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毒をもって毒を制す(3)

 最初からやり直せたら――。

 エリザベスが抱き締められて満足そうに笑うから、ギルバートもその『もしも』に付き合いたくなる。

 今のように恋焦がれている状態でグレイ侯爵との婚約話のことを知っていたなら――。


(僕はきっとこうしていた・・・・・・。)


 オリバーの代わりにエリザベスを抱き締めて、エラルド公国の公世子の立場なら、「王城に参りましょう」と言ってもおかしくないし、エリザベスを攫うようにエラルド公国に連れていったことだろう。

 そしたら、国王陛下だって他国であるエラルド公国との緊張状態にも陥るのは避けるだろうから、今のような緊張状態には陥らなかったかもしれない。


(・・・・・・だが、今も、『もしも』も、やるべき事と、見込める結果はそう変わらない。)


 違うとしたら、そのタイミングと、今はまだ伯母である第一王妃や叔父であるエラルド公国の大公に自らの口で事情説明ができていないくらいだ。


(公国に渡る前に、一度、伯母様を訪ねないと駄目だな・・・・・・。)


 それには幽閉塔に閉じ込められてしまったオリバーを助け出さねばなるまい。


「ギル?」

「・・・・・・名残惜しいな。」


 首を傾げるエリザベスに、ギルバートは「少し思うところがあってね」と答える。


「僕は一旦、エリントンの邸に戻らなくては。第一王妃であられる伯母様に公世子となる意向を説明しなきゃならない。」


 エラルド公国は家督を引き継ぐのにあたって、必ずしも男性優位というわけではない。たとえ長男であったとしても、必ず大公家本家の一番上の年長者に認められる必要がある。


「公世子の指輪を父さんが成人祝いにくれたということは、既に聞き及んでいるところだとは思うけれど、僕はまだ伯母様に自らの意思で決めたことは伝えていないから、ちゃんと説明しに行かないと。」

「だけど・・・・・・。」

「ああ、あちらに戻るのは命懸けだろう。国王陛下から見れば父さんが王家に盾突いたわけだし、伯母様もオリバーが幽閉塔に閉じ込められたのは父さんのせいだと思っているみたいだからね。」


 一番、伯母様が気に入っているブライアンを味方に引き入れてから間に入ってもらった方がいいだろう。


「だから、少しここでエドガー様と過ごしていてくれるかい? 先に色々片付けて来る。あと、ついでにオリバーの奴にお灸を据えてくるよ。」


 ロバートを影武者に仕立てて、往復一週間程の旅。トムとフランシス、それから御者にサムを借りられれば、きっとエリントンの邸には戻れるだろう。


「ギルバート様、それでは・・・・・・。」

「ええ、往復一週間程度、リジーのことをお願いします。僕は武闘派ではないんで、出来ればトムさんと可能ならサムもお借りしたいんですが。」

「・・・・・・分かりました。エドガー様にお伝え致します。」


 エリザベスはギルバートが着々と話を進めることに文句を言いかけたものの、彼がじっくり思案した結果がこれならば、きっとここで引き止めることは出来ないだろうことを感じた。


 行って欲しくない。その思いは言葉に出来ぬまま、ぎゅうっと今一度、抱き締めたあと、名残惜しそうに離れる。


「・・・・・・アン、二階はあちらのお邸一緒?」

「え、ええ・・・・・・。」


 そう言って微笑むエリザベスは、先程までとは違ってはしゃいだ様子はなく、アンに「お嬢様のお部屋はあちら通りです」と言われると「分かったわ。ギル、先に行ってるね?」とその場を離れていく。

 ギルバートはそんなエリザベスの様子に「部屋のことはいい、今はリジーについてやって欲しい」と言うと、今、登ってきた階段を降りていった。


 ◇


「その指輪、お付けになったんですね。」


 部屋に入ってからはだんまりになってしまったエリザベスを見兼ねて、アンはエリザベスの身に付けている指輪を指摘する。エリザベスは鏡越しににこりと愛想笑いを浮かべると、「ええ、やはり公爵家のゆかりの品だそうよ」と答えた。


「初代の頃から伝わる『白百合姫』に贈られたジュエリー一式のひとつだったみたい。」

「まあ? そんな大切な物を?」


 鏡台の前でエリザベスの髪を梳きながら、アンも鏡越しに相槌を打つ。とはいえ、その顔には「心配」と書いてあるかのようだった。


「アン、それで? そっちの話の続きは? リチャードとベンと喧嘩して・・・、それでどうなったの?」

「あ、はい・・・・・・。」


 アンによれば、彼女はリチャードやサムと共にこのブリストンに来て、三日ほど前に着いたのだと話した。


「本当はトムが付いていく予定だったものの、トムはお二人の警護につきましたでしょう?」

「ええ。」

「そうなると、エドガー様の警護が薄くなるってうちのリチャードとベンが言って聞かなくって。とはいえ、エリントンのお邸を開けっ放しにも出来ませんでしょう?」


 それゆえ、どちらかだけならば付いて来ても良いとエドガーも納得したものの、今度はどちらが付いていくかでどちらも譲らずに話が平行線になっていたらしい。


「けれど、奇しくもタウンハウスから『緊急プラン』との連絡が来た事もあり、ブライアン様が間に入ってくださって、リチャードと私がエドガーに付いて行き、ベンがお留守番、サムが両方の領地を行き来する連絡係をするので収めてくださったんです。いつも仲裁してくれるトムがいないもんだから気を揉みましたよ。」


 ともあれ、そういうわけで当初の計画とは変わり、エドガーの辺境伯領入りは大所帯になったのだという。


「でも、そのせいか、こうしているとここがよそ様の邸だなんて忘れてしまいそうになるわね。」


 エリザベスはそう言って鏡越しに見える景色にさえ既視感を覚えていた。

 この部屋の調度類はスペンサーの邸のそれに似た質実剛健なもので、よく見れば、ところどころ、一昨年、手離したはずのエドガーのコレクション類が飾られている。


「ああ、それはグレゴリー様のお取り計らいですわ。」

「辺境伯様のお取り計らい?」

「ええ、戦場でエドガー様がグレゴリー様をお助けした縁からのお付き合いですから、もう二十五年近いでしょうか。すっかりエドガー様フリークになってしまったらしくって。それに懐かしいものもあるんですよ?」


 そう言うとアンは鏡台の引き出しを開けて見せて、これまた以前に手離したはずのブローチやらネックレスやらが入っているから、エリザベスは目を丸くした。


「そのブローチ、お嬢様のお気に入りのものでしたでしょう?」

「ええ、そう。最後まで手放すかどうしようか迷った分だわ。どうしてこれがここに?」

「グレゴリー様が買い取って保管くださっていたそうですよ。お祖父様がそのブローチが紛れているのに気がついて『それだけでもいずれ買い直すから取っておいてくれ』と仰ったらしくて。」


 エリザベスはそっと思い出のブローチに触れると、花鳥の描かれた象嵌のブローチを懐かしそうに眺める。


「・・・・・・感慨深いわね。もう一度、こうして触れられるだなんて思わなかったわ。」

「驚かれるのは早いですよ、お嬢様。こちらにはお祖母様とお母様のお好きだった絵もございます。しかも、絵が傷まないよう、『エドガー様縁の品々用コレクションルーム』までお作りになってまで。」


 アンの言葉に思わず「コレクションルーム?」と声が上擦る。


「ええ、びっくりですよね。」


 そう言う割にはアンが淡々としているからエリザベスが「アン、ちゃんと驚いている?」と訊ねる。すると、アンは「昔っからグレゴリー様はエドガー様大好きでしたし、グレゴリー様が息子さんだったら良いと思ったこともありましたが、今回の件でエドガー様が渋っていた理由が分かりましたわ」と苦笑した。


「まあ、でも、そのおかげでベアトリス様がお庭の東屋でよく着ていらっしゃった臙脂色のドレスもこちらにございましたよ? エドガー様を驚かせるのにそちらのブローチと合わせてお召しになってみませんか?」

「それは構わないけれど・・・・・・。ギルの話の後でしょう? お祖父様が驚いて、倒れないかしら?」


 すると、アンは「大丈夫ですよ」とエリザベスの肩を叩いてから、かつてベアトリスが着ていたドレスを取りに去っていった。


(お母様の形見のドレスとブローチが遠く離れたこんな所で大切に保管されているだなんて。きっと、あのままあの家に置いておいたら、ダメにされていたでしょうに・・・・・・。)


 五年前、祖父が倒れ、母が亡くなった頃から、エリザベスは普通の貴族令嬢がするようにして、季節ごとの服を仕立てることはなくなってしまっていた。

 しかも、一昨年の水害の時には、伯父夫婦が祖父と自分自身の家計まで面倒は見られないと言い出したから喰うに困るような事態になり、よそ行き用のドレスどころか、普段使いの少しお洒落な服も売り飛ばして、何とか糊口をしのいでいた状態だった。

 けれど、それゆえスペンサー領は持ち直せたし、今更その事を後悔などしていないし、今だって同じ状況になれば、自分は同じ選択をしただろうと思う。


 だけど――。

 思い出の品に触れて、見覚えのあるブローチを確かに母がつけていた記憶が蘇ってくると、それを手離さないといけなくなった時の悲しみで胸がいっぱいになり、同時に今まで蓋をしていた『悔しさ』が込み上げてきて、鼻の奥がツンと傷んだ。


(ああ、もう・・・・・・ッ。)


 象嵌細工のブローチを祈るようにして握りしめて「お母様」と微かに呟く。

 一度も会ったことのない父親について「今は会えないけれど、あの人はきっと迎えに来てくれるわ」と語っていた母は、自分を世話してくれるアンとは違って、まるで少女のような人だった。

 いつだって優しかったけれど、帰ってくるはずのない「夫」を待ち、エリザベスに「きっと大丈夫、少し迷子になっているだけだわ」と言い聞かせてきた母。

 けれど、ルーカスから事の仔細を聞いたあとだと、そんな母はルーカスへの秘めた恋を諦めざるを得ず、自分のために心を壊していたのだと今なら分かった。


(お祖父様は、お母様が壊れないようにするのが精一杯だったのだわ・・・・・・。)


 ひっそりと邸の中で、世間から隠すようにしてエドガーはベアトリスとエリザベスを守ってきてくれていた。


(・・・・・・なのに、私ったら。伯父様や伯母様に奪われたくない一心で、思い入れのあるものばかり手放していたのね。)


 こうして手にして『大事なものだった』と気が付くと、祖母や母が好きだった絵画を、エドガーが自分に断りもなく辺境伯に引き渡したのも同じような気持ちだったかもしれないと、身につまされた。


「手持ちのお金じゃ、足りないわよね・・・・・・。」


 独り言のようにして呟くと「何にお金が入り用なのかい?」と後ろから声が掛かる。ハッとして振り向くと、そこにはクラバットを外し、だいぶラフな姿になったギルバートの姿があった。


「ギル、一体、いつから・・・・・・?」

「アンと入れ替わりにね。」


 じゃあ、百面相していたのを見られたのかと気恥ずかしく思う。しかし、ギルバートは表情を変えることなく、「それで? 何にお金が入り用なんだい?」ともう一度尋ねた。


「内緒事?」

「いいえ、違うわ。このブローチとか。辺境伯様から、買い戻せないかと思って。」

「買い戻す?」

「ええ、一昨年の水害の時にね、手放したものなの。他にも辺境伯様がお買い求めになって、スペンサー家のコレクションとして部屋まで用意して取っておいてくれたようなの。」

「それは随分と剛毅だね。」

「ええ、このブローチも母が昔使っていたんだけれど、少し昔を思い出して感傷的な気分になったのよ。」


 そう言って無理に笑顔を作って答えれば、ギルバートは心配そうにそっとエリザベスを抱き寄せた。


「泣きたい気分なら胸を貸すよ。」


 ただ先程とは違って、その声は傷に染み込む薬のようで、なんだか縋りたい気持ちにさせられてしまう。


「泣きたい時は、泣いていいんだ。」


 そう言われると、ギルバートの体温にいよいよ感極まってきて、涙で視界が滲んだ。


「なんで、ギルは私にそんなに優しくするの・・・・・・?」


 優しくしないで欲しい――。

 今まで蓋をしてきた何もかもが、一気に胸に迫ってきて苦しくなる。

 スペンサーの邸で幸せだった時間はとても短くて、それさえも母の悲しみの上に成り立っているのだと知ってしまったら、今は自分を可愛がってくれた母との思い出も朧気になっていても、とても辛かった。


「私ね、『望まれない子』なんだと、物心付く頃には気がついていたわ。」


 祖父のエドガーや邸の古くからの使用人たちは可愛がってくれたけれど、母に連れられて街を出れば「ほら、あの男爵家の」とか「国にとっては英傑でも、父親としては頭が痛いだろうね」なんて話が聞こえてくれば、幼心にも母と自分が何か問題を抱えているのだと悟った。


「それに母はどこか夢見がちな人だった。今思えば、公爵様の計らいで、なんとか与えられた記憶をよすがに過ごしていたのだと今なら分かるけれど。」


 それでも、その姿はアンのような『母親』ではなく、ハッピーエンドで終わる物語のように愛さえあればどうにかなると考えている『深窓の令嬢』という方がしっくり来るような人だった。


「きっとね、私が生まれてこなくって、オリバーだけだったなら。そしたら、母はもっと違う人生を歩んだんだろうって思うの。」


 父王は跡継ぎのオリバーを手にし、母は第一王妃側の側妃として、エルガー公爵の後ろ盾を得て後宮入りをしただろうし、祖父も「英傑」どころか、将来の王太子の後ろ盾としてオリバーを可愛がったに違いない。


「・・・・・・私が生まれてこなかったら。そんな『もしも』はないことはわかっているけれど。お母様は、陛下とオリバーと三人、きっともっと幸せに暮らしたはずだわ。」


 そう、『幸せ』に――。

 それこそ『めでたし、めでたし』で終わるような話になるはずだっただろうに。

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