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旅の恥はかき捨て(1)

 初秋に入り、レクシームから更に山がちな村に来たギルバートとエリザベス一行は、薬売りのエイダの家に身を寄せていた。


「本当はもう少し安静にしておいた方がいいんだけどね。」

「大丈夫よ、エイダ。電車の旅だから、座席で揺られている方が長いと思うわ。」


 エイダがちょうどアンと同じ年頃だったこともあってか、エリザベスはここ二日ほどですっかり彼女に心を許している状態だった。


「リジー、今日は何を作ってるの?」

「鹿肉のシチュー。赤ワインをたっぷり入れたのよ。」


 コトコトと煮ている鍋の底が焦げ付かないように、エリザベスがかき混ぜているとトムが「そんな所でお嬢様に見蕩れて、入口近くで突っ立てないでくださいよ」と呆れ声でギルバートの背を押す。


「どうせ若奥さんになったら、こんな感じかなあとか思ってたんでしょうけど、惚けるのは後にしてください。」

「ああ、確かに見蕩れていたさ。だけど、一瞬だろう? それに見蕩れてなければ見蕩れないで『お嬢様の魅力の分からない旦那様なんて願い下げ』とか言い出さないか?」


 ギルバートが眉間に皺を寄せながら「まったく」とぼやくから、エイダとエリザベスは二人のやり取りにくすくすと笑い合った。


「ほら、二人とも、エイダとお嬢様に笑われているぞ。だいたいトムはいつまでお嬢様離れしないつもりだよ。」

「フラン、おかえり。トムにはもっと言ってやって。」


 大きな布袋を担いだフランシスも入ってくると、そう狭くないはずのエイダの家はやや人口過多になった。


「エイダ、頼まれていた干し肉や野菜類を調達してきたぞ。」

「お嬢ちゃんに聞いたけれど、明日には発つんだって?」

「ああ、レクシームでのゴタゴタも無事に片付いたみたいだから。」


 荷を解きながら、そうフランシスが答えると、エイダは「それは寂しくなるねえ」と眉尻を下げる。


「ほぼ自給自足で暮らしていて、今までそう気にしていなかったけれど、人恋しくてレクシームに下りる機会が増えちゃいそうだよ。」


 そして、フランシスの買ってきてくれた干し肉や野菜類を確認して、エイダは首を傾げた。


「これはまた随分と良い干し肉や野菜が手に入ったんだねえ。私の渡した予算で足りなかったんじゃないかい?」


 山間部にあるエイダの家のあたりは、エリントン子爵領のあたりとは気候がだいぶ違っていて朝晩がぐっと冷え込む。特に真冬の間は、豪雪地帯なこともあり、雪に閉ざされてしまう事も多く、しっかり保存食や薪の用意をしておかないと、冬の間に、飢え死や凍死をしてしまう羽目になる。

 それは薬師として山に生えている薬草の採集を生業にしているエイダとて例外ではなく、この初秋の時期になると、例年、自分で育てた薬草や野菜の他に、常備薬を売りがてら冬支度のための食材を買うのだが、昨日と今日はエリザベスの怪我のことがあって山を下りられなかったため、代わりにフランシスが常連客への薬の販売代行と保存食品の買い出しをしてきたのだ。


「せっかく買ってきてくれたようだけれど、私は値段分だけ貰うことにするよ。」


 すると、エリザベスから水を貰って飲んでいたギルバートが代わりに「そう仰らずに。受け取ってください」と答えた。


「その干し肉は僕からの贈り物です。」

「お礼なら労働力でと言ったはずだよ。」

「ええ、ですから、それは『投資』としての贈り物です。」

「投資?」

「はい、未来のビジネスパートナーへの投資です。」


 そして「あなたが長年この地に暮らして知り得た薬草の知識と、この地の薬草を僕にも売って欲しいんですよ」と話す。


「もちろん治療につかう分や常備薬として卸す分を優先していただいて構いませんし、あなたが望むなら、必要な器具をお送りするのも(やぶさ)かではありません。」

「なんだってそこまで・・・・・・。」

「僕はエラルド公国の薬品会社も支援してまして。リジーに使ってくださったアルニカ、あれ、エイダが育てていらっしゃったんですね。」


 エリザベスが「アルニカ?」と首を傾げるとギルバートは「湿布に使っていたハーブだよ」と話す。


「あのハーブは希少でね、本来なら大陸の、しかも、高山でしか育たないと言われているんだ。実際、グニシアの薬草園でも、エラルドの薬草園でも育てようとはしたけれど、夏になると葉が日焼けして枯れてしまったり、虫に食われてしまったりして上手く育たなかったんだ。」


 それをヴェールズ公国とはいえ、グニシア王国とごく近い土地で栽培していると知ったギルバートはエイダの支援をしたくなったらしい。


「・・・・・・アルニカが欲しいなら、最初からそう言えばいい。無償とは言わないけれど、欲しいなら売るさ。」


 しかし、ギルバートは首を横に振り「そう言うと思ったから、これは『投資』としての贈り物なんだ」と苦笑した。


「確かに薬草自体も欲しいんですが、僕は何より、エイダ、あなた自身との繋がりを今後も保ちたいと考えているんです。」

「私との繋がり?」

「ええ。あなたは信用のおける人だ。しかも、薬の経験や知識が深い。そういう人は僕にとっては大陸の山の上にあるアルニカよりも希少なんですよ。」


 貴族社会で生き抜くには、常に腹の探り合いを余儀なくされる。だからこそ、食や医療面については各家でかなり吟味して雇う。


「もちろん、グニシアの我が家にも付き合いの深い医者はいます。けれど、女医じゃないんです。」


 それを聞くとエイダは「はあ」と溜め息を吐き、「私に山を降りろって言うのかい?」と訊ねてくる。


「いいえ、あなたはこの山を離れられないでしょう?」


 それからエイダとギルバートの話を聞いていたエリザベスの隣の椅子に腰を下ろすと「ですから、手紙のやり取りでも構わないですよ」とニコリとする。

 エイダは断れない頼みなのだと悟ると「誰も彼もが文字を書けると思わないことだよ」とボヤきながらも、「冬場はこの家にこもって研究しているだけだから、同じように研究できる場所を提供してくれるなら、グニシア王国にお邪魔しても構わない」と話す。

 ギルバートが「その分の旅費と滞在中の一切合財も僕が用立てますよ」と答えると、エイダは「一体、いくら掛かると思ってるんだい」と苦笑する。


「三国跨いで取引網があるようだからね。随分と大店(おおだな)の坊ちゃんなんだろうけど、あんまり欲を掻くとリジーが苦労することになるんだからね。抑えられる出費は抑えないと。」


 そう言うとトムが隣でウンウンと頷くから、ギルバートは片眉を上げた。


 ◇


 食事時も五人で和気藹々として食べた後、ギルバートとトム、フランシスは護衛計画を話し込み、食器の片付けも終えたエリザベスは手持ち無沙汰に上着を引っ掛けると外に出て、エイダ特製のハーブティーを口にした。

 外に出るとスペンサー領の冬場くらい冷え込んでいて、「上着一枚では無謀だったかな」と思いながら、ウッドデッキの囲いの手すりにもたれた。


「リジー、こんな所にいた。」


 ドサリと隣に座ったギルバートは、二人で包まるようにしてブランケットをエリザベスにも巻き付けて「どうしたの?」と訊ねてきた。


「エイダがこの辺りでも星空が綺麗だって言ってたから、ちょっと見てみようかと思ったの。」


 ギルバートは「どれどれ」と空を見上げて「ああ、本当だ」と目を細める。


「あの辺りは麓の街の灯も見えるの。まるで宝石箱をひっくり返したみたい。」


 うっとりとしてエリザベスが話せば、ギルバートはそっとこめかみに唇を寄せる。


「ちょっと、ギル?」


 シィーッと口元に指をあてがって「少しだけ、ね?」と囁くと隙間が出来ないように身を寄せて、肩を抱き寄せる。


「婚約式から今まで息吐く暇もなかっただろう? それに明日からはまた忙しい旅程になりそうなんだ。だから、今のうちにリジーを補給させて。」


 けれど、エリザベスは浮かない表情だった。


「何? まだ、帰れって思ってる?」


 それには首を横に振ったものの「異端審問が取り下げられなければ、婚約破棄してもらった方がいいわ」と呟く。


「大丈夫、絶対に取り下げさせるよ。そのためにこうしてウェールズまで来たんだから。それと婚約破棄だけはしないからね?」


 そう言うとエリザベスの冷えた耳たぶを、ギルバートは少しざらついた指先で摘むようにし、手のひらで頬に触れるとそのまま押し付けるようにして唇を重ねる。

 初めは慰めるように、二度目は強請るように――。

 エリザベスはだんだんとギルバートに追い詰められて、薄く口を開くと、三度目は少し下唇を噛むようにして吸われる。


「ギル・・・・・・。」


 息継ぎのタイミングで、制止のために声を掛けたのに、鼻にかかった声は逆にギルバートを煽ってしまったのか、四度目は深く口付けられて目を白黒させる。


(流されちゃ、ダメ・・・・・・。)


 頭では分かっているのに、柔らかな舌の感覚が堪らなく心地よくて、「ギルさえいればそれでいい」だなんて無責任な気持ちにさせられる。


(こんな考え、ダメ、なのに・・・・・・。)


 鼻で息をしていても、少し性急なギルバートの口付けに息は上がり、苦しさと切なさが込み上げてくる。


「・・・・・・ああ、クソッ。」


 長いキスをした後、ギルバートは悔しそうな顔になると、ぎゅうっと抱き締めてきて「このまま何もかも捨てて、木こりにでもなって暮らしたい」とぼやく。


 と、あらぬところから「それはやめておいた方がいいよ」と返事が聞こえてきて、二人は少し離れたキッチンの勝手口の方を見た。


「仲良くしているところ悪いんだけどね。一日、二日、薪作ったくらいで筋肉痛になっているギルに木こりは無理さね。」

「あー、えーっと、いつから?」

「『こうしてウェールズに来たんだから』の辺りから?」


 ニヤニヤとしてエイダが言えば、エリザベスは一気に顔を赤くして両手で顔を覆う。


「トムには内緒にしておいてあげるから、次に来る時か、私がそっちに行く時は燻製チーズをつけておくれ。」

「・・・・・・分かりました。ただ、それにあう年代物のワインも付けるんで、他の人も含めて他言無用でお願いします。」


 それに気を良くしたのか、エイダはヒラヒラと手を振って勝手口から中へ戻っていき、ギルバートはぐったりとエリザベスの首元に顔を埋めた。

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