王都への誘い、離れる影
市場での危機を乗り越え、俺の駄菓子屋はようやく落ち着きを取り戻したかに見えた。シールの販売方法も見直し、子供たちや保護者との対話も重ねることで、以前のような混乱は収まりつつあった。ゲルトさんとの関係も、相変わらずぶっきらぼうながら、どこか認め合えるような空気が生まれていた。シルフィとは、以前よりも会える時間は減ったものの、互いを信頼し、支え合う、かけがえのないパートナーとしての絆が深まっているのを感じていた。
そんなある日、再びあの豪華な馬車が俺の店の前に現れた。降りてきたのは、王宮の財務官、グスタフ・フォン・ヴァレンシュタイン卿だった。
「やあ、蜜夫君。商売は順調かね?」
柔和な笑顔は変わらない。だが、その目には有無を言わせぬ圧力が宿っていた。
「さて、本日は君に、国王陛下からの勅命をお伝えしに来た」
ちょ、勅命!? なんで俺に!?
「君の持つユニークな知識と技術…特に、食料の長期保存や、多様な風味を生み出す技法について、王国の専門家たちも強い関心を寄せている。ついては、王都へ赴き、その知識を我が国の発展のために役立ててほしい、とのことだ。これは要請であり、また命令でもある」
王都へ…? しかも国王の命令? 断れるはずがない。これは、俺の技術が認められたということなのだろうか? それとも、俺を王国の管理下に置き、その知識を吸い上げようという魂胆なのか? グスタフ卿の笑顔の裏にある真意は読めなかったが、俺に選択の余地はないようだった。
「…分かりました。謹んでお受けいたします」
俺はそう答えるしかなかった。
王都行きが決まったことを、俺はシルフィエットに知らせに行った。ローゼンベルク侯爵邸を訪ねると、応対に出た侍女のアンナさんは、困ったような顔で言った。
「申し訳ありません、蜜夫様。お嬢様は現在、王都の別邸にお移りになられました。侯爵様のご命令で…しばらくこちらにはお戻りになれないかと」
シルフィが、王都へ? しかも、父親の命令で? まるで、俺から引き離すかのように…。胸騒ぎがした。俺の王都行きと、彼女の移動は、無関係ではないのかもしれない。ローゼンベルク侯爵が、俺たちの関係や、俺が持つ(かもしれない)『秘密』に、本格的に警戒し始めたのだろうか。
シルフィに会えないまま、王都へ出発する日が来た。見送りに来てくれたのは、クララちゃんと、そして意外にもゲルトさんだった。
「蜜夫の兄ちゃん、行っちゃうの? 寂しくなるよ…」クララちゃんは目に涙を浮かべている。
「大丈夫だよ、クララちゃん。王都で一仕事したら、また戻ってくるから。そしたら、新しい駄菓子、いっぱい作ってやるからな!」俺は彼女の頭を撫でた。
ゲルトさんは、腕を組んだまま、ぶっきらぼうに言った。
「…王都は、この街とは違う。魔物も、陰謀も、うじゃうじゃいる。せいぜい、足元を掬われんよう、気をつけるんだな」
それは、彼なりの餞の言葉なのだろう。俺は「ありがとうございます、ゲルトさん」と頭を下げた。
俺は、グスタフ卿が手配した馬車に乗り込み、慣れ親しんだ市場の街を後にした。これから向かう王都で、一体何が待ち受けているのか。シルフィは無事なのだろうか。そして、俺の駄菓子と、あの奇妙なスキルは、この先の運命にどう関わってくるのか。
馬車が走り出す直前、ふと、俺が大切に保管していた駄菓子のストックが入った革袋が、微かに、本当に微かに、温かい光を放ったような気がした。いや、光だけではない。袋の中の、いくつかの駄菓子…特に、例の『ねるねる魔法菓子』の粉末が、ほんの一瞬だけ、蠢いたような…? 気のせいかもしれない。だが、それはまるで、女神ラムネ・フロートがうっかり仕込んだという『レシピの断片』が、いよいよその胎動を始めたことを告げているかのようだった。
離ればなれになったシルフィへの想いを胸に、俺は未知なる王都へと向かう。笑いと、ちょっとのエッチと、駄菓子に満ちた俺の異世界奮闘記は、新たな、そしてより大きな舞台へと、その幕を開けようとしていた。