思惑だらけの舞踏会(2)
分かっていた――。
自分は「王太子妃候補」で彼は「王太子の護衛騎士」だ。
そんな関係で距離を詰めれば、どんなに鈍く、世情に疎かろうと、何か目的をもって近付いてきたのだと思うだろう。
現に自分はエリントン卿とエリザベス嬢の話を世間話がてら聞こうと思って近付いていたのだから、彼が訝しむのもおかしくない。
それなのにソフィアはレオンに詰られるように「王太子との仲を取り持って欲しいからか」と言われると、胸が針で刺されたように痛くてまともにレオンの顔が見られなくなった。
「申し訳ない。失言を・・・・・・。」
ソフィアが空のグラスを取り落としたのにも気が付かずに、レオンは必死に弁解してくる。その事が余計に悲しくてソフィアはレオンに背を向けると、一目散にその場を離れた。
「公爵令嬢ッ! お待ちくださいッ!」
後ろからレオンの声が聞こえたものの、ソフィアは振り返らずにテラスの方へと向かうと、込み上げてくる嗚咽を堪えるようにして、外へと向かった。
会場の熱気と、ダンスをして掻いていた汗が夜風に冷やされて、体温を奪っていくのも構わずに、人気の少ないところへと向かうと物陰にへたり込む。
「ふ・・・・・・ぅ・・・・・・ッ。」
化粧崩れしてしまうからと、涙を堪えたものの、一度、堰を切って溢れてきてしまった涙は頬を熱く濡らしていく。
「楽しかったのに・・・・・・。」
初めて夜会を楽しいと思ったのは嘘ではなくて、レオンとウィンナーワルツを踊っている間、ソフィアはただのソフィアだった。
けれど、そう思っていたのは自分だけで、レオンの方は「公爵令嬢」としての自分の機嫌を取り、近づいた目的を聞き出したかっただけなのだと気が付いたら、自分の愚かさに胸が潰れるほど苦しく、うまく公爵令嬢としての仮面を被れなくなってしまった。
『人を信用してはならない。叔父上は国王陛下を信用していたのに、殺されたのだから。』
こんな時に限って、アルバートが常日頃から言い聞かせてくる言葉を思い出す。
『人を愛することなんて無駄だよ。愛したところで愛し返してくれる保証なんてない。』
そうね、お兄様の言う通りかもしれない。
けれど――。
『我が家がエルガー公爵家のように返り咲くためには、ソフィー、君が要なんだ。』
レオンとダンスする前だったら、きっとアルバートの言葉で飲み込めていた感情が、今は上手く飲み込めなくて嗚咽する。
(王太子殿下に近づいた所で、愛される保証など何もないのに・・・・・・。)
たとえ王太子妃になったとして、今と同じか、それ以上に周りの目を気にして「完璧な令嬢」の次は「完璧な王太子妃」を、そして、ゆくゆくは「完璧な王妃」を目指さなくてはならなくなる。
苦しい。自分はいつまで完璧を求められるのだろう。
一通り大泣きして徐々に冷静を取り戻し始めたものの、胸にぽっかりと空いてしまったような空虚感に何もかもが嫌になる。
と、ふわりと砂糖菓子のような夾竹桃に似た香りがしてきて視線を向けると、黒髪を緩く巻いた切れ長な目の女性が立っていた。
「綺麗な月夜ですね。」
薄い生地に黒い薔薇の刺繍があちらこちらに散らされた斬新なドレスを身に纏っている姿は、まるで夜が人の姿になって現れたかのように見えた。
「どなた・・・・・・?」
ソフィアが訊ねれば、彼女は丁寧にお辞儀をして「申し遅れました。私、マイヤー子爵家の養女、サラと申します」と挨拶してくる。
先程から香っている甘い香りは、彼女の香水なのか頭の芯がぼうっとしてくる。
「いい香り・・・・・・。」
思わずそう呟けばサラはニコリと微笑んで、「これは人をリラックスさせる香りなんです」と話す。
「リラックス?」
「ええ、ここでは誰もが腹の探り合いをしていて、目には見えない仮面を完璧に被っている方が多いでしょう?」
「見えない仮面、ね?」
「ええ、特にあなたはいつも完璧を求められるでしょう? 公爵令嬢としても、王太子妃候補としても。」
そして、「月でさえ満ち欠けするというのに」と涙の跡を拭うようにして頬に触れられる。
会場の熱に当てられたのもあって、ぼうっとしているのだろうか。
ソフィアは「ご心配には及びませんわ」と口では断ったものの、ふらついた身体を支えてくれたサラから香る甘い香りに不思議と甘えたいような心地になった。
「少し休まれた方が良さそうですわ。さあ、こちらにいらして。」
そして、まるで魔法に掛けられたかのようにして、庭園へと向かうと四阿に連れていかれ、中の長椅子に腰を下ろす。
「こちらなら静かに過ごせますでしょう?」
聞こえてくる声はとても耳に心地よく、「ソフィア様は好奇の目に晒されてお疲れになってしまったようですね」と言われると「確かにそうかもしれない」と思ってしまう。
「私の前では『完璧さ』は必要ございません。さあ、ご自身に素直になって。」
ソフィアはこくりと頷き、縋るようにしてサラを見上げる。サラは月を背景ににこりと微笑むと「王太子妃候補などお嫌なのでしょう?」と耳打ちされる。
(ああ、どうして・・・・・・。)
自分はサラの言うままになっているのだろう。
サラの言葉に抗えない自分と、「なにかの罠だ、耐えろ」と制する自分との間に挟まれ、せめぎ合う。
あの甘い香りのせいだろうか――?
サラの夾竹桃の花のような美しさに惹き付けられたまま、耳元で繰り返し、「心配ない、大丈夫。」と優しく囁かれる。
「身体がだんだんリラックスして重たくなります。」
「・・・・・・重たい、わ。」
「ええ、ほら、もっと重く、もう瞼を開けてられなくなる。」
「眠ってはだめ・・・・・・。」
ソフィアが堪えるようにして呟くと、サラは「大丈夫ですよ、ここはあなたの部屋と同じで、安全なところ」と囁かれる。
「安全なところ・・・・・・。」
「ええ、ここにはあなたを害する人はいません。さあ、三つ数えたら、私の事はあなたの信頼する人に見えるようになります。三、二、一。」
目を開けると目の前には一昨年亡くなったはずの母の姿があって、胸がいっぱいになる。
「お母様・・・・・・。」
ソフィアはほろほろと涙して「頑張ったわね」と声をかけてくる自らの母親の腕に抱かれた。
「三つ数えたら、あなたはもっと幼い頃に戻ります。さあ、信頼しているあなたのお母様に胸の内を話して。三、二、一。」
気がつくと自分の手が一回り小さくなったような心地がして、「何を泣いていたの? 可愛いソフィー」と訊ねられる。
ソフィアは家のために王太子妃候補になることに不安を抱えている事や、心を傾けかけたレオンに『王太子との仲を取り持って欲しいのか』と訊ねられて酷く悲しかった話をした。
「誰かを愛したところで愛し返してくれる保証なんてないと分かっているのに・・・・・・ッ!」
胸の奥がチリチリと痛み、苦しくて堪らない。
「ああ、可哀想なソフィー。苦しいのね。」
こくこくとソフィアが頷くと「では、私がおまじないをしてあげましょう」と囁かれる。
「おまじない・・・・・・?」
「ええ、そんな男の事など忘れてしまう。おまじないを。」
それから「ゆっくり三つ数えてみて」と告げられて、ソフィアは「三、二、一」と呟く。
「上手ね、ソフィー。次、手をひとつ叩く音が聞こえたら、あなたはランスロット卿の事を忘れ、マイヤー子爵令嬢のことを親友だと思うようになります。」
「親友・・・・・・?」
「ええ、イザベラと同じか、ううん、もっとそれ以上に大事な友人。」
パチン――。
サラがひとつ手を鳴らし「さあ、目を開けて」と言えば、ソフィアはゆっくりと目を開けて、サラに向かって「ああ、サリー」と親しげに笑った。
◇
一方、その頃、ソフィアを見失ったレオンは人のごった返す会場で、普段は付き合いのない派閥の人の中で「ソフィア嬢を見なかったか?」と訊ね回っていた。
(あんな表情をさせるつもりはなかったのに・・・・・・。)
彼女が王太子殿下のことを気にするのは当たり前なのに、あんな風に当て擦るようなことを言ってしまって、ソフィアを傷付けてしまった。
と、ちょうど、ボイル公爵家の派閥にも挨拶に来たのだろう、フィリップの姿を見つける。
「フィルッ! ちょうどいいところに。ソフィア嬢を見なかったか?」
「ソフィア嬢なら君がエスコートしていたんじゃないのか?」
「それが・・・・・・。」
藁にもすがる思いで状況を説明すると、ざっと辺りを見回して、顔色を悪くすると「こっちだ」と人の合間を縫って進み出す。
そして、ウェイターを捕まえると「マイヤー子爵令嬢を見なかったか?」と訊ねた。
「先程、あちらのテラスの方に向かわれました。」
「そうか、ありがとう。」
そして、訳が分からないといった表情のレオンを置き去りにする勢いでテラスに向かい、辺りを見回す。
「フィル、どうしたんだ?」
「いいから、探せ。下手すればソフィア嬢がイザベラの二の舞を演じることになるぞ。」
「イザベラ嬢の?」
疑い深いアルバートや、明らかに敵対しているギルバート、エリザベスは影響を受けにくいだろうが、マイヤー子爵令嬢こと、サラと応対していて気がついたのは、彼女が取り入ろうとする人物へのペーシングがやたら上手いということだった。
特に何かに不満を抱いていたり、傷付いていたり、弱みのある人間に近付いて、自分に心酔するように催眠する術を持っているらしい。そう言ってフィリップは足早に会場を抜けながら、テラスに出ると急ぎ足で辺りを探し始めた。
「イザベラはマイヤー子爵令嬢に嵌められたんだ。」
「だが、彼女は最近マイヤー子爵の養女になったばかりだろう? イザベラ嬢との接点がないじゃないか。」
「ああ、そうだ。だからこそ、あの女は怖い。」
ものの五分もあれば親友になり、十分もすれば信徒にしてしまう。
「マイヤー子爵もその口だ。アルバートが正教会に縁付けてから、ああいう信者が増えている。本人は伯爵位以上の養女になりたかったんだろうが・・・・・・。」
表に出てこられると厄介な性質なのは、何度か話していて分かったから、客人を装って別邸に閉じ込めておいたのに、あの時、アルバートと引き合わさなくてはならなくなった事が今更ながらに悔やまれると愚痴る。
「アルの近くにいてくれれば、まだマシなんだが。アルには話したのか?」
「いや、今日は邸で伏せっているらしい。だから、俺がエスコートしていたんだ。」
それを聞くとフィリップは舌打ちし、一層焦った表情になるから、レオンもだんだんと焦ってきた。
「まずいな。正教会は王立教会が牽制しているから王家には近づけなかったが、王太子妃候補の公爵令嬢が背後についたら、王家に危害が及ぶ可能性さえ出て来る。」
「それよりもソフィア嬢だろう? 彼女は殿下を慕っていると言うのに。」
急ぎ足で進んでいたフィリップはふと足を止め「ソフィア嬢が?」と呆れ顔でレオンを見る。レオンはスピードを緩めると「どうした?」と訊ねた。
「レオン、それ、本気で言ってるのか?」
「それってどれだ?」
「ソフィア嬢が王太子殿下を慕っているって話だよ。」
「・・・・・・違うのか?」
「ああ、ああいうのは『羨望の眼差し』っていうんだ。」
「羨望?」
「彼女も僕と同じような身の上だから、そういう目で殿下やエルガー公爵令嬢を見てしまうのも分かるけれどね。」
自分を律し、周りのためにその身と心を犠牲にしてきた者にとって、王国の太陽の子息や国一番の公爵家が後ろ盾になっているステファニーはきっと眩しくて仕方ないだろうと話す。
「それでも、幸い、僕は男だからね。まだ、事業で身を立てたり、逃げ場もあるものだが、ソフィア嬢やエリザベス嬢にはそれがない。」
やがて庭から戻ってきたソフィアの姿と、その後ろに薄く微笑むサラが階下から上がってくる姿が見えてくる。化粧が崩れたソフィアはいつもより幼く見えた。
「くそ・・・・・・ッ。遅かったか・・・・・・ッ。」
聞こえるか聞こえないかといったくらいの声でフィリップは呟き、虚ろな表情のソフィアには挨拶せずに、サラを睨み付けるようにする。
「これはマイヤー子爵令嬢、お久しぶりですね。」
「あら、ウィンザー小伯爵に、ランスロット伯爵ではございませんか。」
媚を売るような流し目の女は、虚ろな表情のソフィアといると余計にその存在が異質に見えた。
「フィル?」
「ソフィー。こっちにおいで。」
険しい顔付きでフィリップがソフィアに話すと、彼女はフィリップと『マイヤー子爵令嬢』と呼ばれた女を交互に見て首を傾げた。
「フィルもサリーも、二人とも喧嘩でもしたの?」
「ソフィー、アルに君のことを頼まれているんだ。こっちへおいで。」
「お兄様に?」
「ああ、今日は邸で寝込んでいるんだろう?」
しかし、ソフィアは眉間に皺を寄せた。
「本当だよ。信じられないなら、懐にある手紙を読めばいい。」
ソフィアはその言葉にフィリップの元へと歩み始め、けれど、レオンと目が合うとその場に立ち止まってしまった。
「あなたは・・・・・・? フィルのお友達?」
「ソフィア嬢、それは・・・・・・?」
どういう意味です、と訊ねかけたところでフィリップに制される。
「ソフィー、こちらは友人のランスロット卿だ。王太子殿下の護衛騎士の。腕っ節も良い注目株の男だ。それらも綺麗さっぱり忘れちゃったのかい?」
フィリップが訊ねても、ソフィアは目を瞬かせるだけて、不思議そうな表情でレオンのことを見つめるだけだ。
レオンはしばし放心状態でその会話を聞いていたが、隣に立っていたフィリップの肩がわなわなと震えたかと思ったら、次の瞬間、マイヤー子爵令嬢に飛びかかっていくから、ハッと我に返った。




