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【短編】ホラー短編シリーズ

私たちは覗かれている

作者: 烏川 ハル

   

「俺たちの生活は政府に監視されている! 至るところに盗聴器やカメラが仕掛けてられているぞ!」

 と声高に叫ぶ者がいても、つまらない冗談として聞き流したり、あるいは本気で言っているようならば、頭のおかしい人として距離を取ったりするのが普通だろう。

 かつては私も、それが常識的な行動だと思っていた。しかし現在では違う。

 私たちの日々の暮らしは確かに、政府機関のような大きな組織に見張られている。そう信じるようになってしまった。

 このように私を変遷させるきっかけとなった、そもそもの話の始まりは……。

   

――――――――――――

   

「なあ、田中。学校の怪談みたいな話で、よく鏡が出てくるよな? ほら、幽霊だったり自分の死に顔だったりが映るとか、鏡の中に引きずり込まれるとか……」

 同僚の山本がそう切り出したのは、社員食堂で昼飯を食べている最中だった。


 私たちは別に、都市伝説や怪談の(たぐ)いについて語っていたわけではない。食事中の雑談として突然持ち出すにしては、あまり相応しくない話題のようにも感じられた。

 見れば、山本は深刻そうな顔をしている。どうやら他愛(たわい)ないおしゃべりとは違うらしい、と察することは出来たが、とりあえずは単なる雑談として対応する。

「ああ、鏡の怪談か。音楽室のピアノや理科室の人体模型と並んで、その手の話の定番だろうな」

「そう、それだ。ああいう話って、例えば『草木も眠る丑三つ時』みたいに、普通は真夜中だよな……?」


 まだ山本は半分も食べていないのに、それ以上は料理を口に運ぼうとしていなかった。ただ所在なさげに、箸で(つつ)くだけだ。

「どうしたんだ、何か心配事か? 食事も喉を通らない、って感じだぞ」

「いや、そこまで大袈裟な話じゃないんだけど……」

 気は進まないようだが、食事の手を再び動かし始める。ポテトサラダを一口、飲み込んでから顔を上げて、山本はポツリと呟いた。

「……うちの鏡、どうも様子が変なんだ。真夜中どころか、まだ宵の口。だいたい夜の八時頃に、ありえない光景が映るんだから」

   

――――――――――――

   

 私と同じく、山本は独身。妻どころか恋人もおらず、ワンルームマンションで一人暮らしだ。

 仕事は忙しく、残業も多いので、部屋に帰り着くのは夜の十時を過ぎる場合が多い。しかし先日、たまたま早く帰宅できた夜に……。

「たまには自分で何か作って食べよう。そう思って、珍しく台所に立ったんだが……」

 ちょうど流し台の上に、鏡が備え付けられている。

 ふと顔を上げて、その鏡を覗き込むと……。

「……その鏡に、俺の姿が映ってなかったんだ! 俺の後ろにある壁は、ちゃんと鏡に映ってるのに!」


「首から上だけでなく、全身が映らなかったんだな? だったら、鏡に映らない怪物みたいな感じか……」

「そう、そんな感じだ。だけど『鏡に映らない怪物』とは違うぜ。俺は透明人間でも吸血鬼でもないからな」


 驚きながらも冷静に、視線を下に下げて、自分の体が肉眼では見えるのを――(おのれ)自身が透明になったわけではないことを――確認したという。

 また「吸血鬼は鏡に映らない」みたいな伝承も思い出し、すぐに台所から移動。ベッドの近くにある鏡や、風呂場の鏡ならば姿が映るのも確かめた。


「だから、おかしいのは俺自身じゃない。うちの鏡、それも台所の鏡だけがおかしくなった。その時は、そう結論づけたんだが……」

 再び食事の手が止まる。いっそう表情を暗くして、山本は言葉を続けた。

「……よく考えてみたら『ありえない光景が映る』という話自体、ありえないことじゃないか」

「だけど山本は、確かに見たのだろう? 自分の姿だけが映っていない、という状態の鏡を」

「そう、そこがポイントだ。俺は確かに『見た』と思ったけど……。もしかしたら俺自身が――それもさっきの検討みたいに『肉体的に』って話じゃなくて――精神的におかしいんじゃないか。頭がどうかしちゃったんじゃないか。そんな可能性の方が、現実的じゃないか!」

   

――――――――――――

   

 いつのまにか山本は、少し声を荒げている。(ほか)のテーブルから、いくつか奇異の視線も向けられるほどだった。

 私は軽く両手を前に出して、落ち着かせるような身振りを示してから、口でも彼の気持ちを和らげようと努める。

「おいおい、そんなに悲観的に考える必要もないだろう? しょせん一度きりの出来事なら、ただの目の錯覚とか……」


 しかし山本は、私の言葉を遮るようにして、首を横に振っていた。

「いや、一度だけじゃない。それから数日後に、また異変が起きたんだ」

「それも……。やはり『ありえない光景』だったのか?」

 黙って頷いてから、彼は話を続ける。

「しかも今回は、ただ『ありえない』だけじゃない。おそらく俺の願望が混じってたんだろうな。鏡の中では、俺が映ってないだけじゃなく、代わりに……」

 山本の顔に、不思議な笑みが浮かぶ。嬉しいような悲しいような、微妙な表情になっていた。

「……俺より少し若いくらいの女性が、ウキウキした態度で料理を作ってたんだ!」


 顔立ちは面長で、すらりとしたスレンダー体型の女性だった。

 おそらく部屋着なのだろう。紺色のジャージを着て、長い黒髪は太めのヘアゴムで束ねていた。

 その数日前に(おのれ)の姿だけ鏡に映らなかった時と同様、背景に見えているのは台所の壁。つまり、山本の部屋の台所なのに山本はおらず、代わりに彼女が料理している……というシチュエーションだったのだ。


「こんな女性が嫁さんだったらいいな、とか。こんな女性と同棲したいな、とか。そう感じるくらい、魅力的な女性だったよ。もしも自分の願望を鏡の中に見てるんだとしたら……」

 山本の表情に、悲嘆の色が濃くなっていく。

「……もはやそれは、幻覚や妄想の(たぐ)いだろ? これって、精神的な病気じゃないのか?」

   

――――――――――――

   

 翌日から山本は、会社を休み始めた。体調を崩して――頭痛と吐き気が酷くて――寝込んでいるという。

 彼が休むようになって二日目に、私は仕事の後、見舞いを兼ねて彼のマンションを訪れることにした。


 私が山本の部屋を訪れるのは、今回が初めてだった。

 ドアを開けて入ると、まずは狭くて短い廊下。これが一応は台所に相当しており、左側にコンロや流し台などが設置されている。右側には風呂とトイレがあった。

 この「狭くて短い廊下」の奥にあるのがメインの部屋だ。一人暮らし用のワンルームマンションとしては、よくある間取りだろう。だいたい私のところと同じだが……。

 私のところとは大きく異なる点として、妙に鏡が多かった。社員食堂で話を聞いた時にも、少し気になっていたポイントだ。

 台所の流しの上に一つ、風呂場に一つ、さらにメインの部屋にもベッドの横に一つ。全部で三つも鏡が設置されていたのだ。


 しかし、それらを詳しく調べるのは後回し。まずは、ベッドで横になっていた山本に声をかける。

「具合はどうだ? 病院には行ったのか?」

「心療内科とか精神科には、まだ行ってないぜ。普通の内科で診てもらっただけだが、特に異常は見当たらないって診断だった」

 私が訪ねてきたので、かえって気を使わせてしまったのだろうか。山本は(つら)そうな顔色なのに、ベッドから起き上がろうとしていた。

 私は両手を突き出す格好で、慌てて彼を制止する。

「いやいや、無理するなよ。体調が悪いんだから、そのまま寝ていてくれ」

「悪いな、何もお構い出来ずに……」

 再び彼が横たわったのを確認してから、台所へ戻る。問題の鏡を、よく観察したかったのだ。

   

――――――――――――

   

 流し台の上に据え付けられた鏡は、私の部屋にある鏡とは明らかに違うが、それでも見覚えがあった。

 家具屋や雑貨屋などで普通に売っているタイプだ。私自身はその手の店に行く機会はないけれど、ホームセンターで買物をする際それっぽい売場を通りかかることはあるし、そこで何度も見かけていた。

 最近よく見かけるようになったデザインなのだ。

 特徴的なのは、四隅にある小さな黒丸の装飾。四つとも直接鏡面に(ほどこ)されているものの、ほんの数ミリ以下のサイズだから邪魔にならない。そんな飾りだった。

 ついでに(ほか)の二つも確認してみたが、どれも同じ装飾付きの鏡だった。入居者である山本が持ち込んだものではなく、元々あった鏡なのだから、三つとも同じタイプなのは当然だろう。


「この鏡……。昨日や今日は普通だったのか? それとも、また『ありえない光景』が……?」

 ベッドの山本に、改めて声をかける。既に夜の九時を回っているから、異変が起こるという時刻は過ぎているはずだった。

「ああ、八時くらいに一応、その前に立ってみたよ。怖いけど、ビクビクしながらな。でも二日とも大丈夫だった。あれが見えるのは毎日じゃないらしい」

「もう怪異は終わったのかもしれないな」

「俺もそう期待したくなるが……。でも期待し過ぎて裏切られたら、その分ショックもでかい。いつまた何が見えてもいいように、気持ちだけは構えておくさ」

   

――――――――――――

   

 おそらくは今回の事件が原因で体調まで崩したくせに、山本は強気な言葉を口にしていた。

 私は私で、何か解明の手がかりはないかと藁にもすがる思いで、問題の鏡にそっと触れてみる。もちろん鏡面をベタベタ触るのは良くないから、あくまでも端の方だけだったが……。


「……?」

 ほんの一瞬、強烈な違和感を覚えてしまう。

 鏡に映る私自身の姿が、一緒に見えている後ろの壁も含めて、少しだけ暗くなったように感じられたのだ。

 いや「暗くなった」だけではない。見え方が角度的に若干、歪んだみたいな感じもあった。

 どちらも、あくまでも「ほんの一瞬」に過ぎない。ちょうど左上にある黒丸の飾りに触れたタイミングだった。

 この装飾に、何か特別な意味があるのだろうか? 再度検証のため、もう一度そこに触ろうと手を伸ばすが……。


「田中、どうした? 何か見つけたのか?」

 横になったままの山本が、こちらに声をかけてきた。

 私は手を引っ込めて、つい否定してしまう。

「いや、何でもない。やっぱり私にも、よくわからないな。ごくごく普通の鏡に見えるぞ」

 正直に言うのであれば、山本とは少し違う種類の異常に遭遇したことになる。

 しかし、この「山本とは少し違う種類の」という点が心配になったのだ。もしも同じ異変ならば、山本も私も正常で鏡の方に問題がある(あかし)になるけれど、これでは二人の方こそ異常と考えるのが自然ではないか。

 ならば今は、山本には黙っておこう。これ以上この鏡について探るのも、むしろ私自身を不安にする可能性があるから控えた方がいい。

 そう判断したのだった。

   

――――――――――――

   

 その翌日も山本は出社せず、彼の欠勤は一週間も続いた。

 そのうちに「山本は入院した」という噂が流れ始める。私が見舞った様子では、それほど重い病気には見えなかったから、もしかして検査入院だろうか。あるいは、本当に症状が悪化したのだろうか。

「まあ『(やまい)は気から』とも言うし……。むしろ病院で色々と調べてもらった方が、山本も早く良くなるかもしれない」

 と、私は軽く考えていたのだが……。


 人間なんて、あっけないものだ。

 なんと山本は、院内感染で酷い肺炎をもらってしまい、そのせいでポックリ逝ってしまった。

 会社の同僚たちも彼の死を悲しむ中。

 私は一人、彼から生前あの鏡について聞かされた影響で、妙な心配を抱え込んでしまう。

「山本の死因って、本当に肺炎だけが理由だったのか? まさか鏡の怪異が呪いの(たぐ)いを生み出して、それに呪い殺されて……みたいな話ではないだろうな?」

 山本の状況とは異なるものの、私もあの台所の鏡で、少しおかしな見え方に遭遇しているのだ。もしもあれが呪いに関わるとしたら、いずれは私も……。

   

――――――――――――

   

 それから一ヶ月後。

 私が(いだ)いていた不安は、ひょんなことから解消される。きっかけは、見ず知らずの女子高生たちだった。


「はい、撮るよー。こっち向いてー」

 そんな声が聞こえてきたのは、一人でファミレスに入り、ランチを食べていた時だ。

 見れば、二つ隣のテーブルで、制服の女子高生たちがキャッキャと騒いでいた。

 三人並んで、自分たちにスマホを向けている。いわゆる自撮りというやつだろう。


「今はスマホがカメラ代わりか。便利な時代になったものだな……」

 年寄りじみた独り言を口にしながら、ふと自分のスマホを取り出してみる。

 かくいう私も若い頃とは異なり、デジカメなんて持ち歩かない習慣になっていた。スマホ一つで十分だからだ。

 デジカメなどとは異なり、特にスマホが便利なのは、カメラが両面にあることだろう。裏側にあるメインのカメラとは別に、画面側にもカメラのレンズが用意されているからこそ、自撮りのような「画面を見ながら――映っている自分を確認しながら――撮影する」という行為も簡単なわけで……。


 そんなことを考えたついでに、私もスマホの撮影モードを切り替えてみた。

 画面側のレンズにすると、まるで鏡みたいに、スマホ画面に自分の顔が映し出される。

 ただし少し角度に違和感を覚えるのは、レンズの位置のせいだろう。画面中央にあったら邪魔だから、例えば私のスマホの場合、画面上端に設置されている。画面上端のカメラで捉えた画像なのに、私の視線は自然に画面中央へ向けられるから、その分だけ角度が歪んでしまうのだが……。


「おや? この歪み方は……!」

 その角度の歪みには、スマホとは別の何かで最近、見覚えがあった。

 しかも改めて確認するまでもなく、スマホの画面側のカメラは、外見的には直径が数ミリ以下の黒丸だ。これは……。

「……あの鏡と同じだ!」

   

――――――――――――

   

 スマホの画面と似たようなもの。

 そう考えれば、全て説明できるではないか。

 最初から怪異なんてなかったのだ。

 純然たる科学的な現象に過ぎなかったのだ。


 あれは鏡ではない。鏡のように見えたけれど、人々にそう思わせているだけ。本当は、映像を映し出す画面だったのだろう。

 その映像を撮っているのは、四隅のカメラ。あの小さな黒丸だ。

 中央にカメラを設置したら鏡としては邪魔だから、あくまでも隅っこに置く。ただし一つではスマホ画面みたいに角度が歪んでしまうので、上下左右に配置して、四方向から撮っておく。四つの映像を元にすれば「中央からならば、こう見えるはず」というのもリアルタイムで合成できるだろう。


 私が黒丸の一つに触れた際、少し暗くなったのは、レンズの一つを塞いでしまったから。

 いや「暗くなった」だけではない。見え方の角度が少し歪んだのも、三方向から撮った――方向が一つ足りない――合成になったから。

 私が遭遇した異常は、これで説明できるのだ!


 ならば、山本が見た「ありえない光景」はどうだろう?

 まずは最初の「彼自身は映っていないのに、後ろの壁は映っている」というケース。

 山本の姿が映っていない以上、あれは山本の部屋の鏡から撮った映像ではないはずだ。山本の部屋でないならば、別の部屋なのだろう。

 彼は「後ろの壁は映っている」と判断してしまったが、同じマンションならば壁などは同じはず。一般的にマンションの室内レイアウトは、一つ隣は向きが左右反転しているものだから、あれは二つ隣だったり四つ隣だったり、あるいは上の階や下の階かもしれない。

 いずれにせよ、同じマンションの別の部屋だ。それならば「彼自身の代わりに、別の女性が料理を作っていた」というのも説明できるではないか。

 その女性のところの鏡から撮った映像が――最初の時は女性不在、次の時は彼女が在室中のタイミングで――何かの手違いにより、山本の部屋の鏡に流れ込んでしまったのだ。

   

――――――――――――

   

 しかし、こうやって考えていくと……。

 他の部屋の映像が間違って届いてしまうのであれば、例えば昔の電話の混線みたいな感じだろうか。

 そもそも映像の受信や送信が行われていなければ、混線の可能性も生じないはず。おそらく四隅のカメラで撮った映像の合成処理などは、薄い鏡の内部では行えず、いったん別の場所へ送って、そこで処理されて戻ってくるのだろう。

 いずれにせよ、あの鏡を介した映像は、どこかへ送られているのだ。


 あれは最近、世の中に多く出回っているタイプの鏡だ。その全てに、こっそりカメラが内蔵されているのだとしたら……。

 鏡を利用して人々の生活を覗き見ているのは、いったい誰なのか?


 一介の販売業者や製造業者に可能な策謀ではないだろう。

 この件には、政府機関みたいな大きな組織が介在しているに違いない。

 だから私は、こう結論づけるしかないのだ。

 私たち国民の生活は政府に監視されている、と。




(「私たちは覗かれている」完)

   

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