第五十六話 おろしそば
「あ~、だりぃ~」
後期課外初日。俺の席にはなぜかすでに人影が。
そいつは机に突っ伏して盛大に文句を垂れていた。
「おいコラ何してやがる」
「あ、春都、おはよー」
「おはよー、じゃねえわ」
どすっ、と机にカバンを置けば、机の不法占領者――咲良が「ぐえっ」とうめき声をあげた。
「どけ」
「無慈悲か?」
「ここは俺の席だ」
咲良は上体を起こしこそするも、一向に立ち上がる気配はない。
「じゃー、ここ、座る?」
「どこだ」
「俺の膝、空いてるよ? 今ならタダ、特等席だよー」
「いらん」
どうやら予鈴まで居座るつもりらしい。俺はあきらめて机に寄りかかった。
「テストの結果、返ってくるの今日だっけ?」
「あー、そういやそうだったな」
三者面談が明日からある。あ、じゃあ母さん帰ってくるな。今回は母さんだけの帰宅になるんだったな。
「俺こえーんだけど。結果」
「んだよ、国語は自信あるんじゃねえのか」
「理系だというのに理系科目が怪しいのがやばいんですー」
「知るかよ」
咲良は足を前に投げ出して脱力した。その拍子に俺の足に上履きが当たる。かと思えば「もーどうしよー!」と言って俺を揺さぶってくる。
「おい、やめろ!」
「なー、春都~。今度は何言われんのかなー俺。三者面談休んじゃダメかな~!」
「お前、テストとか面談とかの度に情緒不安定になるの、どうにかしろよな」
ただの模試でこんなんじゃ、受験になったらどうなるんだ。俺は面倒見きれんぞ。
「こないだなんて行きたい大学の名前言ったら『寝言は寝て言え』って目ぇされた~」
「考えすぎだ」
「いーや! 絶対そうだ! あれはもう俺のこと諦めてるんだよ~」
ああ、もう、めんどくさい。というか早く座りたいし、一時間目の準備がしたい。
と、その時予鈴が鳴った。
「おい、予鈴鳴ったぞ。帰れ」
「うう……春ちゃんが冷たい」
「学校でその呼び方はやめろ」
おいおい、春ちゃん呼び、定着すんじゃねえぞ。まだ朝比奈にも百瀬にも会っていないが、あいつらもそう呼ばないといいが……。
「学校じゃないならいいのか?」
「そういうのいいから。さっさと帰れ」
咲良の背を押して、教室から追い出す。
まったくどうして朝からこんなに疲れなきゃならんのだ。
テストの結果は四時間目が終わってから配られた。
まあ、いつも通り、といったところか。
「三者面談の時に使うから、親にも見せとけよ」
あーそっか、写真でいいかな。あとで送っとこ。
「それと、進路のことについてだが、事前に親御さんと話しとけよ。ちゃんと話し合ってなくて目の前で喧嘩されてもいかんからな」
先生は冗談っぽく言っていたが、目は笑っていなかった。たぶん今までもいろいろあったんだろうなあ……。
それにしても、進路か。
正直言ってよく分かんねえんだよな。何になりたいとか、小学生の頃はなんとなくあった気もするけど、今となってはなあ。
「あ、一条ー。今帰り?」
「百瀬か。あぁ」
「じゃ、途中まで一緒に行こー」
廊下でちょうど百瀬と会ったので、だべりながら昇降口へ向かう。よかった。一番、春ちゃんって呼んできそうなやつが呼ばなかった。
「進路とかよく分かんねえな」
俺がぽろっとこぼすと、百瀬は「そうだなぁ」とのんびり頷いた。
「まぁ、俺は就職だなあ」
「そうなのか」
百瀬のクラスは私立大学、専門学校、就職希望の生徒が集まっているクラスだったので、あまり驚かない。でも、絵がうまいし、お菓子も作れるのでその手の専門学校にでも行くのかと思っていたのも確かだ。
「一条は進学でしょ? 志望校決まってないの?」
「やー、よく分からん」
「だよねぇ」
外は異様なほどに暑く、少し立っているだけで汗が首や背中を伝う。
今日はなんだか、冷たいものが食べたい気分だった。
というわけで今日の晩飯はおろしそばにする。
こないだおろしうどんは食ったので、今日はそばだ。そばは冷凍のやつが便利である。なんてったって、レンジでチンすれば食えるのだから。お湯を沸かさないでいいのは暑い夏にはありがたい話だ。
大根だけは頑張っておろす。で、大根おろしだけではちょっとさっぱりしすぎなので、天ぷらも買ってきた。コーン、海老、玉ねぎ。三種類がひとセットになって安かった。
あ、いかん。麺つゆなくなりそうだ。買っときゃよかった。今日の分は足りるからいいけど。
「いただきます」
そばはうどんよりもするする入っていく気がする。めっちゃ風味がいいわけではないが、遠くに感じるそばの味がいい。麺つゆと一緒にすするとおいしい。
コーンの天ぷらはとても甘い。シャキシャキ、プチプチした食感も好きだ。玉ねぎはまた違った甘さがあって、少しトロっとしている。今日の海老は少し大きかったらしい。食べ応えがある。衣にも海老の味が染みていていい。
そしてやっぱり大根おろしがさっぱりしていておいしい。麺つゆで茶色く染まった大根おろしはとげもなく、そばとうまいことからまっていい味を出している。
俺、進路のことはよく分かんないけど、こうやっていつまでもうまい飯を食っていたいなあとは思う。ま、三者面談でそんなこと言おうものなら、先生には変な顔をされ、母さんは大爆笑するだけだろうけど。
あ、そうか。
これからもうまい飯を食うためにどうすればいいか、そう考えて進路を決めればいいんじゃなかろうか。
うんうん、それもありだよな。
「ごちそうさまでした」