救国の乙女と塔の上の王子様(6)
と、ノックもなく、ドアが勢いよく開く。
「いやっほぉー♪ 元気にしてるぅ?」
そして、元気の塊みたいな声が聞こえてくる。その声にギルバートはぎょっとし、エリザベスを抱き寄せていた両腕を万歳の形に上げた。
ステファニーはそんな弟の仕草を見ると、「ちょっとぉ」と口を尖らした。
「ね、姉さん? なんでッ?!」
「あら、その手元にある兄さんからの手紙、誰が持ってきたと思っているの?」
ふふんと口の端を上げて笑って、「リジーも久しぶり」とニコニコとしている。
「いや、ここ、ヴェールズだよ? 父さんたちとエラルドに行ったんじゃ?」
「あら、私は成人女性よ? いつまでも親と一緒にいると思わない事ねッ!」
そう言ってまだ固まっているエリザベス達の斜向かいのカウチに腰を下ろすと、「ギル、リジーに迫るには、あとひと月くらいなんだから、我慢しなさいよね」と言う。
ギルバートは唯我独尊、マイペースな姉の様子に少しばかり大仰にため息を吐いた。
「あら、リジー?」
驚きのあまり、目が点になっているエリザベスの様子に、ステファニーが「大丈夫?」と訊ねてくる。
「ステフ?」
確かめるように問い返せば、ステファニーは「くぅーっ! か、可愛い」と言い出して、「ギル、場所を変わりなさい」と言い出す。
「ヤダよ。他のものは渡せても、リジーは渡せない。」
「何よ、減るもんじゃないでしょ?」
「いいや、リジーの純真さが減る。」
真剣な顔で何を言っているんだと言わんばかりのところに、開け放たれたドアから「ああ、やはり、こちらにいらしたのですね」と、後を追いかけてきたのだろう、息を切らしたレベッカが顔を覗かせた。
◇
カーラルは北には山、南にはカーラル湾があり、夏はからっと、冬は湿潤な気候にある。この辺りの秋はそのちょうど中間で、晴れたり曇ったりを繰り返しながら、冬に近づいていく時期で、今日みたいに霧めいた雨が降る日も増えていく。
ステファニーは仲睦まじくしているギルバートとエリザベスの様子を微笑ましく思いながら、レベッカに紅茶を淹れてもらっていた。
「・・・・・・それで、姉さんがカーラルまで来た理由は何?」
振り回され体質の実弟、ギルバートはステファニーを前にすると、いつもこうして迷惑そうにしながらも話は聞いてくれる。
「あら、さっき言ったじゃない。手紙を届けに来たのよ、公世子様。」
父からギルバートにエラルド公国の公世子の証である指輪が渡っていることを聞いていたから、揶揄うつもりでギルバートにそう答えると、隣に座るエリザベスは「へ?」と声を上擦らせ、ギルバートは苦虫を噛み潰したような顔になった。
「公世子、ですか?」
ははん、どうやらまだエリザベスには話していなかったらしい。こういう所がギルバートの悪いところだ。
「ええ、ラファエルからも、公世子としてギルがエラルド公国の大公家に養子に入ってくれるのかって聞かれたわよ?」
「成人祝いだとか冗談めかして抜かして渡してきたものだったんだけど、受け取らざるを得なくなったんだよ。」
エリザベスに会う一ヶ月ほど前に渡された指輪はエラルド公国の公世子の印章で、その時は突っぱねたものの、婚約式の後、「どうにもならなくなったら使え」と言われて渡されたのだと話す。
「で、横にいるリジーの表情からすると、その話、まだ話す前だった?」
「言おうとは思っていたさ。だけど、言うタイミングが掴めなくて・・・・・・。」
「『タイミング』ね?」
「本当だよ、言うつもりだったんだ。」
膨れっ面になったエリザベスの様子に「ほら、こっちに来てから怒涛だったろう?」とギルバートは必死に弁解する。ステファニーはくすくすと「まあ、その辺りは後でゆっくり謝るのね」と笑った。
「このシグネットリングを使ったことは、ラファエルにはエラルド公国の大公家にはまだ言わないでくれって言ってあるんだ。きっと父さんは母さんに何も言ってないだろうから。」
「似た者父子ねぇ。」
「・・・・・・いや、父さんの場合は責任逃れだと思うんだけれどね。」
二十歳を越えた成人男性として「権力を使うなら、自分で責任を持て」ということだろうと言えば、ステファニーは「確かにお父様が言いそうな言い訳ね」と苦笑する。
「それで? 姉さんはそれを確認しにここまで来たわけ?」
「うーん、それもあるんだけど、せっかくフリーになったから旅にでも出ようかと思って来たのよ。今まで、『王太子妃候補』の看板が邪魔をして自由にできなかったでしょう?」
お茶会に出ても、話題は王家の話や社交界の話ばかり。流行の品々の話などももちろん嫌いではないものの、ステファニーとしてはもっとまだ見ぬ世界の話を色々な人としたいと思っていた。
「姉さんが今以上に自由になったら、世界が破綻しそうだけど。」
「・・・・・・ぬぁんですって?」
ムッとしていつものようにギルバートをぽかりと叩くと、条件反射なのだろう、ギルバートもそれほど痛くないだろうに大袈裟に身構える。
一方、その様子を見ていたエリザベスは相好を崩して、楽しそうに「二人とも仲良しなんですね」と笑った。
「リジー、傍から見てたら楽しいかもしれないけれど、当事者になってみれば分かるよ? ステファニー姉さんには手を焼くって。」
「ギル、その辺にしておきなさい?」
「いいや、ここできつく言っておかないと、リジーやラファエル辺りに迷惑かけちゃうだろう?」
すると、それには横で控えていたレベッカが「既にラファエル様は被害に合われていらっしゃいましたね」と笑う。
「ほぉら、言わんこっちゃない。一体、何をしでかしたんだ?」
「何、ちょっとギルたちが、明日の夜、ヴェールズ公国の大公殿下が主催するパーティーにお呼ばれしているって小耳に挟んだものだから、私をパートナーで連れてって言ってみただけよ。」
「それをラファエルに言ったの?」
「やっぱりダメだったかしら?」
「姉さん、いくら王太子妃候補から外れたからって、いきなりエラルド公国の大使をパートナーに行ったら、一悶着どころか、ふた悶着くらい起こりそうなことくらい分かるだろう?」
「えー、じゃあ、やっぱり侍女で行こうかしら・・・・・・。」
その返事にギルバートは「行くことは決定してるんだね」と嘆息する。
「当たり前でしょう? せっかく気兼ねせずに出られるパーティーなんだから、美味しいものを食べて、いっぱい踊らなくちゃ。ねえ、リジー?」
「え、あ・・・・・・、はい。」
戸惑った様子で返事をするエリザベスは「私はパーティーらしいパーティーはデビュタントだけなので」と困ったように言うから、思わずギルバートと顔を見合わせてしまった。
「リジー、もしかして本格的な夜会は初めて?」
こくりとエリザベスの頷く姿が何とも小動物を思わせて愛らしく、女目線でも胸がキュンキュンしてしまう。
「披露宴でダンスする予定だったから、ワルツやポルカは練習したんだけど・・・・・・。」
全部は踊れるか怪しいと困り顔をされて、実の弟の理性が、抜け掛けの乳歯ぐらいグラグラと揺れているのがよく分かる。
「大丈夫、気負わなくても。僕がリードするから。」
ああ、もう、これ、ギルバートはこっちの話を聞く気はないわね。
そう思って、静かに壁際で微笑んでいるレベッカに、わざとらしく肩を竦めて見せれば、気立てのいい彼女はふふっと声を漏らして笑い返してきた。
(月光の貴公子だの、氷輪だの、今じゃすっかり形なしだわ。)
ギルバートがエリザベスの機嫌を取っている合間、レベッカの淹れてくれた紅茶を口に含む。こっちの好みをしっかり把握しているのだろう。リンゴのフレーバーティーで、口当たりがいい。
(ここ二、三年は何を言っても、ピクリとも笑わなかったのに。)
今のギルバートは、幼い頃の彼に戻ったかのようにして、エリザベスに笑い、そして、自分にも優しく接してくれるようになった。
(ギルは昔みたいに『少しは王太子妃候補らしくしろ』なんて言わないんだろうな・・・・・・。)
そう思うとちょっぴりその事が淋しくも思えて「明日の夜くらい、淑女らしくパーティーに参加しようかな」だなんて思えてくる。
「ねえ、姉さん。僕から大公殿下にお願いをしてみるからさ、僕が挨拶する間とかリジーと一緒にいてあげてくれないか? リジーもそれなら安心だろう?」
「それは心強いけど、ステファニー様のご迷惑にならないかしら?」
「ちょっとリジー、ステファニー様だなんて仰々しい。さっきみたいにステフって呼んでよ。それにリジーは私の可愛い義妹だもの、しっかり案内するわ。」
ギルバートは「リジーは僕の白百合姫なんだけど」と文句を言いつつも、レベッカに「姉さんが増えるのを連絡しておかないといけないから」と、レベッカに便箋と筆記用具を頼む。
そして、レベッカが部屋を出ていき、三人だけになったのを見計らうと、ギルバートは「ところで姉さん、世界情勢にはどれくらい明るいの?」と訊ねた。
「世界情勢?」
「ああ、スパニアの動向を知りたいんだ。グニシアの社交界でその辺りの話は出てなかったかい?」
「そうね・・・・・・、おおよそはギルも知るところだと思うわよ? スパニアはオスマーンとの一戦の件以降、造船強化に勤しんでいるみたいだわ。」
そして、亡き王太后陛下の失策の影響で、グ二シアが手放さざるを得なくなった土地の領有権をめぐって、隣国フランク王国と揉めているようで、手放したはずなのにスパニアに助力を求められて、グニシアが一定の軍事費をそこに充てている。
「兄さんはなんて?」
「スパニアとフランクの諍いが収まるのが先か、グ二シアの国庫が底をつくのが先か、そこが問題だって愚痴っていたわね。不良債権にも程があるって。」
「何か動きはある?」
「ええ、樽材の流入が増えているわ。お父様が気になさっていた。」
点と点。自分のところに来るのは、まるでビーズのように情報の欠片でしかないけれど、ギルバートがこういう難しい顔をする時、彼は上手にそれらを繋いでネックレスにしてくれる。しかし、今日は少し違ったようで、ギルバートは「リジーの読み通りだね」と肩を竦めた。
「リジーの?」
「ああ。リジーがね、スパニアがネーデルを取りに来るだろうって言っていてね。」
「ネーデル・・・・・・? 何故?」
「宗教弾圧と経済掌握のためです。スパニアは正教会の宗主国ですし、ネーデルを抑えればフランク王国にも挟撃できますから・・・・・・。」
「なるほど。そうなると、あそこはヴェールズ、グ二シア、エラルドにとって、ネーデルは大陸への玄関口。そこを奪われたら、グニシアとフランクとの関係もさらに悪化。交易路が立たれたところ、北からノーランドに攻められて大ピンチって事ね。」
エリザベスがこくりと頷くと、ステファニーは「樽材の流入量が増えているのは、昨年の冬からかしら。だいぶ準備は進んでいると見た方がいいわね」と眉根を寄せる。
「旦那様、お待たせ致しました。」
レベッカが戻ってきた時点でギルバートは話を切り上げ、ありがとうと言って、大公殿下宛の手紙を記し「姉さんはリジーの立ち会い人としての参加で願い出ておくよ」と話す。
「真正面からの参加願いね。」
「その方が、大公殿下も色々ご満足いただけるとは思うしね。」
ギルバートが含みを持たせて呟き、「あー、姉さんは二、三日、喉を痛めていたことにしてくれよ?」と釘を指した。




