第八十四話 ばあちゃん飯④
先日の喧騒から一転、穏やかな空気の流れる放課後の図書館。差し込む夕日がほんのりと暖かい。
本棚の整理をしながら、提出物を出しに行った咲良を待つ。何でも今朝その存在に気づいたらしく、さっきまで図書館で仕上げをしていた。文系科目のプリントだったので、俺が巻き込まれたというわけだ。
「おや、片づけてくれているのか」
そう漆原先生に声をかけられ、顔を上げる。
「ああ、はい」
「ありがとうな」
「いえ。好きでやっているので」
ゆらりとなびく髪がうっすらと赤い。夕日に染められたか、それとも――
「また髪染めました?」
「やあ、ばれたか」
先生はふっと微笑んだ。
「秋だしなあ。いい色だろう」
「光にあたったときだけ分かるのはいいですね」
「そこがこだわりなのさ」
秋だからなあ、ともう一度つぶやくと、先生はカーディガンの袖をまくった。
「そういえば、野球を見に行ったんだって?」
「あ、はい。誰から聞いたんです?」
「昼休みにね、井上君が」
「なるほど」
本当にあいつは何でも話すな。
ひそかに呆れてため息をついていると、先生は書架の下の方を整理するためにしゃがんで言った。
「楽しかったみたいだね」
「そうですね。久しぶりだったのでめっちゃテンション上がりました」
それはなにより、と言って先生は立ち上がると面白そうに笑った。
「井上君いわく、あんな一条君は初めて見た、と」
「……そうですかねえ」
「そーそー! ほんとにそう!」
気づかないうちに帰ってきていたらしい。咲良が先生の隣に来た。
「ご飯以外にあんなに盛り上がってる春都は初めてだった!」
「俺は野球をするのは無理だが、見るのは好きなんだ」
運動をする方は苦手である俺だが、見るのはかなり好きだ。一番盛り上がるのは野球だが、最近はバレーボールや卓球なんかも好きだな。
「目に生気が宿ってたもんな」
「普段が死んだ目をしていると?」
「飯食う時以外はいまいちだな」
それを聞いて先生が笑う。俺ってそんなにか?
まあ、確かに楽しかったのは事実だしな。だが……。
「楽しかった分、羽目を外し過ぎた」
そうため息をつくと、咲良も「それな」と肩を落とす。
「貯金が一気に減ったもん」
「そりゃユニフォーム買えばな」
そんなわけでしばらくは質素倹約をモットーに過ごすことになりそうだ。
バス停で咲良と別れ、その足でじいちゃんたちの店に向かう。
辺りは暗くなり始めていて店も閉店の準備中だった。
「おぉ、春都」
シャッターを下ろしていたじいちゃんが俺に気づく。
「来たよー。遅くなった」
「いや、ちょうどいい時間だ。あがれあがれ」
あ、なんかいいにおいする。晩飯か。
「あら、春都。おかえり」
「ただいま」
ばあちゃんは台所で料理をしていた。
「これ、お土産」
「野球に行ったんだったか」
「そう。よかったら食べて」
「ん、ありがとな」
じいちゃんに土産を渡すと、ばあちゃんも台所から「ありがとー」と言った。
「そうだ春都、ご飯、食べていきなさい」
「やった。ありがとう」
テーブルの準備はもうしてあったので、自分の箸とコップだけ食器棚から出してきて座る。
「春都、明日は学校休みか」
「ん? うん」
「じゃあ泊ってけ。もう暗い」
「いいの? あ、でもうめずが……」
「わふっ!」
あれ、空耳か? いや違う。じいちゃんとばあちゃんの部屋からうめずが出てきた。
「え、なんで」
「今日はお前が来るって言ってたから、もう連れてきてたんだ」
うめずはもうご飯を食べているらしかった。
「はいはい、じゃ、私たちも食べようか」
食卓に並んだおかずは、どれも優しい香りがした。
「いただきます」
まずは……きんぴらごぼう。これは牛肉と炊いてある。甘辛くて、ごぼうとニンジンはシャキッと、牛肉には味が染み染みでうま味があふれて、ご飯に合う。
これは白和えか。豆腐のまろやかな味と野菜のうま味、ゴマの風味がたまらなく優しい。こんにゃくの食感が面白いなあ。これ、ほうれん草とニンジンか。
そして肉の天ぷら! やっぱばあちゃんが作った揚げたてはうまいなあ。
「明日は春都もいることだし、すき焼きにしようか。いいお肉を買ってきてるよ」
「え、マジか。めっちゃ楽しみ」
「ジャガイモもあるから、明日のお昼のおやつに揚げようかね」
すっごい贅沢だな。節制しようと思ってたのに、こんないい思いしてる。
俺ってすごく幸せなんじゃないか。
あ、切り干し大根もある。市販のやつはなんか苦手かな~って風味がするけど、ばあちゃんのは全くそんなことがない。じゅわーっと甘い汁があふれ出して、大根の食感が絶妙なんだ。
ああ、うまいなあ。
懐もそうだが、何より気分が温かかった。
「ごちそうさまでした」