同舟、相救う(6)
「リジーには本当に参るよ。少しは大人しくしていてくれないか?」
「何をそんなに怒っているの? 話は上手く纏まったじゃない。」
アルバートとの交渉が片付き、フィリップとシークが出ていくと、少しばかり緊張の解けた部屋の中で、ギルバートは忌々しげにウィッグを取って、エリザベスを叱り飛ばした。
「怒りたくもなるよッ! アルバートがやってきた時の形相、君だって怯えていただろう? それを何だって大砲三千五百門の取引だなんてしたんだッ! しかも、その話をあいつに持ち掛けた理由が『節税』? 確かに僕は君と違って具なしスープを飲む日々は過ごした事がないさ。だからといって、節税程度でここまで危ない橋を渡る必要は無いだろう?」
「領民たちにとって領主の懐具合は重要だわ。領主が困窮すれば領民たちに増税しなくちゃならなくなるのよ?」
ギルバートにいくら蓄財があり、エラルドにある各種会社への投資に伴う不労所得があると言っても際限はある。
「リスクは分散しないとダメよ。出資者や協力者は多く募らなければならないと・・・・・・。」
しかし、ギルバートは引き続き乱雑に服を脱ぎ捨てながら、「だからと言って、リジーがこのタイミングでアルバートと交渉すべき話ではなかった」と話す。
「アルバートの奴は、元々リジーに近付きたがっていたんだ。その目的もよく確認が取れていないというのに、君から近付いて接点を増やすような真似をするだなんてッ!」
こんなに心配しているのに――。
どうして分かってくれないんだ、と言う思いが胸の内から溢れてきて、ギルバートは声を荒らげた。
「君もあいつの挨拶を受けて満更でもなさそうだったけれど。あの場にはボイル公爵の『影』もいたんだよ?」
「私はギルに聞いたわ? 『取引』は出来ないの、って。その時に断ってきたのはギルの方じゃないッ!」
「それは君があんなことをアルバートに持ち掛けるだなんて思わなかったからだろう?」
そう言い合うと二人で顔を見合わせ、お互い面白くなさそうに「フンッ」とそっぽを向き合う。トムとフィリップはそんな二人の様子に頬を引き攣らせ、ロバートはと言えば、素知らぬ顔でギルバートが脱いだ服を片付けていた。
「お嬢様、そうは仰っても、私も肝を潰しましたよ?」
眉間に皺寄せた二人の様子に、トムは「ギルバート様はお嬢様をご心配なさっただけですよ」と宥める。しかし、エリザベスは「過ぎたる心配は束縛よ」と言い放ち、踵を返すと部屋の外へと出ていってしまった。
「あ、ちょっと、お待ちください、お嬢様ッ! フラン、この場は頼むッ!」
トムが慌てて追いかけていき、フランシスは「分かった」とため息混じりに答え、ギルバートには「もう少し気を抜かれては?」と声を掛けた。
「・・・・・・リジーは分かってないんだ。自分の置かれている危うさが。」
親指の爪を噛むようにして、顔を顰めたギルバートが苛立ちを露わにする。
しかし、それまで何も言わずに黙っていたロバートは服を畳む手を止めて「失礼ながら一言申し上げてもよろしいでしょうか?」とギルバートに声をかけた。
「何だ?」
「エリザベス様も、ギルバート様と同じようにお思いなんですよ。」
「何?」
「先程、着替えに行った際、エリザベス様は『怖くて堪らない』と仰せでした。ギルバート様が傷付くのではないかと。私はその気持ちがよく分かります。そして、今日は無事でも、明日はまた別の誰かが危害を加えようとするのではないかとか、ブリストンに渡らずにここに留まった方がいいかとか、様々危惧なさっておいででした。」
そして、顔色を変えぬまま「私は『我々は先に進むより他はありません』とお話ししましたから、エリザベス様はアルバート様との交渉の道を選ばれたのでしょう」と話す。
「エリザベス様は、ギルバート様を助けるため、先に進まれる事を選ばれた。それがボイル小公爵との交渉なのであれば、私はエリザベス様を支持致します。」
ギルバートが物凄い剣幕で睨んできている事を理解しながらも、ロバートはそう言い切ると、深々と一礼をして「盥と手拭いをお持ちします」とその場を去っていく。
フランシスは甚だ気まずい雰囲気の中「そう、気落ちなさらないでください」とギルバートに声を掛けた。
「お二人とも育ってきた環境が違うのでしょう? 行き違いがあるのは当たり前ですよ。」
「当たり前?」
「ええ、トムに聞いた話ですが、エリザベス様は男爵家ながら、かなり節約を余儀なくされていらっしゃったようですし・・・・・・。」
トムにここ何年かのスペンサー家の懐具合を聞いていたフランシスはそう話し「彼女のお祖父様のエドガー様も、軍を指揮する時に『質素倹約は大事』と常々申しておりましたから」と言えば、ギルバートは何か思うところがあったのか、首を横に振り「いいや、僕の失態だな」と話した。
きっとエリザベスの苦難の日々を知っているノアなら、こういう時でもエリザベスに「あの小公爵相手に上手く高値で売り付けたな」などと労っただろう。
アルバートが危険だと知っていても、あいつならもっとリジーの気持ちを汲み取って上手く立ち回ったに違いない。
「リジーを追い掛ける。」
「ギルバート様、お待ちください。」
出鼻をくじかれて、不服そうに振り返ると、バスルームから顔を覗かせたロバートが「そのまま行かれるのは色々やめた方がよろしいかと」と言うと、化粧を落とす前だったと気がついて、両手で顔を覆い、ギルバートは「はあ」と重たいため息を吐いた。
「・・・・・・ああ、もう、自分が本当に嫌になる。」
そして、ロバートが持ってきた手拭いで顔を拭いて化粧を落とすと、改めて「リジーを追い掛ける」と部屋を出ていく。
フランシスもその後を追おうとしたところ、ロバートに「ドレイクさん」と声を掛けられた。
「人の恋路を邪魔するのはなんとやら。追わない方がいいですよ?」
「だが・・・・・・。」
「大丈夫です。お嬢様の元にはトムさんも傍にいらっしゃいますでしょう? 何なら、お二方のやり取りに『耐えられん』って言って帰ってきそうですが・・・・・・。」
そして、ロバートは「ギルバート様の美徳は、己の非を認めたら、きちんと謝罪できるところなんですよ」と笑った。
◇
「トム、ついて来ないでッ!」
「それはさすがに出来ません。」
「じゃあ、もう少し離れて警護しててッ!」
頭に血が登った状態で闇雲に歩き、エリザベスは大公家の庭の四阿の所まで来ていた。
エリザベスの声が悲痛だったからだろう。
トムは四阿の中にまでは入って来ず、エリザベスの指示通り少し離れたところで警護をすることに決めたようだった。
(もうヤダ・・・・・・ッ!)
ギルバートの事が心配で、でも、先に進むしかないと覚悟して、何とかアルバートとの交渉を収めたのに、返ってきたのは「少しは大人しくしていてくれないか?」の言葉だった。
自分の声は届かない――。
そう思ってしまったら、ギルバートは自分を心配しているのだと思っても胸が苦しくて堪らなかった。
(だめよ、こんなことで泣くなんて。絶対にだめ。)
思い通りにいかないからと言って、ここで泣いてしまっては、あまりに子供じみている。
それでも、祖父が倒れ、母が亡くなり、助けを求めても誰も助けに来てくれなかった数ヶ月、伯父のキースに同じように頭ごなしに「大人しくしていろ」と言われ続けた日々を思い起こして、エリザベスは思わず部屋を飛び出していた。
(ここはスペンサー邸の一室じゃないし、ギルは伯父様じゃない。)
そう念じてみても、ギルバートに言われた言葉が頭の中をぐるぐるとし、過呼吸を起こしかけているのか指先がぴりぴりと痺れたような感覚になってくる。
「ふ、ぅ・・・・・・ッ。」
息を遣いが浅くなっていくのを堪えようと息を止めてみても、嗚咽に似た声が漏れ始めて、それが余計にエリザベスを追い詰める。
(落ち着いて、私・・・・・・。)
トムが言ったように、彼は自分のことを心配してくれただけ。
大丈夫、彼は自分を閉じ込めたりしない。
そうやって何とか自分自身を宥めていると、「ああ、リジー、ここにいたんだね」とギルバートのすまなそうな声が聞こえてきた。
「ギル・・・・・・?」
震える声で、今にも泣き出しそうなエリザベスの様子に、ギルバートはギョッとした様子で近寄ってくる。
「リジー。本当にごめん、僕が言い過ぎた。」
「違うの。これはギルのせいじゃない。ただ、昔を思い出して・・・・・・。」
「昔?」
「部屋に閉じ込められていた時、『大人しくしていろ』って言われるのが常だったから。」
それを聞くと、ギルバートはエリザベスの冷えきった指先を暖めるようにしてそっと手に取り、そのまま抱き締めてくれる。
「・・・・・・~~ッ、本当にごめんッ! 僕が考えなしだったッ!!」
ギルバートの抱き締めてくれている所から、少しずつ熱が戻ってくるようでホッとする。
段々と落ち着いてギルバートを見上げると、急いで来たのだろう、ところどころ化粧の跡が残っていて、指先もマニキュアを施したままだから、何とも不可思議な格好になっていた。
でも、それだけ急いで自分を追いかけてきてくれたのだと分かるから、エリザベスもまた申し訳ない気持ちが募ってくる。
「・・・・・・私こそ、ごめんなさい。」
トムも「肝を潰した」と言っていたくらいだ。ギルバートにも、同じくらい心配させてしまったのだろう。
「私も破れかぶれだったのは認めるわ。」
「いや、僕が頑なだったせいだ。アルバートとの融和路線は悪くない話だったのに。ただ、あいつがリジーに興味を持ったのか気に食わなかっただけなんだよ。」
ギルバートはそう言って「自分の狭量さが嫌になる」と呟く。
一方、エリザベスはだんだん落ち着きを取り戻して「私もお祖父様譲りの自分の無鉄砲さが、しょっちゅう、嫌になるわ」と苦笑した。
お互い、怒りの矛先を胸の内にしまったところで、ギルバートはエリザベスを抱き寄せたまま、背後に立つトムに「そう殺気立たないでくれ」と肩を竦めた。
エリザベスがギルバートの横から顔を出して、その後ろを覗くと、そこにはむっすりとしたトムが、冬眠明けの熊のようにして四阿の入口に立っていた。
「話は終わりましたか?」
「終わった。だから、そんな風に目を釣り上げないでくれないかな?」
アンなら上手く見逃してくれるのに、とギルバートは呟けば、トムが「何かおっしゃいましたか?」と訊ねてくる。
「いいや、何でもない。」
そう答えた後もギルバートは、エリザベスを手放す様子はなく「次は事前に相談してね?」とだけ付け加える。
エリザベスがこくりと頷くとギルバートは納得したのか、抱き締めてきていた腕の力を緩めて、ヘッドドレスで覆った頭をひと撫ですると名残惜しそうに四阿を出ていく。
エリザベスは撫でられた頭に触れて、顔を赤らめた。
(・・・・・・不意打ち、だわ。)
あんなに心乱れて息が上手く吸えなかったのに、ギルバートに抱き締められたり、こうやって少し頭を撫でられたりするだけで、切羽詰まっていた気持ちは解けていく。
「お嬢様? いかがしましたか?」
「あ、ううん。何でもないわ。」
エリザベスは急に火照った頬を覚ますようにパタパタと手で顔を仰ぐ。「今日は思ったより暑いわね」と目を泳がせた。




