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一条春都の料理帖  作者: 藤里 侑
日常
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第二十三話 たこ焼き

 早朝。セミがまだおとなしく、空が白み始めるころ。俺は河川敷を歩いていた。

 いや、正しくいえば、うめずと一緒に、だ。

 夏の散歩は基本この時間に行う。サンサンと日が照り付ける昼間に散歩はできないからだ。ちょっと眠いが、気持ちはいい。特に川辺ともなると涼しい風がそよいで心地いいのだ。若々しく青い草の香りが、これからやってくる暑さを思わせる。

 この時間帯に活動している人たちは結構いる。暑くなる前に運動しとこうって人がやっぱり多いんだろうな。

「ふあぁ……ん?」

 向こうからなんかオレンジ色の影が近づいてくる。どうやらランニング中の人らしい。オレンジ色はジャージの色か。短髪で高身長で見るからに運動が得意そうだ。俺には一生無縁の風格なんだろうなあ。

「おはようございます!」

「おはようございます」

 すれ違いざまにめっちゃ威勢よくあいさつされた。若そうだけど、たぶん、年上だろう。

 でもなんかどっかで見たことあるような……。

 ――と、ぼんやりしたのがまずかった。

「わうっ」

「えっ、ちょ」

 急にうめずがリードを引っ張るものだから思わず手を放してしまう。と、うめずは歩いていた方向とは反対方向に全速力で走り始めた。

「ま、待て! うめず!」

 鬼ごっこで鬼になれば負け確の俺である。テンションマックスのうめずのスピードに追い付けるはずもない。ぐんぐんと距離が開いていく。

 まずい。これ、やっちまった。いやそんなこと考えてる場合か。

 ――しかし救世主とは現れるもので、さっきすれ違った人が俺の声かうめずの気配に振り返った。その人は一瞬びっくりしていたが、うめずのテンションを確認すると立ち止まった。そして、何とか確保。

「どうした、ずいぶんおてんばだな?」

 たぶん、その人はうめずにそう声をかけていたのだと思う。正直、久しぶりの全力疾走で耳が痛いし肺も痛い。ぜーはー言っていると、その人はうめずのリードを持って立ち上がって、声をかけてきた。

「とりあえず、休もうか」


「……ご迷惑をおかけしました」

 ベンチに座り、近くの自販機で買ってもらったペットボトルの水を飲んで、何とか落ち着いた。

 当のうめずはというと、捕まえてくれたその人の足元をうろうろしている。

「もう大丈夫そう?」

「はい……運動神経が悪いもので……」

「とにかく、捕まえられてよかった」

 この人の言うとおりだ。あのまま逃げて見失っていたらと思うとぞっとする。

「ほんと、ありがとうございます。水ももらってしまって……何かお礼を」

「気にしないでくれ」

 その人はニッと笑って見せた。精悍な顔立ちの人だなあとぼんやり想う。

「それよりさ、君、よく店に買い物に来てくれてるでしょ?」

「え?」

「ほら、高校から少し行ったところの、花丸スーパー」

 花丸スーパー、といったら、行きつけのあそこしかない。

 ……あ。

「こないだうめずを二度見してた……」

「ばれてたか」

 その人は田中幸輔というらしく、大学生だといった。花丸スーパーでバイトをしているとのことだ。

 田中さんは少し眉を下げて笑った。

「俺はどうも分かりやすいらしい」

「犬、好きですか」

「ああ。だからつい見てしまった」

 そう言って田中さんはじゃれついてくるうめずの頭に手を置いた。

「この時期はいつもここを散歩してるの?」

「はい」

「じゃあ、今後も会うかもしれないね」

 何なら俺が気付かなかっただけで、何度かすれ違っているのかもしれないけど。

 田中さんは屈託なく笑うと、俺にリードを返した。うめずの視線が田中さんから俺に移る。

「また会ったときは、うめずと一緒に走らせてくれると嬉しいな」


 まあ、確かに、俺とのんびり歩くだけより、一緒に走った方がうめずも気持ちいいかもしれないなあ。

 あれから田中さんと別れた後、いつも通りの散歩に戻った。時計を見れば七時。

「そろそろ帰るか」

 家に向かって方向転換したとき、ふわりといいにおいが鼻をかすめた。

 花とかそういうにおいじゃなくて、料理のにおい。香ばしいような、どこかで嗅いだことがあるような。

「あれ、ここ、パン屋じゃなかったっけ?」

 川辺には民家といくつかの小さな店が並んでいて、ほとんどが今は静まり返っているが、一軒だけもう開店しているらしかった。もともとパン屋だったはずのその店は、いつも間にやら違う店になっていた。いわゆる露店風というか、店先でテイクアウトしていく感じの店だ。

 店の前に行くと、例の香りの正体が分かった。

「たこ焼きだって」

 普通のものをはじめ、和風やら明太マヨやらバリエーション豊かだ。もう焼き始めているらしく、店の主らしき人が手際よくクルクルとたこ焼きを作っている。

 朝飯は一応食べたけど、うめずとの追いかけっこで腹が減った。一つ買ってくか。

「すみませーん」

 ちょっと悩んだが、結局は普通のやつを買った。

 近くにベンチがあったのでそこに座って食べることにする。木目っぽい模様の、よく見る入れ物に入れられているたこ焼きは全部で六個。一個一個が結構でかい。

「いただきます」

 焼きたて熱々のたこ焼きは、一口で食べるには危険すぎる。まずは半分に割って食べよう。表面はカリッと、中はトロッと。真っ白な湯気が立った。

 ソースの甘辛さとかつお節の風味がおいしい。青のりもかかっているらしい。刻んだ紅ショウガが噛むと爽やかだ。たこも意外と大きくて噛み応えがある。じわーっと染み出す味がソースと相まっていい。たこ足の先っぽの方が俺は好きだ。

 ちょっと冷めたかなーってところで一口でいく。少ししっとりした表面にソースがよく絡む。

「あっち」

 やっぱりちょっと熱い。もらっていた水を少し口に含んだ。

 おいしいなあ。せっかくだし、今度は別の味も食べてみよう。いつか全制覇してみたいな。


「ごちそうさまでした」


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