旅の恥はかき捨て(4)
トムとフランシスが話し込んでいる頃。
ギルバートとエリザベスは向かい合うように座り、窓の外の流れていく景色を見ていた。
「こうしていると馬車に乗っているみたいだ。」
コンパートメントの中の距離は箱馬車のそれと一緒だ。ギルバートが感慨深げに「思えば随分と遠くにきましたね」と話すから、何となく気まずい思いをしていたエリザベスは、窓の外の景色からギルバートへと向かいなおった。
ブルネットの髪は長旅もあってパサついていて、表情も疲れの色が見える。それにこのコンパートメントは、普段、公爵家の子息であるギルバートが使っている馬車の内装に比べたら、椅子は固いし、腰も痛くなる。
けれど、寸法は一緒なのだろう。ギルバートと向かい合った時の距離は、ウィンザー家のお茶会の帰りに送ってくれた時や、コックス家のお茶会に出掛けた時と同じ距離感で、エリザベスも表情を緩めた。
「本当に。去年の今頃はまだ邸で伯母の嫌がらせを受けながら、デビュタントの準備をしてた頃だなんて嘘みたい。」
「去年の今頃か・・・・・・。たしかにそうだな。なんだか、遠い昔の出来事のようだけど。ああ、でも、悔しいな。一年早く会えてたら、リジーのデビュタントのエスコートを誰にも譲らなかったのに。」
ギルバートはあからさまに残念そうに眉尻下げて「ノアだっけ? コックス子爵のご令息が憎たらしいよ」と口をへの字にするから、エリザベスは何だか胸の奥がむず痒いような気持ちになった。
(可愛い・・・・・・。)
うん、どうしよう、すっごく可愛い。
口にしたら、ますますへそを曲げてしまいそうだけれど、少し面窶れして、こちらの機嫌を伺うようにして見つめてこられると、胸がきゅうっと締め付けられるような心地になって、自分でも顔が火照ってくるのが分かる。
「リジー?」
急に黙り込み、恥ずかしそうにするエリザベスの様子に、ギルバートが訝しがる。
「そ、そんなに見つめないで・・・・・・。」
見つめられることに耐えきれずにエリザベスがそっと視線を外すと、ギルバートは今度は目を細めて、昨夜と同じようにエリザベスの手を取り、そっとその甲に口付けた。
「ひゃッ?!」
奇声を上げて、手を引っ込めかけるエリザベスに対して、ギルバートはくすくすと楽しそうにしながら、逃がさないように捕らえると、今度はエリザベスの手の平を味わうようにキスをする。
「ちょっと・・・・・・、ギルッ!」
いつかと同じように真っ赤になってエリザベスが抗議したものの、ギルバートは我関せずといった雰囲気で、するりとエリザベスの隣の席に移動してきた。
そして、何かを学習したのか、耳元で甘えるように囁いてくる。
「嫌なら、もう止めるけど・・・・・・。」
手から伝わってくるのは、ギルバートの少し乾いた肌と温もりで心地よく、まるで子犬がじゃれてくるような雰囲気でギルバートに迫られると、エリザベスは思い切り目を泳がせた。
「・・・・・・嫌じゃ、ないけど。」
「嫌じゃないけど、何・・・・・・?」
尻すぼみに声は小さくなり、声が震える。
口から心臓が飛び出そう。
ドクン、ドクンと耳元で脈打ち、手に汗をかき始めているから、手を離して欲しいのに、ギルバートはますます愛おしそうに手を握り、視線を泳がせているエリザベスに「こっちを見て」と甘く囁いてくる。
本当、心臓に悪い。
エリザベスは動悸が収まらないまま、抗議のためにギルバートを見たものの、ギルバートの熱っぽい瞳を見ると、心臓が跳ねるようにして胸が高鳴って苦しいくらいになった。
「リジー、そんなに可愛く困らないでよ。昨日も言ったけど、歯止めが利かなくなる。」
「な・・・・・・ッ?!」
いつの間にかコンパートメントの隅に追い詰めれていて、はにかんだ笑みを浮かべたギルバートが影になったと思ったら、柔らかな感覚が額に触れる。
「・・・・・・おでこ?」
てっきり唇にされたり、もっと際どいところにされるのだろうと身構えていたエリザベスがキョトンとしてギルバートを上目遣いに見上げる。一方、ギルバートも一瞬虚を突かれたような表情をした後で、「トムが戻ってくるかもしれないのに、別のところにした方が良かった?」と破顔した。
「あ、う・・・・・・ぅ~ッ!!」
信じられないッ! 恥ずかしいッ!!
期待していました、と言ってしまったようなものだと気が付くと、顔はどんどん熱くなっていく。
エリザベスはそっぽを向いて、恥ずかしがる。ここが自分の部屋で隣にギルバートがいなかったら、きっと地団駄を踏んで、床を転がってしまったに違いない。
「い、今のは、忘れて、お願いッ!」
悶絶するエリザベスの横で、ギルバートはすっかり機嫌を直したのか、嬉しそうに「リジーが可愛い過ぎて困る」とエリザベスを抱き寄せた。
「ちょ、・・・・・・ギルッ!」
抗議の声を上げたものの、ギルバートの腕の力は緩むことなく、逆に首筋に顔を埋めるようにして抱き竦められて上手く息が出来なくなる。
感じるのは列車の揺れと、ギルバートの息遣い。そして、自分とは違う筋肉質な腕の力と、彼の匂い。
エリザベスは頭の中が真っ白になって、無我夢中でギルバートの服を掴んだものの、それが余計に彼を煽ってしまったのか「このまま時が止まればいいのに」と耳元で囁かれた。
「・・・・・・僕はね、リジー。来年も、再来年も、その先も、君とこうして過ごしていたいんだ。その為なら何だってするよ。」
真っ赤な顔のまま、エリザベスが上目遣いに見上げれば、ギルバートは伏し目がちで「安寧に生きることは存外難しいね、君が言った通り」と少し沈んだ声色で話す。
「安寧・・・・・・?」
「言っていただろう? 自分は存外、強欲だって。リジーと一緒に生きるのが、こんなに波乱万丈だとは思わなかったよ。」
そう言われてようやくオリバーが乱入した翌日の、ギルバートとのやり取りを思い出す。あの日の彼は、スペンサー男爵領と王城との間を行ったり来たりして、『お見舞い』と言いながらこちらの偵察に来ていた。
「あの時は、ここまで波乱万丈になるとは思ってなかったわ。せいぜい伯父夫婦にいびられて生活する日々が続くばかりと思っていたのに。」
「そんなこと、僕が許すとでも? あの伯父家族のいる邸に、少しだって君を置いておけるもんか。」
そう言いながら、一掬い、髪の束を手にすると、ギルバートは愛しげにエリザベスの髪に口付ける。エリザベスはギルバートのスキンシップにドキマギしながらも、彼が単に不貞腐れているのではないことに気が付いた。
(不安、なんだわ・・・・・・。)
それに気が付くとさっきまでのドキドキ感と恥ずかしさは徐々に薄れてきて、代わりに少しでも安心させて上げたいと思う気持ちの方が勝ってくる。
エリザベスは無我夢中で掴んでいたギルバートの服から、ギルバートの背に腕を回すとそっと引き寄せるようにして抱き締めた。
「リジー・・・・・・?」
少し驚いたようにギルバートはピクリとしたものの、それも一瞬のことで、胸元に擦り寄ってくるエリザベスの様子に腕の力が強まる。
「ギル、私も叶うなら、来年も、再来年も、その先もあなたとこうしていたいわ。」
それは嘘偽りなく、心からの願いだ。
「でも、その為にあなたの『幸せ』を奪いたくないの。」
「僕の『幸せ』?」
「ええ、そうよ。もう色々と奪っておいて今更だって思うでしょうけど。あなたは私と出会わなければ、もっと穏やかに暮らせたはずだわ。」
地位も、名誉も、富も――。
エルガー公爵家の次男であるギルバートは、自分とは違って『持てる者』だ。それなのに、ギルバートはエリザベスのために、国を追われ、命を狙われ、窮地に追いやられている。
「私は、あなたにもう十分助けてもらったわ。男爵家の令嬢としては異例なことに、離宮で贅沢もしたし、立派なドレスに身を包んでバージンロードも歩めた。何も思い残すことなんてないわ。」
そこまで一気に言うと、エリザベスは泣きそうになる自分を叱咤して「私は果報者よ」と涙声で呟く。
「たとえ、正教会に捕らえられて死んだとしても。この事実だけは変えられないの。私は十分、幸せだったわ。」
しかし、ギルバートはその話を聞くと、身も声も固くし、「そんなことにはさせない」と言い切る。
「それに、君のいない世界で、他のものが手元に残ったとして、君は僕が本当に『幸せ』になれると思っているのかい?」
「ギル・・・・・・。」
「僕の一番の『幸せ』はここにあるっていうのに、どうして手放せだなんて言うんだい? 今、この腕の中にあるって言うのに・・・・・・。」
きつく抱き締めてくるギルバートの様子にエリザベスは言い淀む。
「・・・・・・そんなのダメだわ。あなたが犠牲になる必要はないの。あなたを愛している人は沢山いるのに。」
「じゃあ、君は? 君だって犠牲になる必要なんてないッ! 君を愛してくれている人だって、沢山いるだろうッ?!」
そうギルバートは声を荒らげ、急にバツが悪く感じたのか「ごめん、リジー」と囁く。
「僕を心配してくれているんだって分かっているんだ。この間のレクシー厶の時みたいに、また複数人に囲まれたら、確かに僕だけじゃ切り抜けられないし、きっと命の危険に晒される。・・・・・・だけど、これだけは覚えておいて欲しいんだ。」
抱き締めてきていた腕が緩み、ギルバートの辛そうな表情に、エリザベスの腕の力も自然と緩む。
「僕の『幸せ』は君なしには成り立たない。仮に君がその身をもって助けてくれたとして、僕は初代が嘆き悲しんだように苦しむだけだ。」
夫と自分の子供を逃がすために命を賭した『白百合姫』のように、もしもエリザベスが自分を守るためにその身を差し出してしまったら――。
それを考えると不安で、居ても立ってもいられなくなる。
「君のことは何としてでも助けるよ。それにあの程度で『幸せだった』だなんて、満足してもらっちゃ困る。君には、君が可愛らしいおばあちゃんになっても僕の傍にいてもらうつもりなんだから。」
そして、ギルバートが「僕の白百合姫になってくれるんだろう? プリンセス・リリィ?」と悲しげな笑みを浮かべると、エリザベスも目を真っ赤にさせたまま「ええ、分かったわ」とぎこちなく微笑み返した。
「大丈夫だよ。きっと道は開ける。」
それがたとえ細い蜘蛛の糸のようなものだとしても。
「リジーと一緒にいて、ハラハラすることはいっぱい起こっているけれど、今まで切り抜けてきたんだ。次もきっと切り抜けてみせるさ。」
ギルバートはそう話しながら自分で自分を納得させるようにして「サラの詰めがしっかりしていたなら、エリザベスは婚約式のあの場で捕らえられて、こうして逃げ出す事も出来なかったろうし、フランシスやエイダに会えたのも運がこっちにある証拠だ」と口にする。
それでもエリザベスは浮かない表情のままだから、ギルバートはエリザベスを安心させたくて、肩を引き寄せると今度はこめかみにキスを落とした。
「リジーは、何も心配しなくていい。」
一方、エリザベスはギルバートの少し冷えた手を両手で包むように握り、締め付けられるような胸の痛みを堪える。
(初めから、好きになってはいけない人だったのよ・・・・・・。)
彼に恋などしなければ、ここまで苦しくなることもなかったろうに。
(心がバラバラに引きちぎれてしまいそう・・・・・・。)
藤の花の揺れる四阿で物思いに耽った日のことを思い返す。
『人は恋をすると臆病になるものです。普段は気にならない些細な事が気にかかる。』
アンにはそう諭されたけれど、こんな風に苦しい思いをするのなら、やはり初めから修道院に駆け込んでしまった方が良かったようにも思える。
そして、その思いはギルバートが指を絡めるようにして手を握ってくれても払拭できず、むしろ余計に切ない気持ちにさせられた。
やっぱり私は彼に相応しくないんじゃなかろうか。
先程までのギルバートによるスキンシップにドキドキしていた気持ちはすっかり霧散していて、隣で神妙な面持ちをしているギルバートの姿を見ると、余計に不安に晒される。
ああ、もう何も考えたくない。
この列車が終着駅のカーラルに着くまで、ただこうしてギルバートの傍に寄り添っていたい。
『このまま、時が止まってしまえばいいのに。』
エリザベスはギルバートの吐露した言葉と同じ思いを、胸の内に思うとそっと目を伏せた。




