なんか知らんが美少年についてこられた。
名護千晃は右手の小指が少し不自由だった。と言っても、生活に支障があるほどではない。右手は利き手だが、小指の動きは左手よりも拙い。父方が沖縄の出で、その血筋なのか、地黒なのだが、右手の小指だけ少し色素が薄い。小指だけを深く曲げようとすると痛みが走る。そのくらいだった。
今まで小指を駆使するようなことはなかった。特に指切りげんまんの手をすると痛むのだが、右手の小指でそれをしなければならない場面というものにも遭遇したことはない。
子どものころに動物に噛まれて以来らしい。よく憶えていないが。野生動物に噛まれたということで、当時はてんやわんやだったらしい。なお、何に噛まれたのかは、今もわかっていない。
そんな少年だった千晃だが、そこそこの時は過ぎ、今はただのおっさんである。人並みに生きてきたつもりだが、女性との縁はやや遠く、いつの間にやら独りで不惑。多少の役職がついているおっさん。このまま一人で、すっと死んでいく想像ができるようになるくらいの。
それでいいかと思っている。今更躍起になったとして、明るい将来を思い描けない昨今、わざわざ責任も作りたくない。ほどほどに死ねればいい。
そう思っていた。“あれ”と再会するまでは。
オフィス街の駅前は、わかりやすく朝と夜に混む。朝ほど集中していない夜はマシだが、夜がふけると酔っ払いというタチの悪いものが混ざってくるので油断ならない。千晃も軽い酔っぱらいであるのだが。
プロジェクト完了の打ち上げ飲み会は早めに抜けてきた。気分が乗らなくても一次会くらいは最後までいるべき立場なのだが、今日は妙に気がそぞろになり、適当に理由をつけて抜け出してきた。上司らしく、多めの金額を渡してから。あとから考えれば“予感”だったのかもしれないが、そのときはただ気が乗らないだけだと思っていた。
金曜の夜の飲み屋街はとてもにぎやかだ。余波で駅前もにぎやかで、しかしスーツやオフィスカジュアルという画一的な格好ばかりでいかにも有象無象である。もちろん、千晃もその一人だ。
その有象無象の中で、ふと、目が吸い寄せられた。
群像の中に若者がいないわけではないが、若い(おそらく)男だ。少年とも青年ともつかない彼は、誰かを探しているのか、ゆっくりと周囲を見回している。眉が隠れるほどまでニット帽を被っている。はみ出ている髪は赤い。カーゴパンツにスカジャン、黒に金のプリントのあるシャツと、着ているものはあまりにも治安が悪かった。耳にはバチバチにピアスが刺さっている。治安が悪い。しかし、顔は良かった。間近で見ているわけではないが、それでも美少年然とした容貌がうかがえた。シャープな鼻梁とフェイスライン。少し開いた唇は薄いが形がよく血色もいい。切れ長の目は鋭く見えるが、顔全体が涼やかな印象でバランスがよかった。千晃は“美少年”という言葉が似合う顔立ちを初めて見た。
駅前は明るいとはいえ、すでに宵の口。その中でも鮮やかに際立っている。ゾッとするくらいに。その顔と格好と、場所が似つかわしくない。何かよくないものでも見てしまった気分だ。しかし、美形は七難を隠すのか、違和感を覚えるより見惚れてしまっていた。
ぱちりと、周囲を見回していたその美少年と、うっかり目があってしまった。カラーコンタクトでもつけているのか、猫のような金の目をしている。見つめ合うことなく目をそらす。ジロジロ見るのは失礼だ、と。ほんのわずか、一秒二秒のことだった。千晃は切り替え、帰ろうと足を
「千晃ーっ!!」
「おごぉ!!」
数メートル離れていたはずの美少年に飛びつかれていた。
「人違いだ」
引き剥がそうとするが、なかなかどうして力が強い。
「人違いじゃない。千晃だろ?」
「それは合ってるけど……」
シラを切り通すべきだった。言ってしまってから気づく。
「オレが探してる千晃でまちがいないって。ここに残ってる」
言いながら、美少年は千晃の右手をそっと持ち上げた。するりと、何かが欠けた右手の小指をなでられる。
「ヒトチガイデス」
どうにか手を振り払い、つかつか駅方向へ足を進める。できるだけ速く。カバンに手を突っ込み、定位置に入れている定期入れを引っ張り出す。改札に定期入れを叩きつけ、電光掲示板を見る。目的の電車の発車時刻はデジタル時計と1分差だ。足をさらに速める。階段を駆け上がり、電車に滑り込む。
発車の放送とともに閉まるドア。一昔、いや、二昔前であれば撒けたかもしれない。
「人違いじゃないって」
今は、文明の利器が広く普及している。息を乱す千晃。となりに涼しい顔をした美少年。撒けてないし、負けた。千晃はうんざりしながら思った。