思惑だらけの舞踏会(4)
ちょうどその頃、レオンはボイル公爵派の多い会場の右側を中心に探していたが、それとは反対の方向で俄に騒めきが起きたのに気がついて振り向いた。
他人の合間から覗くようにすれば、何が起こったのか、オリバーがサラに膝を折っている姿が見えてくる。そして、少し離れて、その場から足早に去ろうとしてるソフィアの姿が見えた。
(フィリップの読み通り、狙いは殿下かッ!!)
オリバーの熱に浮かされたような表情を見れば、言葉巧みにサラに操られてしまったのだと離れた位置からでも分かる。それでも、レオンが咄嗟に追ったのはソフィアの方だった。
「・・・・・・失礼、通してくださいッ!」
人を掻き分け、もみくちゃにされながら、今度は見失わないように気を付けてソフィアの後を追う。そして、再びテラスへと出ると怪しげな小瓶を手にしたソフィアの姿があった。
「止めるんだッ!」
手を伸ばし、ソフィアがその中身を飲めないように、小瓶を持っている方の手の手首を掴み上げる。
「・・・・・・ッ! 何をなさるおつもり?」
力いっぱい掴んだからだろう。ソフィアは表情を歪めて睨みつけてくる。
「それはこっちの台詞だッ! 一体、何を飲もうとしていたんだッ?」
「あなたには関係ないことだわ。お放しくださいませ。人を呼びますよ?」
レオンはそれを聞くと乱暴にソフィアから小瓶を取り上げて投げ捨てる。ソフィアは足元に転がった小瓶の行方に気を取られ、短く「あ」と声を上げたが、反対の手の手首も奪われると、あっという間にレオンに抱き込まれていた。
「いや、放して、誰か・・・・・・ッ!」
しかし、ソフィアの声はパーティーの喧騒にかき消され、続いてレオンに壁際に追い込まれると、青い顔をして立ち尽くした。一方、レオンの方はソフィアが得体の知れないものを飲もうとしていたことに、すっかり頭に血が上っていた。
「目を覚ましてくれッ! こんなに震えているのに、あなたはあの女に操られたまま、毒薬を煽るつもりなのか?」
「毒薬だなんて、あれは・・・・・・。」
と、ソフィアは一瞬虚ろな目をして、「サラ様の言う通りにしなくては神罰が下るわ」と怯えた表情になる。
レオンは、そんなソフィアを抱き締めると、切羽詰まった声で「ソフィア嬢、しっかりなさってください」と懇願した。
一度、堰を切った思いは止まらない。
「こっちがどんな思いをしてあなたを追いかけてきたと思っているんですか? たとえ今宵のことを忘れたがっていたと知っていても、この仕打ちはあんまりです。俺は君を忘れたくないし、もう一度、君の笑顔を見たいだけだというのにッ!」
一曲目のポルカを終えて、不意に立ち止まったソフィアの視線の先に、エルガー公爵令嬢をエスコートする王太子殿下の姿があるのに気が付いた。
だから、視界を遮るように立って、二曲目のウィンナーワルツに引っ張りこんで、ようやく笑わせることが出来たのに。
今も二人で踊った時と同じくらいの距離にあるというのに、ソフィアは怯えてばかりで、先程までのような笑顔はなく、繰り返し「離して下さいませ」と頼まれるから、レオンは胸の締め付けるような痛みに眉根を寄せた。
「お願いだ、最悪、俺のことは思い出せなくたっていいから、神罰が下るだなんて言わないでくれ。」
それ以降の言葉は続かなくなって、ただソフィアをきつく抱き締める。ソフィアは酷く困惑した様子で「何故、あなたが泣きそうなの?」と問い掛けてきた。
「・・・・・・俺にも自分のこの気持ちを上手く説明する術ないんだ。ただ分かっているのは、君がこうやって一人苦しんで泣くのは堪らなく嫌で仕方ないってことだけ。」
フィリップには「自覚なしか?」と訊ねられ、何でも色恋に繋げるなと告げたものの、あの瞬間、自分がソフィアにひとかたならぬ思いを抱いている事に気がついてしまった。
「・・・・・・王太子妃候補なんて降りてしまえばいい。」
ボソリと本音を漏らせば、ソフィアは少し怒ったような口調になって「私には王太子妃候補としての価値しかないのに、それを捨てろとおっしゃるの?」と苦々しげに吐く。
「あくまでも『候補』だろう・・・・・・?」
フィリップが告げられた時には否定した言葉をそのまま吐き出せば、ソフィアは眉根をギュッと寄せて「お父様もお兄様も許さないわ」と話す。
「そうでしょう。しかし、うちは爵位こそ、伯爵位ですが、代々騎士の家系で王家に忠誠を誓ってきた家門です。王家の護衛を任されているくらいですから、たとえ君のお兄さんと大喧嘩に発展しても、君を一人くらい匿うことは出来ますよ。」
だから、逃げてくればいい、レオンはそう話して、足元に転がった空の小瓶を上着のポケットにしまう。
「・・・・・・愛しても愛される保証などないわ。」
ソフィアがポツリと呟くから、レオンは苦笑し、口調を崩して「そうだな」と答えた。
「だが、君が笑うなら、それでも構わない。」
するりと口を突いて出てきたのは、レオンの本心で、嘘偽りのないものだった。
「私、あなたの事をろくに知らないのよ?」
すっかり大人しくなったソフィアの様子にレオンはくすりと微笑む。
「・・・・・・それで構わない。知らないことは新しく知っていけばいいだけだ。そう思えば気も楽だろう?」
その答えにソフィアは一瞬呆気に取られた顔をしたあと、レオンにつられるようにして笑みを零す。
「大した自信家なのね。」
「そういう訳ではないさ。ただ『愛される保証書付きの愛』なんてなくて当たり前だと思っているだけで。そんな保証書付きの愛があるなら、世の中に戦いなんて起こらないだろうし、俺はきっと失職してる。」
「まあ・・・・・・ッ!」
屁理屈だと分かっていても、レオンがおどけて自分を笑わせてくれているのだと思うと、ソフィアは、何だか心温かく感じ始めて、くすくすと笑った。
「あなたといると何だか悩んでいた事がちっぽけなことに思えてくる。」
「何に悩んでいたんだ?」
「お父様もお兄様も『王太子妃候補』だからこそ、私を大事にしているけれど、それを辞めたいなんて言えば邸に閉じ込められかねないわ。」
「なるほど。それでは、このまま騒ぎを起こすかい? エリントン卿のやり口を見ていると、駆け落ちも悪くなさそうだ。野次馬達は自分に火の粉がかからない話なら、『愛ゆえに』と言うだけで許してくださるみたいだし。」
「まあ、冗談はおよしになって? ひとつ間違えれば、伯爵位も騎士の称号も剥奪されかねないお話よ?」
「その爵位も称号も厭わない友人がいるんですよ。そして、類は友を呼ぶ。」
そう言ってレオンはソフィアに腕を差し出して「戻りましょう?」と促される。
ソフィアはしばらく躊躇していたものの、レオンが反対の手でソフィアの手を誘うと、「周りはかぼちゃか、じゃがいもだとでも思えばいい」と告げて何食わぬ顔で舞踏会場へと戻る。
しかし、会場内の参加者の眼差しは、テラスから意味深に戻ってきた二人に注がれることはなく、ホールの真ん中でダンスを披露している、マイヤー子爵令嬢と、王太子の二人に注がれていた。
◇
王太子殿下が続けて二曲をマイヤー子爵令嬢と踊ったことは、間違いなく明日の朝刊一面を飾るだろう。
ダンス中、親密そうに話している二人の様子に周囲はざわつき、エルガー公爵令嬢のステファニーは、三曲目を踊りかけた王太子、オリバーを止めに向かったほどだった。
「ステフ、何をそんなに怒っているんだ?」
「怒ってなどいませんわ、ただ、婚約者候補でもないご令嬢と三曲続けて踊るのは無作法でしてよ?」
踊りながら早口で告げれば、オリバーはキョトンとして「では、婚約者候補にすれば問題ないのか?」と答えてくる。
「・・・・・・それ、正気で言っていますの?」
「ああ、正気で話しているつもりだが・・・・・・。」
と、曲の途中でステファニーは打ち払うようにして手を離して、踊りの輪の外に抜け出ると、ワンテンポ遅れてオリバーが追い掛ける。しかし、ステファニーは立ち止まることなく、人混みを巧みにすり抜けて、兄であるバイロン卿こと、ブライアンの元へと真っ直ぐに向かった。
「お兄様、少しよろしいかしら。」
「どうした、ステフ?」
「今日という今日は愛想が尽きましたわッ! オリーに嫁ぐくらいなら、嫁ぎ先を改めた方がいいように思えてよ?」
「な、ステフ・・・・・・ッ!」
兄から咎められたものの、隣で「ぷふっ」と笑う声がすると、ハッと我に返って、膝を折り淑女らしく挨拶をした。
「お見苦しい姿をお見せして申し訳ございません、大公殿下。お初にお目文字致します。エルガー公爵家が長女、ステファニーと申します。」
「では、あなたがあの才色兼備と名高いエルガー公爵家のご令嬢か?」
「まあ、今のやり取りをご覧になって、そのように仰ってくださいますの? お世辞がとってもお上手でいらっしゃいますのね。」
努めておっとりと、けれど辛辣な皮肉を返してくるステファニーの様子に、大公殿下は面白いものを見つけたと言わんばかりに目を見開き、ハハッと声を立てて笑った。
一方、ブライアンは表情を強ばらせて「少し失礼します」とステファニーに目配せする。
「バイロン卿、そう気にするな。そんなにあちこちに気を使うと禿げるぞ?」
「禿げ・・・・・・ッ!?」
それにはブライアンは当惑し、ステファニーは目を細くし、吹き出し笑いをしかけて、口元を手で隠す。
「バイロン卿、レディーと一曲踊らせていただいても? レディーがこの国の行く末を憂う事態が起こったようだが、こちらとしては、これを機会に貴家との縁を強化するのも悪くないと思うんだが?」
「その口車にはのりませんよ。弟のことで手一杯なんです。それにステファニーは王太子妃候補です。これ以上の騒ぎはごめん蒙りたい。」
「お兄様、『まだ』王太子妃候補ですわ。」
「ステフもいい加減にしろ。これ以上、騒ぎが起こってみろ。そんなことになったら毛根が死ぬ前に心臓が止まりかねない。」
ブライアンがいつになく真剣な顔をして妹を説得しながら断ってくるから、大公殿下は大笑いをして「分かったよ」と納得し、「噂の王太子殿が来たら、レディのために足止めくらいはしてやろう」と不敵な笑みを浮かべる。
ブライアンが「そうしてくれ」とその場を離れようとするから、ステファニーはもう一度膝を折って挨拶をして、ブライアンの後を追った。
「お兄様、ちょっとゆっくり歩いて下さらない? コンパスの長さが違うんだから。」
「・・・・・・ッ! ステフ、一体、何を考えているんだッ!」
「あら、ごめん遊ばせ? わざと言いに行ったのよ。ああ言えば、お兄様は私の話を聞いてくださいますでしょう?」
そして、ステファニーはぐっとブライアンと距離を詰めて、「オリーに、マイヤー子爵令嬢を王太子妃候補にするつもりだと言われたわ」と告げる。
「は? マイヤー子爵令嬢? あそこの家に娘はいないだろう?」
「養女よ、お兄様。サラ=ローザ=マイヤーと言えば通じる?」
「サラ、だって?」
「そう、本人から聞いたの。明日の朝刊が見ものだわね。」
そう言ってステファニーは眉間にしわを寄せて「ギルが狐を狩り損なったから、私たちで狐狩りをした方がよろしいのではなくて?」と話す。
「主人に忠実なロバートを残して言ってくれたのがせめてもの救いだわ。」
「ソフィア嬢は?」
「ダンスホールでは踊ってなかった。けど、知ったら、私以上にショックを受けるでしょうね。ウィンザー伯爵令嬢のようにならなければいいけれど・・・・・・。」
と、途中、令嬢らしからぬ「もがッ」という声を立てて、ブライアンに口を塞がれて、ステファニーが抗議の視線を投げつける。しかし、すぐ近くから聞こえてきた声色に、ブライアンが物理的に口を塞いだ理由がわかった。
「バイロン卿、それから、エルガー公爵令嬢、お久しぶりですね。」
「ウィンザー小伯爵、こちらこそお久しぶりです。その節は弟への祝辞を下さり、ありがとうございました。」
ここにギルバートがいれば「心にもないことを言うな」とか「白々しい」と一蹴したのだろうが、ブライアンはニッコリとして挨拶してくる。
「バイロン卿に少しばかり耳に入れておきたいことがあって参りましたが、立て込んでいましたでしょうか?」
「いえ、構いませんよ。ステフ、続きは後でもいいかい?」
「ええ、構わないわ。狐狩りの算段はまた後ほど。」
狐狩りに隠喩したものの、フィリップは敏いウィンザー伯爵家の令息だ。そうブライアンが眉根を寄せてステファニーをギロッと睨んだところで、フィリップはにっこりとし「ああ、ご令嬢もお気づきでしたか」と口の端を上げた。
「私の相談も正しく『季節外れの狐狩り』に関してなのです。」
ブライアンとステファニーは顔を見合せる。ブライアンが諦めたようにため息を吐くと、ステファニーはにんまりとしながら「まあ、そうでしたの?」とフィリップに応じた。
「まさに今、私達も『季節外れの狐狩り』の話をしていてよ。弟が大事に育てていた白百合を傷付けたばかりか、今度は王城の庭まで荒らしそうで。ウィンザー小伯爵も春先に姫薔薇をダメにされてしまいましたでしょう?」
「ええ。相手もうちのしがない姫薔薇だけに留めておけばよかったものの、どうやら今は盛りと咲く王室に献上する予定の薔薇も傷付けたようでして。」
「それは庭師が怒りそうなお話だこと。」
「ええ、もうカンカンですよ。次々に手塩にかけて育てた花を手折られては堪らない。しかも王城の庭に紛れて悪さするなどもってのほか。」
そこまで話して、三人でマイヤー子爵令嬢であるサラを眺める。
「ライネケ狐のような狡猾さだけならやり過ごせるのですが、どうも人心を惑わす術も身につけたようでして。」
「・・・・・・なるほど、では、王太子殿下は被害者というわけか。」
「ええ、恐らく。ただ、本人はそれと気が付かぬようにされているかと。」
「国王陛下には?」
「王室に献上予定の薔薇に手を出された時点でお耳に入れておきました。ただ『裏を取れ』と仰せでして。そちらのお知恵を貸していただけませんか?」
そう話すとフィリップは困った表情になるから、ブライアンは溜息を吐き、ステファニーはほくそ笑んだ。
「そういう謀略の才は、うちでは弟妹の方があるんだ。きっと役に立てると思うよ。」
「あ、でも、お兄様。それまであのボンクラさんはどうします?」
大公殿下に絡まれて酒を注がれている王太子殿下のオリバーを見ると、ブライアンは「放っておいても大丈夫だろう」と笑った。




