毒をもって毒を制す(4)
臙脂色のドレスの入った衣裳箱を持ってきたアンは、クラバットも外してラフな姿なまま、エリザベスを抱き締めているギルバートと目が合うと、眉間に深く縦皺を寄せた。
しかし、ギルバートはエリザベスを放す気配がなく、代わりにアンに下がるように目配せしてくる。
けれど、アンもそれには応じられぬと同じく目配せで返して、ドアのところに立って控えることにする。
(ここがエリントンのお邸で、ご婚礼後ならあるいは、とは思うけれど、世間公認の婚約者同士とはいえ、ここは格上の辺境伯邸なんですから・・・・・・。)
ここが西の棟で入ってきたのが、自分だから良かったものの、他のメイドやフットマンが入ってこないとも言えない。
ギルバートが短慮を起こす性格ではないとは知っているし、何か事情があってのこととは思いたいものの、この場で部屋を出て、後から誰かが入ってきてあらぬ疑いを立てられても困る。
そう心を鬼にして「後で一言、言ってやらねば」と、アンは内心息巻いていたが、その思いはエリザベスの悲痛な一言で霧散した。
「ねえ、ギル、生まれてきたことが『罪』ならばどう償えばいいのかしら?」
エリザベスの呟きに、驚き、目を見開く。
「・・・・・・何をしたら私は赦される?」
自分の存在にエリザベスは気がついていないのだろう、ぽつぽつと話す声はギルバートに迷惑を掛けたくないと話していた時と同じ類のもので、その言葉がエリザベスがずっと抱えていたものだと分かる。
『どうしたらいいというの? 私、もうこんな自分が嫌なの。』
あの日、ギルバートを巻き込みたくないと、また、婚約騒ぎになる前に修道院に駆け込めばよかったと吐露したエリザベスは、そのまま春霞のように空気に溶け込んで消えてしまいそうに見えた。
(ああ、だから・・・・・・。)
ギルバートも同じように感じているのだろう。エリザベスを抱き締める腕を緩めることなく、そっとしておいてくれと自分に目配せしてきたのだと合点する。
きっと今、二人を邪魔してしまえば、エリザベスは再び本音を話せなくなるから。
そう合点するとアンはそっと目を閉じ、全てをギルバートに委ねることにした。
◇
一方、ギルバートは、今にも掻き消えてしまいそうなエリザベスを見失わないように、ただ黙って抱き締め続けていた。
時々、声を上擦らせて、涙声になりかけながら話すエリザベスの言葉は、ようやく見せてくれた彼女の本音なのだろう。
(生まれてきたことが『罪』だなんて、そんな事を・・・・・・。)
ずっとそんな思いを抱えてきたのかと思ったら、ギルバートの方が胸が張り裂けんばかりに苦しくなってしまった。
「私もオリバーのように愛されたかったの。」
また一人で抱え込んでしまいそうだと思った『エリザベスの本音』は、まるで鋭い刃のようでぐさりと胸に深く突き刺さる。
『・・・・・・今までが幸せな夢の中にあっただけよ。』
レクシームの宿屋でエリザベスにそう言われた時も、辛く、苦しく思ったが、今はその比じゃなかった。
自然と零れ始めた涙は止まらず、視界が滲んでいく。
(一体、今までどんな思いで生きてきたんだ・・・・・・?)
ギルバートは、込み上げてくる胸苦しさに、エリザベスをきつく抱き締め直す。
陛下にはオリバーの王位継承権を脅かす存在とみなされ、母親は辛うじてエリザベスを愛してくれていたものの早くに亡くなり、伯父家族には冷遇され・・・・・・。
「英傑エドガーの秘蔵っ子」と言えば聞こえは良いものの、根も葉もない噂ばかりが飛び交っている。
(リジーは何も悪くなどない――。)
罪なんてそんなものはなく、悪いのは彼女を虐げてきた世界の方だ。
だけど、そう言ったところで、エリザベスはきっと家族に恵まれている自分の言葉など受け入れない事も感じていて、ギルバートは怒りと悲しみと切なさの入り交じる感情の渦の中、どう言ったらエリザベスに想いが届くかばかりを考えた。
「ギル・・・・・・? ギルが泣くの?」
エリザベスは鼻の頭に皺を寄せ沈痛な面持ちで泣いているギルバートの涙を拭う。
「・・・・・・リジー、君が、君の存在を『罪』だというなら、僕はその『罪』も含めて君を引き受ける。」
頬に触れてきた細い手首を取り、そっと手のひらに唇を寄せると、切なげに「だから、僕のために生きてよ」と呟く。
「君の存在が『罪』なら、それを求める僕の『業』の方がどれほど深いことか。君が欲しい。それだけのために国を一つ、預かる事を決めてしまったくらいだよ?」
たとえ、それで国同士の大きな戦いになったとしても――。
エリザベスを脅かす世界なんて必要ない。
「『国盗り』だなんて言う父さんに呆れていたのに、どうやら僕はルーカス=エルガーの息子で間違いないらしい。」
そう言ってギルバートは自重気味に笑うと「血は争えないみたいなんだ。だから、覚悟しておいてね」と囁く。
「覚悟?」
「ああ、僕は君を守るためなら、持てるものを全て使う覚悟をしたんだ。」
知恵、知識、人脈、財力、その全てを使うと。
「いつか、エリントン子爵領の黄金色の麦畑にピクニックに行こう? それから姉さんのために作られた蒸気船に乗ってヴェールズをゆっくり観光しようよ。」
天気のいい日に黄金色に染まった麦畑を望める丘に登って、ピクニックをして。追われるように駆け抜けた今回のような旅ではなく、ゆったりと時間をかけて遊覧するような旅。
「僕は必ずここに生きて帰ってくる。アルバートとは停戦状態に持ち込めているし、今のうちに伯母様に正式に公世子の件を引き受ける報告と、王太子殿下に『少しは塔の中で反省してたか?』と言いに行くだけだから。」
ギルバートの「約束するよ」の声に、エリザベスは悲しそうな瞳のまま、こくりと頷き「分かったわ」と答える。
そして、ギルバートがホッとした表情になると、ふっと笑みを漏らした。
「・・・・・・レクシームでは、逆だったのにね。」
「ん?」
「私が『トムと二人、辺境伯を頼りに行くから、グニシアに戻って』って言った時は納得いかないって言っていたのに。」
「ああ、確かにそうだね。」
ギルバートは苦笑し、それから「辺境伯の人となりが分からなかったのもあるからね」と話す。
「でも、あの方はエルガー様の引き止めのために、リジーを引き止めておきたいだけみたいだし、話をしてみたら船のことにはとてもお詳しいことが分かったんだ。リジー考案の大砲を積み込んだ小型船の話をしたら喰い付いてきたよ。」
とはいえ、実際の船の操舵や造りなどの話になってくると、ギルバートでは分からず、代わりにフランシスに相手をしてもらって、自然、フランシスはこちらに残した方が良さそうだと判断した。
「エドガー様とも話して、トムさん、それから、サムが護衛について戻ってくれることになった。直接、馬での移動だから、そう時間も掛からない予定だ。」
そう話せば、エリザベスに少し笑みが戻る。ギルバートも目を赤くしたままで微笑んだ。
「それに白百合姫の二作目、あれの初稿がもうすぐ出る時期だし、また好き勝手に書かれてないか、ちゃんと戻ってきて確かめないとね。」
そして、ようやく腕を弛めて、エリザベスを解放し、アンに「もう大丈夫だよ」と声をかける。
エリザベスは後ろを振り返り、アンが目を拭いながら立っているのを見て驚いた。
「あ、アン? いつから・・・・・・。」
しかし、目を赤くしたアンは「つい、さっきですよ? これは、目にまつ毛が入ってしまって・・・・・・」とあからさまな嘘を吐く。
けれど、その真っ赤な嘘が自分のために吐いてくれた嘘だと分かったから、エリザベスは「つい、さっきなのね?」と話すと「では、このことは秘密にしてね」と続けた。
「ギルを泣かせてしまったなんて噂になったら、私、きっと『悪女』なんて表現じゃすまない書き方をされると思うの。」
「ここはスペンサーのお邸じゃないよ?」
「ええ、でも、二階の奥まったこのお部屋まで完全再現なんだもの。壁に耳ありドアに目あり。辺境伯様は警戒すべき方だと思うわ。」
いくらエドガーフリークだとしても、ここまで情報を得ているのを考えると、辺境伯は伯父の息が掛かった使用人から情報を得たのかもしれない。
「ああ、その事だけど、犯人はサムだ。」
「へ?」
「五年前のリジーの事があって、何かの際に自分で動かせるお金を貯めておくために金策に走ったらしい。」
「・・・・・・つまり、サムは邸の見取り図を売ったと。」
「ああ、ちょうどグレイ侯爵の結婚話が持ち上がる直前くらいにね。僕たちが踏み込まなければ、リジーを拐かして辺境伯の所に匿ってもらうつもりだったらしい。」
捕まったら死刑覚悟で――。
けれど、その前にオリバーが現れ、あれよあれよいう間にギルバートの婚約者におさまると、最初の計画は取りやめにし、ことの成り行きを見守ることにしたのだと聞かされた。
「それで、サムは・・・・・・?」
「めちゃくちゃ叱られていたけれどね、僕に免じて許してもらうことにしたよ。だから、アンもこの事でサムを叱らないように。」
ギルバートが先にそう釘刺せば、アンは不服そうながら、「仰せのままに」と一礼し、「私は冷たい手ぬぐいでもお持ちしますわ」と部屋を出ていった。
そして、再び二人きり。
ギルバートはエリザベスの肩を引き寄せると、「ああ、そうだ、もうひとつ言うべきことがあるんだった」とこめかみに口付けてくる。
「さっきのブローチも、そこのドレスも。君が引き取りたい物は、向こうの言い値で買い取るって辺境伯にお伝えしておくよ。」
「そういう意味じゃ・・・・・・。」
「良いんだ。僕の趣味は君を甘やかすことだからね。ああ、でも邸ごとはダメだよ? 辺境伯まで泣かせた悪女にはなりたくないだろう?」
「ちょっとギルまで、そういう事を言うの?」
唇を尖らせて、エリザベスが咎めれば、ギルバートは少し腫れぼったい目をしながらも、満足そうに微笑む。
エリザベスはそんなギルバートにいつまでも甘えていたくて凭れるようにした。




