毒をもって毒を制す(1)
エラルド公国大使館で開かれた夜会から、更に一週間。しばらくは気落ちしていたエリザベスも、ブリストンに渡るための船旅の間は気が晴れたのか、内湾と川を遡上するだけの船旅ながら大喜びだった。
「ほら、スペンサー領にいた時は、主に邸と、せいぜい出ても王都までの陸路だったでしょう? 船がこんなに大きいだなんて思わなかったわ。」
「これでも小型船だよ、リジー。」
目をキラキラとさせて、甲板ではしゃいでいるエリザベスを見ながら、ギルバートは「これでスパニアの大艦隊を小型船の機動力でやっつけてしまおうだなんて考えるんだからなあ」とため息を漏らす。
「『知らない』という事は時に武器になりますよね。小型船に砲台を載せようだなんて、普通は思いませんよ。」
「しかも、リジーの換算だと銃の代わりに載せようとしてたから、一隻に付き十門載せる換算だろう?」
「分散して載せるなら、甲板だけでなく左右、上下に振り分けて、上は遠方の敵艦のマストを狙い撃ち、下は斥候を沈める設計ですね。」
「名前を貸すのだから、口を出させろと言うから何かと思ったら、船の設計図を自ら描き始めるんだもんなあ・・・・・・。」
あの破天荒な姉のステファニーが気に入るだけはあるようで、イーサンは砲台の開発や小型戦艦の開発にやる気をみせた。
「しかも、戦艦用の帆船だけでなく、『蒸気機関車が出来るんだ、蒸気船も出来ても良いだろう』とか言い出して、内湾用の遊覧船作りもするらしいよ。」
「内湾用の遊覧船?」
「そう、姉さんが『風がないと動かない船だなんて不便ね』って言ったのがきっかけでね。」
順当に行けば数年後にはきっと風が吹かなくても、カーラルとブリストン間は快適な船旅が出来るようになるんだろうとギルバートが言えばフランシスは「女性の一言はいつでも偉大ですね」と笑う。
「笑い事じゃないよ、フラン。あの調子であれこれ開発されたら、いつだったか父さんが夢物語に話していた『飛行機』とやらが出来かねないよ。」
「『飛行機』ですか?」
「ああ、俄には信じ難い話だけれどね。人が鳥みたいに飛べる機械だと言っていたよ。蒸気機関のように外部から熱を与えるのではなく、内側で小規模な爆発を起こしてピストンやシリンダーを動かす『エンジン』って機械が必要だって言っていたけれど。」
「随分と具体的ですね。」
「ああ、二、三百年、先の世界が見えてるんじゃないかなって思うよ。父さんは『理系では無いから、その辺りは専門家に任せておく。今は飛べないけど、いつか月にも行くさ』と言っていたけどね。」
「リケイ、ですか?」
「ああ、自然科学に精通している人らしいんだが、父上が理系でないなら、誰が理系なんだろうって思うよ。」
炭鉱の湧水を排水するポンプを蒸気機関を使って作らせるなど、簡単に思いつくことではないだろうに、ルーカスはグニシア内では目立たないようにして、ここ五年ほどで、ネーデルにてヴェールズと同じように良質なコークスを手に入れている。
「そんな父さんでさえ、きっとこの事態は読んでなかったと思うんだ。だからこそ、気を引き締めなければ。」
次に訪れるグロースター辺境伯とのやり取りが、今回の騒動のターニングポイントになるだろうと話せば、フランシスは「そうですね」と微笑んだ。
「ねえ、ギル! あれ、ブリストンの街?」
神妙な顔付きのギルバートとは対称的に、水面に反射する光を眩しそうにしながら、エリザベスは小さく見えてきた街の城壁と港を見つけて目を輝かす。
初めて足を踏み入れる街ながら、自分を待ってくれている人がいるというのは楽しみなのだろう。エリザベスはギルバートの心配など他所に「アン達が向こうで待っているのよね?」と楽しそうにしていた。
「お嬢様、そんなに身を乗り出したら、船から落っこちますよ?」
「トムッ!」
船室から出てきたのは腕まくりをしたトムで「はしゃいでますねえ」と笑う。途端、エリザベスは「私、そんなにはしゃいでる?」と気恥しそうにする。
「お嬢様は箱入り娘ですからね。エラルドに向かうには、外海を行くんですから、波なんて見たらまたひと騒ぎしそうですね。」
「な、波くらいで騒がないわ。」
「いいえ、きっと騒ぎますよ。」
それを聞いていると、ギルバートも今とは違って固まるエリザベスが想像出来て笑みを零す。けれど、そう言ったらエリザベスがへそを曲げるのも予想が着いたから、話題を変えることにした。
「フィリップの奴はどうだい?」
「あー、まあ、一旦は落ち着いたみたいですよ。今はロバートとレベッカが面倒見てくれています。薬が効いて寝たみたいですし、もうすぐ陸に上がりますから何とかなるでしょう。」
内湾の比較的穏やかな中を航行中だと言うのに、一緒についてきたフィリップは、ものの十分もせずに船酔いでダウンして、三十分ほど前にトムに担がれて客室に運ばれて行ったのだ。
「お嬢様は船酔い、大丈夫なんで?」
「ええ、全然。へっちゃらよ?」
ギルバートは屈託なく笑うエリザベスを前にして「こんなに楽しそうなエリザベスは二人で町におりてデートをした日以来かもな」と思いながら、「この笑顔を守るためなら何でもしよう」と強く思う。
「大公殿下のこと、僕はあまり言えないかもな・・・・・・。」
「ん?」
「リジーがあんな風に笑えるように、僕自身、四苦八苦しているのを思い出しただけさ。」
ギルバートはそう呟くように言うと、穏やかな秋の空を眺めた。
『ギルバート様、その女に惑わされてはなりません。これは神託。白百合姫などとその女を担げば、この国は火の海に飲み込まれることでしょう。』
人を生かす薬と、人を殺せる薬――。
そのどちらもエリザベスのために作ろうと心に決めているものの、ほんの少し前まで王太子殿下を支える事を考えていた生活だったのに、今や自分の命も掛かっている事とはいえ、人の生き死にを左右するような物を作ろうと考えている状況に躊躇いが生まれる。
「フラン、僕は毒をもって毒を制さなきゃならない。僕がリジーを選ぶことが、あの美しい小麦畑を火の海に変えることになっても。」
時に毒は毒で制さないとならない。
涼やかな風に帆は膨らみ、船は滑るようにして川を遡上した。
◇
船が対岸のグロースター辺境伯領一番の都、ブリストンに着いたのは、やはり昼下がりだった。
「よ、お嬢、久しぶりッ!」
「えー、出迎えはサムゥ?」
「ギルの旦那もご無事で何よりです。ひの、ふの、みの・・・・・・。あれ、ステフお嬢様はどうしたんです?」
サムが首を傾げるから、ギルバートは「しばらくヴェールズに逗留することになった」とだけ説明した。
「まさかヴェールズで人質に盗られたんですか?」
「まさか。姉さんの気まぐれだよ。」
「気まぐれ、ですか?」
「ああ、蒸気機関車やら、蒸気船やら、リジーまで機械に興味を示さなくて良かったよ。」
「はあ・・・・・・。」
トムに支えられるようにして降りてきたフィリップは青い顔のままで「もう二度と船には乗らない」と言い、フランシスとロバート、それからレベッカはその分も荷物をもって桟橋に降りてくる。
「よう、ロビン。そっちはすっかり二人でいるのが板に付いたな。けど、本物のギルの旦那よりは甘さ控えめか?」
「サムッ! もう、相変わらずの軽口ねッ!」
「おう、レベッカも元気そうだな。荷物持ってやるよ。」
レベッカは嬉しそうにし、ロバートが顔を顰める。エリザベスはそんな三人の様子を眺めながら、ふふふっと目を細めた。
「リジー、何を笑ってるの?」
親しげに話すレベッカとサム、そして、そんなサムを牽制しているロバートの様子が気になってしまう。
「えー? ロバートがどうするんだろうって思って。出会った頃のロバートだったら、ギルから目を離さなかったでしょう?」
ギルバートもロバートたちの様子を見ると、目を細めて「そうだね」と答えて、くつくつと笑う。
「・・・・・・ともあれ、やっとブリストンに着いた。」
たった一ヶ月ほどの旅。
本当なら一番期待に胸を踊らせるはずなのに、ブリストンに着いたことの方に安堵する。それはエリザベスも同じだったようで、「王都から真っ直ぐ来れば、一日、二日のことなのに酷く遠かったわね」と苦笑する。
フランシスとエイダ、それから、どこまで信じてもいいかは分からないものの、アルバートとフィリップとも一応の和解は済んだ。しかも、大公殿下のことも怖いぐらいに上手くいって技術者の派遣をしてくれると言う。
(成果は上々と見るべきか・・・・・・?)
サムはひとしきりロバートとレベッカを冷やかして満足したのか、妙に高級そうな馬車に案内をして「どうぞこちらへ」とギルバートとエリザベスを案内する。
ドアが開けば、中には先客が二人いて「ギル坊、久しいのぅ」と声を掛けられた。
「・・・・・・お祖父様?」
「リジー、よう来たのぅ。」
祖父のエドガーが男爵位の時に身につけていたのよりも、仕立ての良い服を着てニコリとする。そして、その隣にはベンと同じくらいの年頃だろうか、壮年の男性が隣に座っていた。
「こうしてご挨拶するのは初めてですね。辺境伯。」
「そう畏まらなくて良い。エリントン卿。私は領内の視察に馬車を走らせていただけだ。」
「何じゃ。儂がリジーを迎えに行きたいって言ったら、『面白そうだから、ついて行きたい』と言って、くっついて来た癖に。」
ふん、と鼻を鳴らして憤慨するエドガーは端に寄って席を開ける。ギルバートは一礼して辺境伯と肩を並べて座るようにすると、エリザベスをエドガーの隣に座らせた。
「ほんの一ヶ月ほどじゃが、そっちも色々あったようじゃの。トムから手紙を受け取っていたが、なかなかに気を揉む内容じゃったわい。」
そして、人懐っこい眼差しを向けると「それでギル坊はエラルドの後ろ盾とヴェールズとの同盟の維持をした上でどう動くつもりなんじゃ?」とニコリとする。
「何、そこのは気にするでない。グレッグ、これは儂とギル坊の話じゃ。付いてきた時に言った通り、耳に蓋をしておけ。」
「我が家がデーン家の懐刀の一家だと知りながら、それをおっしゃるという事はあまり良い話ではないのでしょうな。」
「何を言う。デーン家の小童がベアトリスとエリザベスにした事を聞けば、お主とて、こちらに義があると判断するぞ?」
そこから、グロースター辺境伯の城に戻るまでの間、エドガーは自分自身やベアトリスの身に何が起こったのかや、生まれてから今までエリザベスの身に何が起こったのかを、時々ギルバートととも問答しながらグロースター辺境伯に説明をする。
辺境伯邸に着く頃にはエドガーやギルバートよりも、グロースター辺境伯自身が憤っていて、隣に座らされていたギルバートやエリザベスの方が困惑顔になっていた。




