思惑だらけの舞踏会(1)
ボイル公爵家令嬢であるソフィアは、この夜、初めて兄のアルバート以外の男性にエスコートされて王城の広間に入った。
「・・・・・・急なお願いにも関わらず、ありがとうございます。」
「いえ、礼には及びませんよ。王国指折りの美姫をエスコートする栄誉にあずかっているのですから。」
そう言って微笑んだのは、ランスロット卿こと、近衛騎士のレオン=ライリーで、その黒々とした夜色の髪を撫で付けるようにセットしていて、青を基調にした詰襟の上着を着ていた。
「このまま陛下や殿下に挨拶に向かおうと思うのですが、如何なさいますか?」
「お言葉に甘えて、ご一緒してもよろしいでしょうか?」
「承知しました。」
会場の中は挨拶のための列と、別に挨拶を終えた人の小集団がいくつかあり、右に自分たちの一派、左にエルガー公爵家の一派が大まかに集まっている。
挨拶した後、右に向かうか、左に向かうか。それでどちらの派閥か分かる。それもあって、中立派を表明している家にとって、この瞬間はある種、踏み絵みたいになっていた。
(ウィンザー伯爵は右側、フィリップ様は左側。見事に分かれている状態ね・・・・・・。)
自分の父親と目が合い、そして、横に立つランスロット卿の様子に「アルバートはどうした」と言わんばかりに睨まれる。
けれど、今、父親のボイル公爵に邪魔されるわけにもいかないから、ソフィアはにこりと微笑み返した。
「・・・・・・それにしても、アルが高熱で寝込むだなんて鬼の霍乱ですね。学園に在籍していた時も皆勤賞でしたのに。」
「本当に。おかげで今夜は一人で会場入りしなくてはならないと、気鬱に思っていましたから、エスコートしてくださってありがたい限りですわ。」
ソフィアがにこりと微笑んで答えれば、レオンも悪い気はしなかったのだろう、「アルには悪いですが、役得というものですね」とはにかんで笑う。その笑顔があまりに自然だったから、ソフィアはその言葉が本心からなのか、社交辞令なのか、今ひとつ、掴みかねた。
「あら、ランスロット卿と一緒に夜会に参加なさりたい方も多いのではないかしら? 皆様、ご覧になっていてよ?」
すると、レオンは「それはあなたといるからですよ」と笑う。
「社交界の華であるソフィア嬢と一緒にいるんです。注目を浴びない訳には参りませんでしょう。」
「ご謙遜を。」
「謙遜では無いですよ。本来の私は政治には疎いですし、夜会でのやり取りは正直好きになれませんから、いつも煙たがられる口ですよ?」
「あら、夜会嫌いでいらっしゃるの?」
ソフィアがふふっと笑みを漏らすと、レオンは形のいい眉を片方をクイッとあげて見せた。
「何かおかしなことを申しましたかね?」
「いいえ、ただ、一緒だと思いまして。私も夜会でのやり取りは、正直何度出席していても好きになれませんの。」
現に今も遠巻きに自分やランスロット卿をチラチラと見ては、扇で口元を隠してひそひそと話している人々を見てしまうと、「言いたいことがあるなら、面と向かって言ってきてくれたらいいのに」と思ってしまう。
「けれど、騎士が刃を交えて戦うように、社交界には社交界なりの戦いがありますでしょう?」
そして、それには家同士の繋がりやら、政界や経済界での情勢やらが複雑に絡まり、笑顔の仮面を被って戦っている。
「・・・・・・根回しと舌戦、君のお兄さんの得意とするはところですね。」
「ええ、私、お兄様に口喧嘩で勝てたことが一度もありませんわ。」
そう話してレオンの笑いを誘ったところで、ソフィアは口を閉ざす。挨拶の順番までの人数が残り僅かになっていた。
やがて順番になると、レオンが一歩前に出て国王陛下に挨拶する。
「王国の太陽にご挨拶申し上げます。」
ソフィアはレオンが奏上する間、少し後ろで頭を下げて控えていた。
「ボイル公爵令嬢?」
ソフィアが「はい」と返事をして、顔を上げれば、面白いものを見たと言わんばかりの国王陛下と、驚きに満ちたオリバー王太子殿下の姿があった。
「今夜はランスロット卿と来たのかい?」
目じりに少し皺を寄せた国王陛下の口調は穏やかだ。
「はい、兄のアルバートが体調を崩し、寝込んでしまいまして。一人、会場に入るのを戸惑っておりましたところ、ランスロット卿がお助けくださいましたの。」
「・・・・・・アルバートが体調を崩した?」
訝しげな声を上げたのは、王太子殿下のオリバーの方で、国王の話を遮ってしまったことに気がついたのか、ハッとした様子で口を閉ざした。
「具合はどうだい?」
「医者の見立てでは、二、三日養生すれば快方に向かうだろうとの事でした。」
「そうか。では、ご自愛するように伝えておくれ。」
「はい、温かなお心遣い、誠にありがとうございます。」
その後は恙無く挨拶を終え、再びレオンのエスコートをしてくれる。レオンはいつもと違い、右側へソフィアを連れて歩み出した。
「ソフィア。」
どういう事だと言いたいのだろう。父親のボイル公爵が険しい表情で近付いてくる。それはレオンが会釈しても崩れる気配はなかったから、ソフィアは思わずレオンに隠れるようにして身を寄せた。
「アルバートはどうした?」
「お兄様は体調を崩して、邸におりますわ。」
「体調を崩した?」
「ええ、頭が痛いと仰って。それで一人難儀していたところをランスロット卿に助けていただいたんです。」
「そうか・・・・・・。」
レオンと示しを合わせたかのように、青と水色を基調としたドレスをソフィアが身に纏っていることもあってか、ボイル公爵は表情を曇らせたままだった。
「お父様?」
「どうやら、うちの娘がランスロット卿のお立場も考えずに、エスコートをお願いしてしまったようですね。」
「レディーを困らせたままにしておく方が騎士の名折れですから。」
と、主催者である国王陛下の挨拶が始まる。
三人は、話を切り上げて開会の言葉を聞く。そして、国王陛下の挨拶が終わると、オリバーと服装と髪の色に合わせたのだろう、白と黄色を基調としたドレスを着たステファニーを、オリバーはエスコートして一曲目のカドリーユを踊り始めた。
(ああ、やはりオリバー殿下には、ステファニー嬢の方がお似合いだわ・・・・・・。)
オリバー王太子殿下より四つ年上だと聞いているものの、自分とはあまり話の弾まない王太子殿下ともスムーズに受け答えし、楽しげに話しているステファニーの姿を見ると横に立つ父の事が気にかかる。
(あの間を割って入れだなんて、私には重荷だわ・・・・・・。)
もう少ししたら王太子妃候補の選抜があるとはいえ、「大人の魅力」に溢れているステファニーを見てしまうと、「当て馬」に過ぎない自分が虚しくなる。
(けれど、それも家門のためには仕方ないこと・・・・・・。)
負け戦になると分かっていても、不満を飲み込まないといけない時もある。きっと父も兄も王室に影響力を持つためにもソフィアの後宮入りを諦めるつもりはないだろうことも分かっていた。
「閣下、お許し頂けるなら、お嬢様にダンスの申し込みをしても?」
切なそうにソフィアがオリバーの姿を目で追っているのに気がついてか、レオンが父に訊ねる。
「ご子息のアルバート様と踊られる予定だったのでしょう?」
「あ、ああ。いつもなら、そうだな・・・・・・。」
「お嬢様を壁の花にしておくなど、よもや公爵様もお考えではありますまい?」
そして、「一曲、踊った後は王太子殿下のところへお連れするつもりです」と話したからか、憮然としつつも「ソフィアの思うようにすればいい」と答える。
「ありがとうございます。」
そう言って、レオンは流れるような仕草でソフィアに「お相手いただけませんか?」と申し込んでくる。
ソフィアはちらりと父を見たものの、無表情のままだったから、少し困惑しながらも「お願い致します」と答える。レオンは「ええ、もちろん」と目を細めて笑った。
◇
二曲目はポルカだ。初めての相手でも比較的踊りやすい曲ながら、やや緊張しながら組むと、レオンはくすりと笑みをこぼす。
「そう緊張なさらずに。先程『社交界には社交界なりの戦いがある』とおっしゃっていましたが、今はただ楽しみませんか?」
「楽しむ?」
「ええ、今夜はお目付け役のアルもいませんし、お父様である公爵様の了承も得られたのですから。」
ちょうど首ひとつ背の高いレオンと向かい合えば、チラチラとこちらを見てきていた煩わしい視線も気にならなくなる。
「と言っても、いつもは男同士で組手ばかりしている身の上なので、上手くリードできるかが心配ですけれど。」
ニッと笑うレオンの笑顔に引き込まれるようにして頷き、手を繋ぐと、初めこそ緊張もあってぎこちなさの残る動きで踊り始めたものの、徐々に独特なリズムに慣れてくると、息があってきてスムーズに踊れるようになっていく。
けれど、一曲の時間は思っていたのより短くて、少し楽しさを感じ始めたところで音楽が終わる。そして、次の曲を踊る人達と入れ替わるために脇に捌けようとして不意に足が止まった。
視線の先にはオリバーとステファニーの姿が立っていて、思わず表情が曇ってしまう。
(お似合いの、二人・・・・・・。)
オリバーが手を差し出せば、ステファニーはその手を取り、会場の真ん中へと案内されていく。
「公爵令嬢。まだ、お疲れでなければ、もう一曲、私と踊っていただけませんか?」
「え?」
視界を遮るようにレオンが前に立つ。そして、やや強引に手を引くと、ソフィアを再び踊りの輪の中に引き込んだ。
「ラ、ランスロット卿?」
まだ当惑した表情のソフィアに構わず、レオンは抱き込むようにしてホールドする。
三曲目のウィンナーワルツは始まっていて、レオンに「今はこちらに集中して」と囁かれる。
ソフィアの視界はまるでメリーゴーランドのようにグルグルと回ることになった。
ポルカと違って、密着して踊るウィンナーワルツに鼓動が早まる。それでも音楽をよく聞いて変則な三拍子に気をつけてステップを踏み始めれば、レオンのリードは的確で苦手なターンもスムーズに回れる。
(すごい・・・・・・。)
くるくると回る視界に映るのはレオンだけ。周りの視線も気にならず、いつもと違って身軽に踊れることもあって、だんだんと気分が昂揚してくる。
「ダンス、お上手なんですね。」
息を弾ませて、ソフィアが声をかければ、レオンは弾かれたようにしてびくりとして止まる。
弾みでソフィアがバランスを崩すと、ハッとしたのか、レオンはホールドしていた腕に力を入れて、ソフィアが倒れないように支えてコントラチェックに見えるようにして抱き起こす。
そして、曲が終わり、すっかり緊張がほぐれた頃、レオンはさりげなくダンスの輪からソフィアを連れ出した。
「先程はすみません。足を痛めませんでしたか?」
レオンが訊ねれば、ソフィアはキョトンとした顔でレオンを見たあと「いいえ、支えてくださったおかげで、倒れずにすみましたわ」と頬を紅潮させたままニコリとする。
「あんなに気持ちよく踊れたのは初めてでしたわ。それに、こんなに夜会を楽しむのも初めて。」
「そんな風に仰られると何だか気恥しいですね。」
そう言ってレオンの少し照れくさそうな、それでいて優しげな笑みを見ると、ソフィアはふふっと声を立てて笑う。
「お兄様が夜会に出ないと仰った時はどうしようかしらと思っていましたけれど、こんなに楽しい時間が過ごせるならお兄様にはずっと伏せっていて欲しいくらい。」
「それはまずい。アルが『妹を誑かすな』と怒鳴り込んで決闘を申し込まれてしまう。」
レオンがそう言って茶化すとソフィアは「まあ」と言って楽しげに目を細めた。
「もう少し息が整うまで、お話にお付き合いいただいても?」
「ええ、もちろん。今夜はいつも話し相手になってくださるイザベラ嬢もおりませんし、手持ち無沙汰になると思っておりましたの。」
「そうなのですか? いつも色んな方に囲まれている印象を受けておりましたが。」
「あら、それは『社交界の戦い』に巻き込まれている時でしてよ。」
ソフィアに「ランスロット卿もよく囲まれておいででしょう?」と言われると「そうですね」と苦笑する。
「いつもはエリントン卿に防波堤になってもらっているのですが、今日はそれがないですから逃げ回らざるを得ないでしょう。」
レオンが肩を竦めて話せば、ソフィアは急に表情を曇らせて「エリントン卿」と声を低くする。
「おや? 彼が何か致しましたか?」
「ウィンザー伯爵家のイザベラ嬢のこと、ご存知ありませんか?」
「ああ、フィリップの妹の・・・・・・。直接は面識がございませんが、先日、正教会系列の修道院に入られたそうですね。」
「ええ。彼女は私の良き友人ですの。表向きには世を憂いてと濁されていましたけれど、エリントン卿とのことが余程堪えたのだろうと思って・・・・・・。」
エリントン卿こと、ギルバートが、男爵家の居候令嬢に過ぎないエリザベスと駆け落ち騒ぎなんて起こさなければ、イザベラが修道院に逃げ込む事もなかったし、アルバートとフィリップの仲がギクシャクすることもなかった。
しかし、レオンとギルバートが仲がいい事を思い出すと、ソフィアはそれ以上を言い淀んで、近くにいたウェイターから果実水を貰って口にして何とか怨み言を飲み込む。
「エリントン卿のことをよく知らないのに、悪くは言いたくはないのですが、どうしても納得できなくて・・・・・・。」
英傑の男爵の血筋にあるとはいえ、私生児に過ぎないエリザベスを見初めて駆け落ちだなんて、家格も合わないし、貴族の子息として有り得ない行動だ。ソフィアがそう指摘すると、レオンも「そのことは私にとっても意外なことでした」と頷いた。
「彼が今まであんな風に誰かに執着し、感情を露わにすること自体、ありませんでしたから。」
そして、思う。
自分はずっと彼の何を見てきたのだろうかとか、困っている時に手を貸せないだなんて友達甲斐がないとか。
けれど、その問いをギルバート自身に問う勇気をレオンは持てなかった。
「・・・・・・私は政治的な駆け引きの中にこの身を置くのが嫌で、早々に騎士の道を選びました。近衛騎士になってしまえば、この忠誠心を捧げるのは『王』に対してであり、他家に阿る事を良しとしませんから。」
それゆえ、騎士となった者は「忠誠を誓った王の命令を一番の優先とし、常日頃から愛する者と今生の別れを自覚し、また、時に愛する者を手に掛けざるを得ない覚悟をもって、これを勤めよ」という誓いを立てさせられる。
そこまで話して、不意にギルバートに「うちの家訓と真逆だな」と笑われた日のことを思い出した。
「エリントン卿はソフィア嬢の思うような軽薄な男ではありませんよ。『白百合姫に全てを捧げる』のを家訓にしているような家の男ですから。イザベラ嬢のエスコートを引き受けていたと言っても、あれはウィンザー伯爵と取引をしたのだと話していました。」
「取引・・・・・・?」
「僕らと一緒で、いわゆる虫除けです。ダンスを踊っても、お愛想でポルカを一曲踊るかどうか。その後はフィリップがイザベラ嬢のエスコートをしたり、他の領の子息と踊ったりしていた状態で・・・・・・。」
そして「それ以外の時は儀典統括の仕事をしたり、私と一緒になって控えの間で仮眠していたりしていましたから」と苦笑しながら話す。
「それにそのことはイザベラ嬢もよく分かっていたはずですよ。度々、私にエリントン卿との仲を取り持って欲しいと仰ってきていました。」
「・・・・・・ベラが?」
「ええ、『そうすることが両家のために良い』って仰ってね。ただ、僕の目から見れば、彼女は恋に恋しているように見えました。」
そして「ご友人を悪くいうつもりはない。結果的にあなたのご友人を傷ついたのは確かなのだろう」と話し、「けれど、ギルバートはやはり私にとって無二の友人なんです」と困ったような、それでいて辛そうな表情になった。
「ごめんなさい、私もあなたのご友人を悪くいうつもりはなかったの・・・・・・。ただ、胸の奥でずっとつっかえていて・・・・・・。本当よ? だから、気を悪くなさらないで?」
傷付いた表情のレオンにソフィアが言い繕えば、レオンは益々悲しげな表情になって「そんな風に仰って、私の機嫌を気になさるのは、あなたも王太子殿下との仲を取り持って欲しいからですか?」と訊ねてくる。
ソフィアは手にしていたグラスを取り落とし、酷く傷付いた表情に変わっていた。




