ジョブホッパー、異世界へ
「さすがは年商三千億を誇る大企業の本部となると、エントランスも気合が入ってるな」
オフィスのエントランスは、客が来訪した際に最初に訪れる場所であり、いわばその企業の印象付ける場所といっても過言ではない。
自宅で例えるなら玄関だ。汚れが溜まり、靴が散らかっている玄関よりも、綺麗に掃除されてきちんと靴が収納されている玄関の方が好印象だ。
大企業だけあって当然それを理解しているようだ。エントランスには目立つような汚れはまるでなく、埃を被っているようなイスやテーブルはなかった。
ビジネススーツを纏った俺こと、天職司は都内にある大手企業のビルにやってきていた。
ここにやってきた目的は転職だ。
俺はいくつもの企業を渡り歩いてきたジョブホッパーである。
ジョブホッパーというのは短い期間で転職を繰り返す者のことを指す。
行き当たりばったりな転職ではなく、高待遇、スキルを磨き、さらなる高みを目指しての転職だ。
今所属している企業も大手ではあるが、得られるスキルも少なくなってきた。
一か所に留まることが苦手な俺は、次なるキャリアアップを目指すことにした。
いくつもの審査を乗り越えることのできた俺は、遂に今日の最終面接にまで到達したのである。
誰もが知っている大企業への転職だけあって、審査はかなり難関だった。
後は最終面接を乗り越えれば、転職は完了といっていい。
最後まで気を引き締めないとな。
ネクタイを締め直した俺は、中央にある受付へと向かった。
俺が近づいていくと、若くて綺麗な女性が上品な笑みを浮かべながら「おはようございます」と挨拶をしてくれた。俺も爽やかな笑みを浮かべて挨拶を返す。
「最終面接に参りました天職と申します」
用件を告げると、受付の女性が丁寧に面接会場を教えてくれたので、俺はそこに向かうことにする。
エレベーターに付いている鏡で身なりをチェック。
寝癖は付いていないし、ネクタイも曲がっていない。笑顔だってバッチリだ。
必要な書類もちゃんとカバンに入っていることも確認した。
どのような質問が飛んでくるかは予想してはいるが、すべてが予想通りとはいかないのが面接というものだ。
どのような変化球がこようとも、今までの転職経験を活かして乗り切ってみせる。
チーンという音が鳴ってエレベーターが開く。
廊下を進み最終面接会場の前までたどり着くと、案内係の者に待機するように言われる。
静かにイスに腰をかけて待つことしばらく。
「天職司さん」
遂に俺の名前が呼ばれた。
大丈夫だ。俺ならイケる。それだけのキャリアと経験をこれまで積んできたんだ。大企業であっても、それが通用しないはずがない。
「失礼します」
扉をノックして中に入ると、そこには人事部の人たちや社長が待ち受けてはおらず、だだっ広い平原が広がっていた。
「へ?」
予想外な光景に思わず間抜けな声が漏れる。
もしかして、会場を間違えたのか?
大手企業にもなると景観を整えたり、社員に癒しを与えるために緑を取り入れることがある。きっと間違ってそういった部屋に入ってしまったのだろう。
そう思って引き返そうとしたが、既に扉はなかった。
気持ちがいいほど鮮やかな平原にポツリと佇む人間が一人。
どうやら俺は知らない場所に迷い込んでしまったようだ。
●
「どうなってる? ここはどこなんだ?」
最終面接会場に入ったつもりが、まるで見覚えのない場所にやってきてしまった。
ふと身体に違和感を覚えたので確認してみる。
服装は変わらない。面接のために着てきたビジネススーツにビジネスバッグ。
財布やスマホといった最低限の必需品は持っている。ただ妙に身体が軽い。
俺の年齢三十歳だが、それにしては妙に肌が綺麗な気がする。
試しにスマホを鏡にしてみると、明らかに見た目が若くなっていた。
「えっ? なんでだ?」
歳の頃は十八歳くらいだろうか? この年齢で今のキャリアがあれば、どこでだって採用されそうだ。なんて思ってしまうのはジョブホッパーの性なのかもしれない。
にしても、見渡しても雑草ばかりだ。人間の気配はまるでなく、建物の一つも見えない。
こんな場所は日本にあるのか? そもそもここは本当に日本なのか?
都内だけでなく田舎でも暮らしたことはあるが、こんな場所に思い当たるところはない。
地面に生えている雑草だけでなく、遠くに見える木ですらも見たことがない形をしている。ここが日本なのかどうかも怪しいものだ。
「もしかして、異世界にやってきてしまったのだろうか?」
ゲームやアニメといった創作物で流行りの異世界。
お決まりの剣と魔法のファンタジー世界にやってきてしまったというのだろうか。
見たことがない場所や植物を目にすると、そう推測するのが自然なように思えた。
「ん? なんだこれ?」
他にも何か持ち物はないかと探っていると、ポケットから銀のプレートが出てきた。
触れてみるが何も変化はない。
「メニュー、コマンド、ステータス……おわっ! 本当に出てきた!」
ゲームでのお約束的なシステムコマンドを唱えてみると、プレートからウインドウが浮かび上がった。
名前 アマシキ ツカサ
LV1
種族 人族
性別 男
職業【転職師】 ジョブLV1
HP 48
MP 500
STR 36
INT 42
AGI 28
DEX 27
そこにはゲームでお決まりのステータスが数値として表示されていた。
「まるでゲームの世界だな」
このようなプレートから情報が可視化するなどとあり得ないことだ。
どうやら本格的に俺のいる場所は、異世界であるという説が濃厚になってきた。
MP、魔力の数値だけが桁違いであるが、それ以外はまるで平凡なステータスだ。
健康維持のために運動したり、鍛えていたくらいなので当たり前か。
それ以外に突出すべきものはないように思えるが、職業欄にある【転職師】というのが気になる。
今の俺の職業を当てはめるならサラリーマンだと思うのだが、どうやら違ったらしい。
【転職師】とは一体どのような職業なのだろう? 剣士や魔法使いといった職業であれば、想像がつきやすいが【転職師】というのはピンとこない。
詳細を知りたいと念じながら職業欄に触れてみると、表示される項目が変化した。
【転職師】
自らが望む職業へと転職することができる。転職する職業に合わせてMPを消費。
職業の説明はかなり端的なものだった。
しかし、その隣には現在の転職できる職業がズラリと並んでいた。
剣士、魔法使い、戦士、盗賊、弓使い、槍使いといったお決まりの戦闘職。
村人、農民、羊飼いといった一般的な職業。他には鍛冶師や細工職人といった生産系を思わせる職業なんかも表示されていた。
ちょっと数が膨大過ぎて確認するにも時間がかかりそうだな。
数々の転職を繰り返してきた俺だからこそ、手に入れることのできた職業なのだろうか?
「にしても、どうして面接会場が異世界と繋がっているんだ?」
だとしたら、あそこの会社員は異世界と日本を行き来できるのだろうか。
廊下には俺以外に何人かの面接者がいた。
待っていたら俺と同じように面接者がやってくるのではないか? あるいは案内係の者がひょっこりと顔を出すのでは?
そんな希望を抱いてジーッと待ってみる。
小一時間ほど経過したが人がやってくる気配はまるでなかった。
ここに迷い込んでしまったのは俺だけなのだろうか? 小一時間と言わず、一日でも待ってみたい気持ちではあるが、空に浮かんでいる太陽は確かに進んでいる。
バッグにはペットボトルの水が入っているが、それがなくなってしまえば飲み水はない。
唯一の手掛かりに縋って待機するのはいいが、それが原因で野垂れ死にしてはシャレにならない。
「動くしかないな」
ジョブホッパーは切り替えの早さと行動力が持ち味だ。
消極的な行動は俺の性格には合ってない。
何事も動いてみれば何とかなる。ポジティブ思考で行こう。
「ジジジジジジ!」
そう思って移動を開始した俺だが、五分も経過しない内に未知の生物と遭遇した。
一言で表現するならば、空を飛び続けるカマキリ。
一メートルほどのサイズで腕が大きな鎌のようになっていた。
ゲームなんかでおなじみの魔物という奴だろう。
持ち前の行動力の良さが完全に裏目に出た形だった。
俺の知っているサイズのカマキリならまだしも、あんなものに襲われれば命はない。
一目散に逃げるとカマキリが追いかけてきた。
速度は俺の全力ダッシュと変わらないが、飛んでいるために体力はこちらが消費する一方。
いずれ追い付かれることは明白だった。
「待て! 話をしよう!」
近くにある木まで走り、思い切って話しかけてみる。
しかし、カマキリは止まることはなく、鎌のような腕を横薙ぎに振ってきた。
咄嗟に頭を下げると、ザンッという音を立てて木がすっぱりと斬れた。
「……冗談じゃない」
カマキリの腕の切れ味に顔が真っ青になる。
避けていなければ首と胴体がおさらばだ。
無機質な瞳からは知性のようなものは伺えない。
このままではじり貧だ。体力が尽きたタイミングで殺されてしまう。
平和な日本で育ってきた俺に戦闘技術なんてものはない。
剣道や柔道、空手を嗜みはしたが、そんなものが通じる相手ではないことは明らかだ。
俺が唯一縋ることのできるものと言えば、ここで手に入れた職業のみ。
——俺は自分の中に眠っている職業の力を使ってみることにした。
「転職、【魔法使い】」
数ある職業の中から選択したのは、魔法使い。
魔力を使って数多の魔法を使いこなすことのできる戦闘職だ。
魔法使いに転職した瞬間、俺の中に数多の知識や経験が流れ込んでくるのを感じた。
この世界にある魔力を感じ取ることができ、魔法を行使するための手順が自然とわかる。
「火炎球!」
腕を振り下ろそうとするカマキリに向かって、手をかざしながら魔法を唱える。
すると魔法陣が広がり、そこから火炎球が射出された。
火炎球が直撃したカマキリは爆散。
爆風が広がった後にはカマキリの残骸らしきものだけが残っていた。
「や、やった!」
どうやら一撃で倒すことができたらしい。
あらゆる職業に転職することができ、その職業の能力を扱うことができる。
「これが転職師の力なのか……」
俺は異世界で得た、自らの力を実感するのだった。
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