めんどくさいから受け入れることにした(投げやり気味に)
「その時の少年が千晃」
「異議あり」
「人とそうでないものの美しい場面だろ」
「美しさなんてかけらもねえよ。俺にはただの恐怖体験だった。うわ、思い出してきた。よくわからんものに小指かじられたっていう、それのどこに約束とか指切りなんてあったんだよ」
少年は首を傾げた。顔が整いすぎて些細な仕草も愛らしくて腹が立つ。
「人に関わるなんて考えてなかったから、ちょっと外側が曖昧だったか」
「ちょっとじゃねえ! 全然人に似せようとしてなかったぞ。だいたい、食われてもいいなんて約束、自殺志願者でもなけりゃひょいひょいするもんじゃないだろ。まして、ガキだぞ!」
「そういう約束したからな」
「してねえ!」
「役割のかたわら、人間のマネの練習してたんだ。だいぶ板についてきたから、あの約束の少年はどうなったんだろうって会いにきたんだ。千晃を探すの、だいぶかかった。いやあ、人の世は進みが早い。最先端を憶えたと思ったら、流行りはあっという間に去っていく。人の機微はわからないな」
「俺もお前の機微はわかんねえよ」
噛み合っていない。こいつは合わないやつだ。それだけは確定した。
「その格好と顔面もマネか?」
「服は、一番最近の若いやつの遺体のだ。そのものじゃなくて、マネしてるって意味で。顔は、うーん、平均?」
「あぁ、そういうことか」
人間の平均的な顔を作ると美人になるというのは有名な話だ。身体に男の特徴があるので男ではあると思っていたが、中性的な顔立ちなのは平均ゆえだろう。
「……なんか信じる方向に流されてるな」
何も考えなくていいので、それが楽なのだが。
「俺の記憶とだいぶ食い違ってるけど、何があったのかはわかった。それで、お前は何をしたいんだ?」
「最終的に千晃を新鮮なうちに食べることが目的だけど、殺してまでは食わないから安心して」
「何も安心できる要素がねえ」
何から何まで物騒だ。
「健康で生きてくれたらいいよ。ボケたら味が落ちるから、そのときは考えるかもしれないけど」
「やっぱり何も安心できねえ」
世間話のような口調で物騒だ。
「見てるだけで、何もするつもりないって」
「あごに痣作って、腰やらかして、どの口が言うか」
「それはわるかった。ごめん。その分の世話はするから。千晃の週末の予定は?」
「……平日に目をつぶってた家事の片付け。気が向けば出かけてた」
「オレ、家事、全然できるし!」
「不安しかない」
すみずみまで物騒である。
「大丈夫だって。風呂は? オレが手伝うし」
「いい。このまま寝る。もう全部投げ出して寝る。明日にシーツ洗濯する。家事をしてくれるっていうなら、カバンの中の弁当箱洗っておいてくれ」
千晃はうなりながら身を起こし、伝い歩いて寝室へ身体を引っ張っていく。身体を丸めなければ寝て一畳が足りないため、ベッドは大きいものを使っている。そのため寝室を圧迫しており、寝室は文字通り寝るためだけの部屋だ。
片付けは明日の自分に丸投げして衣類を脱ぎ捨て、ゆるゆるだるだるな部屋着になってベッドに潜り込む。着替えがいつもの倍以上の時間がかかってしまった。
「千晃ー、洗い物しておいた」
「あぁ」
「寝るってどんな感じ?」
少年は当たり前のようにベッドに潜り込んでくる。
「何入ってきてんだよ」
「オレも寝たい。必要なかったから寝たことないけど、人間の機能はだいたい再現できてるから、寝られるはず」
この少年について深く考えるのも、明日の自分に丸投げしておく。
「何も考えずに目を閉じてろ。……そう言えばお前、名前は何だ? ヤバいな、名前も知らないやつがベッドにいるとか、ヤバさしかない」
「ヤバくない! 名前は特にない。“紅の”とか“赤い鬼”とか“赤いやつ”とか呼ばれたことはあったけど」
「どれも固有名詞っぽくない。三倍の速さ出そうだし、赤い俳句か川柳ができそうだ」
「千晃が呼びやすい名前をくれよ」
「呼びやすいって……」
“紅”と言われて有名ロックバンドの曲しか出てこない。頭を取って、くれ、あ(五十音順)。紅愛とかいて“くれあ”と読むビジュアル系バンドのメンバーにいるやつだ。読み方を変えよう。べに……自称イニシャルCVの紅子しか浮かばなかった。紅丸なんていう鬼キャラもいたか。
呼びやすさは、人前で呼べるかだろう。古臭くても、キラキラしていても嫌だ。
「……紅鬼なら、響きは普通の名前だろ」
「こうき」
少年改め紅鬼はくひひと笑った。
「くっつくな、はなれろ、寝る邪魔すんな」
一番楽な姿勢は、横になって少し身体を丸めた状態だ。紅鬼はその背中にぴとりと張り付いてくる。見た目は美少年だが、幼い頃にあったあの得体のしれない恐怖を呼び起こすものが。
思い出して総毛立つ。うめきながら寝返りをうつ。まだ人の形をしていることを確認する。
「なんだ?」
「……寝る邪魔をするな」
くっついてこようとする紅鬼を引き剥がし、目を閉じる。
得体のしれないものと同衾なんてしたくはない。だが、布団から追い出すのもためらわれる。おそらく美人は七難を隠してしまうために。七難どころではない気はするが。あるいは、一つの難がデカすぎる。
わざわざ引き剥がしたことがきいたのか、今度はくっついてこなかった。遠慮がちに触れてきた冷たい指先は、振り払うほどではなかったので許容した。
なお、どうでもいいことですけど、ビジュアル系バンドのメンバーの紅愛さんは、少なくとも一人いることは知ってる。