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同舟、相救う(3)

「リジー、もう、大丈夫だ。」


 手をきつく握り返してくれたギルバートに優しく声をかけられる。


 鳶色の瞳は気遣わしげにエリザベスを見ている。


 怖かった――。


 本当はこのままギルバートの胸に縋ってしまいたいほどに。けれど、ギルバートと視線が合って、もう一度「よく頑張ったね」と言われると、何とか縋りたい気持ちを押し殺した。


 自分がやったことと言えば、目の前で顔を青くしているアルバートとの挨拶だけ。


『あなたが、エリザベス嬢か。初めまして。』


 そう挨拶してきた彼の目はギラギラと血走ったいて、ひと睨みされただけで心臓を鷲掴みされたようにして動悸が激しくなり、口の中が干上がった。


白百合姫(プリンセス・リリィ)、あなたはグニシア国王の秘された娘なのか?』


 それこそ、今日、目の前のボイル公爵家の嫡男に知らせなければならなかったことだし、目的は達成されたのだ。これでいい。

 けれど、今にも飛びかからんと言わんばかりに「無言は肯定ととるぞ?」とアルバートに脅された時には、言葉は頭を上滑りし、恐怖に足が竦んでしまった。


(ギルが居てくれて良かった・・・・・・。)


 きっと自分とレベッカしか居なかったなら、騒ぎはこの程度では収まらず、大公殿下とアルバートの間に深い溝が出来てしまっていたことだろう。

 エリザベスはまだ地を踏んでいる心地はしなかったものの、ギルバートにぎこちなく笑みを返してみる。


「少しお化粧を直してくるわね。」

「え、ああ。」


 そして、後から現れたロバートに「あなたも着崩れているから、着替えた方がいいわ」と腕を引っ張るようにしてバスルームに向かう。


「え、あ、エリザベス様?」

「大丈夫、ちょっと髪型と上着を整えましょう。今の状態で、大公殿下が来たら、大騒ぎになるわよ?」


 エリザベスは困惑の声を上げるロバートを無視してバスルームに押し込むようにすると、「では、また後ほど」と告げて、呆気に取られているギルバートをその場に残して、部屋に逃げ込むと後ろ手にドアを閉めた。


「ねえ、これで第一部、第三幕はおしまいかしら?」


 一緒にバスルームに引き込まれたロバートは困惑のままに「あ、はい、そうですね。終わりだと思います」と答える。


「じゃあ、次は第二部ね。この後、ギルはギルの格好に戻る予定でしょ? ロバートも着替えて。」


 そう言うとロバートは頷き、ウィッグと上着を脱ぎ、黒の上着を着て、エルガー公爵家の従者であるバッジを付け直したり、髪を整えたりする。

 そうして、ロバートが元のロバートの姿に戻るに連れて、強ばった表情のままで、エリザベスは「ロバートは平気なの?」と呟いていた。


「平気、と申しますと?」


 ロバートに聞き返されて、エリザベスは少し言い淀み、それから「ギルのことよ」と話した。


「・・・・・・私、怖くて堪らないの。ギルが傷付くんじゃないかって。この間はフランシスさんが助けてくれたし、今日はアルバート様が思いとどまってくれたけれど、明日はまた別の誰かがギルに危害を加えようとするんじゃないかって怖い。」


 本当ならオリバーの右腕として、安泰の地位にあったはずなのに、この間のフィリップの話の通りなら、ギルバートの地位は酷く危ういものに変わってきている。


「そうですね、初めは異端審問会への召集が免れられればというお話でしたが、今、戻られてもギルバート様は以前のように王太子殿下の傍に侍ることは難しいでしょうね。」


 一夜にして、派閥勢力がガラリと変わってしまった。


「今の王城はマイヤー子爵令嬢の天下です。何とかルーカス様やブライアン様、それと、ボイル公爵が国王陛下と第一、第二王妃殿下を守っておいでですが、このままだと内側から崩壊します。」


 だからこそ、ボイル公爵は外に出たアルバートに連絡をとることにした。


「エリザベス様、我々は先に進むより他はありません。もう事態は動き出しています。異端審問会への召集については、この一件が片付きましたら、私が証言台に立ち、片をつける予定ですが、当初ほど思ったような効果があるかどうか・・・・・・。」


 正教会について手を打たないまま放っておく事はできない。けれど、手を打ったところで、今度は別の濡れ衣を着せてくる可能性がある。


「私はブリストンには渡らず、この地にとどまった方がいいのかしら・・・・・・?」

「それについて私は判じかねます。けれど、あなたがそう判じたならば、我が主は周りを敵に囲まれても最後まであなたの傍に留まりましょう。」


 ロバートは「そう言う方ですから」と話すと、エリザベスも「ええ、そうね」と答える。


 扉一枚。その向こうで第二部の幕が開く。


「私はもうちょっと顔色がマシになってから出るわ。ギルが気に掛けるかもしれないけれど、大丈夫だって伝えて。」

「承知しました。」


 ロバートは頭を下げて去っていく。


(アルバート様と喧嘩別れにならなければ・・・・・・。)


 第二部はそれで上手くいくはず。


(でも、これで『安心』にはならない・・・・・・。)


 北はノーランド、真ん中は正教会、そして、南は――。


 エリザベスは鏡に映った土気色の自分自身を見ると「ギルを巻き込みたくないのに」と独りごちた。


 ◇


「アルバートが洗脳されている?」


 それはひとつの可能性だった。

 宿屋を訪ねてきたフィリップは、ソフィアがサラに操られた事と共に、その兄であるアルバートも操られている可能性を示唆した。


「ああ、どんな洗脳がされているかまでは分からないが、エリザベス嬢をアルに近づけるのは慎重を期した方が良いと思う。」


 ステファニーから送られてきた女装計画についてひとしきり大笑いした後、「帰れ」と言い募るギルバートに対して、フィリップは「重要な事があってきたんだから邪険にするなよ」と言って、旅立つ直前のグニシアの状況について教えてくれた。


「特に王太子殿下は洗脳されやすかったみたいでね。夜会の翌日、大公殿下達を見送ったあとに開かれた召集でね、王太子自身が『王太子妃候補受け入れの拡充』を提案したんだ。」


 国王陛下はその席にはいなかったものの、ボイル公爵、そして、エルガー公爵であるルーカスは黙り込み、宰相であるブライアンも、怒りを通り越し、呆れて絶句してしまっていたと言う。


「生真面目にも止めに行ったランスロット卿に対しても、身の振り方を考えておけと言ったらしい。」


 それを聞くとギルバートは頭が痛そうな顔をして「あの馬鹿王子。自分の一番のパトロン達と手を切ろうとするなんて。廃太子の可能性も出て来るじゃないか」とため息混じりに呟いて項垂れた。


「まあ、幸い? 両家ともマイヤー子爵令嬢の仕業だとは分かっているからね。今は隔離して様子見することになったんだけど。そんなわけでボイル公爵にとってのエリザベス嬢の価値はグングン上がっているってわけさ。」

「私の価値・・・・・・?」


 エリザベスが小首を傾げて訊ねれば、「ああ、国王陛下はあなたの事を実の娘だとお認めになったからね」とフィリップは話した。


「まだ、知っているのはほんのひと握り。エルガー公爵家の他、ボイル公爵自身と、僕の父、それから、僕自身までだ。だが、どんなに遅くとも二人の結婚が成立する頃には、この事は公になさるおつもりだと思うよ。」


 そして、「ギル、君は上手くすれば王配としてグニシアを手にできる」と茶化すようにフィリップが話す。エリザベスは真っ青になって「そんな」と言葉を詰まらせた。


「ギル、そう睨むなよ。エリザベス嬢の出自のことを公表しようとしてるのは、僕のせいじゃないんだから。」

「分かっている。」

「とても分かっている、って顔してないけど、まあいいや。今、話したいのはそのことじゃないから。」

「じゃあ、なんだ?」

「言ったろう? アルのことだよ。いつもは妹のソフィア嬢を第一としているアルが、ろくな護衛も伴わず、ソフィア嬢を夜会に出すような迂闊なことをしたことが引っかかるんだ。」


 いつものアルバートならたとえエリザベスの事が気になったとしても、ソフィアを一人にするような真似はせず、エリザベスの元を追いかけることを断念しただろう。

 また、たとえ今回のように断念しなかったとしても、その辺りはボイル公爵家の優秀な『影』達を使い、自分はグニシアで情報が得られるのを待ったに違いない。


「あの女狐の人を操る能力は、その人が元から思っている、負の感情を増幅し、不安がらせ、付け入ってくる。しかも、厄介なことに操られている側は自分の意思でやっていると思い込んでいるんだ。」


 オリバーも、ソフィアも、イザベラも――。

 フィリップは、その怨恨の行き着く先にはエリザベスとギルバートに繋がるように誘導されていたと話す。

 ギルバートはペラペラと何の見返りも求めぬままに話すフィリップの様子に、すっと目を細めると「お前は洗脳されていないのか?」と訊ねた。


「さあ、どうだろうね? どう見える?」

「・・・・・・トム、お客様はお帰りだそうだ。」

「あ、ちょ、嘘、嘘。冗談だってッ!」


 フィリップは慌てて、ギルバートを制すると「今の僕は君と敵対する気がないから話してるんだよ」と話した。


「ソフィア嬢を診てくれた医者にも聞いてみたんだ。そしたら、僕みたいに根っから疑り深い奴や、逆にランスロット卿のように別のことに信念を抱いているような奴は、術に嵌りにくいらしい。」

「それなら、アルバートは洗脳されていないんじゃないか?」

「もちろんそれも大いにありうる。アルは人一倍警戒心が強いし、サラに簡単に気を許すようなタイプじゃないから、操られているフリをしているんじゃないかって。だけど、アルは家族や友人とみなした相手のことは、誰よりも大事にする優しい面もある奴なんだ。だから、ソフィーに関わることを言われて、サラを一瞬でも信用していたら分からない。」


 アルバートは自分の家族や自分の愛する者が傷つくと知れば烈火のごとく怒る。そして、その枠に「サラ」も加わっていたら、面倒くさいことになる。


「それに、アルはギルの事を昔から目の敵に思っている節があるから。」

「目の敵って・・・・・・。アルバートの方がいつだって目立っていただろう? 学年一番の成績で、スポーツ万能で・・・・・・。」

「だからだよ、ギル。お前、ちょいちょい手を抜いてただろう? アルはそれにも気付いていたんだよ。」


 悪目立ちしないように、一、二個わざと間違えて回答し、不自然のないように学園生活を送る。フィリップは「それも処世術だとは僕も分かるけれどね」と話した。


「ともあれ、アルの奴は君のことを虫が好かない奴と思っているはずなんだ。そのあたりに付け込まれてサラの甘言に乗ってしまったなら、知らず知らずに操られている可能性がある。例えば『ギルバートからエリザベス嬢を奪え』とか、『エリザベス嬢を辱めて物にしたら、見返せるぞ』とかね。何を吹き込まれているか分からない。」


 そして、そっと懐からボイル公爵家の封蝋が施された手紙を取り出す。


「今回、君たちにステファニー嬢から手紙を預かってきたようにして、ボイル公爵からアル宛に手紙を預かってきたんだ。正直、中に何を書かれているかは分からない。けれど、恐らくエリザベス嬢を守るように書かれた手紙なんだと思う。」


 そして、フィリップは真剣な面持ちで「だけど、これを読ませた後で、アルがどう反応するか」と眉根を寄せる。


「これから先、王女だと明かされることが決まっているエリザベス嬢に対して、アルが大公家で無体を働いたとしたら、ヴェールズとグニシアの国際問題にも発展する。何としてもその事態は避けなくてはならないんだ。僕がエリザベス嬢にベッタリくっついてて良いって言うなら、くっついているんだけど。」

「誰がそんな事させるか。旅の恥は掻き捨てだ、僕自身が侍女姿でリジーを守る。」

「じゃあ、その他のエスコート役を僕に任せてくれる?」

「それも断る。うちには優秀な猟犬がいるからね。君の手を借りるまでもない。」


 そう言ってピシャリと申し出を断るギルバートの様子に、「本当、嫌味なくらいに危機管理能力が高いよね」とフィリップはため息を吐く。


 願わくは、アルバートが正気を保ってくれることを――。


 ◇


 そして、今、その願いは見事に裏切られていた。


(うわあ、これはもうどう収集つけたらいいんだ?)


 思わずフィリップは、天井を仰ぎみる。

 一応、事前にギルバートに話してあるとはいえ、ギルバートもエリザベスのことになると本気で怒ることも目に見えているから、頭の中が真っ暗になる。


 アルバートがエリザベスに襲いかかれば、トムもギルバートも問答無用で彼を取り押さえるだろう。そして、もしそうなったら、ボイル公爵家とエルガー公爵家、ヴェールズ公国とグニシア王国の亀裂はより大きく深いものになってしまうだろう。

 しかも、事態は最悪なことに、ボイル公爵からの手紙を斜め読みしたアルバートはフィリップの制止も振りほどいて、エリザベス達が休憩している部屋へ向かってしまった。


「ドレイクさん、だったか? この場合、追い掛けた方がいいのだろうか?」

「いいえ、あちらにはトムとロバートがいますから、しばらく様子見をしていましょう。我々が行けばさらに騒ぎが大きくなります。」

「そ、そうか・・・・・・。」


 それから大の大人二人で十分ほど。先程、アルバートと共に外に出ていったシークという男がやってきて「あなたがたを呼んでいる」と呼びに来るまでの間、フィリップは気が気ではなかった。


(いやあ、隣国の大公家で血を見る事にならなくて、本当、良かった・・・・・・ッ!!)


 と、安堵したのも束の間、呼び出された部屋に行けば、ギルバートの目は据わっているし、青い顔をしたアルバートの眉間には深い皺が寄っている。


(あー、いや、こっちの方が面倒くさかった?)


「「フィリップ、説明しろ。」」


 片方は説明してくれ、片方は説明してやれの意で、綺麗にハモり、二人ともその事が嫌だったのだろう、益々、不機嫌になった。


「えーっと、どこから説明しましょう?」


 恐る恐る下手(したて)に出て訊ねれば、アルバートに「先程の手紙の件から」と言われる。


(つまり、最初からってことですね。)


 フィリップは、アルバートとギルバートに挟まれて深いため息を吐くと「分かりました」と答えた。

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