ホームにて
ホームにて
名古屋まで行く、母は娘の結婚式に、ひっそりと出たかったのである。しかし、母は混み合った、地下鉄の中、リュックサックから財布を抜き取られたのである。一文無しだ。困った、本当に困った。
母はまず考えた。これを警察沙汰にすると晴れの門出に間に合わない、しかも大問題だ。
娘は友人たちと共に集まり、ちょっとした結婚式だと言う。ウェディングドレス姿が見たい。ホームでは、汽笛が鳴っている。追いかけ追いかけ行く。しかし駅員さんに言うのはまずい。大問題になる。時間がない。
母はまず身に着けていたアクセサリーを、何気にベンチに座った隣の方に事情を話し売ることにした。一つ売れ、一つ売れ、しかし合計で二千円程度だった。
母は娘のウェディングドレス姿を見たかった。必死になり、時計を売った。しかし五百円。ホームにある大きな時計を見るしか無い。
売るものが無くなったのは夕方五時、さてどうしよう、手元には四千五百円しか無い。今度は荷物に入っている、ちょっとした服を売る事にした。しかしこれが大変、サイズ、色と。今度はひと苦労を心構えした。
事情を話しても、同情だけだった。
ホームには汽車の通過する音しか母には聞えなかった。ラッシュの時間である。しかし天は見放さなかった。たまたま隣に座ったマダムが、耳を傾けてくれ、ボストンバッグごと、三万円で、買ってくれた。ありがたかった。よし、これで何とかなるかも……。しかし、まだ足りない。母は、仕方が無い、着ている、ちょっとミンクのコートを売る事にした。季節は二月だ。母は化粧室へ行き、綺麗に畳んで又、ホームへ行きベンチに座った。寒い。これが最後だ。これが、困難だった。ラッシュ時で人が混み、事情を話すどころでは無く、ベンチに座る人はいない。
しかし、寒さを堪え母は必死だった。
夜八時になりようやくホームが落ち着いた頃ふと、紳士が不思議な恰好、冬なのに、コートを着てない姿が目に入ったのだろうか。
その方は話を聞いて下さり、ポケットから二十万円を出して下さった。母は名刺を頂き借りる事にした。
『これで大丈夫……』
寒そうにしていると今度はホームレス風の人が近づいて来て、寒いだろうと、臭いのする自分のジャンバーを、そっと着せてくれた。感謝だった。母はそのユウジさんという名の人の話に耳を傾けた。どうせ宿はない。朝一の汽車で行く事にした。朝になり、桑園駅発、札幌方面行き六時五分、こうして、沢山の方々に助けられ出発出来る事になった。間に合うだろうか……。ひっそりでいい、ひっそりでいい。車内の空気があのユウジさんから頂いたジャンバーの臭いで、白い目で見られたが、そんな事は気にしてはいられない。名古屋まで、急げば間に合う。
娘の結婚式は夕方、六時、友人婚だ。
向かう事は娘からの事前の約束だった。
ひっそりとするなら、しばらく会っていない疎遠の息子の顔も見れるとの事だった。胸が熱くなる。高まる思いでいっぱいだ。
母はこうして、一般的にはみすぼらしい老婆であるが、無事、名古屋の式場へ着き、一番後ろの席に、ひっそりと座ったが、さすが、娘である。母の顔を、覚えていてくれていたのである。娘が抱きついて来た。
見守ることができ、何も言わず、涙をこらえながら、娘の幸せを祈り、母は帰る事にした。心に残す事は無い、胸いっぱいになり満たされた。娘には、事前に花屋さんから、手元に送られる様に、”ブーケ”を用意していた。それを、手にしていた事も心に大きく残った。
ー今となれば笑い話だ。娘は三人の子宝に恵まれ、旦那様は、とってもいいパパだ。