episode.05
蛍を見に行こうとミダラに誘われた白雪は夜の庭に出ていた。
「イザナは何か言っていましたか?」
「ははは、君を好きなようにして良いってさ。破茶滅茶にしちゃってって言ってた」
「破茶滅茶ですか。それは楽しみです」
「しないよそんな事。僕だってまだ死にたく無いんだ」
イザナが何を考えているのかはよく分からなかったが、白雪はミダラ相手でもいつものペースを崩す事は無かった。
ついでに表情も完璧に作り上げている。
「蛍は魔界にも存在しているんですね」
「元は人界の生き物だけど水が汚れてこっちに移り住んだみたい」
「そうでしたか。人の事は言えませんが、愚かなものですね。これほど美しいものを人の世は失いつつあります」
白雪が人界で過ごしていた頃、夏になってもこんな蛍の大群は見た事が無い。
蛍という生き物はもはや、絵本や物語の中の生き物となりつつある。
明かりの少ない魔界で、蛍はより一層輝き、美しい情景に白雪は目を奪われていた。
「アーク様はきっと君を正妃に迎え入れるよ」
突然そんな事を言い出すミダラに白雪は微笑んだ。
「…心配しているように見えましたか?」
「少しね。僕は初めの頃は君がここを抜け出したくてそんな顔をしているのかと思っていたけど、どうやら違うと気づいた。こうして僕の力を借りようとするのは早くその地位を手にしたいから?…まあ、僕の力を借りようとしたのは君じゃ無くてイザナだけどね」
ミダラはいつもの穏やかな表情を崩さない。その姿は淫魔でありながら人間そのものに見える。
「地位はあまり興味がありません」
「あはは、そうだろうね。見てれば分かる」
「ミダラ様はそんなに私の事を観察しているのですか?」
「人間の女の子だからね。アーク様のものじゃ無かったら手を出しているよ。君は可愛いし」
「そうやっていつも垂らし込んでいるのですね?」
「バレた?」
ふふふと白雪が微笑むのに合わせて、ミダラも口角を上げた。
「単純に、アーク様が好きだと言う理由では納得して頂けませんか?」
白雪が背の高いミダラを見上げる。真実を語る、どこか挑戦的な瞳だ。
「君の命の恩人だから?」
「その理由が無いとは言いません、事実ですので。」
「他にも理由が?」
白雪は視線を蛍に向けた。真剣な面持ちの白雪にどんな話が聞けるのかとミダラは興味を示していたのだが、ふいに白雪がニコッと微笑む。
「顔です!完全にお顔がタイプです」
人差し指を立てて得意げに言う白雪にミダラは面くらい、そして吹き出した。
「ぷっ…あっははは!そうだね、そういうことにしておこう。真の理由は、君の心の中だけに」
「はい!」
2人の視線が再び蛍を捉えて、穏やかな空気が包み込む。
それはまるで若い人間のカップルが、夜の幻想的な風景を前に肩身を寄せているようにさえ見えた。
「ねえ、今日の事は君からきちんとアーク様に言い訳をしてくれる?それとも僕は牢獄行きかな」
「…?そんな事にはならないと思いますけど、心配でしたら私からきちんと説明しておきます。」
「そうしてくれると助かるよ。結構お怒りのようだから」
なんの事かと首を傾げている白雪だったが、答えはすぐに分かった。
「白雪」
聞き慣れた声だったのに白雪は思わず、悪事がバレた罪人の如く肩を揺らしてしまった。
それでも、振り向き様に顔だけは繕った。
「これはこれはアーク様、どちらへ?」
「…お前に用があったから呼びに来ただけだ」
「そうでしたか。それはお手間をおかけしてすみません」
「いや、構わない」
どこか煮え切らない態度のアークが気になったが追求はしなかった。
「じゃあ僕はこれで。男の誘い文句ならやっぱりイザナの方が詳しいよ」
ミダラのこの一言で、今日のこの密会は白雪が男性の誘い文句をミダラに習おうとしていたという事になってしまった。
何もしていないという自衛の意味もありそうなので白雪もその話に乗る。
「そのようですね。ですがミダラ様のご意見も参考にさせて頂きます」
ヒラヒラと手を振り去っていくミダラと、それをにこやかに見送る白雪。
アークだけが難しい顔をしている。
「すみません、お待たせしました」
「……お前、あいつに何かされなかったか?」
白雪は微笑む。
「何かとはなんでしょう?」
ぐっとアークの眉間に皺が寄ったのを見て、白雪は笑みを深めた。
「ミダラ様にはどうしたらアーク様を誘惑出来るか教えてもらっていただけですよ」
「………何か、得られたか?」
「興味がおありですか?」
「いや」
白雪は微笑み、アークは目を逸らす。アークが何か探ろうとしても、やはり白雪のペースに乗せられるのがオチだ。
「ところで、何かご用があったようですが…?」
「………疲れたからお前の顔を見に来ただけだ」
「おやそうでしたか!ハグでもしますか?程よいスキンシップは疲れを癒すと聞きます」
「いや、余計に疲れる気がする」
「そんな事はありませんよ!現に私はアーク様の逞しい体に抱きしめられたら3日飲まず食わずでも平気そうです」
「そんなわけがあるか」
「試してみますか?」とまた冗談めかして笑いながら言う白雪の隣をアークが合わせて歩く。
「部屋に来るか?デビルが茶を淹れていた」
「良いのですか?」
「暇だろう?暇なお前を放っておけば必ず何かしでかす」
「ではお言葉に甘えて。デビちゃんが淹れるお茶は美味しいですから」
そんな様子を淫魔のイザナが柱の影から「何よ、仲良しじゃない」と見ていた。