足跡
腹に一発入れられて、転がったところに蹴りが飛ぶ。
「あんなにお金使いまくったら足跡つけてるのと一緒だよ、お兄さん」
グレーのスーツにネクタイを締めた男が足首を回しながら言う。
物音に驚いた黒猫が路地の奥へと逃げていった。
「あっちでヴーヴ、そっちでクリュッグ、こっちでベルエポ、三軒隣にソウメイ入れたら次はアルマンド。別の店じゃピンドンにクリスタルときたもんだ」
右手で髪を掴まれて思わずうめき声が漏れる。容赦のないデカい手。
「全部でいくら使ったの、ん?」
目の下にふたつ、縦に並んだ黒子が喋る度に上下する。
「嬢の指名もやんねぇでさ、同じ店で同じ注文して、それを半年もやっちゃあ気味悪がられるって思わなかった?」
口の端は上がっていてしっかり笑顔のはずなのに、目はどろりと闇みたいに暗い。
「お兄さん」と男が言う。
「どこの回し者? 何か指示でももらってんだったら、とっとと言ってもらえると助かるんだけどな」
痛いことすんの、俺も痛くなるからヤなんだよなぁと、男は首を掻いた。
「ね」
男が圧をかけるようにグイと顔を近付けたので、俺は「しめた」とばかりに首を伸ばしてキスをした。
想定外だったのか、男は驚いて俺から手を離すと、数歩、後退った。
今までに見たことのない表情を浮かべている。
軽く混乱している様子の相手に向かって、俺は笑顔で言った。
「これだけ豪遊したら、来てくれると思ったんだ」
黒服をしていたキャバクラで男を見て、一目惚れしたのが4年前のこと。
この辺りの店のケツモチをしている組の人間だと聞かされた。
会いたい。
でも黒服風情じゃ、視線のひとつすら貰えない。
どうすれば男に近付けるのかを考えた末に、俺は思った。
見付けてもらえばいいんだ。
出来るだけ目立つよう、この界隈で噂になるぐらい金を使いまくる。
ただの上客じゃ意味がない。
何かしら不自然な、ほんの少しの違和感を抱かせるのだ。
こちらが仕掛けた網へ、男が掛かるように。
「俺のこと、見付けてくれてありがとう」
俺が指名したいのは、この男だけ。
楽しい夜は、まだ始まったばかりだ。