シールの熱狂、市場の波紋
俺、甘露寺蜜夫が異世界アルテミスフィアに飛ばされてから、季節は一巡りしようとしていた。俺のささやかな駄菓子露店は、今や市場のちょっとした名物になっていた。その立役者は、間違いなくこいつだ。
「蜜夫の兄ちゃん! 『ドラゴンもどき・キラ』、やっと出たー!」
ランドセル代わりの布袋を揺らし、満面の笑みで駆け寄ってきたのは、常連の男の子、トムだ。彼が握りしめているのは、俺が投入した新商品、『おまけシール付き・異世界モンスター封印チョコ』のキラキラ光るレアカード(俺がそう呼んでるだけだが)。
「おおっ、トム、やったな! それはなかなかの引きだぞ!」
俺がそう言うと、周りにいた他の子供たちも「すげー!」「見せて見せて!」と集まってくる。
このシール付きチョコは、俺の予想を遥かに超える大ヒットとなった。かつて俺たちが熱狂したあのシールの魔力は、異世界でも健在だったらしい。子供たちはなけなしの銅貨を握りしめて店に押し寄せ、シール交換や自慢話に花を咲かせている。おかげで、一時期市場を騒がせた悪質な模倣品『すっごい棒』の姿は、すっかり見かけなくなった。
客層も広がった。美しいイラスト(俺の拙い絵を、シルフィが見かねて手伝ってくれたのは内緒だ)に惹かれたのか、エルフの親子連れが時々立ち寄ってくれるようになったし、収集癖があるらしいドワーフの商人たちは、全種類コンプリートを目指して大人買いしていく。
「蜜夫殿、この『ゴーレム(岩石)』のシールの質感がたまらん! 我らドワーフの魂を揺さぶる!」
なんて熱く語られた日には、ちょっと引いたけど。
店はかつてないほどの賑わいを見せ、俺はようやく異世界での生活基盤を築けた、と安堵しかけていた。だが、物事がそう簡単に進まないのが、俺の異世界ライフのお約束らしい。
「蜜夫さん、ちょっといいかい?」
ある日の午後、露店にやってきたのは、トムの母親だった。その表情は、いつもの穏やかさとは違い、どこか険しい。
「うちのトムったら、最近あなたのお店のシールに夢中になりすぎて、他のおつかいを頼んでも上の空で…それに、お小遣いも全部あのチョコレートに使ってしまうんです。少し、考えていただけませんか?」
トムの母親だけでなく、他の保護者からも同様の苦情や懸念の声が、ちらほらと俺の耳に入るようになってきた。シール収集の過熱が、思わぬ波紋を広げ始めていたのだ。子供同士でシールの取り合いになって喧嘩したり、レアカード欲しさにズルをしようとしたり、なんて話も聞こえてくる。
さらに、市場の空気も微妙に変化していた。以前、俺にショバ代を要求してきたような連中とは違う、もっと大きな商人ギルドに属しているらしい男たちが、遠巻きに俺の店を値踏みするように見ている。俺の店が繁盛すればするほど、既存の流通や商売を脅かす存在として、彼らの警戒心を煽っているのかもしれない。
そして、新たな競合相手も現れた。それは、かつての『すっごい棒』のような粗悪品ではない。俺のアイデア…おまけ付きという点を巧みに模倣しつつ、地元産の木の実を使った砂糖菓子に木彫りの動物をおまけに付けたり、富裕層向けに希少な蜂蜜と香辛料を使った高級クッキーにしたりと、独自の工夫を凝らした商品だった。値段は俺の駄菓子よりかなり高いが、品質は確かで、特に裕福な家庭の子供や大人には受けているようだった。おかげで、俺の店の客単価は少し下がったかもしれない。単純な安さや物珍しさだけでは勝てない、新たな競争の始まりだった。
シールの熱狂が生んだ光と影。俺は、ただ駄菓子を売るだけでなく、その影響力や責任についても考えなければならない時期に来ているのかもしれない、とぼんやり考えていた。