毒をもって毒を制す(5)
「良くお似合いですわ、お嬢様。」
着付けをしてくれたアンがそう言ったのは、ギルバートが部屋を後にして一時間半ほどしてからだった。
ブローチを胸元につけて、母の形見のドレスに身包むと、自分でも驚くぐらいに、在りし日の母に似ていた気がした。
違うのは、髪色と虹彩の色、それから、夢見る少女だったようなおっとりとした雰囲気とは真反対の、令嬢っぽくない意思の強そうな顔付き。
ドレスは戦闘服だとステファニーが言ったのも納得で、いつも身に付けているものとは違って、何だか気合いの入り方が違う。
「アン、やはり髪形を変えてほしいのだけれど。」
「変えられるんですか?」
「うん、気を悪くしないで欲しいんだけど、気分を変えたくて。ああ、そうだ。レベッカにお願い出来ないかしら。」
「レベッカですか?」
「ええ、呼んできてもらえる?」
「承知しました。」
一旦、セットした髪を崩し、アンはレベッカを呼びに行く。エリザベスは鏡の中の自分に手を差し伸ばした。
母の愛用したドレスに、同じく愛用したブローチ。
自分ではそうとは分からないものの、母を知る人に「ベアトリスによく似ている」と言われたのもあってか、確かに思い出の中の母の姿に重なって見えてくる。
(私は、私・・・・・・。)
そう自分に言い聞かせないと、自分で自分を見失ってしまいそうになる。
(私はお母様とは違うわ。たとえ、お父様が私を見捨てて、オリバーだけを選んだとしても・・・・・・。)
今の自分にはギルバートという『エリザベス』個人のために泣いてくれる人がいる。
(私はお母様のようにはならないわ。)
たとえ、ギルバートが自分の心の支えになっていて、彼を失ったり、彼に去られたりしたら、一分一秒でも息をするのが嫌になりそうでも。
(私は『大丈夫』よ・・・・・・。)
笑って、ギルバートを送り出さねば。
「お嬢様、お待たせ致しました。」
その声と同時に、覗き込んでいた鏡の奥のドアに映りこんだのは、すっかりメイド服が板に着いたレベッカで、エリザベスを見ると恭しくお辞儀をした。
「お呼びと伺いましたが・・・・・・?」
「ええ、髪を結って欲しくって。エリントンのお邸で初めてあった日に教えてくれた髪型にしたいのよ。自分でも出来るように教えては貰ったけれど、レベッカにやってもらった方が後ろが綺麗に仕上がるでしょう?」
「ああ、あの編み込みのでしょうか?」
「ええ、それをね、今夜はもうちょっとパーティー風にしたものをお願いしたいの。」
「承知しました。」
そう言うと、レベッカは手際よく髪を梳いて、いくつかの毛束にまとめていき、その毛束ごとに編み込みを施しては紐で括っていく。
「結びの加減はよろしいでしょうか?」
そして、元々の髪型に合わせて用意されたバレッタを手にすると、エリザベスに何ヶ所か当ててから断念し、「髪飾りはいかがなさいますか? 他のにしても?」と尋ねてきた。
「そうねぇ、このままでも悪くないのだけれど。せっかくの編み込みが引き立つようなものはあるかしら? それも見繕ってくれる?」
「承知しました。」
そう言ってレベッカがジュエリーケースを広げて選んでいる横で、アンが心配そうに見つめてきているのに気がついた。
「アン、大丈夫よ。ちょっと気分を変えたかっただけだから。この髪型でも似合うでしょう?」
「ええ、お似合いです。」
それでもアンは心配そうな眼差しのまま「きっとギルバート様も惚れ直しましょう」と微笑む。
エリザベスはもう一度「大丈夫よ、本当に」と繰り返した。
「私はエドガー=スペンサーの孫娘よ? こんな事ではへこたれないわ。」
そう。自分は国の英傑として誉高い武功の臣の孫娘だ。奇策でもって、敵の裏をかき、あまたの軍を退けてきた智略の将、エドガー=スペンサーの孫娘。
「神託の巫女だか、何だか知らないけれど、やられっぱなしは性に合わない。そうでしょう?」
今考えるべきことは、ギルバートが安心して動けるように、自分ができる最善のことは何かだ。
『僕は君を守るためなら、持てるものを全て使う覚悟をしたんだ。』
彼の覚悟を聞いて、自分も『彼を守らなくては』と改めて覚悟をした。
「今の私には切れる手札はそう多くないわ。せいぜいお祖父様に泣きつくくらいでしょう。それなら、精一杯、泣きつくわ。」
それにいまいち信用はしきれないものの、自分に味方をしてくれようとしている人はいる。
ウィンザー家のフィリップは言ったのだ。「秘された王国の花よ、私はあなたに忠誠を誓いましょう」と。
(使えるものは使わなければ・・・・・・。)
今すぐは船酔いの影響で役に立たないかもしれないけれど、彼の持つ情報網は次代の「王の耳」だし、その交渉力や人たらしなところは一目を置くべきだとヴェールズでの夜会の時に気が付いた。
ステファニーが相手の好みに合わせて、色んな引き出しを開けて話題を振りながら受け応えするのに対して、フィリップは逆に相手を褒めて、口を軽くさせて、欲しい話題の引き出しを開けさせる。
あれがフィリップの「王の耳」としての実力なら、なるほどと思ってしまうし、あれを見た後だと彼の「仕事ぶり」は信頼に足る。
(ギルが接触を警戒するのも納得の人だわ。)
フィリップは使いどころを間違えたら、足を掬われる。だから、極力、会わないようにしてきたわけだが、ギルバートを除いては自分に力を貸してくれそうな人の二番目に彼がいることも間違いない。
毒をもって毒を制す。
フィリップが自分にとって、猛毒になるか、薬になるかは用法用量次第だろう。
「・・・・・・お食事が終わったら、お祖父様と今後のことを話す時間を取らなくてはね。」
「今後のことでございますか?」
「ええ、お祖父様はここに来ることを『戦略的撤退』だって仰っていたわ。お祖父様だって、お祖母様との思い出の地を、あんなバカ息子と業突く張りの夫婦とくそ生意気な餓鬼に屋敷や領地を乗っ取られたままにはしたくないでしょう。あそこの土地はお祖父様が手塩にかけた土地よ? ダメにされたくないでしょう。」
エリザベスは伯父たちのことをハッキリと「バカ息子」だの、「業突く張り」だの、「くそ生意気な餓鬼」だのと言い切ると、何だかスッキリした気分になって、ふふんと鼻を鳴らして笑う。
アンはそのいたずらめいた笑みを見ると、ようやく安心したのか、面白がって「もう『伯父様』とは呼ばないという事ですね?」と笑った。
「ええ、もう、彼らに歩み寄る気は一切ない。お祖父様があの邸から離れたら尚更ね。万が一、向こうから改心して擦り寄ってきても、もう、受け入れるつもりもないし、今までの報いを受けてもらうわ。ギルのためにもね。」
自分を侮ることはギルバート、ひいては、エラルド公国の公世子を侮ることだ。それは、エリザベスとしても許せない。
「私もね、ギルを守るためなら、全力を尽くすつもりなの。」
知恵、知識、人脈、求心力、その全てを使って。
「だからね、色々な方に協力を仰ぐわ。手始めはお祖父様と辺境伯様。お二方を味方に引き込めれば、グニシア南部の負け知らずの軍師と、グニシア一番の兵力が、そのまま、まるっと動かせるようになる。」
そして、ボイル公爵家のアルバートやヴェールズ公国の大公殿下。彼らは武器製造については協力を受諾してくれたものの、それだけでは足らない。
(もう一歩、彼らにも協力を仰がなくてわ。)
アルバートの持つ「ボイル家の掃除人」の実力は、ギルバートの護衛を勤めるロバートをあっさりと組み伏せるほどだった。
「敵は密やかに毒で何人も屠ってきたと噂されるハミルトン伯爵達。そして、国王陛下はその矢面に私を立てようと画策している。」
オリバーを守るために――。
「このままだと良いように利用されて、馬鹿を見るのが目に見えているの。」
レベッカは唇を引き結び、シニョン風にした髪形に、リボンを通してさりげなく結ぶ。アンも眉間に皺を寄せて、忌々しげな顔付きをしている。
「でもね、アン。昔の私なら、いざ知らず、今の私はそれに甘んじるつもりはないのよ? ギルが『知ったことではない』と判じるなら、私にとっても『知ったことではない』の。」
レベッカが手渡してきた手鏡と鏡台の鏡と合わせ鏡にして後ろ姿を確認すると、満足そうに口の端を上げ、立ち上がる。
「令嬢には令嬢なりの戦い方があるわ。」
その表情はイザベラにお茶会を招待された時とも違って、もっと真剣味を帯びていて、アンも思わず気圧されるほどの気迫だった。
「ギルが、エラルド公国を後ろ盾にしようとしているなら、第一王妃の信任は必須なはずよ。それなら、第一王妃派の奥様たちやご令嬢たちは、こちらの味方についてもらわなくては。」
ヴェールズ公国でステファニーがしていたようにできるかは分からない。
けれど、この時間を無駄にはしたくない。
エリザベスはすくりと立ち上がると、予定より少し早く辺境伯邸の東の棟にある食堂へと向かった。
◇
「毒を受けられても死なないとは、やはりお師匠様は並の人とは違いますな!」
「ど阿呆。死にかけたと話しておろうが。」
エドガーにとって、辺境伯は気の置けない息子のような存在だとは聞いていたものの、些か無礼過ぎやしないだろうか。
エリザベスはハラハラしたものの、辺境伯はいたってあっけらかんとしていて「おお、久々にお師匠様の『ど阿呆』が聞けました」などとニコニコしている。
「だいたいそのような話、食事時にするようなものでもなかろう。可愛いリジーの食欲が落ちたらどうする? のう、リジー?」
え、そこでこちらに話を振るの?
エリザベスは困惑したこともあって、首を僅かに傾げて見せた。
「ほれ、見よ。リジーが困っておろう?」
うーん、正直、それより、お祖父様のその態度の方が気にかかってしまうのだけれど。
しかし、辺境伯は「そ、そうでしたな」と慌てた様子で言い淀み、あからさまな話題転換として「そうです、お料理はお口に合いますかな?」と尋ねて来た。
「ええ、とても美味しく頂いておりますわ。」
これは、本当。
出てくるメニューは地場の魚介類を使ったもので、味わい深く、その癖、あっさりとした味付けだから食は進む。
特に今食べている秋鮭のムニエルは絶品で、程よく脂が乗っていて、好みの味をしていた。
「そうでしょう、そうでしょう。」
隣でギルバートも舌鼓を打ちつつ「エラルドの漁師町の料理でもこういう風に海産物を使ったものが多いのですが、それともまた違って美味しいですね」と目を細めている。
「ほう? エリントン卿はエラルドの漁師町の味を知っているのかい?」
「ええ、仕事柄、あちらに行くことがありまして。」
そこからしばらくは辺境伯とギルバートによる仕事の話で、エラルドにある製薬会社で創薬しているものや、ヴェールズでエイダの作っている薬草の話になり、その話にエドガーが驚きを持って相槌を打つ。
「ほう、あの大陸の高山にしか育たぬ薬草を、ヴェールズの山の中で人知れず育てていると?」
「ええ、思わずパトロンを申し出てしまいましたよ。」
そして話をするにつれて、ギルバートは上手く薬の取引を辺境伯に取り付ける。
「確かにここならば、王都に納入せずともエリントン卿の邸へも、エラルドへも納入できよう。だが、イーサン殿下の方はどうだ? あの大公殿下はそう簡単に希少な薬を手放すまい。」
「最新の大砲用の火薬と最新式の羅針盤、それから印刷機を少々値引いてお渡しする約束としています。」
「それも、先程、話していた船に乗せる分か?」
「ええ、印刷機以外は。印刷機は大公殿下の個人的なお買い物なのでおまけです。」
「画期的な発明と騒がれている三大発明のうち、印刷機をおまけというか。間に入るんだ。うちにも利はあるんだろうな?」
「ええ、もちろん。あちらとて、大量生産した大砲の納入先は、遠いエラルドより、近くの辺境伯、普段から取引のあるあなたを指名なさりたいことでしょう。」
ヴェールズからは最新の大砲と新薬の材料をブリストンに、エラルドからはその大砲用の火薬と羅針盤が届く。
ギルバートはニコリとして「ですから、私に船と船乗りを売ってくださいませんか?」と訊ねる。
「別に船も、船乗りたちも洗練されていなくても構いません。船乗り教育はうってつけの人物がおりますので。」
そう言ってギルバートがフランシスを見ると、辺境伯は面白そうに「なら、こちらはおまけで荒くれ者のホーキンスでもつけてやろうか?」と楽しそうにした。




