表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

私的哲学

ふとしたことで、トラウマに気付く

作者: 羅志

 子供の頃、不審者に遭遇したことがある。

 ある休みの日、買い物帰りでのことだった。


 不審者は、気付いたら後ろに立っていた。

 いつからいたのかは分からない。本当に、気付いたら居た。

 こちらが気付いたからか、なんなのか。不審者はすぐ後ろをぴったりとついてきた。

 不審者は、私の真後ろにぴったりはり付いてきて、ズボンから出した股間のものを私の太腿に触れさせてきて。「見て」「見て」なんて耳元で囁いてきて。

 反射的に、とでもいえばいいのか。言葉に釣られるまま、視線を動かして、見てしまった。


 頭が真っ白になった。

 何をされているのか、分からなかった。

 分からなかったけれど、気持ち悪くて仕方なかった。

 本当に、本当に、何も考えられなくなった。


 幸いなのは、我が家が、もうすぐそこにあったこと。

 反射的に走り出して、家まで逃げた。



 当時の私は家の鍵を持っていなくて。ただ、家に逃げることしか、その時は頭になかった。駆け寄った玄関、チャイムを鳴らして。いつもどおり、ただいまと叫んだ。

 ただいま、ではなく、助けて、などというべきだったのだろうと、今、大人になって。かつ、落ち着いた状況で、そう思う。けれど、その時は本当に頭が真っ白になっていた。家が見えた時点で、そこが自分にとって安全な場所だと、そこに辿り着くことしか考えられなかった。

 私自身が不審者に気付いた場所から家までの道は、見通しのいい一本道だった。だから、家からも帰ってくる私の様子が見えていたらしい。出迎えてくれた母は、知り合いが送ってきてくれているのだと思っていたと言っていた。突然私が走り出して、驚いたとも。

 家の中に入って、何があったか聞かれても、すぐには言葉が出てこなかった。蚊の鳴くような声で、どうにか、自分が何を見たのか、されたのか、伝えたような気がする。この辺りは、よく覚えていない。

 けれど、不審者から逃げるために一目散で家に駆け込んできたことを伝えた後、母に言われた言葉は、よく覚えている。


 どうしてまっすぐ家に来たのか、と。母は言った。不審者に家を覚えられたらどうするんだ、と。


 不審者の付き纏いを懸念しての発言だったのだろうけれど、当時の私は、きっと今の自分が感じる以上にショックだったのだと思う。別に蔑ろにされているとか、そういうショックではないけれど、とにかく、ショックだった。だから、今でもそれをしっかりと覚えているのだろう。


 その後、警察が話を聞きに来た。話を聞いた婦警さんが、しっかりご飯を食べて寝て、いやな記憶は忘れてね、と。そんなことを言っていた。

 その言葉に従って、ちゃんとご飯は食べて、寝た。そのおかげか、正直、はっきりといつ頃に不審者と遭遇したのかは、忘れてしまった。小中学生の頃であったのは確かだ。次の日の給食の時間で、その不審者のことを放送で忠告していたから。一瞬箸を止めてしまったけれど、忘れるために、給食に意識を戻した様な気がする。

 その後不審者がどうなったのかは、知らない。それ以降、私が不審者に遭遇することとはなかったので。

 けれど、後ろから不意に触られたり、そもそも後ろに知らぬ間に立たれたり。そういったことに強い苦手意識を感じるようなったのは、おそらく、これがきっかけなのだと思う。

 ストレスを感じると過食気味になるのも、おそらくこの時言われた、嫌なことを忘れる手段が染みついた結果なのだと思う。



 そしてここ最近、それ以外にも不審者に遭遇したことがきっかけだろう苦手意識があることに気付いた。

 気付いたきっかけは、仕事先に新しくきた男性だ。私は飲食店のキッチンで働いているが、当然、オーダーが入ればそれを周囲に伝えるために読んだり、復唱する必要がある。

 その新人のオーダーを読む声は、とても小さかった。これを書いている今は少し改善された様にも思うけれど、当時は本当に小さく、周囲の音に掻き消えるほどだった。独り言といっても良いかもしれない。それほどに、小さな声。

 聞こえていない時は、まだよかった。けれど、変にぼそぼそとした声を聞き取ってしまった時、ひどくもやもやして、不快感が募った。単純に仕事の報連相もできないのかという苛立ちもあったと思うけれど、それにしては不快感が尾を引いて、軽い頭痛を感じもした。

 他にも報連相ができない人はいる。その人らに苛立ちを感じることもしょっちゅうある。けれど、その新人に対する不快感は妙に強くて、もやもやを抱えなら仕事をして、帰宅して。

 そんな苛立ちからか、少し過食というか、甘いものに逃げて、体重増えてきたなぁ、またストレスだなぁ、なんて考えていた時。

 不意に、不快感の理由に気付いた。

 おそらく私は、近くで小声でぼそぼそと話されるのが、苦手だ。聞こえる聞こえないが微妙な声量の声が苦手なのだ。

 あの不審者の声が、そうだったから。不審者の声を聞いたのは、あの「見て」なんて数回繰り返された単語だけだったけれど、それでも、私の頭にはその声色というか、トーンというか。それが、気持ちの悪いもの、としてこびりついてしまっているのかもしれない。

 それに気付いたからか、その新人相手にも、多少の気持ち悪さを感じてしまっている。新人当人のせいではないので、そこは少し、申し訳なく思う。けれど、きっと相手は気にしていないだろう。元々私は人に好かれないし、その新人に限らず、自分より後に入ってきた人々からは、態度の悪さというか、言葉の荒さなどから、軒並み嫌われているだろうから。


 しかし、記憶の奥に押し込んだとはいえ、嫌な記憶というのは、ふとした瞬間に表に出てくるものだと、思い知らされた。

 他にも、自覚していないだけで。過去の出来事が原因の癖や苦手意識などの、トラウマと呼べるものが、私の中にはあるのかもしれない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ