第三話 顔はいい。
絶叫とは。絶叫とは勿論、叫ぶ事だが、一般的にはただ叫ぶよりも、激しい、常軌を逸している、イカれている時などに使われる事の多い言葉だ。じゃあこれは何と呼ぶべきか、喘ぎとも違う、呻き声………に一番近いか、人間の出す事のできる声というのは喉や口の構造上からも決まっている。だが、人によっては他の一般的な人間とは違う構造をしており、想像もできないような音を口から出す事もできる人間が居るが、この女もその一人なのだろう。
「うぐぉおぴぴゅるしぎっぎぎいぎぃぃがっがるるっぅぅぅう。」
「やばいお薬でもやってたのか?」
「ぐうぐお、お前! おはへ! こんあひ、ひろ、飛行をしるかららたろうが!」
「あ~そうか、十秒間に高度1000mを五回は往復したものな。でもお前も中々頑丈じゃないか、気圧の急激な変化で頭痛とか、吐き気があってもおかしくない。」
「………………もし吐きたいって言ったらどうする?」
「絶対に俺に掛けるなよ、吐くなら下だ。下にいる奴に掛かるかも知れんが、そいつが今日一番の不幸者になるだけだしな。」
「…………我慢する。」
「まあ、それがいいな………………ん? あれか?」
山を挟んだ向こう側、町から少し離れた所にレンガを基調とした無骨な建物が広大な敷地に等間隔で並んでいた。無骨ながらも、見た目には気を遣っていそうで、敷地の半分は滑走路か、倉庫で埋められており、敷地全体を高い塀で囲まれていた。厳重な警備と、その装備の多さから軍の中枢を担っている基地なのが分かる。
「あ! そこだけどちょっと待って! 飛んで行ったら絶対警戒されるわ、飛行機を飛ばすだろうし、ウィザードもやってくる、私だって処罰されるかもしれないし、少し離れた所から歩いて行かないと。」
「面倒くさいな、別にいいだろ? 飛行機やウィザードなんかじゃ俺に傷一つつける事はできないし。」
「貴方の心配なんてしてないわよ! 私が処罰される可能性があるでしょ? 大した用でも無いのに、飛行機やウィザードを出張らせてるなんて、最悪除隊になるかも………」
「まあ、町も見て回りたいし、一旦降りるとするかな。」
「あそこに開けている場所があるから………」
「別に町に降りる分にはいいだろ?」
「ちょっ………………」
一応気を遣ってさっきの様に急降下する事は避けた。服を乱したくないからな。町の広場に着地しようとしたが、人が多い、そんな中に降りて行くのは汚いし、うるさいので、近くの家屋の屋根に降りる事にいした。
「ちょっと! こんな所に降りるなんて何考えてるの!」
広場の人間は全員こちらを見ている。まあ、無理も無いが居心地が悪いな。女を降ろし、服を払った。女は何故かその場で固まっている。
「ん? どうした? 早く降りろ。」
「いや、降りれる訳ないでしょ! 怪我しちゃうじゃない!」
「こんな矮小な建物から地面に着地するだけで怪我をしてしまうというのか!? 哀れみを覚えてしまうよ。」
「普通の人間は………………えっ?」
女を抱えて持ったが、飛ぶ時とは違い、地に足ついた状態だと随分軽く感じる。
「軽いな、羽も無いし、女だとこんなもんか?」
「ちょ、ちょっと! 降ろして! 皆見てるし、滅茶恥ずかしいんだけど………」
「少しの間だ。」
そのまま地面に飛び降り、女を降ろしてやった。
「あ~恥ずかしかった。」
「で、だが、このまま基地まで行くのか?」
「ええ。………っていうかその羽隠せないの?」
「無理だ。」
「それ凄い目立つし、トラブルに巻き込まれるかも。」
「どんなトラブルだろうが俺には大した問題ではないと思うがな。」
「私よ、私。車も運転できないし、そもそもそんな高価な物持ってないし、貸してくれるつても無いし。」
「もういい、さっさと行くぞ。」
「あ、ちょっと待って!」
はあ、こいつの隣歩くの恥ずかしいし、知り合いにでも遭ったら軍で変な噂がたつかも知れないし、そもそもなんて説明すれば………
「あれぇ? もしかしてメリッサさん? 偶然ですねぇ。」
「うっ………エリザベス………」
こんな所でエリザベスに会うなんて………いや、別に不思議じゃないか。兵士はほとんどこの町に住んでるし、エリザベスは休日だったし。
「ええっと………魔物の討伐に協力してくれた人が居てね、基地に案内しているの。」
「そうなんですかぁ、そこの人が………………………………………………………」
「ど、どうしたの? そ、その人が言うには羽は何か儀式で使うとか祭りで使うとか………………」
「………………お名前を聞いてもいいですか?」
「ディエゴだ。」
「ディエゴ…………さん…………よろしければ私が基地まで案内しましょうか? メリッサさんは任務で疲れているようですし、私の方が基地には詳しくて………」
「それ名案! はいディエゴ、エリザベスが連れっててくれるからこれからは彼女の指示に………」
「いや、いい。」
「何でよ!?」
「いいから来るんだ。」
「ちょっ、痛いって、いきなり人の腕を掴むなんて………」
ディエゴに引っ張られて広場からは随分離れてしまった。痛い位の力で掴むし、基地の方向じゃないし、いつの間にか薄暗い路地に来てしまっていた。
「もう! 離してよ!」
「…………いるんだもんなぁ、ああいう奴。どんな魔物にも恐怖は抱かないが、正直な所、少し、多分、恐怖というのを感じたぜ。」
「どういう事?」
「あのエリザベスとかいう女は何者なんだ?」
「私の部下だけど、それが?」
「関係はどうだ? 良好か?」
「う~ん良好とは………言えないかな、影で嫌味を言われてるみたいだし、私には結構冷たいの。でも仕事は早いし、親がこの町の議員なの、軍では重宝しているって聞いたけど。」
「余り深く関係は持たない方がいいかもな。」
「なんで?」
「嫉妬さ、あの女にはお前に向けられたえげつない位の嫉妬の念が渦巻いている。なんでかは知らんがな。嫉妬の念が強すぎて、詳しく読む事はできなかったが、多分容姿の事だろう。」
「…………それ本当? そんな素振りなかったのに。」
「嫌味を言われていたんだろ? 予想位はできたと思うがな。」
「よく分からない、必死に仕事していただけだし。」
「仕事熱心なのはいい事だろうが、良好な人間関係を築くのはそれより大事なんじゃないか?」
「そんな事言ったって仕方ないでしょ、人間関係の悩みが無い人の方が絶対に少ないし。」
「俺は一気に不安になったよ、こんな生物を抱えて天界よりもいい世界にしようなんて不可能だ。皆殺しにするのがいいかもしれん。」
「冗談でもそんな事言わないで、それにしてもそんな人だったなんて………」
「元気出せよ、顔がいい故の悩みはよ~~く分かる。優れている故の悩みも沢山あるよな? 俺も一杯苦労してきて………」
「天界には嫉妬なんてものも無いんでしょう? 羨ましい限りだわ。好きでこの顔に生まれた訳じゃないのにね。まあ、この顔大好きだけど。苦労よりも恩恵の方が間違いなく多いし。」
「そりゃそうだ。天界には嫉妬はない、と思う。天使同士だと心は読めないんだ。嫉妬による陰口も事件も無かったし多分無いな。」
「気が滅入らない? 心が読めるのって、知りたくない事も聞こえちゃうし、嫌な事ばっかりだと思うけど。」
「何処の誰にどんな感情を向けられようが興味ないね、俺は俺だ。俺の評価は俺だけが決めるんだ。俺の感性でな。」
「それは強者の理論よ、力の無い者は力の無い者同士で群れなきゃいけないの、人は一人で生きていける程強くないし、群れの中で嫌われると、疎外されて危害を加えられるかもしれない。皆それが怖いの。」
「くそ弱者の意見だな、同情するぜ。」
「何とでも言えばいい、もう貴方とはここで別れる、勝手に一人で行って。」
「ふん、まあ別にいいが………あのエリザベスとかいう女、容姿云々ではあそこまでの嫉妬の念は育たないと思うんだが他に何か心当たりは無いのか? 生粋のイカれ女って事もあるが。」
「…………何も無いと思うけど。」
「お前が覚えてなくてもあいつが覚えているって事もあるしな、警戒はしておいた方がいい。」
「警戒ってそんな………」
「あれはもうちょいいったら刺すな。」
「嘘でしょ!?」
「マジ。」
「流石に無いよね?」
「墓参りぐらいはしてやってもいい。」
「…………」
「それじゃ、じゃあな。」
「…………」
「………………ん? 何だ?」
家屋も屋根から煙が出ている、いや、その奥か。家屋を挟んだ先の何処かから煙が立ち上がっている。バチバチと音もしている。火事だな。恐らく、この家屋の奥にある建物が火事になっているのだろう。ここからは見えないが、煙の量と音からそこそこの規模の火事である事が分かる。
「火事か。なあ、お前は行かなくて……」
あの女はもうそこには居なかった。何処に行ったか………十中八九分かるが、どうするかな。まあ暇だし、野次馬に行くのもいいかな。羽を広げ、飛び立ち、直ぐそこの家屋の屋根の上に降り立った。やはり結構な勢いで家が燃えていた。既に野次馬が集まっている。その中にはあの女も居たが、他の奴とは様子が違う。俺には関係ないが、少し気になったので見守る事にした。野次馬の一人が屈みながら何か叫んでいるが周りの声にかき消されてよく聞こえなかった。それに対し俺は特になんの感情を湧かなかったが、あの女は何を思ったのか、気でも狂ったのか、燃えている家屋に単身、突っ込んでいった。
「マジかよ………」
非常に愚かな行為だ。勇気などではない無謀だ。あの様子から察するに取り残された人が居るのだろうが、あの女は犠牲者をもう一人増やすつもりなのか、この状況で普通の人間が生還できる訳がない。野次馬は騒ぎ、見ているだけだ。この場であの女を助けられるのは残念な事に私しかいない。仕方ない。飛び立ち、燃えている家の壁をぶち破って中に入った。
「おい! 何処にいる!」
家を探して周ると、ほふく前進しながら辺りを見渡す女が居た。
「馬鹿かお前、どう考えたって無理だろ。」
「子供が取り残されているって………」
「この様子じゃ助からなかったんだろ、お前も死ぬぞ。」
「貴方も探すのを手伝って!」
「だからこの様子じゃ………」
「…………だ、誰か居るの?」
「な!?」
間違いなく奥の方から子供の声が聞こえた。
「今助けに行くから! もう大丈夫!」
「驚いたな………」
「速くあの子を助けに行かないと………」
「そんなんじゃ着くころには全部炭になってるぜ、私の羽の中に入ってろ。」
「煙が………」
「入らんように塞ぐから速く入れ。」
女を羽の中に入れ、煙が入らないように密閉した。
「動くからな。」
「速く行かないと!」
「お前が慌ててどうする、落ち着け。おい! ガキ聞こえるか! お前はこのディエゴが助けてやる! 俺が助けに行くまでは身を低く保ち、最も安全だと思う場所に居ろ!」
子供がこの状況で声が出せる状態にあるのは偶然が重なって安全なスペースが確保され、その中に居るからだろう。それがいつまでもつかは分からないが、そう遠くないはず。声を頼りに進んで行き、一番奥の部屋で、家具と家具の間に蹲っている子供を発見した。
「燃えにくい素材でできているな、運が良かったなガキ。今日一番の幸運かもしれん。」
「………天使? 僕は死んだの?」
「ははは、そう思うよなぁ? だが安心しろ、生きている。俺はれっきとした天使だがね。」
子供を掴み上げ、羽の中に入れた。
「大丈夫? 怪我は無い?」
「羽の中に人が!」
「驚かなくていいのよ、もう大丈夫だから。」
「驚くなって方が無理があるよなぁ。」
「この羽の中は安全なの? 燃えたりしない?」
「この程度で燃えはしないさ。さて、どう出るか………お?」
考えている暇は無かったようで、家は今にも崩れ落ちようとしている。出るのは間に合わなさそうだ。
「私に捕まってろ、崩れるぞ。」
「うっ!」
「ぐっ!」
家は業火と共に崩れ落ち、その場には瓦礫と炭、悪あがきしている炎を残し、炎が何かを燃やす音だけが辺りを包んでいた。野次馬も黙り込んでいる。何故? 一瞬考えたが、その視線は私に向けられており、燃え盛る炎の中を静かに、冷たく、神聖ささえも感じる様で立ち尽くす私に魅入っているようだ。黒く美しい羽を広げると、中から生存が絶望的だった子供と女が出てくるんだから、野次馬は神の降臨を目撃しているような気持ちだろう。まあ大体は合っている。