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追う者と追われる者(2)

 レクシームの街に着いた翌朝、朝食を食べ終わってもギルバートとエリザベスは互いに口を利かなかった。重苦しい沈黙に耐えかねて、トムが二人に「少しは休めましたか?」と訊ねる。


「ああ。お陰様で朝までぐっすりだったよ。」


 しかし、口ではそういうものの、ギルバートの目の下にはうっすらと隈があり、ぐっすりには程遠かったのだろうと思われた。


「リジーはもう少し休んだ方が良さそうだね。少し顔色が悪い。」


 いつもとは違い、髪を結ぶことなく後ろに流し、物言いたげにエリザベスを見たあと、目を逸らす。一方、エリザベスも口を開きかけて、困ったようにトムへと視線を投げた。


「・・・・・・その事なんですが、昨日の馬車の横転で、向こうでアンたちが用意してくれた積荷がほとんどダメになってしまいまして。」


 幸いならず者達を捕らえた報酬で費用面までは影響は出ていないものの、買い物なしに次の街に向かうのは難しそうだと話す。


「必要なものは?」

「日持ちがする食糧、着替えと防寒具、あとは雑貨ですね。トロッコ列車で移動とは言え、ここから先は冷え込みますから。」

「結構、量があるな。」

「はい、それに両替と馬の引渡しのこともあります。ですので、可能なら手分けして買いに行けないものかと思いまして・・・・・・。」

「ああ、構わないよ。街中まで一緒に行って、その後、二手に分かれよう。食料品はプロの目で選んでもらった方がいいだろうけど、それ以外の買い物は僕が請け負うよ。着替えと防寒具、それから雑貨だね。」


 と、エリザベスはハッとした様子で、ギルバートの袖を引くと「私も一緒に行くわ」と話す。


「大丈夫だよ。一緒に出かけたから、僕が買い物に慣れているのも知っているだろう? リジーはもう少しここで休んでおいた方が良い。」


 しかし、その答えにエリザベスは眉尻を下げると、人目を気にした様子でキョロキョロと周りを確認し、ギルバートに「ちょっと耳を貸して」と頼んだ。


「ん?」


 不思議そうに思いながら、ギルバートが受け入れると、エリザベスは気恥しそうに耳打ちする。


「着替えって事は、その、私の下着とかも含まれるでしょう?」

「・・・・・・へ?」


 やや遅れて、ギルバートが狼狽える。エリザベスはギルバートと目が合うと、耳を赤くして俯いた。


「・・・・・・あ、いや、その。身に付けるものは、リジーの好みもあると思うから、一緒に行こう? もちろん、リジーの体調もあるから、休み、休みね。トムもそれでいいかい?」

「ええ、もちろん、構いませんよ。私も少し寄るところがあるので、夕刻のトロッコ列車に乗りましょうか。」

「じゃ、じゃあ、それで。支度が整ったら、玄関ロビーで落ち合おう。」


 ギルバートはそう上擦った声で話を纏めた。


 ◇


「良いですか、決してギルバート様の傍を離れてはなりませんよ?」

「分かっているわ。」

「それから、ローブのフードも外さないでくださいね。」


 レクシームの山間を進むトロッコ列車の始発駅、ラリー駅の近くの広場でトムは宿屋でも話した事を繰り返す。過保護とも思えるものの、トムは「絶対、約束ですよ」とエリザベスに念を押す。


「分かっているってばッ!!」


 エリザベスが何度目かの忠告に膨れっ面になると、ギルバートも口元を押さえてくすくすと笑った。


「トムさん、すぐそこの商店に服を買いに行くだけですから。それに僕もついていますし。」


 そして、ぷくうっと膨れっ面をしたままのエリザベスに「さあ、機嫌を直して。お遣いに行ってきましょう」と話して、ごく自然に手を引く。


「あ、ちょっと・・・・・・。」

「行ってきます! 待ち合わせ時間前には戻りますので。」


 戸惑っているエリザベスに構わず、やや強引にギルバートが進み出すと、トムはようやく諦めがついたのか「よろしくお願いします」と声を掛けて来る。ギルバートはエリザベスの手を引く反対の手を軽く上げると、トムに手を振って別れた。


(本当、過保護。)


 ギルバートに手を引かれたままで雑踏の中を歩く。広場は露天商が立ち並び、この辺りは食品店が多いようだ。


「アンといい、トムといい、君の家の使用人達は君を愛してやまないみたいだね。」


 くすくすと笑うギルバートの横で、エリザベスはちらりと後ろを振り返り、まだ心配そうにしているトムの姿を見つけると肩を竦めた。


「でも、仕方ないと言えば仕方ないわ。この髪色でしょう? 子供の頃から珍しがられて、何度か誘拐未遂めいたこともあったの。」

「そうなの?」

「ええ。」


 その時はサムが探し出してくれて、一緒に逃げ帰り、後でトムたちが乗り込んで、ならず者達を一網打尽にしたと聞いている。


「しかも、お母様が亡くなられてからは、あの伯父家族の嫌がらせにあっていたから、みんな心配性になっちゃったみたいで。」

「・・・・・・それでは仕方ないね。それにそんなことがあったと聞かされたら、僕も用心しないとな。」


 そう言って、ただ手を引いていたのから、指を絡めた繋ぎ方に変える。石畳の坂道を上り、上手く人波を縫うようにして進むのに、歩きにくさは感じなくて、上手くギルバートが歩調を合わせてくれていることに気がつく。


 そんな些細なことが嬉しい。


 エリザベスが指を絡ませて繋いだ手を握り返すと、ギルバートはふっと目を細めた。


「昨日の事だけれど、やっぱり僕は引き下がるつもりはないよ。」


 視線は真っ直ぐ前を見たまま「君を諦めるつもりは毛頭ないんだ」と呟く。


「それにね、きっと今戻ったら、それこそ僕の命はそれこそ狙われ放題になってしまう。アルバートにとって僕は目の上のたんこぶでしかないからね。」


 少し濡れたところを見つけるとギルバートは立ち止まり、エリザベスが足を取られないように誘導してくれる。そして「僕が彼の立場ならこんな絶好のチャンスを逃さないよ」と苦笑した。


「絶好のチャンス?」

「ああ、アルバートに足りないのは、王座につくための『根拠』だからね。僕を殺して、王太子殿下も『影』を使って掃除してしまえば、あとは後ろ盾のない君を手に入れて、彼の思うままだ。」


 そこにエリザベスの意思が関わる、関わらないにせよ。


「今まではオリーに何かしようとしても、今までは僕とレオンが控えているからね。アルのやつは動かなった。」


 けれど、今回、サラからグニシア王室のスキャンダルの種を手に入れて、ましてやギルバート自身に直接的に攻撃ができると知ったなら、態度を大きく変えてくるだろう。


「アルは政争に負けた家門の出だからね、今でこそ一公爵家の嫡男になんて収まっているけれど、世が世ならオリバーなんかよりずっと王太子に相応しい血筋の出だ。」

「王太子?」

「ああ、陛下の異母弟であったジェレミー王弟殿下の甥っ子だからね。」


 オリバーやエリザベスが生まれていなければ、先代の血を引いているアルバートの王位継承権は繰り上がる。そして、その事こそ、エドワード国王がアルバートを閑職に割り当てている理由だった。


「僕を消してしまえばね、レオンがいかに優れた騎士でも、招かれざる客の相手をして、全てを退けることは難しいだろう。」

「・・・・・・そうなの?」

「ああ、ボイル公爵家の『影』の異名は『掃除屋』だからね。」


 しかも、今回は更に都合のいいことに、責任をまるっと押し付けられる正教会がある。


「今、グニシア王国に戻り、仮にエラルド公国に逃げようとしても、僕の身は安全じゃない。でも、それはリジーのせいじゃなくて『遅かれ早かれ』そうなっていたことなんだ。」


 たまたま今が一番どさくさに紛れて動けるというだけで、ボイル公爵家とエルガー公爵家の間の火種は長年燻ってきたことだし、王立教会と正教会の間の火種も同様だったから、いつ、何をきっかけに難癖をつけてきて、似たような状態になってもおかしくなかったのだとギルバートは話す。


「だから、リジー、今回の件は君が気に病むようなことではないんだ。もちろん、愛想が尽きたというなら仕方ないんだけれど、僕の身の安全を願っての話なら、もう少しこのまま一緒に旅をして欲しい。」


 静かにそう話すギルバートの様子に、エリザベスはギルバートに握られた手を同じようにして握り返し、俯いた。


 愛想が尽きたなら、どれほどいいことか。


『少なくとも、今はまだギルバート様に甘えていらっしゃっていてもよろしいかと存じます。お嬢様とて、ギルバート様と離れたいわけではないのでしょう?』


 昨夜のトムの言葉が頭の中を駆け巡り、葛藤する。


 危険極まりない状態に陥ることが分かりきっている状態なのに――。


 こうして、一回り大きく少し乾いたギルバートの手に引かれていると、このままこの手を離さず、地の果てまでも一緒に逃げて欲しいと願ってしまう。

 こんな我儘は許されるのだろうか。


「リジー、ストップ。」


 ギルバートに手を引かれて、脇道に逸れるようにして道の端に寄る。そして、不意に伸びてきた指先に驚く。


「そんなに唇を噛み締めたらダメだよ。」


 今にも泣き出してしまいそうなエリザベスは、知らず知らずに唇を噛み締めていた。


「・・・・・・僕とヴェールズ公国の縦断は、やっぱり嫌かい? どうしても嫌なら、ほかの手立てがないか、トムにも聞いてみるけれど。」


 しょんぼりとして訊ねてくるギルバートの様子に、エリザベスは俯いて首を緩く横に振る。


(ああ、泣いてはダメ・・・・・・。)


 彼の身を思えば、離れないとならないのに。

 それなのに泣いてしまうのは卑怯だ。


 けれど、胸が張り裂けんばかりに苦しくて、肩が震える。


 すると、ギルバートは上手く立ち位置を変えて、まるで親鳥が雛鳥を大事にするようにして、今にも泣き出しそうなエリザベスを他の人から見えないようにしてくれた。


「こうしていれば、見えないよ。」


 ギルバートにそう囁かれると、一気に涙腺が緩み、目頭が熱くなる。


 ああ、どうしてこの人はこんなにも自分に優しくしてくれるのだろう。

 自分には何もお返し出来るものなどないのに。


 じわりと滲んできた涙が頬を濡らしていくのを、手のひらで拭うと、エリザベスはふうと息を吐いた。


「私、あなたを喪うのが何より怖いの。お母様みたいに、あなたまで喪ってしまったらって・・・・・・。」


 そう吐露すれば、ギルバートは溜め込んでた物を吐き出させるように背中を撫でてくれる。


「それで急に僕だけグニシア王国に戻って、エラルド公国に行けだなんて口にしたの?」


 エリザベスはこくりと頷き「あなたは私と違って帰る場所があるもの。公爵様も宰相閣下も最善を尽くしてくださるでしょう?」と話した。


「じゃあ、僕に愛想をつかしたわけじゃない?」

「ええ、そんなこと、少しも思っていないわ。」


 すると、ギルバートはくしゃりと破顔し、笑みを漏らす。


「君って人は・・・・・・。」


 そう言葉を漏らして、エリザベスの頬を伝う涙を拭いながら「その考えの続きもおおよそ分かるよ。僕が家族の元で安全に暮らせるなら、自分はどうなってもいい。身を引こうとか思ったんだろう?」と苦笑した。


「・・・・・・そこまで分かってるなら、戻って。」

「いいや、そこまで分かったから、一緒に行くよ。どうせ離れようと思ったって、胸の内(ここ)は納得してくれない。違う?」


 そして、ギルバートはエリザベスを引き寄せて、婚約式でしたようなキスをエリザベスの額にひとつ落とす。

 ギルバートは腰砕けになってしまいそうなほど、満面の笑みで、「愛想をつかされたんじゃなくて良かった」と呟き、小さい子がお気に入りのぬいぐるみをぎゅうっと抱き締めるみたいにして抱き締めてきた。


「どうしよう、リジーが可愛過ぎて、どうにかなりそうなんだけど・・・・・・。」

「・・・・・・そう言う話をしていたんじゃないでしょう?」

「いいや、そういう話だよ。」


 自分をぎゅうっと抱き締めてくるギルバートを、まだ涙目のまま上目遣いに見れば、彼は熱に浮かされたようにして、満面の笑みを向けてくる。


「良いかい、リジー。僕にとっての君は『魚にとっての水』みたいなもんなんだ。『傍にないと死んじゃう』、分かってる? そこのところ。」

「・・・・・・なにそれ、大袈裟。」


 ふっとエリザベスが笑みを漏らすと、ギルバートは気を良くしたのか「大袈裟なもんか」と口の端を上げる。


「だいたい甘えてるのは僕の方だよ。こんな事態に陥っていたって、僕は君を諦められそうにないし。君を奪われたくなくって四苦八苦してるんだよ?」

「奪われる、だなんて。私は男爵家の居候に過ぎないのに。」

「ノアに、フィリップ、王太子殿下に、大公殿下、その上、アルバートに奪われそうになっているって気が付いてる?」


 ギルバートは「やれやれ」といった表情で、「よそ見していないで、僕に甘やかされていればいいのに、本当、一筋縄じゃいかないね」と苦笑した。


「僕はリジーを砂糖漬けにするくらい甘やかしたいんだけど。」

「・・・・・・さ、砂糖漬け?」

「そう、なかなか甘えてくれないから。もっと甘えてくれたっていいのに。」


 そして、「さあ、さっさと買い物の続きを片付けてしまおう」と、エリザベスの手を引いたまま、衣料品店の立ち並ぶ一角を指さした。

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