第755話 ドーナツ
玄関ホールで、人を待つ。
一気に暑くなった空気と肌にまとわりつく湿気、セミの鳴き声が徐々に大きくなり、まるで大雨が降っているような錯覚に陥る。
「おーい、春都ー」
お、来たな。
「よお、咲良」
「今日もあっついなー!」
「わざわざこっちに来るの、大変だったろ」
早いとこお土産を渡そうと連絡したら、こっちに取りに来るというものだから、驚いてしまった。何か別に用事があるんだろうと思っていたが、別にそういうことではないらしい。
咲良は何でもないように笑いながら、額に浮かんだ汗をぬぐった。
「いやー、家から出られるんなら、頑張るぞ!」
「お前ほんと家にいたくないんだな……」
そう言えば咲良は少し首を傾げた。
「んー、別に家が嫌ってわけじゃねーんだけどさ。なんか、外の方が自由っつーか?」
「そうなのか」
「そーそー」
その感覚はよく分からないが、まあ、こいつが喜んで来ているというのであればいい。
「ほれ、土産」
「サンキュー! 中身何?」
「カステラ。いろんな味があるぞ」
「へーっ!」
あ、入れ物がおしゃれ、と咲良は袋の中身をのぞき込んで言った。そうそう、味ごとに違う色の小さな箱に入っているのだ。
「ありがとな!」
「おう」
「でさー、春都。この後、暇?」
おっと、そうきたか。
「まあ、予定は何もないが」
「じゃープレジャス行こうぜ~。もうちょいどっかで遊びたい」
そう来ると思った。なんとなく、咲良はお土産持って帰るだけじゃすまないだろうなあ、と。
「思ってた通りのこと言うな、お前」
「へへ」
「待ってろ、バッグ取ってくる」
あー、なんか、帰って来たなあ。
プレジャスは思ったより人が少なかった。あれ、夏休みのショッピングモールって、こんな感じだったっけ。
「なんか、店減ったよなー」
咲良が言いながら、エスカレーターに向かう。いまだに、エスカレーターはちょっと緊張する。なんか、こけそう。
「お、手ぇ貸してやろうか」
「大丈夫だ」
「小さなお子様はお連れ様と手をつないで、っていってるぞ」
「誰が小さなお子様だ」
二階に降り立った咲良は、迷うことなくゲーセンに向かった。
「なんかあんのか」
「なーんも。遊べるとこっつったら、そこしかないっしょ」
「確かに」
最近はやりのものが集まったクレーンゲーム、後はドレッシングとか柿の種とか。小さい頃とあんまりラインナップ変わんねー気がする。
「コインゲームとかやる? 春都」
「やってない」
「だよなー、お、これやろ」
咲良が足を止めたのは、クレーンゲームの台の前だった。お菓子詰め合わせセットが景品のやつだ。
「取れんのか」
「分からん! が、やってみる!」
だいぶずっしりしてるように見えるし、これ、持ちあがりすらしなさそうなんだけど。あー、下の方にグミが詰まってんのか。
「あ、だめだ、もう一回」
「ほどほどにしとけよ~」
そう言いながら、周りを見てみる。お、こういうのはいいんじゃないか。小さいし、取りやすそう。ゲームのキャラのキーホルダーだ。最近また大ブームになってるんだっけ。小さい頃からやってるシリーズのキャラで、好きなんだよなあ。
……うん、まあ、深入りしなけりゃやってもいいよな。
ドーナツ屋のイートインスペースに座り、飲み物を待つ。
手のひらサイズのまん丸いキーホルダーは、ふわふわしていて心地いい。思いのほか取りやすかったな。ふふ、俺の読みは当たっていたな。
「取れそうな気がしたんだけどなあ~」
結局咲良は景品をゲットできなかったようだ。何も持って帰れないのは悔しかったのか、すくって落とすタイプのゲームをやって、小さなチョコレートをいくつか持って帰ることになった。
「大体、ああいうのは取れにくくなってんだよ」
「そんなもんか~」
それにしても、久しぶりにイートインに入った気がする。いつも持ち帰りだもんなあ。飲み物は間もなくして運ばれてきた。
「いただきます」
丸い形のドーナツは、見ているだけでワクワクするようだ。
一つはこの店でも一、二の人気を誇る、もちもちドーナツだ。シンプルに砂糖でコーティングされている。種類はいろいろあるのだが、やはりこのシンプルなのが、俺は好きだ。
サクッとしたアイシングに、もっちりと舌に吸い付くような生地。そうそう、この食感が癖になる。歯切れがよく、食べ応えもあり、ちょっと伸びる感じが面白い。この食感のおかげで、次々食べてしまうのだ。
ここでアイスティーを挟む。
ほんの少し渋みのあるアイスティーは、さっぱりと冷たくて、夏の暑さにちょうどいい。ごくごく飲んでいると、ウーロン茶っぽい感じがするなあ、とふと思う。
次はチョコ。周りにココナッツがまぶしてあるのだ。
これも食感が面白い。シャキシャキ、うーんちょっと違う。サクサクにも似ているが、その中間というか……不思議な食感をしているのだ、ココナッツというものは。
主張はあまりない……かと思いきや、割といい風味がする。爽やかな甘さだ。チョコレート生地はしっとりふわふわで、もちもちのやつとはまた違った魅力がある。ほのかに苦みがあるのがいい。ココアっぽさもあるな。
これ、小さい頃は見た目でなんとなく避けてたけど、うまいんだよなあ。
「あそこをもーっちょっと攻めたらいけるか?」
「まだ考えてんのか、咲良」
「だって悔しいじゃん」
後でもっかいやってみようかな、と真剣につぶやく咲良を見て、思わず笑ってしまった。
少しにぎわい始めた昼下がりのショッピングモールは、夏休みらしい空気に満ちていた。
「ごちそうさまでした」