続・おっさんはほだされる
千晃はソファに転がっていただけにも関わらず、平日中に目をつぶっていた家事は随分と片付いていた。どこに何があるとか、簡単な指示は口にしたが、本当にそれ以外は何もしていない。紅鬼が片付けてしまった。しっかりホットケーキとフルーチェをもりもり食べてつつ。
夕食はスーパーの惣菜ですませた。
「それで、お前は」
「名前ー」
「……紅鬼はけっきょくどうしたいんだ? これからどうするんだ? 俺にずっとくっつくみたいなこと言ってるけど、俺にそんな謂れはねえぞ」
「あるだろ、縁。あの日、約束した」
「してねえ。一方的なのは、約束とは言わねえよ。紅鬼が原因の腰痛だけど、世話してくれたからここまではチャラにする。ここからは、お前にかかるコストを俺が負う理由はない」
人間、生きてるだけで金がかかるのだ。紅鬼は人ではないが。
「えー、やだー。千晃看取って片付けるまでついてくー。家事ならできる。やっただろ? 食費かかるっていうなら、食べなくてもいい。排泄しないから、水道代も上がらないし」
「おい、聞き捨てならない。なんで食ったんだ?」
「おいしいものは別腹っていうだろ」
「娯楽か?」
「そうそう。オレは還すものだから、全部還す。何も残さないんだ。だから、排泄もない」
千晃には理解し難いが、紅鬼がそういうものであることは飲み込まざるを得なかった。
「夜の相手もできるぞ。穴も棒もあってお得!」
「やめろ。超絶でっかいお世話だ」
何が不満なのかと、紅鬼はむうっと唇をへの字に歪めていた。
「別にいいよー、オレのこと放り出しても。その場合、約束は果たさせてもらうけど。でも、そんな気ないよな、千晃は」
なぜ、一方的な約束を履行されねばならぬのか。理不尽極まりない。リスクしか見えない。しかし、
「あー、くっそー……」
すぐにでも放り出すべきだった。すでにコストをかけすぎた。惜しいと思っているわけではないが、コンコルドの誤謬という事例が頭をよぎる。たった一日で、ほだされてしまった自覚があった。すでに与えすぎてしまった。
特大のため息。紅鬼は対照的ににっこにこだ。
「じゃあ、今からオレは名護紅鬼だ」
「おいこら、籍にまで入り込もうとするな。そもそも戸籍……戸籍! また面倒そうなことに気づかせやがって!」
どう考えても面倒ごとの塊である。そうであるにもかかわらず、無邪気に笑う紅鬼を許してしまいそうになる。七難(あるいはそれ以上の難)を隠してしまっている。
「“籍”に“入”るって、入籍だ。ふふふー、オレ、千晃の嫁」
「鬼嫁って、そういう意味じゃないだろ」
なにか考え出すと眠れなくなりそうなので、何も考えず布団に入った。紅鬼は当たり前の顔をしてとなりに潜り込んでくる。
「なー、初夜はー?」
「紅鬼が言ってるだけで、俺はお前を娶ったつもりねえよ。はいはい、ねんねしな、ねんね」
したこともない寝かしつけのイメージで背をなでてやる。いわく、睡眠も必要のない紅鬼だ。付け焼き刃で眠ってくれるはずもない。
「昨日よりあったかいな」
少しだけ触れてきたひやりとした指先を思い出す。
「人間のマネがうまくなった。今まではずっと見たり聞いたりだけだったから、全然わかってなかった。今日は一日、千晃とずっといっしょだったから、もっと人間のことがわかった」
なかなかゾッとする話だが、何も考えずに適当に返事をして目をつぶる。何も考えず、何も考えず──。
ふにゃっと柔らかい感触が唇にふれた。
「おやすみ、千晃」
間近で囁かれる。
千晃は──何も考えず、寝た。