旅の恥はかき捨て(6)
この事態は避けたかったのに。
エリザベスは、目深にフードを被り、いかにもお忍びといった様子で、部屋までやってきた訪問者を前に固まった。
「お久しぶりです、エリザベス嬢。」
エリザベスが頬を引き攣らせた事にトムは気がついたようだったものの、相手が伯爵家の子息だとは分かってのことだろう。丁重に「ようこそいらっしゃいました。どうぞこちらへおかけ下さい」だなんて応対している。エリザベスは招かれぬ客が宿屋の丸椅子に腰を下ろし、外套のフードを外すと、ようやく緊張混じりの声で「お久しぶりです。小伯爵」と声を掛けた。
「小伯爵などと他人行儀なのですね。あの時のようにフィリップとお呼びくださっても構わないですよ。あなたに呼ばれるなら、それも悪くない。」
「そうは参りませんわ。私と小伯爵では身分が違いましょう?」
すると、フィリップはニッコリとして「あの時のあなたは私を侮られていましたものね」と言葉を続けるから、エリザベスは表情を固くし、それから「ええ、愚かにも」と観念したかのように返事した。
「甘く見ていましたわ。社交界のあなたの噂を鵜呑みにして。それこそ作られた虚像でしたのに。」
フィリップはそれを聞くとくすりと笑みをこぼした。
「いっそ騙されたままでいらしてくだされば、よろしかったのに。エリントン卿とご婚約なさった時、歯噛みしたんですよ?」
「まあ、ご冗談を。」
「冗談なものですか。あの時のあなたが目に焼き付いて離れない。それに私は申し上げたはずですよ? 『あなたの意思を尊重し、中立を保つ』と。」
「あら、それはあなたとの取引に頷けばのお話だったと思うのだけれど?」
ぴしゃりとエリザベスがフィリップの言い分に反論すれば、話を聞いていたトムまで警戒の色を露わにした。
フィリップは諸手をあげる仕草をすると「エリザベス嬢、『赤鬼のトム』をけしかけるのはおやめ下さい。私はあなたの味方をすると決めたんですよ?」と話す。
「私に味方しても、小伯爵には何の得もないのでは? 今の私はご存知のように追われるしがない身の上ですから。」
「ご謙遜を。うちの影たちは『王の耳』とも呼ばれるほど優秀なんですよ? あなたは、今後、人の上に立たれるべきお方だ。」
そして、エリザベスの傍で膝を折り、片手をとると恭しく「秘された王国の花よ、私はあなたに忠誠を誓いましょう」と口にする。
「あなたがグニシアの女王となるのをお望みなら、ウィンザー家はあなたの手足となり、エルガーの盾と、ボイルの矛をご用意致します。」
エリザベスは一瞬、目を見開き、それから、声を震わせながら「仰っていることが分かりかねます」と続ける。しかし、フィリップは視線を逸らすことなく、見上げるようにしてエリザベスを追い詰めてきていた。
(ああ、もう・・・・・・ッ!!)
だから、この事態を避けたかったのに。
助けを求めるようにしてトムを見ると、トムもフィリップの態度に戸惑っているのか、固まっている。
「・・・・・・私に何を望むというの? 神託の巫女が言うように、グニシアの不幸の種になれと?」
白百合姫などとその女を担げば、この国は火の海に飲み込まれることでしょう――。
サラの能力がどうあれ、あの場でその言葉を聞いた者にとっては、印象深く頭に残っているだろう。
「私はしがない田舎の男爵領の居候令嬢に過ぎませんわ。」
「ええ、そして、月光の貴公子を射止めた、今をときめく白百合姫であられる。」
「ときめいていた、でしょう? 今は神託の巫女に糾弾された異端者と後ろ指をさされる身だわ。」
そんな不毛なやり取りをしている合間に、宿屋の階段を踏み鳴らすようにして上がってくる物音がして、息咳切った様子でギルバートが姿を現した。
「リジー、無事ッ?!」
途中から走ってきたのだろうか、少し息を弾ませたギルバートは、エリザベスの足元で跪いているフィリップの姿を見つけると、眉間に皺を寄せて「フィリップ?」と怪訝そうな顔をする。
「僕の婚約者を性懲りもなく、また口説いているのか?」
すると、フィリップはすくりとその場に立ち上がり「滅相もない、私の忠誠心がいかばかりかをお話していたのに過ぎませんよ」と応対する。
「お帰りなさいませ、エリントン卿。いや、『殿下』とお呼びすべきでしょうか?」
フィリップが恭しく出迎えるから、ギルバートは不機嫌そうに「からかうのは止せ」と返す。
「だいたい、こんなところに何しに来たんだ? 」
「グニシアでね、ちょっとした事件が起こりましてね。」
「事件?」
「はい、ボイル公爵家ご令嬢のソフィア様が、神託の巫女に操られ、お父上のボイル公爵閣下は酷くご立腹。ウィンザー伯爵家が間に入り、エルガー公爵家との正式な和睦を致しました。」
そして、エリザベスに「お望みなら、エルガーの盾とボイルの矛をご用意致します、と申し上げましたでしょう?」とニコリとする。
「ですが、続きはまず貴殿のお姉様からの手紙を読んで頂いてからに致しましょうか?」
にやにやとしたフィリップの様子に、ギルバートは手紙を仏頂面で受け取ると、中身を斜め読みする。しかし、みるみる顔色は悪くなり、最後の方は「はあ」と酷く重たいため息を吐いて項垂れた。
「・・・・・・この話は父さんも?」
「ええ、もちろんご存知です。」
エリザベスが心配して袖を引けば、ステファニーからの手紙を渡してくれる。そして、何となしにその中身を読むと、エリザベスは目を三日月のように細めて「ぷふっ」と笑い始めた。
「ごめんなさい、でも・・・・・・ッ!」
ふふふッと堪えられずに肩を震わせて笑えば、ドアのところで控えるように立っていたトムも、遅れて戻ってきたフランシスも不思議そうにエリザベスのことを見る。
「・・・・・・ちょっと、リジー、笑うことないだろう?」
ギルバートがむくれたものの、エリザベスは目尻に涙を浮かべて「だって、これ、おかしくって」と笑う。
「まさか、こんな手段は選ばれないでしょう? 悪ふざけよね?」
「あいにく我が家では、母さんとステフの命令は絶対達成しなきゃならないんだ。それは単なる手紙じゃなくて指令書。姉さんに逆らうと、もっと過激なことを求められかねない。後が怖いんだよ。」
ギルバートは遠い目をした。
◇
その頃、グニシア王国の会議は大荒れに荒れていた。それもそのはずで王太子であるオリバーが、サラを王太子妃候補の一人に加えると公に宣言したからだった。
レオンは会議が終わるや否や、部屋を出ていくオリバーの後を追った。
「殿下ッ! 本気でマイヤー子爵のご令嬢を王太子妃候補に加えるおつもりですか?」
いつものオリバーなら行き過ぎのことを仕出かした際に、ギルバートが静かに諭すか、レオンが一喝すれば、しょぼくれた子犬のようにして「すまん」と言ってくるのに、その日の彼は違っていて、煩わしそうにレオンを一瞥すると「そのつもりだ」と端的に答えた。
「王太子妃は何も公爵家の出でなければならぬと、取り決められているわけでもあるまい。むしろ、エルガー家、ボイル家のみが候補となれば、両家の対立が深まるばかりではないか?」
「殿下、どうかお考え直しくださいませ。マイヤー子爵令嬢を迎え入れるという事は、エルガー公爵家と王立教会と対立する正教会を王室として認めて迎え入れるということですよ? エルガー公爵家とボイル公爵家の対立解消どころか、新たな火種を抱えてしまいます。」
「ああ、そうかもしれない。だが、毒をもって毒を制さなくては、私は公爵家の傀儡に成り下がるだろう? それに中立をモットーにして父上のように両方のご機嫌取りをすれば、どちらの王妃が先に次の王太子を産むか、競争と軋轢が起きるのは目に見えている。そのようなことになれば、母上のような苦しみをご令嬢方は味わうだろうし、私は近くに置くなら、身分を問わず愛する者を近くに置きたい。」
それを聞くとレオンの歩みは遅くなり、王太子宮に戻るオリバーを追いかけられなくなる。やがて、向かいから「ああ、殿下、こちらにいらっしゃったのですね」と呼びかけるサラの声が聞こえてきて、オリバーに寄り添うと甘えるようにして、その腕に取り縋った。
「ああ、サリー、待たせたね。」
廊下の突き当たりで、オリバーはその碧眼を細めて甘やかな表情になる。そして、ぼんやりと立ち尽くしているレオンに冷ややかな視線で一瞥を送ると「レオン」ではなく「ランスロット卿」と声を掛けてきた。
「私が言っているのは、あくまでも『王太子妃候補の門戸』は広くせよ、と言っているだけだ。彼女が子爵位で不足というのであれば、よりしっかりした後見をつければ良いだけ。幸い、グレイ侯爵、ハミルトン伯爵が名乗りを上げてきている。会議で多数決をとった時も、多くは賛成してくれた。後は父上の判断をとるだけだ。私に賛同できないなら、そなたをサラの近くには置けない。身の振り方を考えておくんだな。」
オリバーはそれだけ告げて、サラの黒髪を指で梳く仕草をして去っていく。けれど、レオンがドキリとしたのは、そのように甘やかな態度をとったオリバーではなく「それが当然」と言った様子で受け入れているサラの様子だった。
(『人が変わった』のとは違う・・・・・・。)
ソフィアの時にも感じたが、サラの力はどうやら元から抱いていた、心の奥底に沈めていた感情や考えが、表に出てしまう代物のようで、その発言はとても説得力がある。
しかも、昨夜の夜会中に、二人以外にも同じように施したのだろう。今日の会議では今までエルガー公爵家や、ボイル公爵家の腰巾着だったはずの家までも、両家に離反するかのようにして、オリバーの王太子妃候補の受け入れ拡大案に賛同した。
(今までの派閥の勢力図が大きく変わるな・・・・・・。)
エルガー公爵家、ボイル公爵家の派閥でもない、グレイ侯爵家を中心にしたマイヤー子爵令嬢を推す第三勢力。それ自体ができている可能性は気がついていたが、ここまで勢力が急速拡大しているとは思わなかった。
(不気味なのは、口を開かなかった国王陛下と両家当主達だな・・・・・・。)
一粒胤の王子ゆえ、そう簡単にはひっくり返らないだろうが、その三人に「王太子として不適格」と見なされたら、オリバーの廃太子になりかねない事態に、レオンはやきもきさせられる。
(こんな時、ギルが居てくれたら・・・・・・。)
そしたら、もっと上手く説得できたかもしれないのに。いつもいい知恵を貸してくれていた、親友が居ないことが酷く落ち着かない。
「ランスロット卿、こちらにいらっしゃいましたか。」
後ろからギルバートと同じような声色で声をかけられると、レオンは勢いよく振り返った。
「宰相閣下・・・・・・。」
厳しい表情のブライアンは「王太子殿下のことで、陛下がお呼びです。少しお時間を頂けますか?」と訊ねてくる。
「ええ、もちろんです。」
レオンは即答して、元いた会議室の方へと足を運んだ。




