風の通り道が少しだけ変わるかもしれません。 引き続き、静かな時間にお付き合いいただければ幸いです。




