追う者と追われる者(1)
グニシア王国は王家とそれに仕える諸侯による封建制度で成り立っている。
その頂点に立つのはグニシア王室とはいえ、すぐ直下にはエラルド公国寄りのエルガー公爵家と、ヴェールズ公国寄りのボイル公爵家。そして、そのどちらにも与せず、けれどもいざとなったらその軍事力で王室の懐刀となりうるグロースター辺境伯家が控えている。
長くその三家の力関係は、そのままグニシア王国、エラルド公国、ヴェールズ公国の三国の力関係そのものだった。
「・・・・・・ああ、本当に厄介なことに巻き込みやがってッ!!」
「そう言うなよ。エドガー様の元で朝に晩に一緒に過ごした仲だろう? それに俺のミートパイは絶品だ。違うか?」
トムがおちょくるようにして言えば、フランシスは大仰に振り仰いで「それにしても割に合わない」とぼやきながら、空になった器を突っついていた。
「こんな事になるなら、『一宿一飯。ミートパイを作るから置いてくれ』だなんて言われても玄関を開けるんじゃなかった。」
「そう言うなよ。どうせ、ろくなもん食ってなかったんだろう?」
「誰のせいでだよ。手土産に盗賊の頭なんて捕まえてきやがって。」
「なんだ、捕まえない方が良かったか?」
「いいや、捕まえてくれたのは良かったんだ。良かったんだが・・・・・・。」
そう言って再び頭を抱えると「こんなしがない街の治安部隊にいる俺に『王室絡み』かつ『宗教対立絡み』かつ『四カ国緊張状態絡み』なんて重たい話をしてくれるなよ」と嘆く。
「そう言うなよ。厄介事を一個片付けてやったわけだろう?」
「いや、それ、お前はコックだから気にしないかもしれないけどさ・・・・・・。軍部内はどこの国もしがらみだらけなんだぞ?」
フランシスはそう零しながら、地道に軍部内営業をして、やっと昇級し、何とか隊長クラスになっているというのに随分な言われようだと嘆く。しかし、トムは「ふん」と一つ鼻を鳴らすと面白くなさそうな顔になった。
「お前、今、数々のお貴族様の舌を唸らせてきた、スペンサー家の元総料理長を馬鹿にしたな?」
「え、あ、そういうつもりで言ったわけじゃ・・・・・・。」
「じゃあ、どういうつもりだよ?」
目を据わらせた『赤鬼のトム』を前に、普段は『斬撃の黒龍』なんて厨二病みたいな通り名を持つフランシスは、たじたじになる。
「・・・・・・あー、いや、何だ。ほら、トムが現役から退いてからは結構時間が経っているだろうって事さ。他意はないよ。」
「ほう?」
「ほ、本当だって。」
そう言ってフランシスが両手を上げたのも道理で、トムは現役時代の模擬試合で何百と仕合をしたものの一勝も出来なかった相手だったからだ。
しかも、退役して、コックをしていた癖に、軍人の自分より筋骨隆々としているトムを見ると、「なんで軍人の自分よりムキムキなんだよ」と思わないでもない。
「話を戻そう、な? えーっと、それでエラルド公国寄りのエルガー公爵の次男と、エドガー様の孫娘が巻き込まれて、ヴェールズに逃げてきた?」
「そう、ボイル公爵家の嫡男と正教会からな。」
「つまり、親ヴェールズのボイル公爵のご子息と正教会から・・・・・・って、俺はヴェールズの軍人なわけだけど?」
「ああ、そうだな。」
フランシスは「いや、そうだな、じゃないだろう」と眉間に皺を寄せる。けれど、トムは何ら気にならないかのようで、「こっちには強力な助っ人がいるんだ」と書状を荷物から引っ張り出した。
「あ? なんだよ、それ。」
「まあ、見てみろって。」
そう言って見せられた封書の封蝋を見て、フランシスはさっと顔色を悪くする。
「このドラゴンのマークって、もしかして大公殿下の封書か?」
「ああ、しかも直筆な。『ヴェールズ公国軍は救国の乙女とその付き人を保護し、グロースター辺境伯の元へ届けよ』って書いてもらってある。」
「救国の乙女って、まさかエドガー様の孫娘が?」
「ああ、そうだ。『神託の巫女』だか何だか知らないが、怪しい女がお嬢様は隣国で受け入れてもらえれば『両国の絆の証』になるとか、グニシア王国にあっては破滅をもたらすとかほざきやがったんだ。」
トムは神託の巫女の言葉を思い出して「お嬢様のご婚約式を泥を塗ったあの女だけは許せそうにない」と険しい表情になる。
フランシスはその剣幕に頬をひきつらせながら「過ぎたことだろう? それより、その書面にある付き人がエルガー公爵のご子息と、トムってことか?」と訊ねた。
「そうだな。本来なら敵対してもおかしくないはずなのに、エルガー公爵家のご子息は、何をどうやったのか、大公殿下を全面的に味方につけて、ご自身とエリザベス様を保護させることに成功した。」
しかも、ヴェールズ公国内の通行手形と、御自ら、アルバートに対しての囮になる特典付きと来ているから驚かされる。
「大公殿下がそこまで?」
「ああ、『それなりの対価は差し出したので』とは言っていたが、一体、何を差し出したのやら。」
正直、亡命を受け入れるのにしても、破格の対応だ。
「だが、そんなことになれば、ボイル公爵の嫡男とやらが黙っていまい?」
「そ、そういうわけで頼みがあってきたんだ。」
トムの口調に、フランシスは「あ、やぶ蛇だったかも」と思いながら「何だ?」と頬を引き攣らせる。
「フラン、お前、独り身だったよな? 確か、戦場から帰ってこられたら結婚しようと言ってた女に逃げられたとかで。」
「ぐは・・・・・・ッ!!」
「しかも、出世の道もいまいち開けず、ようやくこのレクシームの隊長。」
「ぐぬぬぬ・・・・・・ッ!!」
「『救国の乙女』を助けたら、間違いなく大公殿下の目に止まるぞ? エルガー公爵家のご子息に気に入られれば、グニシア王国か、エラルド公国でお抱え護衛になれるかもしれない。」
「うぅ・・・・・・ッ。だ、だが、こっちだって任されている仕事ってもんがあるんだぞ?」
「そうか。断るって言うなら、仕方ないなあ。他の奴らに声を掛けてみる。」
「なッ! 断るとは言っていないッ! やるッ! いや、むしろ、やらせてくださいッ!!」
「やっぱり、フランは、そうこなきゃッ!」
そう言ってニカッと歯を見せて笑うトムを前に、「ああ」とフランシスはその場で机に突っ伏すようにして崩れる。
「ちょうど、人事考課の時期で仕事の棚卸しはしてあるから、そう引き継ぐことは多くないだろうが、副隊長に引き継ぎしてからでも?」
「おう、構わないぞ。だが、手早くな。明日の昼には出発して、一週間以内にヴェールズを横断してしまいたい。」
「・・・・・・分かったよ。何とかしよう。」
フランシスは未だ机から顔を上げぬままに答える。トムは満足そうにニヤリと笑った。
◇
三国間の勢力関係が変わる。
特にヴェールズ大公殿下が全面的にギルバートの味方についたことは、フィリップにとって驚くべき事実だった。
(あいつ、一体、どんな裏技を使ったんだか・・・・・・。)
一夜明けて、新聞にエリザベスが正教会に異端審問に呼び出された事が大々的に書かれるだろうと思っていたのに、実際の一面は北方の街が一つ壊滅的な状態に陥ったことと、夜半にグニシア王国軍とエラルド公国軍の合同部隊が襲ってきたノーランド王国軍を撃退した事で埋め尽くされていた。
三面記事の片隅に『白百合姫、弾劾か?』とコラムのような記載はあったものの、それも『正教会側は何を焦るのか?』といった帰着になっていて、エルガー公爵家が情報統制を敷いたのだと推察された。
「やあ、フィル。君がうちに来てくれるだなんて思わなかったよ。」
フィリップは久々に踏み入れたボイル公爵家の応接室で、四分の一にして読んでいた新聞をテーブルに置くと、アルバートの方に顔を向けた。
「それで? 訪問してくるには随分と遅いように思うのだけれど。火急の用かい?」
フィリップはアルバートの言い種にカチンときたものの、呼吸を整えると「エリザベス嬢を追い詰めるのはやめてください」と告げる。アルバートは目を細めるとため息混じりに「どうしてだい?」と首を傾げた。
「君の為に助け舟を出してあげたのに。」
「助け舟?」
「そうだよ。ああすれば、従兄殿は正教会を意識して、エリザベス嬢をヴェールズ大公妃として迎えられなくなるだろう?」
そして、くすくすと「でも、あのサラとかいう女、面白いね」と笑みを零す。
「あんな真正面から王立教会に喧嘩を売りに行くとは、よもや思わなかったよ。」
こそこそと嗅ぎ回っていた事の代償に、フィリップの元からサラの招き寄せた理由が、ヴェールズ公国と正教会の関係を読んでの事だったのだと知るとフィリップは目を細めた。
「何をお考えなのですか?」
「何を、って?」
「ノーランド王国の行軍もアルが仕向けたことではないですか?」
「いや、あれはギルバートの奴だよ。わざと隙を見せて踏み込ませたのさ。グレイ侯爵の集めていたならず者の私兵を減らす為にね。」
アルバートは優しげな口調のままながら、底冷えするような眼に変わると「僕はギルバートも気に食わないが、グレイ侯爵も好きになれなくてね」と笑みを深めた。
「君にはまだ僕の右腕でいて欲しいし、ギルバートのあの様子。エリザベス嬢は君の言うように利用価値がありそうだからね。それと、僕も『白百合姫』に賭けてみようかと思っている。」
フィリップはアルバートの申し出に思わず口を真一文字に引き結び、ゴクリと喉を鳴らす。アルバートはその様子に気を良くしたのか相好を崩した。
「あと四十日、いや、あと三十九日か。盤上をひっくり返す猶予としては十分な時間もあるしね。」
「盤上をひっくり返す?」
「ああ、婚約が正式に認められてしまう前に、王太子やギルバートを殺してしまえば、白百合姫は僕の手元に来る。そうだろう?」
上手く息が出来なくなってヒュウッと喉の奥が微かに鳴る。
「そのようなこと、エルガー公爵家と全面戦争になりましょう?」
「ああ、そうだな。だが、遅かれ早かれ、いつかはこうなってはいたさ。ウィンザー伯爵家がエリザベス嬢に付くというなら尚更な。」
自分のもとを離れようとするフィリップが、エリザベスに付くと決めたのなら、そのエリザベスごとこの男を取り込めばいい――。
フィリップはアルバートがそう考えているのだと推し量り、眉間に皺を寄せた。
「安心しなよ、フィル。君がこの話を胸の内に収めておいてくれるなら、事が成せても成せなくてもウィンザー伯爵家の安泰は保証しよう。それと上手く情報を流してくれるなら、成功した暁にはエリザベス嬢の名誉はボイル公爵家が取りなし、気掛かりだろう正教会とサラの事は、王太子とエルガー公爵家と共に片付けると約束する。」
饒舌に語るアルバートを前に、フィリップは顔色を悪くする。
(アルなら、やりかねない。)
ギルバートが王太子と共にあまり学園に来なかったこともあって、学園カーストで一番上にあった男だ。今まで彼が大人しくしていたことの方が奇跡であり、遅かれ早かれこういう事態は起こっていただろう。
それでも――。
フィリップは今までそうしてきたようには、アルバートに阿ることはしなかった。
「・・・・・・全てはエリザベス嬢の判断次第とさせてください。」
「彼女と心中する気かい?」
フィリップが無言のまま、テーブルに片手をついて席を立つ様子に、アルバートは珍しい物を見たという顔をした。
「フィル、僕と組むのを勧めるよ。彼女を君のものとしたいならね。」
その言葉に歩むスピードが緩み、立ち止まる。
「ギルバートは君に彼女を譲らない。それでもギルバートの奴に付くのかい?」
ドアノブを掴んでいた手も止まる。
「フィル、よく考えるんだ。どちらが得なのか。」
しかし、フィリップは悲しげな笑みを漏らしただけだった。
『ウィンザー伯爵家のフィリップ様なら、祖父のように影響力のある者が、いずれかの派閥に組み込まれれば、その後、大きく世が乱れる事をご存知でしょう?』
『・・・・・・仮に祖父が英傑と謳われるような人物でなかったなら、はたまた、伯父がグレイ侯爵との縁談を持ってこなかったなら、あるいは違う運命だったのかもしれませんね。』
自分もウィンザー伯爵家に生まれなければ、あるいは、違う運命だったのかもしれない。
「仮に僕がウィンザー伯爵家の嫡男に生まれていなくて、はたまた、彼女の置かれている境遇を知らなかった時なら、あるいはそれをお願いしていたかもしれない。」
けれど、知ってしまった――。
自分と同じように周りに翻弄されても、もがいて、足掻いて、傷付きながらも生きてきた事を。
「・・・・・・アル、僕には君を止める権力も実力もない。けれど、エリザベス嬢の進む道を邪魔するなら、君と敵対しても露払いに動く。今日はそれを伝えに来たんです。」
「袂を分かつ、と言うのかい?」
「最悪、そうなりますね。」
そして「今日、僕が邸に無事に帰らなければ、セバスチャンにエルガー公爵の邸に駆け込めと伝えてあります」と釘を刺す。
「また、随分と入れ込んでいるんだね。叶わぬ恋なのに。」
しかし、それには答えずにフィリップは部屋を出た。




