頑固職人はサクサク棒がお嫌い? ~菓子ギルドの憂鬱と未知の味~
わしはゲルト・シュナイダー。この街で菓子を作り続けて、早四十年になる。父から受け継いだこの石窯と、代々伝わる酵母で焼くライ麦パンとクッキーの滋味深い味には、絶対の自信を持っている。これこそが、この土地の風土が育んだ、まがい物ではない『本物の味』だと。
だというのに、今日のギルドの集会所は、まるで蜂の巣をつついたような騒ぎだった。議題は一つ。最近、市場の外れに現れた、あの異邦人の小僧のことだ。
「あんなものは菓子とは呼べん! 見た目ばかり派手で、まともな材料を使っているのかすら怪しい!」
「まったくだ! うちの子供らも、あの奇妙な味にすっかり夢中で、わしらの作る焼き菓子に見向きもしなくなった!」
「問題は値段だ! あの安さ! 我々が手間暇かけて、良質な粉とバターを使って作る菓子の価値が、地に落ちてしまうぞ!」
口々に上がる不満と不安の声。特に、若い衆や、流行り廃りに敏感な一部の者は、あの『駄菓子屋』とかいうふざけた店に客を奪われ、売上が落ち込んでいることに苛立ちを隠せずにいる。
わしは腕を組み、その喧々囂々たる議論を苦虫を噛み潰したような顔で聞いていた。
(ふん、何を騒いでいるのだ。あんなものは、一時の気の迷い。異邦人の小僧が、どこで覚えてきたのか知らんが、小手先の奇術で子供らを誑かしているに過ぎん)
この土地の厳しい冬を越すための、滋味深く、腹持ちの良いわしのライ麦パン。祝いの日に欠かせぬ、芳醇なバターと地元産の蜂蜜を使ったクッキー。長年培ってきた我々の技術と、代々受け継がれてきたこの土地の確かな味を、あんなポッと出の、正体不明のまがい物に脅かされてたまるものか。わしの矜持が、それを許さない。
「まあまあ、皆さん落ち着いて」
穏健派のギルド長、ハンス殿が宥めるように言うが、声には力がなかった。彼もまた、この状況に頭を悩ませているのだろう。
「しかし、あの男のやり方は、確かに市場の秩序を乱しかねん。何らかの対策は必要かもしれんな…」
結局、その日は具体的な結論も出ぬまま、集会は散会となった。わしは重い気分で、石畳の道を自宅兼工房へと歩いていた。
***
工房の扉を開けると、香ばしいパンの匂いと共に、小さな影が戸棚の後ろにサッと隠れるのが見えた。孫娘のクララだ。今年で八つになる、わしにとっては目に入れても痛くない存在だが、最近どうも様子がおかしい。
「クララ。そこにいるのは分かっているぞ。何を隠れて食べているんだ? 母さんには、わしが焼いたクッキーをおやつに出すよう言っておいただろう」
わしが低い声で言うと、クララはビクリと肩を震わせ、おずおずと姿を現した。その小さな手には、見慣れない、けばけばしい緑色の袋が握られている。細長い棒状の…菓子?
「お、おじいちゃん…ご、ごめんなさい…」
クララは俯きながらも、わしに見つかったその菓子を、まるで宝物のように大事そうに持っている。
「でもね、これ、市場の蜜夫さんのとこのお菓子なの! 『うまか棒』っていうの! すっごく美味しいんだよ! チーズの味がして、サクサクしてて…!」
「蜜夫」…あの異邦人の小僧の名か! しかも『うまか棒』だと? ふざけた名前だ! チーズ? あの高価な発酵乳の味だと? あんな安物で、そんなものができるはずがない!
「馬鹿者っ!」
思わず声が荒くなる。
「そんな得体の知れないものを口にするんじゃない! どこの馬の骨とも知れん奴が作ったものだ、体に毒かもしれんのだぞ!」
わしはクララの手から、その忌々しい袋をひったくろうとした。その拍子に、袋が破れ、中から黄土色の棒状の菓子が数本、床に転がり落ちた。そして、そのうちの一かけらが、わしの汚れたエプロンをかすめ、なぜか手のひらにぽとりと落ちたのだ。
反射的に、舌打ちしながらそれを口に放り込んでしまった。床に落ちたものを食べるなど、普段なら絶対にしない。だが、この得体の知れない菓子への嫌悪感が、わしをそうさせたのかもしれない。
(…っ!?)
口に入れた瞬間、わしは言葉を失った。
(な、なんだ、この食感は…!?)
軽い。信じられないほど軽い。まるで空気そのものを食べているかのようだ。噛むと、サクサクと小気味よい音がする。石窯でじっくり焼き上げた、わしのライ麦クッキーの持つ、しっかりとした歯ごたえとは全く違う。
(そして、この味は…!?)
濃厚な…塩気と、独特の酸味、そしてまろやかな風味。これが、クララの言っていた『ちーず』の味なのか? 異国の発酵乳の味。こんな複雑で強い味付け、どうやったら…? 油で揚げているのか? いや、それにしては油っこくない。この軽さは…? 粉は何を使っている?
長年菓子を作ってきたわしの知識と経験の、どれにも当てはまらない。未知の味、未知の食感。それが、わしの舌の上で、紛れもない『美味さ』として広がっていく。
内心の動揺を悟られまいと、わしは必死で表情を取り繕った。職人としての、四十年の矜持が邪魔をする。こんなものに心を動かされたなど、断じて認めるわけにはいかない。
「……くだらん! こんなもの、舌が馬鹿になるだけだ!」
吐き捨てるように言い、床に落ちた残りを工房の隅にある石炭ストーブに投げ込もうとした。しかし、目に涙をためてこちらを見上げるクララの悲しそうな顔を見て、その手が止まった。
「……もう二度と買うでないぞ。分かったな」
そう言うのが精一杯だった。クララはこくりと頷き、わしの足元に駆け寄ってきた。
工房の隅で、わしは手のひらに残った、あの『うまか棒』のかすかな匂いを嗅いでいた。あの未知の味は、まるで舌に焼き付いたかのように、強烈な印象を残していた。
***
翌日。わしは、普段使いの古い帽子を目深にかぶり、市場へと向かっていた。ギルドの連中には「少し市場の様子を見てくる」とだけ告げた。表向きは、あの忌々しい異邦人の店が、どれほど市場に影響を与えているのかを、この目で確かめるためだ。だが、心のどこかで、あの味が、あの光景が、気になっていたのかもしれない。
市場の外れ、以前は埃っぽい空き地だった場所に、その『駄菓子屋』はあった。粗末な板で作った陳列台に、色とりどりの、奇妙な包装紙に包まれた菓子が所狭しと並べられている。
(ふん、やはり安っぽいつくりだ…)
そう思ったのも束の間、わしは目を疑った。予想していた以上に、その小さな露店は人でごった返していたのだ。それも、ほとんどが子供たちだ。目をきらきらと輝かせ、なけなしの銅貨を握りしめて、あれがいい、これがいいと騒いでいる。
「蜜夫の兄ちゃん、これ当たり! もう一本!」
「やったー! ホームランだ! 見て見て!」
当たりくじ? ホームラン? よく分からないが、子供たちは小さな成功に歓声を上げ、外れた子は本気で悔しがっている。その表情は、驚くほど生き生きとしていた。
そして、あの異邦人、蜜夫とかいう若者。彼は、大柄な図体で狭い露店の中を動き回りながら、身振り手振りを交え、楽しそうに商品の説明をしている。時折、何か意味不明な言葉を発し、周囲の空気を一瞬凍りつかせたり、不可解な突風が吹いたり(気のせいか?)、物が落ちたりする奇妙な現象も起きているようだが、子供たちはそれすらも楽しんでいるように見える。
さらにわしを驚かせたのは、その客層の多様さだった。普段、我々ギルドの伝統的な菓子など見向きもしないはずの、森から来たという尖った耳を持つエルフの親子連れが、何やら緑色の練り菓子のようなものを真剣な表情で眺めている。山から下りてきたであろう、屈強なドワーフの男たちが、ビー玉の入った奇妙な瓶の構造について、蜜夫に熱心に質問している。
(馬鹿な…エルフが人間の子供の菓子に? ドワーフがあの安っぽい作りの瓶に興味を? なぜだ…なぜ、あんな異邦人の、安価で奇妙な菓子に、これほど多様な人々が集まるのだ…?)
わしが長年守り、作り続けてきた、この土地の『本物の味』にはない何かが、あの菓子にはあるとでもいうのか…? わしの頑なな価値観が、根底から揺さぶられるような感覚に襲われた。
***
重い足取りで市場を後にしようとした時、母親たちが井戸端会議をしている声が耳に入った。
「聞いた? 最近出回ってる『すっごい棒』とかいうやつ。蜜夫さんとこのにそっくりだけど、あれ、食べたらうちの子、お腹壊しちゃって…」
「まあ、うちもよ! 安いからって買うんじゃなかったわ。油が変な匂いしてたもの」
『すっごい棒』? 模倣品か。しかも、粗悪な。道端に目をやると、まさにその『すっごい棒』の無惨な残骸が捨てられていた。油が黒く滲み出し、鼻をつく異臭を放っている。わしは思わずそれを拾い上げ、顔をしかめた。
「……これは酷い。材料も、製法も、最低だ。食い物を、それも子供が口にするものを、なんだと思っているんだ!」
その時だった。ギルドの若手、エーリヒが仲間らしき男たちと路地の角で話しているのが目に入った。声は小さいが、風に乗って断片的に聞こえてくる。
「…まあ、あの異邦人も、これで少しは大人しくなるだろう。市場の『常識』を思い知ったはずだ」
「ああ、自業自得ってもんだな。こっちも少しは儲けさせてもらったしな…粗悪な材料を安く買い叩けたのは僥倖だった…」
(…なに!?)
わしは耳を疑った。エーリヒたちが、あの悪質な模倣品の製造や流通に関わっている…? しかも、それを「儲け」とまで言っている? あの子供たちの健康被害を知りながら…?
腹の底から、冷たい怒りが込み上げてきた。蜜夫への反感とは質の違う、職人としての、人間としての、真っ当な怒りだ。
「(許せん…!)」
我々職人は、誇りを持って菓子を作っているはずだ。たとえ相手が気に入らぬ異邦人であろうと、こんな卑劣なやり方で蹴落とすなど、断じて許されることではない! それでは、我々も地に落ちたも同然だ。長年仕えてきた、菓子の神様に顔向けができん!
わしの中で、ギルド内のエーリヒのような過激な動きに対する、明確な拒否感が生まれた。彼らとは、断じて相容れない。
***
工房に戻ったわしは、黙々とパン生地を捏ねていた。目の前には、焼き上がったばかりの、わしの誇る伝統的なライ麦クッキーが並んでいる。香ばしい匂い、素朴だが噛むほどに深まる味わい。これこそが本物だ、と自分に言い聞かせる。
しかし、どうしても頭の片隅から、あの『うまか棒』の衝撃的な味と食感が消えない。市場で見た、子供たちの熱狂的な笑顔が忘れられない。そして、エーリヒたちの卑劣な行いへの怒りが収まらない。
「伝統を守る…それだけでは、もう駄目なのか…? 時代は、人の好みは、変わっていくというのか…?」
工房の窓から見える、活気ある(そして騒々しい)市場の喧騒を聞きながら、わしは深くため息をついた。長年信じてきたものが揺らぐ感覚は、決して心地の良いものではない。まるで、足元の地面が崩れていくような不安感だ。
だが、わしはただ頑固なだけの老人ではないつもりだ。この心の奥底には、より美味しいもの、人々を心から喜ばせるものを作りたいという、職人としての純粋な探求心が、まだ消えずに燻っている。
「……ふん、あの小僧の真似など、死んでもするものか」
口ではそう悪態をつきながらも、わしは無意識のうちに、戸棚の奥にしまい込んでいた、いくつかの小さな瓶を取り出していた。以前、遠国の商人から物珍しさに買い求めておいた、香辛料の類だ。シナモン、ナツメグ、そして、ほのかに甘い香りのする、星形の乾燥した実(八角というらしい)。
わしは、試しに、ほんの少しだけ、砕いたシナモンをいつものクッキー生地に練り込んでみた。さらに、石窯の温度をほんのわずかに下げ、焼き時間を短くしてみた。いつもより、少しだけ軽い食感を狙って。
やがて、試作品が焼き上がった。見た目はいつもとほとんど変わらない。おそるおそる、それを口にする。
「……むぅ。悪くはない。ライ麦の風味に、シナモンの香りが加わって、これはこれで…いや、しかし、何かが違う…」
すぐに満足のいくものができるわけではない。長年の経験と勘が、まだ配合や焼き加減に改善の余地があると告げている。だが、間違いなく、わしの工房の、いつもと同じように見えた石窯の前に、確かに小さな変化の火が灯った瞬間だった。
わしは工房の窓から、夕暮れの空に染まる市場、あの異邦人の店があるであろう方角を、複雑な表情で見つめた。
「……まあ、せいぜい足掻くがいい、異邦人。その奇妙な菓子で、どこまでやれるか見せてもらおう。だが、次にあの理解不能な術で市場を無用に混乱させたら、このゲルト様が黙っては…いや、ギルドとしても、断固たる措置を取らせてもらうからな」
その声には、以前のような純粋な敵意だけではない、何か別の響き――あるいは、ほんの少しの、認めたくない期待のようなものが混じっていることに、わし自身、まだ気づいていなかったのかもしれない。




