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一条春都の料理帖  作者: 藤里 侑
日常
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第三十一話 メンチカツ

 その店には、いつも空いているバットがある。

 アーケードを通り抜けた先、左右とまっすぐ、三つに分かれた道をまっすぐに行く。右に行けば、駄菓子屋とお寺があって、左手には大きな石鳥居がある。

 まっすぐ進んだ先は細い道になっている。民家や空き家が連なっており、ひとけもなくてとても静かだ。その並びに、目当ての店はある。

 ずっと昔からある、老舗の肉屋だ。店先にはショーケースがあって、年代物らしいが、清潔に手入れされている。

「いらっしゃいませ」

 店主は何代目だろうか。愛想のいい笑みを浮かべた高齢のご婦人だ。

 牛肉、豚肉、鶏肉と結構な種類が売られている。中にはスーパーでは見かけないような珍しい部位も。ちょっと値は張るが、物はいい。頼めばいろいろ仕入れてくれるらしいけど、いったいどんなルート使ってんだろ……。

 精肉だけではなく、お惣菜も売られている。から揚げ、コロッケ、ハンバーグ……ハンバーグは焼いてあるのと焼く前のと二種類ある。

 それらはいつも売り切れるたびに追加補充されているのだが、その中でたった一つ、一度もお目にかかったことのない商品がある。

 いつやってきてもそのバットは空で、今日一日何もなかったのではないかと疑ってしまうが、わずかなパン粉だけが残されていて、確かにそこに何かが存在したことが見て取れる。

 そこにある値札には『メンチカツ』と手書きで書かれていた。

「あ、今日もない」

「ごめんねえ、夕方はもう売り切れちゃってるの」

 俺のつぶやきに店主が眉を下げる。

「人気なんですね」

「揚げていると結構においがするから、すぐお客さんが来るのよ」

「いつ揚げているんですか?」

「朝と、お昼にね」

 数もそんなに多くないの、と店主は付け加える。

 そっか、朝とお昼か。じゃあ今度は学校の帰りに行ってみようかな。そんなすぐに売り切れるほど人気なら、ちょっと一回食べてみたい。

「じゃあ、その時を狙ってきます」

「ええ、ええ。いらっしゃい」

「今日は……」

 結局俺はハンバーグを買った。もうすでに焼いてあるので、温めるだけでいい。味付けは塩コショウだけされてあるので、デミグラスソースで煮るなり、トマトソースをかけるなり自由だ。俺は、醤油をかけて食べる。

 精肉は確かに物がいい分ちょっとお高いが、総菜は逆にリーズナブルだ。だからといって味が悪いわけではなく、丁寧に仕込みがされているのでおいしい。

 ……でもやっぱ、メンチカツ食べてみたいなあ。


「おーい、春都。帰ろうぜ~」

 その声に俺は思わず眉間にしわが寄った。

 今日は授業が終わったらすぐに例のメンチカツを買いに行こうと思っていたのだが、あいにく最後の授業が長引いた。

 いや、長引く分はいいが、長引いたら咲良が教室に迎えに来て一緒に帰る確率が上がる。

 そしたら案の定だ。咲良は、夏休みになっていつにもまして軽そうなカバンを肩にかけ、両手をポケットに突っこんだまま俺の席に近寄ってきた。

「なんだよその顔」

「別に」

「あっ、さては俺が迎えに来てうれしいんだろ」

「お前はもうちょっと読解力をつけるべきだ」

「俺こないだ国語の成績べらぼうによかったんだぜ」

 じゃあ何で理系にいるんだ。

 いや、いかん。

「こんな不毛な会話をしている場合じゃない」

「不毛て」

 仕方がないので俺は咲良と連れ立って帰ることにした。

「なんか用事でもあんの?」

「ある」

「何?」

「売り切れ必至のメンチカツを買いに行く」

 また飯のことかよ、と笑われるかと思ったら、以外にも咲良は真剣な表情をしていた。

「え、何それ。俺も食いたい」

「……おごってやらんぞ」

「さすがの俺でも何の脈絡もなくおごれとは言わねえよ!」

 いや、こいつのことだから言い出しかねない。

 でもまあ、今回は自分で払うつもりらしいから、一緒に行ってもいいだろう。

「店はどこ?」

「こっち。あんま人通りないとこだから」

 学校から行くなら、鳥居の方から行った方が早い。じりじりと肌を焼く太陽の下、俺たちは気持ち足早に店へ向かう。

「ん……」

 鳥居を抜けると、何やら香ばしいにおいが鼻をかすめた。

「なんかいいにおいするんだけど」

「これは……」

 店先に行くと、まだ人影はない。

 はやる気持ちを抑えてショーケースの中をのぞき込む。いつも空のバット。しかし今日はそこに、こんがりきつね色のメンチカツが整列していた。

「あら、いらっしゃいませ。今日はお友達と一緒なの?」

 その言葉に視線を上げると、店主がニコッと笑って立っていた。

「ちょうど今揚がったところよ」

「あ、それじゃあ、二個……いや、三個ください」

「俺も~三個お願いします」

 店主は笑うと「三個ずつね」と言って、袋に詰めてくれた。

 今、一個食べよう。そうしよう。

「春都なんかそわそわしてんな」

 咲良がにやつきながら指摘するので、俺はハッとして一つ深呼吸をする。

「うるせえ」

「否定はしないんだな」

「はい、お待たせ~」

 渡された紙袋は熱い。「冷めてもおいしいわよ」と店主は教えてくれた。

 俺たちは代金を支払うと、日差しを避けるようにしてアーケードに向かった。

「いただきます」

 紙袋の中から一つ取り出す。待ちに待ったそれはずしっと重く、熱々で、結構大きかった。

 やけどしないように気を付けながら思いっきりかぶりつく。ジュワッと肉汁があふれ出し、噛むほどに肉の味が染み出してくる。

 みじん切りされた玉ねぎも程よく、甘みと食感がいいアクセントになっている。味付けも濃い目なのでソースとかはいらない。

「にしても、いいよなー、春都は」

「何がだ?」

 隣で同じようにメンチカツをほおばる咲良が言う。

「こうやって好きな時に好きなもん食えるって」

 その言葉に俺は少し考えこんでしまう。

 まあ、確かに、自由に飯が食えるのはいいことかもしれない。そして俺も、それを楽しんでいる。けれど。

「……誰かが飯を作ってくれるってのは、思ってる以上に幸せなことだぞ」

 咲良はその後、少し沈黙して「そうだな」とだけつぶやいた。

「うまいな」

「ん、うまい」

 残りは晩飯にしよう。ちょっとソースとかもかけて食べてみたい。

 単体でも十分おいしいが、これ絶対ご飯に合うぞ。


「ごちそうさまでした」


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