第六十一話 ばあちゃん飯③
引っ越し当日の飯について、親に聞いてみればあっけなく返されたものだ。
『ばあちゃんがおにぎり作ってくれるって』
あ、そう。なるほどね。
そりゃそうか。一応引っ越しだし、ばあちゃんたちが知らないわけないか。
「じゃ、俺は作らなくていいってことか」
具は何が入るだろう。ばあちゃん特製の梅干し、酸っぱいけどうまいんだよなあ。しそご飯もいい。たくあん入れてくんないかなあ。
なんか、ちょっとワクワクする。
朝夕は少し風が気持ちいい日が増えたとはいえ、昼間の暑さは一向に落ち着く様子はない。むしろ拍車がかかったんじゃなかろうか。
こう暑いと、炭酸が飲みたくなってくる。帰りにスーパーで買って帰ってもいいが、歩く元気がない。そういうわけで、食堂近くの自販機で買うことにした。
サイダー、コーラ、どれがいいかな……あ、なにこれ。スポーツドリンクの炭酸?
へー、こんなんあったんだ。買ってみよ。
小銭を入れてボタンを押す。よかった、売り切れてなくて。この時期ってスポーツドリンク系はすぐに売り切れるんだよな。
キンキンに冷えた缶。ちょっと首にあてる。冷たくて気持ちいい。
「一条君じゃないか」
ふと聞き覚えのある声がして、振り返ってみると石上先生がいた。
「あ、こんにちはー」
「こんにちは。今日も暑いな」
「っすね~、溶けそうです」
先生も飲み物を買いに来たらしい。俺は一歩後ろに下がって、場所を開ける。
缶を開けるのはちょっと難しい。プシュッという音がして、缶の中で炭酸がパチパチとはじける。なんかこれだけでもう涼しいな。
グレープフルーツ果汁が使われているらしいそれは、とても爽やかだった。控えめな炭酸が心地いい。
「でも、台風来るってよ」
「なんか天気予報で言ってましたね」
先生は冷たい水を買っていた。
言われてみれば風は生ぬるいし、空の隅の方には真っ黒な雲が見え隠れしている。先生はこめかみを押さえていた。
「台風が近づくといつもこれだ。頭痛がひどい」
「あー、気圧の変化で」
「そう。あとは古傷も痛む」
古傷。手術か何かしたのだろうか。それとも実は学生の頃はやんちゃで、喧嘩したときの傷が痛いとか?
いろいろと想像を膨らませていると、先生はきょとんとして視線を合わせてきた。
「どうした、急に黙って。何を考えている?」
「古傷って、なんの古傷かな、と」
「ふはっ、正直者だな」
先生は機嫌を悪くするでもなく、面白いものを見て思わず、というように笑った。
その顔を見て、なんかやっぱり、漆原先生の友人だと思った。まじめでしっかりしてるんだろうけど、それだけじゃなくてちょっと子どもっぽいところがあるというか。
まあ、子どもの俺がそんなことを言おうものなら、すぐさまからかわれるのだろうから黙ってるけど。
どうやらけんかとかの傷ではないらしい。
「俺は、けがの多い人間だからな」
「不器用なんですか」
「ああ、そうだ。おまけに運動神経もあまりよくないときている」
その辺は俺も一緒だ。小学生の頃は己の力量もわきまえず突き進んで、よくけがしてたっけ。一度盛大に骨折してからは、加減するようになったけど。
「そのくせ懲りない人間でね。大人になってもけがしてばかりさ。まあそれで、あちこちに大小さまざまな傷があるものだから、こういう天気はかなわん」
「大変なんですね」
もう慣れたよ、と先生は笑った。
「一条君もけがには気をつけろよ」
「うっす」
すっかり飲み干してしまった缶をゴミ箱に捨て、先生に頭を下げて教室へ向かう。
人って見かけによらないんだなあ。何でもそつなくこなしそうに見えるけど、先生もいろいろ苦労してんだな。
今日は帰りに店に寄った。
「引っ越しの日、おにぎり作ってくれるって聞いた」
「そうそう。具は何がいい?」
ばあちゃんと二人で台所に立つ。うちのシンクよりも少し低い気がする。
「んー、梅干し」
ちょうど昼ごはん作るところだったらしく、俺の分も準備してくれるらしい。なら、俺も手伝わなければ。ちなみに、皿うどんらしい。
「分かった。なら、小さい梅干し出しとこうか」
「……たくあん炒めも入れてほしい」
「いいよ~、入れようか」
小さい梅干しは、俺が食べたいと言ったらばあちゃんが漬けてくれたものだ。たくあん炒めも入れてくれるのなら、引っ越し、頑張れそうだな。
「じゃあ野菜切ってくれる?」
「分かった」
ニンジンとキャベツを切る。ニンジンは薄い短冊切りに、キャベツはざく切りにする。もやしは袋のまま洗い、コーンは缶詰を開ける。
あとはかまぼこも切っておく。
その間、ばあちゃんは豚肉をフライパンで炒めていた。そこに、ニンジン、キャベツ、コーン、もやし、かまぼこの順に入れる。ていうかほとんど同じタイミングだ。
鶏ガラスープの素とオイスターソースを溶いたものを注ぎ入れ、とろみをつけたら完成だ。
市販の皿うどんの麺を大きめの皿にのせ、たっぷりと餡をかける。
「はい完成。テーブルにもっていって」
「うん」
ばあちゃんが片付けをしながら店の方に向かって「じいちゃーん、ご飯できたよー」と声をかける。「おーう」という声が聞こえた後、少ししてじいちゃんが居間に来た。
「春都が作ったのか」
「野菜切っただけだよ」
「十分だ。俺は野菜を切ったこともない」
「えー、何それ」
こうやって二人と飯を食うのも久しぶりかもしれないな。
「いただきます」
パリパリの麺に箸を入れ、餡と一緒に口に運ぶ。とろみのついた餡はとても熱い。
シャキッとしたもやしとキャベツに、餡が絡んでおいしい。コーンのプチっとした甘さがまたいい。かまぼこのわずかな魚風味も好きだ。ニンジンも薄いながらホクッとしている
豚肉は脂身の少ない部分で、うま味と肉汁がジワリと滲み出す。
ばあちゃんの味付けの餡は優しい味がするのだ。
そして、餡が染みてふにゃっとした麺もまたいい。すすって食べると麺の味もして違ったおいしさが味わえる。
「酢、かける?」
「かけてみる」
酢を少しかけてみる。鼻の奥に突き刺さるような酸味、でも、さっぱりしていいな。
皿うどん、久しぶりに食べたなあ。おいしいや。
「そうそう、この間のアップルパイ、おいしかったよ」
皿うどんに夢中になっていると、ばあちゃんが笑ってそう言った。じいちゃんも頷いている。
「そっか、よかった」
「腕を上げたな」
「上手になったねえ」
じいちゃんとばあちゃんにそう言われると、安心するというか自信がつくものだ。
……また作ったら、持ってこようかな。
「ごちそうさまでした」