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ワルツ64-2

作者: 谷村径夫

有希、私は元気よ。

おっ!珍しい人から手紙が・・・もしかして、結婚の報告・・・。


有希もいよいよ結婚か、相手はどういう人かな?と期待したのに、うれしい報告ではなかった・・・。

あまり選んでばかりいないで、この人と思ったら決めなさいよ。もう目が肥えに肥えちゃってパンパンになってるんでしょ。


どうなの正直に言いなさいよ。今付き合っている人とはうまくいっているの?

有希ならいくらでも出逢う機会があるんだから、彼がいないのは変よ。

それとも危ない恋でもしてるんじゃないの・・・

ドラマの見すぎかしら・・・失礼しました。

でも本当のところどうなの?

ちゃんと教えてね。


桜庭君のこと、東京都庁にいるということは聞いてたけど、まさか有希と同じ部署にいるとはびっくり。

彼元気に仕事してる?

小中高いっしょだったの。

彼、お酒がぶ飲みするから無茶飲みしないように体に気を付けてください、とでも伝えておいてください。話す機会があったらでいいです。


ところで、どんな仕事しているの彼は?

同窓会なんかで集まると、話題になったりするでしょ・・・あの人はどこに勤めてて元気だとかなんとかって。

情報に乏しい私は話についていけないのです。有希も同じ仕事なのかな?


とにかく有希の朗報を待ってるよ。

ご家族は元気ですか(突然!)

風邪ひかないように元気でいてね。


また、手紙ちょうだいね!


*************************************

これ「美羽からの手紙、元気で暮らしているみたい?」

「そう、有希ちゃん、美羽に手紙出したんだ。俺と一緒に働いているって」

「知ってるでしょ。美羽は中学のとき私と同じ学校に転校してきて、私たち親友と言ってもよかった。それで、桜庭さんが小学校や高校で美羽と仲が良かったっていうから、桜庭さんが都庁にいるって言っちゃった」


桜庭と美羽は高校から大学卒業後まで、付き合った。それにもかかわらず、美羽は私立大学を出て都庁に入庁した桜庭を捨て、その頃既に、東大を出て総務省に入った秀才と見合い結婚していた。


男は有名企業に入ると急にもてだす・・・実のところ、社会に出ると女はスペックで男を選ぶようになる。極論すれば、顔や体形にはそれ程拘らなくなり、ハイスペックな男と結婚したがるようになる。

女にとって、恋愛と結婚は別である。口では絶対に言わないが・・・。 

学生時代、いいだけ遊んでおいて結局は見合い結婚か。そのときふと、桜庭は心の中で美羽との美し過ぎた恋愛を思い出した。


桜庭は美男であった。美貌の女にさえよくもてた・・・おそらくはその容貌のために。


有希は桜庭を愛していた。その風貌だけではなく、温厚な性格も好きだった。

「その手紙、桜庭さんもっといて」そう言って、有希は何故か美羽の返信を桜庭に手渡した。


麻布でモデルにスカウトされたことさえある美羽が、過去に桜庭をあれだけ愛した理由は十分にあったのかも知れない。しかし結局のところ、美羽はスペックに惹かれ、桜庭を捨てた。

そんな桜庭を有希は心から愛してくれた。有希は大学は教育学部に進んだが、なぜか公務員試験のために法律や経済学を独学で勉強して、都庁に入った。もっとも大学は名のある、アルファベットで一番下の私立大学だった。


それにしても、なぜ有希は手紙なんて今では誰も書かなくなったものを美羽に出したのだろう・・・そうだ、有希は美羽から招待された結婚式の招待状から、新婚の美羽の住所を知ったんだ。桜庭は合点した。

事実、中学を卒業して以来、有希と美羽との実質的な交友はなかった。


有希は大学に入り、美羽は今は廃校となったアルファベットで最初に出てくる短大に入った。そのときの有希の美羽に対する優越感は如何ばかりであったかは想像に難くない。


*************************************

そんなある日、有希は突然桜庭のマンションを訪ねてきた。彼女は手作りのローストビーフとシャトー・ラフィットロートシルトを持ってきた。そして、高島屋の包みを剥がすとエビとアボガドのサラダがオリーブオイルのわずかな光の反射を放っていた。


「少し深いお皿ある?」

「ああ、あるよ!」桜庭はサラダ皿とスライスしたローストビーフを乗せるためのリチャードジノリを有希に手渡した。有希は持参したエプロンをかけ、「今日はいっしょに夕飯食べよう」と他意のない口調で言った。有希の焼いたローストビーフを食しながら、二人は語り合った・・・桜庭の部屋には古いスタインウェイのアップライトがあった。

「桜庭さん何が弾いて頂戴!」

「じゃショパン、ノクターンかワルツ・・・」

「ワルツがいいな」

桜庭は、ホロヴィッツ風にではなく、ルービンシュタインのように抑揚をつけずに弾いた・・・。


「昔、ジミー・カーターが大統領だったとき、あのホロヴィッツがホワイトハウスで弾いた曲らしい」

・・・「綺麗な曲ね、ホロヴィッツって聞いたことあるよ。昔日本に来たんだってね」

「1983年と1986年。あまり評判よくなかったみたいだけど・・・」


二人は、夜が更けるまでラフィットロートシルトとともに語り合った。

やがて、窓外には灯りのともった東京タワーが見えていた。


「もう遅いんじゃない?ご両親心配しているよ」

「白銀まではすぐだから、俺、送っていくよ」有希は表情を変えなかった。いや表情を変えない振りをした。


その夜、有希は桜庭のマンションに泊まるつもりだった・・・しかし桜庭はあの手紙を読んでから、有希を抱く気にはなれなかった。


一ヶ月後、桜庭は中央線に乗っていた。有希が桜庭に渡した手紙には、武蔵野市吉祥寺本町のアパートの名が記されていた。

中央線に乗ると、中野から吉祥寺にかけて延々と続く住宅街が見渡せた。しかし、桜庭は生活が沈潜しているその風景に何の関心もなかった。


吉祥寺に着くと、桜庭は北に向かってしばらく歩いた。

美羽は新築のアパートの二階に住んでいた。桜庭は、自らの目で見た美羽の生活の外観を心に刻んだ。ベランダ越しの薄黄色のカーテンを見て、「美羽、幸せになってよかったな・・・」と彼は呟いた。それは桜庭の本心であった。


*************************************

桜庭は二年前の晴れ渡った日に、池田山公園を美羽と散歩していた。

やがて夕刻となり、夕暮れが広葉樹の葉を透いて二人を染めだした。

「美羽、五反田で飯でも食って帰ろうよ」桜庭は、美羽をオイスターバーに誘った。

「晩飯は、シャルドネとオイスターで行こう」

ところが美羽は不自然に、「今日は話があるの・・・」と言葉を返した。

「何かあった?」

「もう私たち、会うのよそう」

「美羽、急にどうした?」

桜庭の動揺を予見していたかのように、美羽は桜庭を渾身の力で抱きしめた。「私、結婚するの・・・今は何も聞かないで・・・」


それからしばらくの間、桜庭は失意の日々を過ごした。池田山公園で別れ際に美羽の言った「ごめんなさい」の一言が桜庭の心から離れることはなかった。


“容貌は、其の持主を何人にも推薦する”、陸軍の軍医総監でもあった明治の文豪はそんな言葉を残している。


いつしか、有希が桜庭のマンションを訪れてから、半年が経っていた。

ある日、有希は都庁第一本庁舎の通称“誰でも弾けるピアノ”があるフロアに桜庭を呼び出した。

「私、桜庭さんのショパンが聴きたいな・・・」おもむろに有希はそう言った。

桜庭は、ショパンのワルツ64-2を弾いた。

それは、有希が桜庭のマンションを訪れたときに、有希に聴かせたショパンのワルツだった。

「私、YouTubeでホワイトハウスコンサート聴いたんだ・・・ホロヴィッツは凄かったけど…そうね、桜庭さんらしくスコア通りに弾いてるよ」


残響の中で、「私、桜庭さんのことが好きだった。でも桜庭さんは過去をずっと見つめていた」有希はそう言って桜庭に背を向けた。








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